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「終わりの日に」,それはいつからのことですかものみの塔 1981 | 1月1日
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言ってもみがらのようなその国民を燃やし尽くす西暦70年の破壊的な災いの火から逃れる希望はありませんでした。そのため使徒ペテロは,西暦33年のペンテコステの日に,水のバプテスマを受けるために自らすすみ出た悔い改めたユダヤ人たちに,「この曲がった世代から救われなさい」と述べたのです。―使徒 2:37-40。
ユダヤ人の律法契約とユダヤ人の体制の「終わりの日」
9 イエスのバプテスマと聖霊による油そそぎはどんな契約にとって「終わりの日」を意味するものとなりましたか。なぜそう言えますか。
9 イエスは,預言者モーセを仲介者とするユダヤ人の律法契約の下に生まれました。イエスがバプテスマを受けて聖霊で油をそそがれた時,イエスは,霊的ユダヤ人つまりイスラエル人と結ばれることになっていた新しい契約の仲介者になられました。このことは,ユダヤ人の律法契約と,そこエルサレムのヘロデ王の神殿を中心とするユダヤ人の体制にとって「終わりの日」を意味するものとなりました。イエスが,神とご自分の弟子たちとの間の仲介者として天に昇られた時,その新しい契約は,その完全な人間としての犠牲の血の価値によって調印がなされました。その証拠は,驚嘆すべきそのペンテコステの日に,聖霊が注がれることによって与えられました。そのことは,新しい契約の当事者となる霊的イスラエル人を生み出しました。同時に,肉のイスラエルとの律法契約を除き去り,無効にするものとなりました。(エフェソス 2:15,16。コロサイ 2:13,14)しかしユダヤ人に対する神の特別な恵みは,西暦36年の秋まで,もう3年半の間引き続き示されました。なぜでしょうか。
10 (イ)エホバの恵みが,西暦33年のペンテコステ以降も一時的にユダヤ人たちに対して続いたのはなぜですか。(ロ)しかし,中東におけるユダヤ人の体制はいつ終わりましたか。
10 なぜなら,預言の中には,神の特別な恵みがご自分の契約の民に対して「70週年」の間続くこと,そしてイエス・キリストご自身がその70番目の週の半ばに殉教の死を遂げられ,その490年の期間が西暦36年に終わることが明記されているからです。(ダニエル 9:24-27,アメリカ訳)しかし,エルサレムとその神殿は,その年に滅ぼされることもなく,ユダヤ人たちがその年にユダヤ地方から追放されることもありませんでした。そのことが西暦70年に生じた時,中東におけるユダヤ人の事物の体制は終わりを告げました。それは,イエスが弟子たちに預言をなさった際に,考えておられた「終わり」でした。
11 (イ)オリーブ山の上で弟子たちに預言をなさった時,イエスが地上のエルサレムの「終わり」のことを考えておられたことを,何が示していますか。(ロ)ここでイエスは,ペンテコステにおけるペテロの話の37年後に起きることになっていたエルサレムの滅びのあとに初めて,「諸国民の定められた時」が始まると述べられたのですか。
11 ペテロ,アンデレ,ヤコブ,ヨハネは「そうしたことはいつあるのでしょうか」とイエスに尋ねました。何のことを尋ねたのですか。イエスは神殿を見回っておられた時に次のように話されました。「あなたがたはこれらのすべてをながめないのですか。あなたがたに真実に言いますが,石がこのまま石の上に残されて崩されないでいることは決してありません」。(マタイ 24:1-3。マルコ 13:1,2。ルカ 21:5,6)後刻,オリーブ山の上で語られた預言の中で,イエスはこう言われました。「その土地に非常な窮乏が,そしてこの民に憤りが臨(みます)。そして人びとは剣の刃に倒れ,捕われとなってあらゆる国民の中へ引かれてゆくでしょう。そしてエルサレムは,諸国民の定められた時が満ちるまで,諸国民に踏みにじられるのです」。(ルカ 21:23,24)イエスはここで,西暦70年にエルサレムが滅び,ユダヤ全土から人々が絶えてしまって初めて,「諸国民の定められた時」が始まると述べておられたわけではありません。エルサレムとその神殿の中,およびその周辺におけるユダヤ人の事物の体制の悲惨な終わりは,ペテロがペンテコステの日に語った時から37年後に生じました。ですから,ユダヤ人の事物の体制の「終わりの日に」神の霊が注がれたと述べたペテロは正しかったことになります。
12 ユダヤ人の弟子たちが「終わりの日」に住んでいることを示す「しるし」の中には,偽キリストや偽預言者のほかにどんなものが含まれますか。
