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終りの時のしるしと不思議ものみの塔 1959 | 3月15日
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大きな『しるし』でありました。イエスが地の中にいて,三日間死んでおり,それから復活したときにヨナの成就になりました。しかし,イエスは又,むかしに別のしるしとなつた人,予言者イザヤの成就にもなりました。イザヤは,ヨナよりも幾年か後に生活した人です。エルサレムのアハズ王の統治期間中に,イザヤは自分がヱホバ神からのしるしであると人々の注意を引きました。その時には,アハズの統治したユダの王国は危険に瀕していました。その危機の只中において,イザヤは重大な意味を持つ『しるし』であると発表しました。イザヤの名前は『ヱホバの救い』という意味です。彼は次のように語りました,『見よ。私と,ヱホバが私に与えた子供たちは,イスラエルのうちのしるしと不思議である。これはシオンの山に住み給う万軍のヱホバから与えられるものである。』― イザヤ 8:18,新世。
8 エジプトに対するしるし及び不思議としてヱホバはどのようにイザヤを3年間用いましたか。このようにして,イスラエル人たちは何に対して前もつての警告を受けましたか。
8 イザヤの時代では,エジプトと中東は,丁度今日のようにニュースに出ていました。ヱホバはイザヤがエジプトに対するしるしになるよう,欲せられたのです。イスラエル人たちは,エジプトに走つて軍事援助を求める傾向を持つていました。北方のアッシリヤの王サルゴンは,司令官タルタンを派遣してペリシテ人を攻め,タルタンはペリシテ人の首都アシドドを占領しました。『この時,ヱホバ,アモツの子イザヤによりてかたり給わく,行けなんじの腰よりあらたえの衣をとき,汝の足よりくつをぬげ。ここにおいて,彼そのごとくなし,赤裸,跣足にて歩めり。』3年間,イザヤはそのことをいたしました。それから,ヱホバ神はイザヤの為したこの異常な振舞を説明しました。イザヤはイスラエル人に対するしるしであり,不思議であると,ヱホバは次のように語りました,『我が僕イザヤは三年の間,はだか裸足にて歩み,エジプトとエテオピアとのしるしとなり,奇しき標となりたり。かくのごとくエジプトのとりことエテオピアの俘囚とはアッシリヤの王にひきゆかれ,その若きも老たるも皆赤裸,跣足にて臀までもあらわし,エジプトの恥をしめすべし,彼らはその恃みとせるエテオピア,その誇とせるエジプトのゆえをもて恐れはじん。その日,この浜辺の民言わん。視よ,われらの恃みとせる国,われらが遁れゆきて助けをもとめ,アッスリヤ王の手より救い出されんとせし国すでに斯のごとし。我らはいかにして脱かるるを得んやと。』(イザヤ 20:1-6)エジプトとエテオピヤの敗北を前もつて警告するため,ヱホバはイザヤをしるしと不思議にいたしました。そのしるしと不思議に注意を払つた神の民は,助けと救いをヱホバに求める代りにエジプトに救いを求めて走るという考えを変えたのです。
イザヤとその子たち
9 イザヤとその子供たちは,何について昔のイスラエルのしるしでしたか。最初の子の名前は,イスラエルに何を示しましたか。
9 イザヤ自身だけでなく,イザヤの子供たちも昔のイスラエルのしるしと不思議でした。イザヤのこれらの子供たちとは誰でしたか。その二人については確かです。最初の者はシャル・ヤシュブと名づけられました。その名前自体が予言的でした。それは『わずかな残れる者が戻るだろう』という意味でした。この息子はしるしであつて,彼の名前は不思議またはしるし,または前兆でした。その息子がイザヤに生まれてシャル・ヤシュブと名づけられたのと同じく,彼の名前の予告した出来事は必ず起るはずでした。
10 イザヤは,どんな言葉を述べることにより,この出来事に対して人々の注意を予言的に引きましたか。
10 イザヤは,この出来事に対して予言的に人々の注意を惹きました。彼は次のように語つたのです,『その日イスラエルの残れる者とヤコブの家ののがれたる者とは再び己を撃ちし者(アッスリヤの王)にたよらず,誠意をもてイスラエルの聖者ヱホバにたよらん。その残れるものヤコブの残れるものは大能の神に返るべし。ああイスラエルよ,なんじの民は海の沙のごとしといえども残りて帰りきたる者はただ僅少ならん。そわ滅びすでに定まり義にて溢るべければなり。主万軍のヱホバの定めたまえる亡びは,これをあまねく国の内に行い給うべし。』― イザヤ 10:20-23。
11 それで,シャル・ヤシュブという名前は何を意味しましたか。そして,ユダの国のイスラエル人たちには,どんな経験が降りかかりましたか。
11 それですから,シャル・ヤシュブという名前は,次のことを意味しました,すなわちユダの王国がくつがえされること,その首都エルサレムと宮が滅ぼされること,生き残るユダヤ人たちはバビロンの捕りよとして連れて行かれること,そして長い期間の経つた後に僅かな残れる者は自分の国に戻つて首都を再建し,ヱホバの宮を再建するということです。イスラエルの国の生存について状態は極めて深刻になつたため,イザヤは次のように予言しました,『万軍のヱホバわれらにすこしの残りをとどめ給うことなくば,我らはソドムのごとく,またゴモラに同じかりしならん。』(イザヤ 1:9)ソドムとゴモラは,天からの硫黄と火の雨で焼きつくされました。ユダの王国は,昔のソドムとゴモラのように汚れたものになつたため,滅びを受けるでしよう。もし,ヱホバ神が忠実なユダヤ人の残れる者を許さず,そして時経て自分の国に帰してエルサレムとヱホバの宮の再建を許さなかつたなら,ほとんど絶滅と言える滅びを受けたでしよう。この経験は,ユダの国のイスラエル人の上に実際に生じました。そのことは全くイザヤの最年長の息子が生まれてシャル・ヤシュブと名づけられたのと同じくらい真実の事柄でした。
