ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 忠実を保つ
    ものみの塔 1956 | 11月15日
    • 12 ヱホバの愛の霊は,私たちが忠実を保つことにどんな役割を果しますか。

      12 私たちを神の御旨にかなう状態に保つため,神はまた聖霊を与えらました。それは『臆する霊ではなく,力と愛と健全な心の霊である。』(テモテ後 1:7,新世)この古い組織制度に健全な心はありません。この古い組織制度は全く正道から外れ,いま全地の裁き主が測り給う愛や忠実の性質が欠如しています。(イザヤ 28:16,17)この古い世では,人柄というものは重んぜられず,むしろ知己は誰かが重んぜられます。また,正直のかわりに事業や職業の倫理がしばしば重んぜられます。しかし,ヱホバは御言葉を通して,御自身が真の愛の持主であることを示されました。また,御自身の制度の主要な原則は愛であつて,利己主義でないことも示されました。それで,もし神の愛を持つなら,私たちは兄弟たちを愛します。もし目に見える兄弟たちを愛さないなら,どうして目に見えない神を愛することができますか。愛は私たちを神とその制度につよくしつかりと結びつけます。そして,私たちは他の人々に仕えるようになります。私たちは他の人々の永遠の福利を考えているからです。そのことについてヨハネは,こう書きました,『神を愛するとは,すなわち,その戒めを守ることである。そして,その戒めはむずかしいものではない。』(ヨハネ第一書 5:3,新口)たしかに,むずかしいものでありません。神の戒めは,私たちの益のためであり,それを守るときに現在でも多くの祝福が与えられ,そして将来には永遠の生命が与えられます。『裁きの日に確信を持つて立つことができる。そのことによつて,愛が私たちに全うされているのである。愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く。恐れには懲らしめが伴い,かつ恐れる者には愛が全うされていないからである。』(ヨハネ第一書 4:17,18,新口)50万人以上の御国伝道者たちは,いまヱホバの御国を活潑に,しかも定期的に宣明しており,神の愛の霊を持つていることを示します。かくして,人間と悪魔の恐れに打ちかち,忠実を保ちつづけることによろこんでいます。

      13-15 (イ)「神の与えた宣教を全く成しとげるために,どんな不必要な行を考え深く止めねばなりませんか。(ロ)それと同じ目的のために,私たちはどんな正しい行を増し加えて強めねばなりませんか。

      13 今は,この世の煩いに気ずかい過ぎて,不必要な重荷や負担で拘束される時でありません。今は,横道に外れてしまつて,義務を忠実に果すことを怠る時でありません。この世の仕事,家族の生活,または個人の快楽のような物質の事柄に専念して,ヱホバの奉仕をなおざりにすべきでありません。もし天的なものよりも地的なものを大事にする,というような言訳をするなら,神は怒り給うでしよう。最新の自動車というような現在のぜいたく品は,新しい世の事柄を忠実に行うための必要品ではありません。この古い世で良いと言われている多くの物も新しい世の活動を行う私たちの罠となります。神の与え給うた使命をしつかり心にいれ,そして他の者が新世社会に来るのを助けることにより,天の宝を貯えることになります。かくして,私たちは神の奉仕者に与えられた聖書の次の助言を行います,『あらゆることに平衡を保ち,悪を耐えて,伝道者の業をなし,あなたの宣教を全うしなさい。』― テモテ後 4:5,新世。

      私たちのあらゆる関係におけるその重要性

      14 忠実は,クリスチャン生活のあらゆる面に含まれます。すべての事において,忠節と従順は私たちに要求されます。以前の不従順な子供たちにとつて,従順はなかなか学びにくい事柄です。それで,正しい良心を持ち,肉の思いによらず神の霊の導きに従うことは極めて重要です! ペテロは,こう諭しました,『明らかな良心をもつて,弁明しなさい。そうすれば,あなたがたがキリストにあつて営んでいる良い生活をそしる人々も,そのようにののしつたことを恥じいるであろう。善を行つて苦しむことは ― それが神の御旨であれば ― 悪を行つて苦しむよりも,まさつている。』(ペテロ前 3:16,17,新口)忠実を保つことは決して易しくありません。悪魔とその軍勢共は,僅かな時しかないために,忠実を保つことをますます難しいものにしています。『悪に負けてはいけない。かえつて,善をもつて悪に勝ちなさい。』― ロマ 12:21,新口。