12 イエスはマタイ 24章4-22節の預言の中で,偽キリストや偽預言者が到来したというだけでは,ユダヤ人の弟子たちがユダヤ人の事物の体制の「終わりの日」に住んでいるという「しるし」にはならないことを示されました。イエスは続けてこう語っておられます。「あなたがたは戦争のこと,また戦争の知らせを聞きます。恐れおののかないようにしなさい。これらは必ず起きる事だからです。しかし終わりはまだなのです。というのは,国民は国民に,王国は王国に敵対して立ち上がり,またそこからここへと食糧不足や地震があるからです。これらすべては苦しみの劇痛のはじまりです。
13 人間のどんな活動が「しるし」の一部となりますか。
13 「その時,人びとはあなたがたを患難に渡し,あなたがたを殺すでしょう。またあなたがたは,わたしの名のゆえにあらゆる国民の憎しみの的となるでしょう。またその時,多くの者がつまずき,互いに裏切り,互いに憎み合うでしょう。そして多くの偽預言者が起こって,多くの者を惑わすでしょう。また不法が増すために,大半の者の愛が冷えるでしょう。しかし終わりまで耐え忍んだ人が救われる者です。そして,王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わり[テロス]が来るのです。それゆえ,荒廃をもたらす嫌悪すべきものが,預言者ダニエルを通して語られたとおり,聖なる所に立っているのを見かけるなら,(読者は識別力を働かせなさい,)その時,ユダヤにいる者は山に逃げはじめなさい」― マタイ 24:3-16。
14 パウロによれば,そのことが起こるまでユダヤ人たちは,どんな立場にありますか。
14 そのことが起こるまでの期間についてはどうですか。使徒パウロは西暦50年ごろに手紙を書き,ユダヤ人について次のように述べました。「彼らは常に自分たちの罪の限りを満たしています。しかし,神の憤りはついに彼らの上に臨んでいるのです」。(テサロニケ第一 2:16)そこ中東におけるユダヤ人の事物の体制の「終わりの日」に当然予期されるのは,そのようなことでした。
15 ユダヤ人たちが自らの「終わりの日」の「終わり」を引き延ばそうとした努力は成功しましたか。その答えの理由を述べてください。
15 キリスト教に改宗しなかったユダヤ人たちは,パレスチナにおける自分たちの事物の体制の「終わりの日」の終わりを引き延ばすことを試みました。彼らは西暦65年にローマの支配者層を相手に蜂起したのです。その結果,ユダヤ人の独立国家が約5年間続きました。ユダヤ人の貨幣にも,この絶望的な時代を記念する印が刻み込まれました。しかしその終わり(テロス)は面子を重んじたローマ人の手によって,西暦70年に情け容赦なく訪れました。
16 (イ)パウロはテモテ第二 3章1-5,12節で,西暦29年から70年までのユダヤ人の「終わりの日」のことを述べていたのですか。その答えの理由を述べてください。(ロ)パウロの預言を成就する他の「終わりの日」があり得ますか。
16 西暦65年ごろ,使徒パウロは,自分が殉教の死を遂げる前の,2番目で最後の投獄期間中に,忠実な宣教者の仲間であるテモテに手紙を書きました。パウロはテモテ第二 3章1-5,12節で,自分が「終わりの日」と呼ぶ期間に生ずるであろう道徳的および宗教的な状況についてテモテに書き送りました。テモテは西暦70年のエルサレムの滅びを生き残ったようです。ですから明らかにパウロは,ユダヤ人の事物の体制の「終わりの日」,つまり西暦29年から70年の期間について書いていたのではありません。パウロはエルサレムの滅びの時代よりも先の終わりの日の期間について書いていたのであり,ユダヤ民族以上の大規模なもの,つまり世界の全域にそれを適用していました。西暦65年から70年にかけて見られたユダヤ人たちの反逆は,テモテ第二 3章1-5節のパウロの預言を成就したものではありませんでした。クリスチャンたちは,「嫌悪すべきもの」である荒廃をもたらすローマの軍隊が,「聖なる所」つまり神殿の付近に「立っている」のを見て,エルサレムとユダヤ全土から,ペレアに逃れました。
どちらの「終わりの日」の期間か
17 もし「終わりの日」が,現在に至るまでの“キリスト教時代”全体と同一の長さであると論ずるなら,時間の長さについてはどういうことになるでしょうか。
