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    ものみの塔 1964 | 2月15日
    • 49:28。歴代上 5:19,新口。

      イサクとヤコブの預言

      アブラハムのむすこイサクは,2人のむすこをもっていました。彼らはふた子でひとりはヤコブもうひとりはエサウと言いました。イサクは,むすこエサウにかんする預言の中で,神の霊感のもとに次のように語りました。「あなたのすみかは地の肥えた所から離れ,また上なる天の露から離れるであろう。あなたはつるぎをもって世を渡り,あなたの弟に仕えるであろう。しかし,あなたが勇み立つ時,首からそのくびきを振り落すであろう」。―創世 27:39,40,新口。

      ヨシュアとイスラエル人は,この神のことばの真実性を目撃しました。彼らは「エサウ〔エドムとも呼ばれた〕」が,肥えた土地からほど遠い「セイルの山地に住んだ」のを見たのです。パレスチナとアラビアの間の貿易ルートは,彼らの領地を通っていました。そしてエドム人は,強盗を働いたり隊商から略奪して生活しました。彼らはつるぎをもって世を渡ったのです。―創世 36:8,新口。

      彼らがイスラエル人の兄弟たちに仕える,という預言の成就においては,「エドムびとは皆ダビデのしもべとなった」。実際に,神の言葉はすべて成就したのです!―サムエル後 8:14。列王下 8:20-22。

      神の霊の導きのもとに,イサクのむすこヤコブは,その12人のむすこと曽孫エフライムおよびマナセを祝福しました。そのときまでにはヤコブとその大家族はエジプトに移っていました。ヤコブが死の床で祝福を与えたのはエジプトにおいてでした。「つえユダを離れず,立法者のつえはその足の間を離れることなく……」とヤコブは預言しました。そしてその言葉どおり,ダビデの即位とともに,支配権がユダの家系に移ってからは,ユダの族からその支配権が離れたことはないのです。―創世 49:8-10。

      ヨシュアはこの預言が成就するまで生きてはいませんでしたが,マナセとエフライムにかんする預言の成就はその目で見ました。エフライムは「彼〔マナセ〕よりも大いなる者となり,その子孫は多くの国民となるであろう」とヤコブは預言していたのです。それから200年後,イスラエル人がエジプトを出たときの人口調査は,エフライム族がマナセ族より何千人も多いことを示しました。また,荒野の旅行の終り頃,モーセは「エフライムに幾万」と言っていますが,「マナセ」は「幾千」と言っているだけです。―創世 48:19。民数 1:33-35。申命 33:17,新口。

      エジプトから約束の地まで

      ヨシュアとその仲間のイスラエル人は,エジプトを出て約束の地にはいるまでに,神のみことばの著しい成就を数多く見ました。エホバはかつてアブラハムに,「あなたの子孫は他の国に旅びととな(る)」が,「その後かれらは多くの財産を携えて出て来るでしょう」と預言されていました。その後,イスラエルがまだ「他の国」に捕虜としていたとき,エホバはモーセに言われました。「わたしは下って,彼らをエジプトびとの手から救い出し,これをかの地から導き上(る)。わたしはこの民にエジプトびとの好意を得させる。あなたがたは去るときに,むなし手で去ってはならない」。―創世 15:13,14。出エジプト 3:8,21,22,新口。

      その後に展開した出来事は実に著しいものでした。パロがイスラエル人をエジプトから去らせるのを拒んだとき,エホバはその使者モーセをつかわして,ナイル川の水を血にかえる,とパロに警告されました。神のみことばにたがわず,ナイル川は血のようになり,魚は死に,水は飲めなくなりました。神はパロにくりかえし災を警告し,彼がかたくなになるごとに,ご自身の言葉どおりに災をくだされました。エホバの言葉が失敗に終ったことは一度もありませんでした。―出エジプト 7章から12章。

      エジプトのすべての初子を打ち殺した10番目の災のあと,パロはイスラエル人に去るように言いました。イスラエル人は,神が何百年も前に預言されていたように,「多くの財産を携えて出て」きましたか。そのとおりでした。エホバは「民にエジプトびとの情を得させ,彼らの請い求めたものを与えさせられた。こうして彼らはエジプトびとのものを奪い取った」。エホバのことばがくりかえし成就されたのを見た若いヨシュアは,どんなに深い感銘を受けたことでしょう!―出エジプト 12:35,36。