12 懐姙される前から名ずけられたイザヤの子は誰でしたか。その名前の意味は,どのように成就し,そして,彼がしるしであり,不思議であることを証明しましたか。
12 イザヤの別の息子は,懐姙される前から名前がつけられており,その名前は信頼できる証者によつて証明されました。イザヤはこう告げています,『ヱホバ我に言い給いけるは,ひとつの大いなる牌をとりその上に平常の文字にてマヘル・シャラル・ハシ・バズとしるせ。われ信実の証者なる祭司ウリヤおよびエベレキヤの子ゼカリアをもてその証をなさしむ。われ予言者の妻にちかづきしとき彼はらみて子をうみければ,ヱホバ我に言い給わく,その名をマヘル・シャラル・ハシ・バズと称えよ。そはこの子いまだ我が父わが母と呼ぶことを知らざるうちに,ダマスコの富とサマリアの財宝はうばわれてアッスリヤ王の前に到るべければなり。』(イザヤ 8:1-4)歴史の記録によると,イスラエルの北の国の首都サマリヤは,キリスト前740年にシャルマネセル王により,その財宝を奪われ,滅ぼされました。そして,生き残つたイスラエル人たちはアッシリヤの地やメデヤ人の都市に捕われて行きました。(列王紀略下 17:1-6)イザヤの子であるマヘル・シャラル・ハシ・バズの名前は,文字通りに成就されました。この子供はこのようにして真実のしるしとなり不思議になりました。
13,14 (イ)イザヤは恐らく他のどんな息子を持ちましたか。どんな状況の下にあつて,彼の名前は予めに告げられましたか。(ロ)この予告された者は,その地が水で溢れるどんなことについて警告しましたか。
13 多分,イザヤにはもう一人の子がいたのでしよう,そしてその子はインマヌエルと呼ばれました。その時には,北イスラエルの王とシリヤの王は,ユダの国に対して合同の謀反を図り,ダビデ王の子孫なるアハズを王座から引き下ろして,恐らくシリヤ人であるタビルの子を『ヱホバの座位』に即けようとしました。この政治的な謀反には,アハズ王は恐れを感じました。アハズ王は悪しき王でしたが,ヱホバ神はその謀反の成功を許しませんでした。このことにつきアハズ王に安心させる為,ヱホバはイザヤに次の言葉を語りました。『なんじと汝の子シャル・ヤシュブと共にいでて……アハズを迎え,これに告ぐべし。……主ヱホバ言いたまわく,この事行われずまた成ることなし。アラムの首はダマスコ,ダマスコの首はレヂン(王)なり。エフライム(イスラエルの国の主要な成員)は六五年のうちに敗れて国をなさざるべし。……もし汝ら信ぜずば必らず立つことを得じと。』
14 それから,ヱホバはユダのアハズ王にこう語りました,『なんじの神ヱホバに一つのしるしを求めよ。或いは深きところ,あるいは上の高き処にもとめよ。』信仰を持たぬアハズは,『ヱホバを試みる』のを拒絶しました。それでイザヤはこう語りました,『この故に主みずから一つのしるしをなんじらに賜うべし。視よ,おとめ孕みて子を生まん。その名をインマヌエルと称うべし。』(イザヤ 7:1-14)後日,ヱホバはアッスリヤの軍隊がシリヤとイスラエルを征服し,更にユダの地にまで溢れ出てエルサレムを危険な状態におとし入れるとイザヤに語りました,『主は勢い猛くみなぎりわたる大河の水をかれらの上に堰入れ給わん。是はアッスリヤ王とそのもろもろの威勢とにして百の支流にはびこり,もろもろの岸をこえ,ユダに流れ入り,溢れひろごりてその項にまで及ばん。インマヌエルよ,そののぶる(軍隊の)翼は,あまねくなんじの地にみちわたらん。』(イザヤ 8:5-8)インマヌエルという名前はどのように成就されましたか。
インマヌエル
15,16 (イ)何時そしてどのようにインマヌエルという名前は成就しましたか(ロ)この者は,どのようにその予告された名前の意味を私たちに証明しましたか。
15 歴史的な答を得る為に私たちは700年以上経つた後のひとりの人の誕生に来なければなりません。イザヤはその者の予言的な型でした。ガリラヤのナザレの町にいた大工のヨセフは,婚約者のマリヤを自分の妻にすることをためらつていました。というのは説明不能な仕方の中に彼女は姙娠したからです。夢の中にヱホバの御使は,当惑し切つていたヨセフに現われ,次のように言いました,『「ダビデの子ヨセフよ,心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。その胎内に宿つているものは,聖霊によるのである。彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は,おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである。」すべてこれらのことが起つたのは,主が預言者によつて言われたことの成就するためである。すなわち,「見よ,おとめがみごもつて男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるあろう。」これは「神われらと共にいます」という意味である。』眠りから覚めてに後,ヨセフは言われた通りしました。
16 時が経つてマリヤは男の子を産み,彼の名前はイエスと呼ばれました。イエスは30歳になつて神の御国を伝道し始めました。彼は神の御国に忠節を保つた為,殺されてしまいました。3日目に全能の神は彼を死からよみがえしました。40日の後,神の子は昇天して神の右に坐りました。その場所から,彼は御自分の人間としての犠牲を用い,また天と地にある御自分の大きな力を用いることにより,地上にいる自分の弟子たち,すなわち御自分の民を罪から救い始めました。それは彼らが神の新しい世で永遠の生命を得るためです。このようにして,彼は現在はいたるまで『神われらと共にいます』ということを証明し,インマヌエルという名前は正しく彼に属します。―マタイ 1:18-25,新口。
17 ヱホバは,誰をインマヌエルに与えますか。そして,どんな密接な関係の中に?