      15 『悪魔の策略に対抗して立ち得るために,神の武具で身を固めなさい。私たちの戦は,血肉に対するものではなく,もろもろの支配と,権威と,やみの世の主権者,また天上にいる悪の霊に対する戦いである。』(エペソ 6:11,12,新口)私たちは人間や人間の政府に対して戦いません。いまでは,各地の支配者たちは次のことを知つているはずです。すなわち,ヱホバの証者は他の人間の有する政治権力を取つたり,或は他の政治権力と置きかえたりすることに興味を持つていない,ということです。ヱホバのキリストはすでに新しい世の王であり,時経つ中にこの全地の政治支配者たちはそのことをも明白に認識するでしよう。(黙示 11:15-18)私たちの業は,キリストの支配するヱホバの御国を宣明することであり,そして私たち自身がヱホバの真理によつて自由にされたように,善意者たちをサタンの罠とその悪霊から自由に解放することです。(詩 117篇。ヨハネ 8:31,32)かくすることによつてのみ,私たちや神を恐れる人々は忠実を保つことができます。

      16,17 (イ)ヱホバの民の目に見えない強力な敵は,いままでどのように絶えず打負かされましたか。(ロ)ヱホバの新しい世の社会内にあつて,忠実を保つことは,どのように私たちに関係しますか。

      16 献身の時以来,私たちは御座についたヱホバの新しい世の王なる小羊に従うと同意しました。故に,小羊の導きをうけるときに古い世と悪しき者を打ち負かすことができます。真実と忠実を保つことにより,私たちはサタンの悪意ある非難に対する答をヱホバに捧げることができます,― その答に対してサタンは反論することができません。かつ,その答はサタンが偽りの非難者なることを証明するものです。『神の子が現われたのは,悪魔のわざを亡ぼしてしまうためである。』『兄弟たちは,小羊の血と彼らのあかしの言葉とによつて,彼(キリストの兄弟たちを偽り非難するサタン)にうち勝ち,死にいたるまでもそのいのちを惜しまなかつた。』『私たちの信仰こそ,世に勝たしめた勝利の力である。』― ヨハネ第一書 3:8。黙示 12:11。ヨハネ第一書 5:4,新口。

      17 しかし,忠実は兄弟たちに対する私たちの関係にどのような影響を及ぼしますか。ヱホバは,会衆内の僕たちに特別な特権と責任をいま与えています。これらの僕たちはヱホバの羊のためによろこんで率先して働き,世話をしているのです。(使行 20:28)円熟した伝道者は,家から家の宣教に他の人たちを助けることができます,すなわちそれらの人たちを共に連れて行つて伝道の仕方を示し,証者になるように訓練するのです。夫も妻に忠実を保ち,妻も夫に忠実を保ちます。(エペソ 5:33)忠実を保つ両親は,同様に子供たちをも教えて訓練します。『子たる者よ,主にあつて両親に従いなさい。これは正しいことである。「あなたの父と母とを敬え」これが第一の戒めであつて,次の約束がそれについている。』― エペソ 6:1,2,新口。