      荒野においても,エホバの言葉が確かなものであることは,いく度も証明されました。イスラエル人をエジプトから導き出してから1カ月後,神はつぎのように約束されました。「見よ,わたしはあなたがたのために,天からパンを降らせよう。民は出て日々の分を日ごとに集めなければならない」。そしてそのとおりに神は『天からのパン』を備えられました。「イスラエルの人々はそれを見て互に言った,『これはなんであろう』」。それはエホバが約束されていたパンで,イスラエルが「マナ」と呼んだものでした。―出エジプト 16:2-36,新口。

      しばらくしてイスラエル人は不平を言い出しました。このマナ以外に食べる物がなかったからです。彼らは肉をほしがりました。そこでエホバは約束されました。「あなたがたは身を清めて,あすを待ちなさい。あなたがたは肉を食べることができるであろう」。荒野の中で,そのような大群衆に肉を与えるのは不可能のように思われましたが,エホバは約束を守られました。エホバは風を起し,「海の向こうから,うずらを運んできて,これを宿営の近くに落した」のです。その鳥の数は驚くべきものでした!―民数 11:4-33,新口。

      イスラエルはついに約束の地の境までやってきました。彼らは不従順であったために40年間荒野をさまよいました。いま神は,アブラハムに約束されたとおり,この土地を彼らに与えられるでしょうか。住民のカナン人は強敵であったにもかかわらずエホバは,「あなたはその地の民を追い払って,そこに住まなければならない。わたしがその地をあなたがたの所有として与えたからである」と言って励まされました。ヨシュアにとって,この神の確かなことばは,どんなに励みになったでしょう。―民数 33:50-53,新口。

      カナン人の地を征服していく年か後,年老いたヨシュアは,次のことを民に思い起させました。「あなたがたは,あなたがたの神エホバが約束なさったとおり,彼らの土地を手に入れた」。ヨシュアが人々に銘記させようとしたのはこの点でした。つまり,エホバの言葉を信じよ,それは必ず成就する,ということでした。「汝らは一心一念によく知るならん」とヨシュアは強調しています。汝らの神エホバの改らにつきて宣ひしもろもろの善事はひとつも欠くる所なかりき皆なんぢらに臨みてそのうちひとつも欠けたるものなきなり」― ヨシュア 23:1-4。

      あなたは神のことばを疑いますか。神の約束で,予定の時に成就しなかったものを一つでもあげることができますか。それは不可能です。「それらはみな成就した」からです。ですから神のたしかな言葉は信頼できるものです。神のことばを信じてください。そしてその正しい原則に従って生活し,神のおたてになる新しい組織制度の中における永遠の生命を楽しんでください。

  • 都市で失敗
    ものみの塔 1964 | 2月15日
    • 都市で失敗

      ● サタデー・イブニング・ポスト紙上で(英文,1961年11月18日付)G・パウム・ムセルマン牧師は次のように述べた。「今日の教会の最大の使命は,非文化の地の果てなどに行く事ではない。最大の職務は文明都市のただ中,ビルとアスファルトのジャングルの中にある。そここそ教会が失敗した所だ。会衆の衰微と閉鎖された教会堂とがその失敗の証拠であり,それは今日の物質文明を意味づけるに足る精神的な力を切実に求める人々の生活に教会がはいり得なかったためである。……過去15年ほどの間に,ニューヨーク市は300以上の教会を失い,シカゴは150,クリーブランドは72,デトロイトは63の教会を失っている。……教会指導者は豪華な建物に心を注ぎ,その中ではクラブ化した会衆が往々にして外部の世界を忘れ,もはや自力では支え得ぬ巨大な虚構の中にあってただ抱き合いつつ死の道を行くにすぎない。……おそらく新教主義は,その使命が物質資産の管理にあるのではなく,クリスチャン文化の造り手になる事だと認識する以前に,さらにいくつかの個性を失うことになろう」。

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