17 イエスに忠実に従う弟子たちは,インマヌエルに信仰を持ち,ヱホバ神に献身して忠実な御子の足跡に従います。ヱホバはそのような弟子のうちの14万4000人を産み出して神の子たちにならせました。神はこれらの霊によつて産み出された子供たちを,約束した天の御国でインマヌエルなるイエス・キリストの共同相続者にならせます。このようにして彼らは神の忠節なる子,インマヌエルの霊的な兄弟たちになります。イエスは彼らの永遠の救いの手段になつたため,ヱホバ神は御自分のこれらの子供たちを花嫁級として,そして羊の『小さな群れ』としてイエスに与えます。天の御父はそれらの者に天の御国を与え給うのです。(ルカ 12:32。ロマ 8:14-17)今日では,この19世紀経つて後にわずかな残れる者だけが地上に存在しているのです。
18,19 イザヤとイエスの名前は,どのように比較されますか。イエスの弟子たちはヘブル書 2章10-13節に証明されるごとく,イエスと共にどのように特定な働きをしますか。
18 ここで,イザヤがしるしであつたように,イエスもしるしであつたことを記憶しましよう。(ルカ 11:30)イエスとイザヤという名前の意味は同じです。ただイエスの名前の場合,神の御名であるヱホバが最初に来て,イザヤの名前の場合には終りに来ます。イエスの意味は『ヱホバは救い』で,イザヤの意味は『救いはヱホバ』です。イエスの14万4000人の弟子たちは,その救い主にして指導者のごとく,しるしであります。その中の残れる者は,この危険に瀕した世界の『終りの時』の時代に対してしるしであります。何にもとづいて私たちはこのことが言えますか。イザヤ書 8章18節にある予言者の言葉にもとづいて言えます。ヘブル人宛の手紙を書いたクリスチャン筆記者は,霊感の下にそれらの言葉を引用し,イエスとその14万4000人の弟子たちに適用しました。彼は次のように言つています。
19 『万物の帰すべきかた,万物を造られたかた(神)が,多くの子らを(天的な)栄光に導くのに,彼らの救いの君を苦難を通して全うされたのは,彼にふさわしいことであつたからである。実に,きよめるかた(イエス)も,きよめられる者たちも,皆ひとりのかた(御父)から出ている。それ故に彼は,彼らを兄弟と呼ぶことを恥とされない。すなわち,彼は言う「私は御名を私たちの兄弟たちに宣べ伝え……」また,「見よ! 私と,ヱホバが私に与え給うた子供たち」』― ヘブル 2:10-13,新世。
20 これらの与えられた者たちは,『子供たち』と言われていますが,イエスにとつては実際に何ですか。彼らはどんな業でイエスと共に協同していますか。
20 これらの『子供たち』は,『他の羊』の大いなる群衆ではありません。王なるイエス・キリストは,その大いなる群衆に対しては,『来るべき世界』で『永遠の父』となります。(イザヤ 9:6,ヘブル 2:5)神の『子供たち』は,神の御霊によつて産み出され,神の霊的な子供たちになる者です。ヱホバは,そのような者をイエスに与えました。ヱホバ神に捧げた祈りの中で,イエスは次のように言いました,『私は,あなたが世から選んで私に賜わつた人々に,御名をあらわしました。彼らはあなたのものでありましたが,私に下さいました。そして,彼らはあなたの言葉を守りました。私は彼らのためにお願いします。私がお願いするのは,この世のためにではなく,あなたが私に賜わつた者たちのためです。彼らはあなたのものなのです。私のものはみなあなたのもの,あなたのものは私のものです。そして,私は彼らによつて栄光を受けました。』(ヨハネ 17:6,9,10,新口)天の御父は,イエスにこの14万4000人の『子供たち』を与え,神の霊的な家族内でイエスの兄弟にならせ,そして神の業を為す協同者にならせます。どんな業ですか。地上においてしるしとなり,不思議になる業です。イエスは,自分はしるしであると語りました。彼は又,霊によつて産み出され,霊によつて油注がれた兄弟たちもしるしとなり,不思議でなければならぬと語つています。今日にいたるまで,彼らはしるしであり不思議でありました。
21,22 (イ)彼の残つている霊的な兄弟たちが,現代のシャル・ヤシュブになるのに,状態はどのように発展しましたか。(ロ)大いなるイザヤは現代のシャル・ヤシュブ級をどのように得ましたか。
21 それで,彼らはシャル・ヤシュブのようでなければならず,マヘル,シャラル,ハシ,バズのようでなければなりません。イエス・キリスト御自身も大いなるインマヌエルです。今日,地上に残っている。イエスの霊的な兄弟たちは,現代のシャル,ヤシュブです。そのヘブル語の意味は,彼らに適用します。第一次世界大戦中,彼らは捕われの状態に入り,戦争をし合つていたキリスト教国の諸国家に,霊的な面でも実際の面でも,束縛されました,ものみの塔聖書冊子協会の会長と会計秘書も逮捕され,世界的な争いの激怒の結果,投獄されました。これらの神の子たちは,第一次世界大戦が悪化して世界革命を引き起し,その世界革命は世界の無政府状態に発展して,この世界の全国民にハルマゲドンをもたらすと期待していました。しかし,もしその期待通りに全能の神が,そのときに予告されているハルマゲドンの戦いを起したならば,この世の諸国家の霊的な束縛を受けていた大いなるイザヤの霊的な兄弟たちは,諸国民と共に滅ぼされたことでしよう。彼らはソドムとゴモラのようになつたことでしよう。しかし,ずつと以前に神はシャル・ヤシュブという名の一人の息子をイザヤに与えました。その意味は,『僅かな残れる者は戻る』ということです。その名前を成就するために,ヱホバは大いなるイザヤであるイエス・キリストに,その兄弟たちである『子供たち』の残れる者を与えました。彼らはヱホバの制度に戻つて来たのです。
22 ヱホバ神はそういたしました。1918年,ヱホバ神は敵なるサタン悪魔の制度に始まつた大きな患難を止めました。それと共に第一次世界大戦は同年の11月11日に終りました。『全能の神の大いなる日の戦争』であるハルマゲドンに対する時は,まだ将来のことでした。このようにして,ヱホバ神は,目に見えぬものでも,目に見えるものでも,サタンの制度に始まつたその患難の日を短くしました。そして,1919年の春,ヱホバ神はその子供たち,すなわちイエス・キリストの兄弟たちである残れる者を現代のバビロンの捕われから釈放しました。彼らの最年長の兄弟,イエス・キリストにより,神は彼らを神権制度に戻し,その業を行わせました。かくして,真実に献身していて,油注がれた神の『子供たち』は,戻つて来ました。そして,神は彼らを大いなるイザヤ,イエス・キリストに与えたのです。この世の『終りの時』に,このことが起るとイエスは予じめに告げました。(マタイ 24:21,22,30,31)その通りになり,大いなるイザヤは自分のシャル・ヤシュブ級を得ました。大戦後の幾年かの年月の中に,戻つて来た残れる者は増加しました。しかし,最近では彼らの中の多数の者がイエスの足跡に従つて地的な歩みを終了するため,その数は減少して来ました。
23 この霊的な残れる者の数は,いま幾人ですか。しかし,なぜ彼らを軽べつしたり,無意味な者と見なしてはなりませんか。
23 今日,1958年の記録によると,残れる者の数は1万6000以下です。しかしながら,この世の諸国民が彼らをけいべつし,無意味な者であると考えるようなことをさせてはなりません。羊のような人々が,彼らのことをヱホバ神の目的内で特別の意味のない者だなどと考えるようなことをさせてはなりません。この霊的な残れる者は,全世界に対してしるしとして立つています。昔のイザヤの子シャル・ヤシュブのように,この霊的な小数者たちは残れる者の戻つたことを示す最高の神からの見える証拠です。ヱホバ神は御自分の御言葉に忠実であり,ずつと以前に御自分の聖なる御名によつて述べられた予言を成就しました。そして彼らはそのことについての実際のしるし,明瞭に見えるしるしです。すべての人は,この霊的な残れる者を最高の神からのしるしと見るべきです。
24 なぜ彼らは特定な証拠として奉仕しなければなりませんか。彼はどんな使命を彼らに与えてつかわしましたか。そして,何処に?
24 彼らはしるしとして自由にされた故に,証拠として奉仕する,つまりこの世の終りの時にあつて全国民に対する或る事柄を示すものとして奉仕しなければなりません。ヱホバは,その聖なる力の腕により,御自分の民を敵から救い出すことができます。彼らは,そのことの生けるしるしとして立たねばなりません。今日,次の言葉は真実です,『ヱホバそのきよき御手をもろもろの国人の目の前に表わし給えり。地のもろもろの極までもわれらの神の救いを見ん。』(イザヤ 52:10)この目的のために,残れる者を地の極にまで知らせる為に,ヱホバ神は残れる者を遣わしました。ヱホバ神は,そうされると言明されました。それは全世界の地の四隅から羊のような人々を集める為です。ヱホバ神は次のように言われました,『我……時来らばもろもろの国人ともろもろの族とを集めん。彼ら来りてわが栄光を見るべし。我かれらの中に一つのしるしを立てて,逃れたる者をもろもろの国,……又わが声名を聞かず,わが栄光を見ざる遙かなる諸島につかわさん。彼らはわが栄光をもろもろの国に宣べ伝うべし。ヱホバ言いたもう,彼らは……なんじらの兄弟をもろもろの国の中よりたずさえて,……わが聖山エルサレムに来らせてヱホバの祭物とすべし。ヱホバのたわく,わが造らんとする新しき天と新しき地と,わが前にながくとどまるごとく,なんずの裔となんじの名はながくとどまらん。』― イザヤ 66:18-22。
25-27 (イ)それで,ヱホバは誰を大いなるイザヤのところに集めましたか。(ロ)彼らに何をするようヱホバは命じましたか。それで,今日誰がヱホバのしるしと不思議に交わつていますか。
25 ヱホバは,自由に解放された残れる者を諸国民のあいだのしるしにしました。かくして,残れる者級の残余の者たちを大いなるイザヤであるイエス・キリストのもとに集め,御子の共同相続者の14万4000人という前もつて定められた数を充たします。彼らはしるしとして,また不思議として働きますが,ヱホバは大いなるイザヤを通して残れる者に次のことを命じました,『門から進み出よ,進み出よ。人々の道を備え,土を盛つて大道をつくれ。石を取りのぞけ。もろもろの民に標識を立てよ。』(イザヤ 62:10)彼らが立てる標識は神の御国の音信です。すでに170の国々のあいだでは,この御国の標識が立てられています。ヱホバの正しい羊飼なるイエス・キリストの『他の羊』,すなわち幾十万という羊のごとき人々は,この立てられた『標識』を見ました。彼らはよろこびをもつて,それを称えています。彼らはその下に集まり,キリストによる神の御国に専心の支持を与え,そして御国の保護と命令の下に服しています。彼らは,この天的な御国の認可し,許可するところの唯だ一つの宗教または唯だ一つの崇拝をとり上げました。それは,霊的な宮におけるヱホバ神の高い崇拝です。彼らの集まることは,この世の『終りの日』について世界的なしるしです。なぜなら,『終りの時』には,次のことが起るとイザヤが前もつて告げていたからです。
26 『すえの日にヱホバの家の山はもろもろの山のいただきにかたく立ち,もろもろの嶺よりもたかくあがり,すべての国は流れのごとくこれにつかん。多くの民行きて相語りいわん。いざわれらヱホバの山に登り,ヤコブの神の家にゆかん。神われらにその道を教え給わん。われらその路を歩むべしと。そわ,法律はシオンより出で,ヱホバの言葉はエルサレムより出ずべければなり。ヱホバはもろものろ国のあいだを裁き,多くの民をせめ給わん。かくて,彼らはその剣を打ち変えて鋤となし,その鎗をうちかえて鎌となし,国は国に向いて剣をあげず,戦いのことを再びまなばざるべし。ヤコブの家よ,きたれ我らヱホバの光に歩まん。』― イザヤ 2:2-5。
27 それで,彼らはヱホバのしるしと不思議と交わります。
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しるしと不思議の意味を読むものみの塔 1959 | 3月15日
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しるしと不思議の意味を読む
1 どんな種類のしるしになることは,特権ですか。イザヤは,そのようなしるしをどのように述べましたか。
永遠につづく善い事柄のしるしになることは,よろこびに充ちる特権です。正しい価値評価をする人々にとつて,そのようなしるしとして奉仕する人は,美しいもの,心から歓迎する人,心から受け入れるのにふさわしい人です。それですから,ヱホバ神の真の崇拝について,そして地上における神権制度の再建についての良いたよりをもたらす使者は,うつくしいしるしです。そのような使者は,第一次世界大戦のすぐ後,そして神の証者たちがまだ,この世の戦争狂気に駆り立てられている諸国民に捕われているときに,現われるであろうとヱホバ神は預言者イザヤを通して語られました,『この故にわが民はわが名を知らん。このゆえにその日には彼らこの言葉を語る者の我なるを知らん。我ここに在り。よろこびの音信をつたえ,平和をつげ,善き音信をつたえ救をつげ,シオンに向いてなんじの神は統べ治めたもうという者の足は,山の上にありていかに美わしきかな。なんじが斥候の声きこゆ。かれらはヱホバのシオンに帰り給うを目と目と相合わせて視るがゆえに,みな声をあげてもろともにうたえり。エルサレムの荒れすたれたるところよ,声をはなちて共に歌うべし。ヱホバその民をなぐさめ,エルサレムをあがないたまいたればなり。』― イザヤ 52:6-9。
2 誰が高いところにいるこの使者を見ましたか。彼らは,どのように『面と向つて』ヱホバを見ましたか。
2 神の制度シオンの福祉を守るために見張つていた者たちは,使者が高いところに上つて来るのを見ました。彼らは,使者が神の制度なるシオンに向かつて『あなた方の神は王になられた』と聞いてよろこびました。神の御国は,インマヌエルなるイエス・キリストにより天で設立されています。そのわけで,彼は私たちを救われたのです。そのわけで,彼は恵みをもつて私たちのところに戻られたのです。ヱホバが恵みをもつて戻られたことを示す証跡は多くあります。そして,彼がシオンに戻られるに際して,ものみは彼と面と向つて会つたようでした。シオンとは,彼が御自分の聖なる御名を置かれた制度のことです。彼らが叫びをあげて,すべての人に聞いてもらいたいと欲するのも当然の理由があります。
3,4 (イ)その使者は何を持つていましたか。その使者を遣わした方は誰でしたか。(ロ)ロマ書 10章12-15節では,使徒パウロはどのように論ずることにより,この使者の誰なるかを表わし示しましたか。
3 さて,誰かがその使者に良いたよりを持たせたのです。その良いたよりで,使者は美しく見えました。誰かがその使者をつかわして平和を聞かしめ,良い事柄についての良いたよりをもたらし,そして神を愛し,神の王なることを欲する人々に救を聞かせています。遣わした方はヱホバ御自身です。ヱホバは全国民の前に御自分の聖なる腕を表わし,そして地の四隅にいたるまで御自分のなされる救を見させたいと欲して居られます。彼の遣わす使者は,良いたよりを伝える為によろこんで徒歩で出かける人々の群れです。彼らは献身している聖なるクリスチャンであると,使徒パウロは霊感によつて言明いたしました。彼は,それらの者に対して前述のイザヤ書 52章7節の言葉を引用し,そして次の言葉でもつてその論議の最高潮といたしました。
4 『すべての者に対して同一の主があり,彼を呼び求めるすべての者には豊かに恵まれる。「ヱホバの御名を呼び求める者はみな救われるであろう」しかし,信じていない者をどうして呼び求めることがあろうか。聞いたことのない者を,どうして信じることがあろうか。伝道する者がいなくては,どうして聞くことがあろうか。つかわされなくては,どうして聞くことがあろうか。つかわされなくては,どうして伝道することがあろうか。「ああ美しいかな,良いことの良いたよりを宣べ伝える者の足は」と書いてあるとおりである。」』― ロマ 10:12-15,新世。
5 宮における幻の中で,イザヤは遣わされる方のヱホバである事実をどのように例証しましたか。
5 『良いことの良いたより』の大いなる源,ヱホバ神は御自分の使者をつかわします。彼らは裸足でその音信を宣べ伝えます。予言者イザヤ自身がその事実を例証しました。それは,万軍のヱホバが御自分の宮の座位についていることの奇蹟的なまぼろしを見た時でした。セラピムがヱホバの聖なることを呼ばわるのを聞いたイザヤは,自分のきたないこと,汚れていることを感じ,生命を失うのではないかと恐れました。イザヤが叫んだときに,セラピムのひとりは彼を清めて次のように語りました,『視よ,この火なんじの唇にふれたれば,すでになんじの悪はのぞかれ,なんじの罪はきよめられたりと。』イザヤがこの清められた状態になつて後,誰か使いになつて,行く者はいないかと尋ねる声を聞きました。それは誰の声でしたか。ヱホバの声でした。そして,『われ誰をつかわさん。誰か我らのために往くべきかと』語られました。イザヤは,ヱホバ神によりつかわされ,ヱホバ神の代りに往くことを大きな名誉と見なしました。その提供は,よろこんで自分をささげる清い人々だけになされたのです。イザヤは,そのまれな特権に躍り上つてよろこび,『我ここにあり,我をつかわし給え』と叫びました。イザヤ自身が申し出たことは受け入れられ,彼には次のように告げられました。『往きてこの民にかくのごとく告げよ,なんじら聞きて聞けよ。』(イザヤ 6:1-9)イザヤが特別の音信を身につけて派遣されたことは,彼が神により任ぜられ,任命されたことを意味しました。イザヤにより,人々はいま神の御名を聞くことができました。彼らは救いを得る為に神の御名に信仰を置き,神の御名を呼ぶことができました。
6 イザヤの例と同じく,イエスは何をしましたか。イエスは,奉仕の是認を示すどんな証跡を受けましたか。
6 昔のイスラエルのしるしであつたイザヤの例と同じく,イエスも又つかわされる為に神の御国の奉仕に献身しました。彼はナザレの大工の店を出て,先駆者なる洗礼者ヨハネのところに行きました。彼は洗礼を受けましたが,それは罪に対する悔い改めを象徴するものではありません。イエスは罪を一つも持つていなかつたからです。しかし,ヨハネの伝道していた神の御国奉仕につかわされるためでした。彼が洗礼を受ける為に来たことは,詩篇 40篇6-8節の言葉を成就しました,なぜなら使徒はその言葉をイエスに適用して次のように語つたからです,『キリストがこの世にこられたとき,次のように言われた,「あなたは,いけにえやささげ物を望まれないで,私のために,からだを備えて下さつた。あなたは燔祭や罪祭を好まれなかつた。」そのとき,私(イエス)は言つた,「神よ,私につき,巻物の書物に書いてあるとおり,見よ,御旨を行うためにまいりました。』(ヘブル 10:5-7,新口)ヨルダン河でヨハネから洗礼を施されて後にイエスは神によつて受け入れられたことを示す証跡を天から受けました。聖書の記録は,次のように述べています,『イエスもバプテスマを受けて祈つておられると,天が開けて,聖霊がはとのような姿をとつてイエスの上に下り,そして天から声がした,「あなたは私の愛する子,私の心にかなう者である。」イエスが宣教をはじめられたのは,年およそ卅歳の時であつた。』― ルカ 3:21-22,新口。マタイ 3:16,17。
7 イエスの言葉は,彼が自分みずから任命した者でないと,どのように示しましたか。そして,イエスは何時イザヤ書 8章18節を適用することができましたか。
7 そうです。イエスは自らを捧げて洗礼を受け,そして天的な是認を受けて後に自分の仕事を始めました。その仕事は大工の仕事ではなく,御国の仕事でした。彼は自分自身で任命して出かけて行つたのではなく,遣わされたのです。そのことについては,彼は繰り返し次のように語つていました,『神はそのひとり子を賜わつたほどに,この世を愛して下さつた……神が御子を世につかわされたのは,……御子によつて,この世が救われる為である。』『私が天から下つて来たのは,自分のこころのままを行うためではなく,私をつかわされた方のみこころを行うためである。』『生ける父が私をつかわされ,また私が父によつて生きている。』(ヨハネ 3:16,17; 6:38,57,新口)イザヤと同様に任命を受けた者であるイエスは,出かけて行きました。そして,イエスはイザヤが宮のまぼろしの時に受けた同じ奉仕の任命を御自身に正直に適用されたのです。(マタイ 13:13-15。ヨハネ 12:36-41)万軍のヱホバから賜わつた弟子たちを集め始めた後に,イエスはこれらの神の子たちを自分の兄弟たちと呼びました。このようにして,彼はまたイザヤ書 8章18節の言葉を自分自身と彼らに適用することができました,『見よ。私と,ヱホバが私に与えた子供たちは,イスラエルのうちのしると不思議である。これはシオンの山に住み給う万軍のヱホバから与えられるものである。』それらのしるしと不思議の意味を正しく読み得たイスラエル内の羊のごとき人々は幸福でした。それらの人々は,数の少ない小さな群れであるからという理由でそのような人間のしるしと不思議をけいべつしなかつたのです。そのような幸福な読者たちは,真のインマヌエル,大いなるイザヤなるイエスの弟子になりました。
8 イエスとその弟子たちは,誰によつて遣わされませんでしたか。それにならつて,私たちは誰によりつかわされたいと欲しますか。そしてなぜ?
8 ここで一つの事実を見のがしてはなりません。イエスとその12使徒および彼の他の弟子たちは,洗礼者なるヨハネとか,使徒ペテロとか,ローマ・カトリック教会とか,ギリシャ正教会とか,英国教会とか,新教徒監督教会とか,ルーテル派教会とか,メソジスト教会とか,バプテス派教会とか,長老派教会とか,又はキリスト教国内にある1000以上の他の宗派によつては遣わされなかつたということです。イエスとその弟子たちは,みな万軍のヱホバによりつかわされました。彼らはヱホバからのしるしであり不思議でありました! 今日,神の御意を為すために来るすべての者も,ヱホバによりつかわされたいと欲します。イザヤやイエスやその12使徒たちのごとく,もし私たちが万軍のヱホバによりつかわされないなら,それらの宗派の中の一つによつてつかわされようとも,あるいはアメリカ合衆国の国家教会会議によつてつかわされようとも,又は教会の世界会議によつてつかわされようとも,私たちには何の力も権威もないのです。私たちは,しるしなるインマヌエル,すなわち主イエス・キリストを通して万軍のヱホバのところに来ました。丁度,インマヌエル自身が,洗礼を受けたときに神の御意をする為に来たのと同様です。もし私たちが万軍のヱホバにより受け入れられ,遣わされたいと欲するなら,私たちは来なければなりません。そして自分自身を捧げ,そしてよろこんでつかわされ,何処につかわされようとも,よろこんで往かねばなりません。このことにおいて,私たちはイザヤとイエス・キリストに倣いたいと欲します。さもなければ,私たちはキリスト教国の宗教制度の意志を行わねばならないでしよう。この終りの時において私たちは,神の御意すなわち万軍のヱホバの御意を行いたいと欲します。
9 会堂内で,イエスは自分がヱホバからつかわされたことを聖書からどのように示しましたか。彼はどんな事柄についてしるしとなり,きざしとなり,不思議になりましたか。
9 イエスは,自分が万軍のヱホバによりつかわされて,ヱホバにより任命された者と聖書から証明しました。その為に彼は或る土曜日にナザレの町の会堂に行きました。その町では,人々はイエスのことを大工の息子,そして大工としてのみ知つていました。イエスは講演壇に立つて,イザヤの書の巻本を渡すよう求めました。その巻本を開くと,イザヤ書 61章1と2節の言葉を見出しました。ルカ伝 4章1621節の記録によると,イエスは次のように読みました。『ヱホバの御霊は私にのぞんでいる。ヱホバは,貧しい者に良いたよりを宣べ伝えるため,私に油を注いだ。捕われ人のゆるしを伝道し,盲の目を開き打ちひしがれた者に自由を得させ,ヱホバaの受けいれ給う年を宣べ伝える為に,ヱホバは私をつかわした。』イエスは巻本を巻いて,伝道する為に坐したとき,『あなた方のいま聞いたこの聖句は今日成就された。』と語りました。このようにして,彼はメシヤなるキリスト,すなわちヱホバの遣わし給うた油注がれたる者の臨在していることについて,生けるしるし,話をするしるしになりました。ヱホバの受け入れ給う年が今や来たのであるから,救いの近づいているということを示す不思議,またはきざしになりました。そして,王である彼の中に神の御国はユダヤ人の只中にあると示すすばらしいきざしになりました。―ルカ 17:21。
10 いつ,その『神の御国』は,ユダヤ人の只中を去りましたか。それから間もなくして彼らの国民には何が生じましたか。
10 その神の御国は,ユダヤ人の只中から去りました。それは,宗教指導者たちが人々をそそのかしてイエスを苦しみの杭にかけて殺し,神が彼を死人の中からよみがえして,イエスが天に居られる御父の許に昇り戻つた後です。(西暦)70年に,ユダヤの国民は滅ぼされ,彼らの聖都と宮は焼滅して灰燼に帰しました。そのときの不幸な生存者たちは,全国民のところに捕虜となつて連れ去られ,自分たちの政府を持たず,またダビデ王朝の家系に属する王を持ちませんでした。
11 今日,地上にいる誰はしるしであり,不思議ですか。
11 しかしながら,今日,この終りの時に万軍のヱホバの与え給うたしるしと不思議は,何を意味し,何を示していますか。人々は,神の御言葉に照らし合わせて,それらのしるしと不思議をどのように読むべきですか。今日のしるしと不思議は,イエスの油注がれた霊的な兄弟たちの残れる者です。
12 彼らについてのどんな事実の故に,彼らはシヤル・ヤシュブによつて予表されましたか。また,どんな他の残れる者によつて彼らは予表されましたか。