17 ところが聖書研究者の中には,「終わりの日」とは,ペテロがヨエル書 2章28-32節を引用したペンテコステの日からわたしたちの時代(1981年)および不定の将来に至るまでの時期,つまり“キリスト教時代”全体を含むと論ずる人がいます。そうだとすればどういうことになるでしょうか。いわゆるユダヤ人の時代は,律法契約がシナイ山で結ばれた西暦前1513年から西暦70年にまで及んでいます。それは1,582年にわたる期間でした。それと比べると,キリスト教時代は,聖霊が注がれて最初のクリスチャン会衆が古代エルサレムにおいて設立された西暦33年のペンテコステから数えるとして,どのくらいの長さになるでしょうか。それはすでに1,948年以上の長きに及んでいます。ですから,もし「終わりの日」がキリスト教時代と同一の長さであるとするなら,その「終わりの日」は以前のユダヤ人の時代よりも何百年も長いことになってしまいます。奇妙ではありませんか。
18 聖霊が,大規模な背教にもかかわらず,“キリスト教時代”全体にわたってそそぎ続けられてきたので,「終わりの日」という表現についてどんな意見がありますか。
18 しかし,異議ありとする意見が出されるかもしれません。聖霊が注がれることになっていたのは「終わりの日」の期間ではなかったか,そして聖霊は,大規模な背教にもかかわらず,西暦33年のペンテコステから現在に至るまで絶えることなく注がれて来たのではないだろうかというわけです。近年にも,聖霊で油そそがれているので,主の夕食つまり晩餐の表象物にあずかる義務を感ずると主張する人が出ていないでしょうか。そうであれば,論理的に言って,使徒 2章16-21節の「終わりの日」はキリスト教時代全体,つまり油そそぎの霊が注ぎ出されてきた,中断されることのないこの長い期間に相当するのではないでしょうか。
19 ヨエル 2章28-32節はまず第一にだれに向けられたものですか。その預言が成就したのはパレスチナにおける彼らの事物の体制の「終わりの日」が始まる前のことでしたか,それともそれらの日の期間中のことでしたか。
19 それでも,わたしたちは割礼を受けたユダヤ人たちに対する神の霊的な恵みの期間が西暦36年に終わったという事実を直視しなければなりません。その年には,割礼を受けていない非ユダヤ人つまり異邦人が,キリストの弟子から成る,霊で油そそがれた会衆に入ることが認められました。さらに,エルサレムの神殿を含むユダヤ人の事物の体制の日は,それより長く,西暦70年まで続きました。使徒ペテロがペンテコステの日に引用したヨエル書 2章28-32節の預言は,まず第一に割礼を受けたユダヤ人たちに向けられたものであり,聖書歴史が示すところによれば,油そそぎの霊が注ぎ出されたのは約束の地におけるユダヤ人の事物の体制の「終わりの日」の期間のことであって,それらの「日」の前ではありませんでした。そうした日は,言うまでもなく,聖書歴史の第6世界強国であるローマ帝国の最後の日ではありませんでした。この第6世界強国は,西暦1763年まで第7世界強国(大英帝国とそのアメリカの植民地)に道を譲ることはありませんでした。その第7世界強国は,啓示 13章1-3節にある,七つの頭と10本の角を持つ象徴的な野獣の7番目の頭を成就するものです。
20 現在,どんな国際的な政治組織は疑問の余地なく,その「終わりの日」にありますか。
20 今日,大英帝国と同帝国に関連した英連邦およびその連合国であるアメリカ合衆国がその「終わりの日」にあることは疑問の余地がありません。これらの政治組織が勇敢な擁護者を務めている国際的な制度,つまり152の成員国から成る国際連合も,同じように「終わりの日」にあります。ですから,この長いキリスト教時代が,ヨエルの預言の中の「終わりの日」であると考えるのは何と不合理なことなのでしょう。
21 聖霊についてのヨエルの預言に関して,同じような「終わりの日」,対型的な期間は考えられないことですか。
21 事実の進展に立脚して,使徒ペテロはヨエルの預言を中東におけるユダヤ人の事物の体制の最終部分に適用しました。しかし使徒ペテロも,ヨエル書 2章28,29節も,それ相応に聖霊が著しく注がれる,似たような「終わりの日」,対型的な期間がないとは述べていません。
22 (イ)ヨエル 2章28-32節の預言のすべての特色が,古代のユダヤ人の体制の「終わりの日」に成就しましたか。(ロ)弟子たちがイエスに尋ねた複合的な質問のすべてがその当時に成就しましたか。それともまだ何が証明されなければならなかったでしょうか。