      18,19 忠実を保つ私たちにとつて,友好の態度を示す者にも示さぬ者にも,いわゆる外部の人々に対する毎日の責任と特権とは何ですか。

      18 忠実は,この世の人々に対する私たちの関係にどう影響しますか。私たちの使命は,すべての人々に善をなすことであり,何人をも害さないことです。(テサロニケ前 5:15)世の終が近づくにつれ,私たちの伝道と教える業はできるだけ強化されるべきです。つまり,家庭であろうと,戸口であろうと,― 刑務所の外であろうと,内であろうと,― できるところなら何処であろうと,聖書を人々に読むことです。強制労働の収容所内でも忠実が保たれていることは,ヱホバが獅子の洞にいる御自分の民を保護されていることを裏書しています。収容所内にいても彼らは,正義のために迫害されているため幸福を感じています。栄光の霊,すなわち神の霊が注がれている故,彼らは不平を申しません。(ペテロ前 4:13-17)嘘が繰返したくさん言われようとも,また偽りの宣伝が多くなされようとも,彼らの思と心から神の言葉を取消すことはできません。思想転換の手段がとられようとも,彼らの燃えるような信仰を消し去ることはできません。彼ら自身の従順が成就されるとき,すべての不従順を罰しようと用意しているからです。(コリント後 10:3-6)私たちは二心を持つていません。しつかりした思慮ある態度でもつて,私たちはサタンの脅しの方法に反抗します。(ペテロ前 5:6-11)しかし,不思議に見えるかもしれませんが,身体上の自由を持つている私たちは,収容所にいる幾千人という兄弟たちよりもずつと危険な状態にいるのです。(ヘブル 13:3)些細な事柄で私たちは妨害されてもよいですか。私たちは手をゆるめますか。私たちは申訳を言いますか。いまは収穫の業をなさねばならず,戦に勝たねばなりません!(伝道之書 11:4)それで,日々ヱホバに讃美を捧げなさい。今は悪い時代である故に,今の時を生かして用いなさい。―エペソ 5:16。

      19 忠実を守る人は,清い手と清い心を持つています。なぜなら,忠実な見張者として警告を与え続けるからです。(エゼキエル 3:17-19)むかしのダビデと共に,次のように言うことができます,『われは虚しき人とともに座らざりき。悪をいつわりかざる者とともには往かじ。悪をなすものの会をにくみ,悪者とともにすわることをせじ。われ手を洗いて罪なきをあらわす。ヱホバよ,かくてなんじの祭壇をめぐり,感謝の声を聞えしめ,すべて汝の奇しき御業をのべつたえん。ヱホバよ,我なんじのまします家となんじが栄光のとどまるところとをいつくしむ。』(詩 26:4-8)心の直い人は,ヱホバの道が自分たちのとりでであることを知つています。ヱホバは,忠実に歩く者たちの楯です。それは彼らを導き守つて永遠の生命にいたらせます。(シンゲン 10:29; 2:7; 11:3。詩 25:21)サタンとその崩壊して行く制度は,私たちに妨害を加えて,円熟に達せしめず,また勝利を得させまい,と努めるでしよう。ヱホバの昔の予言者たちは耐忍んで,忠実を保ちました。キリスト・イエスや,その使徒たちや,また他の忠実な初期クリスチャンたちは,昔の予言者と共々に,『忠実を保て!』と声高らかに語りました。そして,大きな迫害に耐忍んでいる現在の兄弟たちも,忠実を保て,と私たちに絶えずすすめているのです! 目に見えない部分であろうと,見える部分であろうと,ヱホバの力ある制度は,いつでも私たちを援助して忠実を保たせる用意をしています。

  • 悪を止めて善を始めなさい
    ものみの塔 1956 | 11月15日
    • 悪を止めて善を始めなさい

      悪の循環を止める仕方は,善でもつてその循環を打破ることです。悪に対するに悪をもつてなし,また憎しみは憎しみを生ぜしめ,暴力が暴力を生ぜしめるかぎり,悪はますます深まつて行き,悪を行う人はいよいよ悪に染まつて行きます。渦巻に逆つて泳げる人の体は,頑健なものでなければなりません。同じように,善を行うことによつて悪の循環に逆う人は,霊的に頑健でなければなりません。それには,雄々しさ以上のものを必要とします。敬虔を必要とするのです。

      イエスもそう語られました,『「隣り人を愛し,敵を憎め」と言われていたことは,あなたがたの聞いているところである。しかし,私はあなたがたに言う。敵を愛し,迫害する者のために祈れ。こうして,天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は,悪い者の上にも,良い者の上にも太陽をのぼらせ,正しい者にも正しくない者にも,雨を降らして下さるからである。あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて,なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。兄弟だけにあいさつをしたからとて,なんらすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。それだからあなた方の天の父が完全であられるように,あなた方も完全な者となりなさい。』― マタイ 5:43-48,新口。

      使徒パウロは,ローマにいたクリスチャンたちに,『悪をもつて悪に報いず』と告げました。また,テサロニケにいたクリスチャンたちにも,『悪をもつて悪に報いないように』との類似の戒めを与えました。これを言うのは易しくても,行うのは難しいことです。しかし,パウロは言うだけでなく,行いました。『はずかしめられては祝福し,迫害されては耐え忍び,ののしられては優しい言葉をかけている。』― ロマ 12:17。テサロニケ前 5:15。コリント前 4:12,13,新口。