12 この残れる者は,イザヤの子シヤル・ヤシユブによつて予表されました。彼の名前は『僅かな残れる者は戻るであろう』という意味です。残れる者と云えば次の事実が指摘されます,すなわち8億2000万人以上の自称クリスチャンを持つキリスト教国は,1918年以来ヱホバ神のところに戻らなかつた,ということです。その年にヱホバは御自分の霊的な宮に来て,霊的な『神の家』と称するすべての人を裁きました。ヱホバのところに戻つたヱホバの油注がれた証者たちの残れる者に対して,ヱホバはイザヤに為したと同じく宮における御自分の臨在を啓示しました。ヱホバが誰をつかわそうかと尋ねたときに,残れる者は自ら進んで志願しました。それでヱホバは音信を彼らに与えて,彼らを御自分の証者としてつかわしました。現代のこのシャル・ヤシュブを得ることによつて,大いなるイザヤであるインマヌエル,イエス・キリストは,残れる者がヱホバの神権制度に戻つたというしるしを示すことができました。使徒パウロが当時に言えたことは,今でも言うことのできるものです,『それと同じように今の時にも,(神の)恵みの選びによつて残された者がいる。』この残れる者は,丁度預言者エリヤの時代に,サマリヤを首都とするイスラエルの北の国の中にヱホバ神の見出した残れる者と同じようでした。―ロマ 11:2-5,新口。
13 イザヤの他の息子は何についての不思議またはきざしになりましたか。彼の名前の意味は,関係する者たちの上に,どのように成就されましたか。
13 イザヤは,シャル・ヤシュブという名の息子を持つだけでなく,マヘル・シャラル・ハシ・バズという名の息子をも持ちました。この名前は『おお,獲物よ急げ! 彼は略奪の為に急いで来た』という意味です。そのような名前を持つこの息子は,アッスリヤの世界勢力の軍隊により災が急速に近づいていることを示す不思議,またはきざしでした。それは誰の上に臨む災いですか。シリヤの国に臨むだけでなく,イスラエルの国とその首都サマリヤにも臨む災でした。レマリヤの子で,当時のサマリヤの王であつたペカの時に,アッスリヤの王はイスラエルの国に侵入しました。彼は多くの都市を取つて,地を掠奪し,そして多数の住民を捕虜にして連れ去りました。後には,ペカ自身も殺されました。それからアッスリヤ王はシリヤの首都ダマスコを占領して,その民を追放してレジン王を殺しました。このようにして,ユダの国にあつた『ヱホバの座位』をくつがえそうと企んだ両方の王たちは,処刑されました。これは,キリスト前740年イスラエルの国の滅亡そして,背教したイスラエル人をサマリヤおよびイスラエルの残りの支配地から取り除いたこと,に対する前奏曲になつたのです。―イザヤ 7:16。列王紀略下 15:29,30; 18:9。アモス 1:3-5; 2:6-16。
14 イスラエルとその首都サマリヤは,何の模型でしたか。何時そしてどのように,裁きの宣告はこの実体の上に急速に執行されますか。
14 イスラエルとその首都サマリヤは,ヱホバ神から背教し,かつ非ユダヤ人であるシリヤと共にユダの国にあつたヱホバの模型的な王国に対して謀反をいたしました。そのことにより,イスラエルとその首都は,今日のキリスト教国に対する予言的な型になりました。なぜなら,今日のキリスト教国はこの世の諸国民と一致結合し,ヱホバによつて御座につけられた王,すなわちインマヌエルなるイエス・キリストに対して謀反を図つているからです。これらの諸国民に対して,特に宗救的な『神の家』の振をするキリスト教国に対して,霊的な宮におられる万軍のヱホバは,いま神の裁きを宣告しています。その裁きの宣告は,近づきつつあるハルマゲドンにおける神の報復の日において,急速に執行されるでしよう。その執行は,昔のアッスリヤの王よりも力強い者,すなわちヱホバの刑執行者であるイエス・キリストによつて行われます。そのとき,キリスト教国およびインマヌエルの御国に対してキリスト教国と共々に謀反を企てているすべての政治的な国家は,宗教的な支配者と政治的な支配者を失うでしよう。彼らの誇りにしているすべての物は取られて略奪されてしまうでしよう。
15 キリスト教国は,神の御言葉の中に何を見るのに失敗していますか。キリスト教国に示すために,どんな見えるしるしがありますか。
15 キリスト教国は,多くの言語に訳されている聖書を幾億冊も持つています。しかし,キリスト教国は自分の信条という見地から聖書を読むため,キリスト教国とその友であるこの世に対してずつと以前に書かれた神の裁きを見ることができません。それでは,キリスト教国の見ることのできないもの,すなわち神の裁きがキリスト教国とその友なる世に急速に執行されるということを示すどんな見えるしるしがありますか。インマヌエルの霊的な兄弟たちである残れる者がいます。つまり,ヱホバがイエス,キリストに賜わつた油注がれた『子供たち』がいます。彼らの頭にして兄であるイエス・キリストと同じように,彼らも伝道するようヱホバの御霊によつて油を注がれました。イザヤ書 61章1と2節の予言に従い彼らはヱホバによりつかわされました。彼らは『ヱホバのめぐみの年』を告げる為だけに油を注がれたのではありません。その象徴的な年は,今やほとんど終りました。また,『われらの神の刑罰の日』を知らせるためにも油を注がれたのです。その日は,今やますます近づいています。御国に反対するキリスト教国と異教の国の両方に対して,イエスが私たちの神の裁きを執行するときに,この刑罰が行われるでしよう。
16 そのようにして残れる者級は,誰のしるしの特徴を取りましたか。その音信は,どのように急速にひろまつていますか。
16 油注がれた霊的な残れる者たちは,神の報復の日が急速に来て,王なるイエス・キリストにより全世界の物は略善され,取られると宣明しています。かくして,彼らはイザヤの子マハル・シャラル・ハシ・バズのしるしの特徴を取つています。彼らは『おお,獲物よ,急げ! 彼は略奪の為に急いで来た』と宣明しています。羊のような多数の謙遜な,人々はこのしるしと不思議,すなわちこのマハル・シャラル・ハシ・バズ級を見聞きして,その意味を正しく読みました。彼らは十分の信仰と確信をもつて,ヱホバの現代の『しるし』と『不思議』のこの残れる者と共に,その立場を取りました。それだけに止まらず,彼らは神の報復の音信を採り上げ,地の全国民に急速にひろめて行きました。
前に立て見えるところに出よ
17 しるしと不思議は,価値あるもの,みちびきを為すものであるために,何処になければなりませんか。それで今は,誰がそのような立場にいなければなりませんか。
17 しるしと不思議が価値あるもの,導きとなる為には,それらは見えるものでなければなりません。それは,しるしと不思議を研究することができ,そしてその意味を読むことができ,かくして神の理解の鍵を用いて理解し得る為です。キリストの霊的な兄弟たちの油注がれた残れる者は,『しるしと不思議として』前に出て,人々の見えるところに立たねばなりません。そのとき,大いなるイザヤであるイエス・キリストは次のように言うことができます,『見よ。私と,ヱホバが私に与えた子供たちは(キリスト教国)のうちのしるしと不思議である。これはシオンの山に住み給う万軍のヱホバから与えられるものである。』(イザヤ 8:18)それらのしるしと不思議を支持する為に,残れる者の伴となつている献身した善意者たちの大群衆は,彼らと共々に前に出なければなりません。霊的イスラエルの油注がれた残れる者にむかい,イザヤ書 3章10節は次のように述べています,『ヱホバ宣く,なんじらは我が証人,わがえらみし僕なり。』この僕級は見えねばなりません。それはヱホバの証者になるため,人々に聞かせねばなりません。そして,全世界にわたる証言の業で油注がれた僕級と共に合同する為献身している羊のような人々の大いなる群は,彼らと共々に見られねばならず,また彼らと共々に聞かれねばなりません。私たちは,みな広々したところ,人目に立つところに出て見られねばならず,観察されねばならず,聞かれねばなりません。いまはこの世の諸国民の苦悩とか,悲哀とか,恐れとか脅威の故に,穴に入つて潜ぷくする時ではありません。
18,19 イザヤ書 40章9節に一致して,神からのしるしであるイエスはどのように正しい立場に立ちましたか。イエスに従う私たちは,世の注意を引くためにどんな大きなしるしを与えますか。
18 大いなるしるし,インマヌエルは自分の弟子たちにこう語りました,『あなた方は,世の光である。山の上にある町は隠れることができない。』(マタイ 5:14,新口)昔のイザヤは,次のように語りました,『良き音信をシオンに伝うる者よ,なんじ高き山にのぼれ。良き音信をエルサレムに伝うる者よ,なんじ強く声をあげよ。声を挙げておそるるなかれ,ユダのもろもろの邑につげよ,なんじらの神来り給えりと』(イザヤ 40:9)奉仕者としてのイエスは,ナザレの大工であつた時のように人前からかくれて,人目に立たないということはありませんでした。ヱホバからの大きなしるしとして,イエスは町から町に,村から村に伝道し,会堂や公開の場所で公けに伝道したり,また人々の家庭で伝道することにより,区域内のどの場所でも見られました。イエスにならう私たもち人目に立つことができます。それは私たち自身を見せびらかす為ではなく,この終りの時にあつてヱホバのしるしと不思議に人々の注意を引くためです。公けに伝道するだけでなく,主として家から家に伝道することにより,私たちは最も効果的にこのことをすることができます。このようにして,イエスの予言的な言葉は成就されねばなりません,『この御国の福音は,すべての民に対してあかしをするために,全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。』(マタイ 24:14,新口)残れる者とその羊のごとき友だちは,公けにも又家から家にもどの場所であつてもこの良いたよりを伝道しています。そのこと自体も,全世界の注意を促す一番雄弁なしるし,不思議であります。
19 天のインマヌエルの御手によつて神の御国が宇宙の首都として設立されていることは,否定することのできぬ事実であります。この世の諸国民が,いまやその終りに面し,神の御意に従い私たちの伝道が終ると共にその終りに会うということを示すしるしであります。彼らにそのしるしを読ませなさい!
20 警告を与えるために,私たちは何にさらされますか。しかし,どんな支持がある故に私たちは人間や悪魔を恐れる必要がありませんか。
20 国民と諸国家は,私たちが彼らの中にいて,その終りについての厳粛な警告を与えている者であると,知らねばなりません。このために,私たちは彼らから悪い仕打を受け,迫害されるでしよう。しかし,インマヌエルの使徒たちのごとく,私たちは『全世界に,天使にも人々にも見せ物にされたのだ。』(コリント前 4:9,新口)生まれて40日経つて後のインマヌエルについては,シメオンはこのように予言しました,『この幼な子は,イスラエルの多くの人を倒れさせたり立ち上らせたりするために,また反対を受けるしるしとして,定められています。』(ルカ 2:34,新口)それでは,しるしである私たちが悪口を受け,反対されるならば,あるいは聖書の正しい真理を伝道するために挑戦を受けるならどうでしようか。私たちは,誰の支持を受けているかを知つています。それは,『シオンの山に住み給う万軍のヱホバ』です。今日のしるしと不思議になつている残れる者たちは,ヱホバからのものたちです。そして,この国際大会には幾千人という数の残れる者がいます。それですから,これらのしるしや不思議の意味するもの,および示すものが必ず成就されるように,ヱホバはたしかにいたします。万軍のヱホバは私たちをつかわし,私たちに支配を開始している御国の良い
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