22 加えて,聖霊が注がれることに関連してヨエルが予告した事がら,つまり天からの異兆,地上のしるし,血,火,煙の霧,太陽が暗くなること,月が血に変わることなどのすべては,使徒ペテロが生きていた「終わりの日」に実現したのではありませんでした。したがって,その預言を霊感させたエホバが,予告された事柄すべてにおいて正しいことが証明されるには,その預言のすべての部分が実現される「終わりの日」と呼ばれる別の期間が存在しなくてはなりません。「あなたの臨在[パルーシア]と事物の体制の終結のしるしには何がありますか」というイエス・キリストに対する4人の使徒たちの質問に答えるには,さらに別の歴史的な事実が提出されなければなりません。(マタイ 24:3)今日得られる証拠によると,わたしたちは「終わりの日」が現代において成就している時代に住んでいます。でもそれはいつからでしょうか,そしてなぜそう言えるのでしょうか。次に,わたしたちはこの問題について誠実な関心を向けなければなりません。
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これらの「終わりの日」のあとのメシアによる神の王国ものみの塔 1981 | 1月1日
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これらの「終わりの日」のあとのメシアによる神の王国
1 (イ)「終わりの日」という表現からすると,それらの日に関し何が必要になりますか。(ロ)ユダヤ人の事物の体制の「終わりの日」には終わりがありましたか。
「終わりの日」と呼ばれる日には終わりがあるはずです。ユダヤ人およびエルサレムに再建された彼らの神殿の場合,それらの日は西暦70年に終わりました。さもなければ,それを「終わりの日」と呼ぶことがどうしてできるでしょう。実際,歴史的に見ても,それらの日には終わり(テロス)がありました。ユダヤ人の事物の体制のそれら最終的な日のことを語った際,イエスはこう述べられました。「その時,世のはじめから今に至るまで起きたことがなく,いいえ,二度と起きないような大患難があるからです。事実,その日が短くされないとすれば,肉なるものはだれも救われないでしょう。しかし,選ばれた者たちのゆえに,その日は短くされるのです」― マタイ 24:21,22。マルコ 13:19,20。
2 (イ)エルサレムに臨んだ「大患難」は,「選ばれた者たち」のために短くされましたが,その「選ばれた者たち」とはだれでしたか。(ロ)この成就をどのようにみると,イエスの預言の言葉は大げさなものになりますか。
2 伝えられるところによると,ユダヤ人の聖都とヘロデ王の建立した神殿が包囲され崩壊された時,エルサレムの内部にはそれを生き残ったユダヤ人が9万7,000人いたと言います。「大患難」は,「選ばれた者たち」のために短くされると書かれていますが,これらの人々はその「選ばれた者たち」ではありませんでした。「選ばれた者たち」とはむしろ,西暦66年に最初の包囲が解かれたあと,マタイ 24章16-20節に記されているイエスの忠告にすみやかに従い,滅びに定められたこの都市からユダヤの領域外に逃れたクリスチャンでした。この時代に生じた事柄も悲惨でした。しかし,もしマタイ 24章21,22節およびマルコ 13章19,20節のイエスの言葉を,西暦70年のエルサレムの終わり(テロス)だけに限定するとしたなら,この点に関するイエスの言葉づかいは大げさなものになります。それは確かに,有史以来一度も起こったことのない大患難ではありませんでした。
3 イエスの描写的な言葉が正しくつり合いの取れたものとなるためには,古代エルサレムの滅びをどんな観点から見なければなりませんか。
3 イエスの用いられた比較の言葉が正しいつり合いを保つものとなるためには,エルサレムの滅びを,これから将来に起こる未曾有の「大患難」,今や会員数が10億になろうとしていると唱えるキリスト教世界の滅びの予型または単なる予告編と見なければなりません。キリスト教世界の滅びと共に,偽りの宗教の世界帝国全体の滅びが始まります。このことがあってすぐあとに,バビロン的な偽りの宗教の世界帝国とは縁を切ったものの,神のメシアによる王国を支持してはいないこの世の分子すべてが滅びます。この「大患難」で拭い去られる人命の数は,西暦前2370年から2369年にかけて生じたノアの時代の洪水で滅ぼされた人々の数をはるかに上回るものとなるでしょう。
4 (イ)イエスが預言された「戦争のこと,また戦争の知らせ」は,どんな期間に起こることになっていたものでしたか。(ロ)これらが,「苦しみの劇痛のはじまり」と呼ばれていることは何を示していますか。
4 マタイ 24章4-22節でイエスが語られた「戦争のこと,また戦争の知らせ」という預言の言葉は,特定の期間に限定されたものでした。ユダヤ人の事物の体制について言えば,それは西暦29年から70年に至る「終わりの日」の期間のことでした。イエスの弟子たちはまず最初にこのユダヤ人の事物の体制について尋ねたのです。この期間は,確かに,飢きんや疫病や地震と並んで「戦争のこと,また戦争の知らせ」がその特色となりました。ユダヤ人たちは,これらの災いをもたらす事柄からいくらかの影響を受けたに違いありません。しかしイエスは,こうした事柄は「苦しみの劇痛のはじまり」にすぎないと述べられました。(マタイ 24:8)それは最終的な死の劇痛そのものではありません。