      イエスは高い程度の敬虔さを持つていました。私たちはイエスの模範に従わねばならぬ,と告げられています。『(キリストは)ののしられても,ののしりかえさず,苦しめられても,おびやかすことをせず,正しいさばきをするかたに,いつさいをゆだねておられた。あなたがたは,実に,そうするようにと召されたのである。キリストも,あなたがたのために苦しみを受け,御足の跡を踏み従うようにと,模範を残されたのである。』― ペテロ前 2:23,21,新口。

      人々の普通にしている行は,自分に丁寧な人には丁寧にし,自分を尊敬する者には尊敬を払い,自分に怒つている者には怒りを持ち,そして自分を打つ者には打ちかえすことです。しかし,こうすることは他の人に自分の性格をつくらせ,自分の行を決定させ自分の人格をつくらせていることになります。実際のところ,あなたを他の人々のようになし,そして彼らのような罪深い人にならせているのです。もしあなたが立派な行の標準を持つておられるなら,なぜそれを棄ててしまつて他人の低い標準を取るのですか。なぜ自分自身の持つ善よりも他人の悪の方を強めてしまうのですか。こうすることは,あなた自身を否定し,あなたの擁護するものを否定し,あなたの大切にしている原則を否定することになります。イエスに倣いなさい。彼はまわりの者の弱さによつて変化することなく,ありのままの自分を保ち続けたのです。『たとい,私たちは不真実であつても,彼は常に真実である。彼は自分を偽ることが,できないのである。』― テモテ後 2:13,新口。

      もし,あなたが善でもつて悪の循環を止めるだけ強いならば,善の循環を始めることができます。『柔なる答は,憤恨をとどめ。』この柔な答は,あなたの弱さから来るのでなく,あなたの強さから生じます。そして,怒つている人は,この真理を感じます。多くの人々は,似たものでもつてお返しをしているため,あなたが善でもつてそれを打こわすなら,悪の循環は良いものに変ります。『施しを好む者は肥え,人を潤す者はまた利潤を受く。』『汝の食物を水の上に投げよ。多くの日の後に汝ふたたび之を得ん。』あなたの行う善が実を結んで,他人から戻つてくるまでには,時間がかかることでしよう。今日種子を播いて,明日麦を刈ることはできません。しかし,『人は自分のまいたものを刈り取ることになる。私たちは,善を行うことに,うみ疲れてはならない。たゆまないでいると,時が来れば刈り取るようになる。』― シンゲン 15:1; 11:25。伝道之書 11:1。ガラテヤ 6:7,9,新口。

      ヱホバ神は人類に愛を示されました。そして,ヱホバ神の恵みを感ずる人々より愛を刈り取られます。神は私たちの生活している地や,私たちの呼吸する空気や,私たちの食べる食物と動物や,そして私たちの飲む水を創造しました。大多数の人々は,それらのものを当然なものと考え,神に感謝していません。我々は働いて,金を得て,食物を得ている,それであるのに神に感謝する理由なぞあろうか,とそれらの人々は考えています。農夫は種子をまいて,水をかけ,栽培することができます。しかし,それを成長させることはできません。『植える者も水をそそぐ者も,ともに取るに足りない。大事なのは,成長させて下さる神のみである。』自分の受ける祝福の源をたどつて行くならば,すぐ神に達します。善人にも,悪人もこのことは絶対の真理です。―コリント前 3:7,新口。

      悪い人々は,神への負債を認めようとしません。神が彼らにまかれる愛は,実を結ばず,ただ無関心と不信のみが残ります。しかし,感謝の気持を抱く人々,すなわちクリスチャンの場合は違います。

      それで,善を行うことにより悪の循環を破りなさい。『悪に負けてはいけない。かえつて善をもつて悪に勝ちなさい。』そして,他の人の善に答え応じなさい。特に神が私たちに注ぎ給う愛にたいして,愛の従順さをもつて答え応じなさい。―ロマ 12:21,新口。

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする