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長い期間,しかし必要以上に長いわけではない目ざめよ! 1975 | 1月8日
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叫びも苦痛も」なくなることを約束しておられます。―啓示 21:2-4。
これを信ずるには信仰が要求されます。聖書は,「信仰がなければ,神をじゅうぶんに喜ばせることはできません。神に近づく者は,神がおられること,また,ご自分をせつに求める者に報いてくださることを信じなければならないからです」と述べています。(ヘブライ 11:6)盲信には価値がありません。しかし証拠に基づく信仰はしっかりとした希望を与えます。神は,神が存在されるということだけでなく,「せつに求める者に報いてくださる」かたであるということも信じ得る証拠を十分に備えてくださいました。神が人類の益を考慮しており,またそれに関心をおもちになっている証拠として,神がすでに過去において行なわれたことを考えてみましょう。
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神はどれほど積極的に配慮を示してこられたか目ざめよ! 1975 | 1月8日
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神はどれほど積極的に配慮を示してこられたか
エホバ神は,人類が救いを,それが見いだせるという確実な希望もなく,ただ模索するままにまかせてはこられませんでした。幾千年も昔に神はご自分の目的を啓示し始め,その啓示をご自身のことば,全人類に対するご自分の音信として,記述させることをお始めになりました。
わたしたちは今日その音信を,霊感によって書かれた神のことばである聖書の中に持っています。わたしたちはその聖書から,エホバ神がどんなかたであるか,どんな特性を持たれるか,人々をどのように扱われるか,どんな規準をお用いになるか,といったことを学ぶことができます。また聖書の預言からは,エホバ神が何を行なうことを決意しておられるか,わたしたちは将来の自分の保護と益のためにどんな道を歩むことができるかを学ぶことができます。
神が全人類に対して配慮を示され,全人類に対して関心をお持ちになっておられる証拠は,聖書のページの中に豊富に見られます。神は個々の人間の威厳を尊重されます。神は強制された奉仕や崇拝ではなくて愛に動かされた心からの積極的な奉仕を望まれます。(申命 30:15,16)神の目には,人々の国籍,人種,社会的地位などの違いはまったく問題でないことを聖書は示しています。望む者はだれでも神に奉仕して自分自身,そして家族も大きな祝福にあずかることができます。―使徒 10:34,35。
聖書は,エホバ神が全人類に鋭い関心をお示しになったこと,また神を心から信じ信頼した人々を祝福されたことを示しています。その例をいくつか考えてみましょう。
アブラハムに対して行なわれたことは神が民族主義者でないことを示す
ユダヤ民族とアラビア民族の先祖であるアブラハムは,エホバ神のことばを信じ,自分から進んでエホバに仕えました。そのために神はアブラハムとその家族を祝福されました。神はアブラハムの信仰を非常に嘉され,アブラハムの家系のひとつの分かれから生まれ出る一つの国民を,特別の目的のために,すなわちエホバとエホバの崇拝を地表で代表させるために用いることを決意されました。神は,アブラハムの孫ヤコブすなわちイスラエルの子孫であるその国民に,律法をお授けになり,カナンと呼ばれる地に彼らをしっかりと定住させられました。(申命 4:7,8)神はまたこの国民によってご自分の名前を地の人々の前に保ち,この国民を通してメシア,すなわち人類の贖い主として活動するために油そそがれた人を来させました。―ガラテア 3:24; 4:4。
これは特定の国民をえこひいきしたというようなことにすぎなかったでしょうか。神は万物の創造者であられるのに,なぜ一つの国民だけに恵みを示されたのでしょうか。実際には神は,利己的な行為であるえこひいきをするどころか,『地のもろもろのやからを祝福する』ための準備となる基礎を置かれていたのです。(創世 12:3; 22:18)この一つの国民に対するご自身の行動と,この国民の上に政府を立てることとによって,神はご自分の神また王としての数々の属性,そのいつくしみやあわれみ,また統治にかんする不動の原則を示されました。神は,将来のメシア出現の基礎を置かれたのです。そのメシアの血統もしくは家系と,彼の生涯のあらましを予告する預言とは,人々が彼を本当に神から遣わされた人として信ずることができるように,記録され保存されました。そうです,神がその国民と交渉を持っておられた幾世紀かの間に,預言,預言的情景および「きたらんとするよい事の影」を含む,事実からなる歴史的記録を示す聖書は,わたしたちの益のために書かれつつあったのです。―コリント第一 10:11。ヘブライ 10:1。
不完全な国民に対して示された神のご配慮
神がアブラハムの子孫であるその国民をお選びになったとき,彼らは少数者のグループでしかも奴隷にされていました。神は預言者モーセを通して彼らにこう言われました。『エホバの汝らを愛し汝らをえらびたまいしは汝らがよろずの民よりも数多かりしによるにあらず 汝らはよろずの民の中にて最も小さき者なればなり ただエホバ汝らを愛するによりまた汝らの先祖たちに誓いし誓いを保たんとするによりてエホバ強き手をもて汝らを導きいだし汝らを奴隷たりしその家より……贖いいだしたまえるなり』。(申命 7:7,8)そうすることによって神は,アブラハム,イサク,ヤコブなどが示したような忠実な奉仕と献身を嘉しまたそれに報いるということだけでなく,ご自分が約束を守る者であるということも示すことができました。―申命 7:9。
その国民が,自分たちに対する神のご配慮を信ずる理由はたくさんありました。彼らは幾度となく残忍な攻撃のもとにおかれ,圧倒的な強敵に直面しました。彼らがエホバに頼るかぎりエホバは来て彼らをお助けになりました。(士師 7章。歴代下 14:9-15)その国民が神にそむいて重大な罪を犯したときでさえ,神は彼らに対して忍耐とあわれみを示されました。時にはきびしく懲らしめることもされましたが,彼らが神に帰ったときには,繁栄と健康と平和を与えて彼らを許し祝福されました。(エレミヤ 7:13,14; 30:18,21,22)15世紀の長きにわたる神の彼らとの交渉の記録は,人間の不完全さ,旧悪への逆もどり,頑迷さなどに対する驚くべき忍耐とがまん強さの記録です。
しかしイスラエルはついに,神のみ子を退け,処刑するためにこれをローマ総督に渡して,完全にエホバ神に反逆するに至りました。それにもかかわらず神はご自分のしもべたちを絶えず彼らに遣わして,さらに3年半,彼らだけに良いたよりを宣明されました。そのようにして初めて神は,イスラエルに対して特別の関心を示すことを終え,全世界のすべての異邦国民に使者たちを送ることをお始めになりました。(使徒 10章)特別の器としてイスラエルを用いる神の目的は達成され,同国民と神との特別の関係も終わりました。しかしその国民の中の個々の人間は,神のことばに従い神の備えに信仰を示すことによって,神の恵みと祝福を得ることがいつでもできました。―ローマ 10:12。ガラテア 3:28。
こうした扱いによって神は,神に仕える者たちに心を用いておられ,彼らに対して事実大きな愛をいだいておられることを示されました。もし人々が心から神のことばに耳を傾けるなら神が何
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