5 (イ)その当時の,苦しみをもたらすこうした事柄は,キリストの「臨在」および「事物の体制の終結」につながりましたか。(ロ)そして,王国を宣べ伝える業は,予告された程度まで行なわれましたか。その答えの理由を述べてください。
5 これらの悲惨な事柄は,パレスチナにおけるユダヤ人の事物の体制の終わり(テロス)へとつながってゆきました。ですが,今わたしたちが理解しているように,それらは『キリストの臨在のしるし』および弟子たちが一連の質問の中に含めていた『事物の体制の終結のしるし』とはなりませんでした。(マタイ 24:3。マルコ 13:4)それに,ユダヤ人の体制の「終わりの日」の期間には,『王国のこの良いたよりをあらゆる国民に対する証しのために人の住む全地で』宣べ伝えるという業は,やむを得ない事情で限られた規模のものとなっていました。王国宣明者の数が少なく,この伝道活動は迫害の下で行なわれたからです。(マタイ 24:9-14)しかし,王国を宣べ伝える業は割礼を受けたユダヤ人だけを対象としたものではありませんでしたから,彼らにとっては全世界が開かれた畑だったことは言うまでもありません。イエスが死から復活したのち,弟子たちは,行って『すべての国の人びとを弟子とする』ようにとのイエスの命令の下にありました。(マタイ 28:19,20)ですから王国を全世界的な規模で宣べ伝える業は,西暦70年以降の将来になお待たなければなりませんでした。
6 (イ)当時のユダヤ人に臨むその患難のあとに,何が起こると予告されていましたか。(ロ)「選ばれた者たち」が,「地のすべての部族」に加わって嘆き悲しむことをしなかったのはなぜですか。
6 西暦70年にエルサレムに臨む「大患難」に言及した際,イエスはさらに「それらの日の患難のすぐのちに」起こる事柄についても語られました。(マタイ 24:29)「人の子のしるし」が現われ,また生来のユダヤ人の離散した12部族だけではなく,「地のすべての部族」に悲嘆が生ずることになっていました。さらに,「その選ばれた者たち」は,最後の一人まですべてが集められるでしょう。これらの「選ばれた者たち」は,「地のすべての部族」に加わって,差し迫っている世界的な災難を嘆き悲しむことはありません。彼らは,「人の子のしるし」が天に現われることについて,嘆き悲しむよりもむしろ喜びます。(マタイ 24:30,31)自分たちがこの古い世界の体制の「終わりの日」にいるという証拠を得て喜ぶのです。その悲しみに沈んだ年,人類最初の世界大戦が生じた年である西暦1914年以降,わたしたちには,そのことを示す圧倒的な証拠があります。
7 主の祈りによれば,この世界的な事物の体制の「終わりの日」の終わったあと,何を予期できますか。
7 「終わりの日」と言うからには,そのあとに別の何かが続くはずです。この全世界的な事物の体制の「終わりの日」の次には何が起こるのでしょうか。予想される第三次世界大戦の後の地上の状態について,この世的な予言者がどんな展望を持っていようとも,エホバの証人はメシアによる神の王国を望み見ます。それは,イエスが主の祈りの中で,弟子たちに祈り求めるように教えられたものです。―マタイ 6:9,10。
8 パウロが西暦60-61年ごろコロサイ 1章13節に書いた事柄にもかかわらず,クリスチャンが今なお主の祈りを捧げるのはなぜですか。
8 わたしたちは,使徒パウロが西暦60年から61年ごろ,コロサイ人への手紙 1章13節に記した事柄とは関係なく,今なおこの祈りを捧げます。その時パウロはこう書きました。「神はわたしたちをやみの権威から救い出し,ご自分の愛するみ子の王国へと移してくださいました」。ここで述べられているのは,この地上の,宗教的な暗黒に閉ざされていた小アジアの都市でまだ肉体を着けていたコロサイ人のクリスチャンたちが移された霊的な王国のことです。サタン悪魔の支配下にある地上における彼らの霊的な状態が,「父よ,あなたのお名前が神聖なものとされますように。あなたの王国が来ますように」という主の祈りの成就でなかったことは明らかです。(ルカ 11:2。マタイ 6:9,10)この祈りが完全に聞き届けられるためには,神の愛するみ子が霊的な王国以上のもの
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