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  • 神がだれであるかを知るべきなのはなぜか
    ものみの塔 1972 | 4月15日
    • れることを実証し,十の一連の悲惨な災いをエジプトにもたらして,パロを屈服させました。

      20 最初の三つの災いはイスラエル人にどんな影響をおよぼしましたか。

      20 最初の三つの災いは,(1)ナイル川の水を血に変え,(2)カエルを全土にのぼらせ,(3)ぶよの大群を起こすことでしたが,エジプト人もイスラエル人もそれらの災いをこうむりました。しかしながらイスラエル人は,自分たちがエホバから罰せられているのではなく,みずからも苦しむことによって,それら災いが圧倒的なエジプト人にどれほど深刻な打撃となったかを痛感できるようにされたことを知りました。こうして,疑いをいだくイスラエル人がいたとすれば,その人は疑いもなくエホバを知るようになったに違いありません。

      21 三番目の災いに襲われたとき,エジプトの祭司たちは何を認めざるをえませんでしたか。

      21 そうした事情ゆえに,パロとその祭司たちは,エホバがご自分の民を保護できるかどうかを疑ったかもしれません。そのうえ,魔術を行なう祭司たちは最初の二つの災いをまねることができるかに見えました。しかし三番目のぶよの災いでは,それを模倣するには全く無力で,「是は神の指なり」と言わざるをえませんでした。ここで神の名エホバを用いることを避けたのは注目に値します。しかし,だれがそれら災いを彼らとその神々にもたらしたかについては,事実はおのずから明らかでした。―出エジプト 8:19。

      22 四番目の災い以後,パロはどんな二つの理由で,エホバが真の神であることを思い知らされましたか。

      22 真の神,しかも人に好まれない名を持つこの神を崇拝すれば,保護されたでしょうか。四番目の災いはこの疑問にりっぱに答えました。その災いはそれ以後のものと同様,イスラエル人には影響をおよぼさなかったからです。ゆえにパロは二つの点で,つまり第一に祭司たちは三番目以後の災いを模倣できなかった,第二にエホバはご自分の民を他から分けて保護されたという点で,真の神はエホバであることを思い知らされました。事実,七番目の災いである非常に大きなひょうが降ったとき,モーセの警告に留意して家畜をおおいの下に入れた,パロのしもべたちさえ家畜が害されずにすむのを目撃しました。こうして,エホバは単なる一部族もしくは一民族の神ではなく,全地の神,ご自分に信頼する者すべての守護者であられることが実証されました。―出エジプト 9:18-21。

      23,24 エホバはどのようにしてパロに寛容を示されましたか。しかし,パロは自分が箴言 29章1節に描かれているような人間であることをどのように表わしましたか。

      23 その後に生じた事がらは今日の諸国民に対する警告となります。さらに三つの災いが下され,最後の災いではエジプト人のすべての家の初子が殺されました。その後,パロはあわててイスラエル人を去らせました。確かに神は,パロとその臣家に本心にかえって自分の命を救う十二分の機会を与え,彼らに寛容を示されました。しかしパロに関しては,次の原則があてはまりました。「しばしば責られてもなほ強頑なる者は救はるることなくして猝然に滅されん」。どのようにあてはまりましたか。―箴言 29:1。

      24 解放されたイスラエル人が数日後,紅海のそばで野営するにおよんで,パロはもはや恵み,あるいは忍耐を示されるにはふさわしくない者であることを表わしました。もはや立ち直れないほどエホバに対してかたくなになりました。エホバがモーセに言われたとおりです。「パロ,イスラエルの子孫の事をかたりて彼等はその地に迷ひをりて曠野に閉こめられたるならんといふべ(し)我パロの心を剛愎にすべければパロ彼等の後を追はん我パロとその凡の軍勢に由て誉を得エジプト人をして吾エホバなるを知しめん」― 出エジプト 14:1-4。

      25 エジプト人はついにエホバを認めましたか。それは彼らに救いをもたらしましたか。なぜですか。

      25 しかしながら,わなに陥ったのはイスラエル人ではなくて,みずからの滅びを招いたエジプト人でした。その夜,過ぎ越しの月あかりのもとで幾百万人ものイスラエル人は自分たちの両側に奇跡的に分けられた紅海の底を渡ったからです。追跡してきたエジプトの軍勢は乾いた海底にはいりましたが,エホバがその進撃を妨げはじめるや,身の危険を感じた彼らは,エホバに敵して戦っていることに気づきはじめ,ついにみ名を口にしてエホバのことを認め,互いにこう言いました。「我らイスラエルを離れて逃ん そはエホバかれらのためにエジプト人と戦へばなり」。しかし手おくれでした。エホバは海の水を戻して,彼らを滅ぼされたからです。一方,無事対岸に渡ったその民イスラエル人は,彼らの滅びを眺めました。―出エジプト 14:25。

      わたしたちはどんな仕方で神を知るべきか

      26,27 (イ)エジプトの経験は今日の諸国民に対するどんな警告となっていますか。(ロ)わたしたちはどんな仕方でエホバを知るようになるべきですか。どうすれば,だれでもこの必要な知識を得ることができますか。

      26 こうして,それらエジプト人は滅びを前にして,神がエホバであることを知りました。そのみ名に敵してパロ同然の態度を取る今日の政治指導者や諸国民は注意すべきです。諸国民の中の個々の人は,もし望むなら,この歴史上の実例に注意して同様の非運を回避することができます。神のみ名に逆らってかたくなになる人たちは滅びる直前に,神がエホバであることを知りますが,それは神にかんする事実を知る好ましい仕方とはいえません。わたしたちは今,真の神また主権者,目的の設定者,そしてご自分を信頼する人たちの守護者としてのエホバを知りたいと願わなければなりません。モーセの場合のように,またイエス・キリストが神を知るよう他の人を励ましたように,わたしたちは,神を知るべきです。それは生死にかかわる事がらです。まさしくイエスが述べられたとおりです。「これが永遠の命を意味します。彼らが,唯一のまことの神であるあなたと,あなたがお遣わしになった者であるイエス・キリストに関する知識を取り入れることです」― ヨハネ 17:3,新。

      27 エホバの証人は宣べ伝えられた良いたよりに留意し,みことば聖書を研究してエホバを知るようになりました。そして,そうした知識を得るよう他の人を喜んで無償で援助しています。証人たちとともに聖書をお宅で研究すれば,あなたも益にあずかれます。

  • 神の真理はわたしの命を救った
    ものみの塔 1972 | 4月15日
    • 神の真理はわたしの命を救った

      ● 最愛の妻に先だたれたわたしは,すっかり元気を失ってしまいました。教会では,妻はバプテスマを受けていなかったから火の燃える地獄にいるということを聞かされていました。わたしがあまりにもみじめでそばにいたたまれないため,むす子は週末家におらず,金曜日の朝に出かけて日曜日の夜遅く帰宅するありさまでした。

      ある金曜日の晩,わたしは死んで妻のもとに行こうと決心しました。それ以上悲嘆にくれて生きたいとは思わなかったからです。家の近くには,毒草がたくさんはえています。わたしは毒草を摘んでせんじ,それを飲んで寝ようと考えました。

      わたしが火を起こすためにまきを集めていると,ふたりの若い婦人がわたしの家に通ずる小道をやって来て,聖書から短い話をしてくれました。わたしはふたりに,ここは母親のいない家ですが,どうかおはいりくださいと言いました。ふたりはそれに応じました。わたしたち3人は腰をおろして,1時間かそれ以上,聖書に書かれている神の真理を話し合いました。ふたりは別れぎわに,次の金曜日にもう一度来ると約束しました。そこでわたしは,その晩,草を摘んで毒をせんじるのをやめました。

      そのふたりのエホバの証人は約束の金曜日にわたしを再び訪れてくれ,その後何度も来てくれました。1か月後,わたしはワシントン州のシアトルにある王国会館をはじめて訪れました。それ以来,わたしは定期的に王国会館に行っています。その後わたしはバプテスマを受け,今ではエホバの幸福な証人

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