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  • 20世紀の人類に対する神のあわれみ
    ものみの塔 1976 | 6月15日
    • たが,王宮はエズレルの町にありました。後のエヒウ王の王朝もエズレルに王宮を持っていました。エヒウはエホバ神の命令に従って10部族のイスラエル王国からバアル崇拝を荒々しく根絶しました。しかし依然として二個の金の子牛の崇拝を続け,エルサレムにおけるエホバの崇拝を無視しました。その刻んだ像を崇拝することによってエヒウの家は十戒を犯しました。彼らはまた,殺すなかれ,という戒めを破りました。―出エジプト 20:2-6,13。

      30 エホバは,エヒウの家がエズレルで行なった流血行為に対して,エヒウの家にどのように報いられましたか。

      30 こうして,エズレルに王宮を持つ子牛崇拝者のエヒウ王の王朝は流血の記録を作り始めました。十戒の授与者はその記録を見逃すことはできませんでした。そこで彼は言いました。『我エズレルの血をエヒウの家に報い(る)』。(ホセア 1:4)その言葉にたがわず,イスラエルを治めたエヒウ王の王朝は,ヤラベアム二世の子ザカリヤが統治を始めてわずか六か月後に,激しい最期を遂げました。ザカリヤは殺されました。―列王下 15:8-12。

      31 イスラエルの家の王の支配はどのように終わりましたか。それはどのようにあたかも「エズレルの谷」のようでしたか。

      31 かくしてイスラエルを治めたエヒウ王の王朝は西暦前791年に終わりました。しかし,10部族のイスラエル王国自体は西暦前740年まで,さらに51年間存続しました。次にエホバは,『イスラエルの家の国をほろぼす』ことをされました。(ホセア 1:4)世界強国アッシリアを用いて,『エズレルの谷にてイスラエルの[戦いの]弓を折』られました。イスラエルの首都サマリアが覆されて背教の国は低められました。イスラエルの生き残りがアッシリア帝国の遠隔の諸州に流刑にされ,種のようにまき散らされた時,その国の力は消散しました。その恐ろしい経験は,「エズレル[神,種まきたもう]の谷」という表現の象徴的な意味と一致します。これは,イスラエルの解放者士師ギデオンが,わずか300人のえり抜きの戦士を率いて,略奪を行なっていたミデアン人を,「エズレルの谷」の近くの,メギドにほど近いところに追い散らしたときのようなものではありませんでした。(士師 6:33,34)西暦前740年には,解放者はおらず,生存のための戦いを行なうことはもはやできず,10部族のイスラエル王国は『ほろぼされ』,滅亡しました。

      32 なぜわたしたちは,以上の事柄がこの20世紀において持っている意味を理解することに努めるべきですか。

      32 わたしたちは,このことが今日もわたしたちに対して持っている重要な意味を理解しているでしょうか。わたしたちはそれを理解しなければなりません。なぜならそれは,この20世紀に,霊的姦淫を行なった不忠実なイスラエルの現代の相対物の中で成就しつつあるからです。その相対物とは,世界中に10億近い教会員を有するキリスト教世界のことです。キリスト教世界の切迫した災いを前にして,わたしたちは,ではエホバ神のあわれみが働いているのを見られるのはどこか,と尋ねるかもしれません。エホバ神がご自分の預言者ホセアに対して取られた態度をさらに深く調べてみれば,それはめいりょうになります。

  • ハルマゲドンで示される神のあわれみ
    ものみの塔 1976 | 6月15日
    • ハルマゲドンで示される神のあわれみ

      1,2 (イ)エホバはだれの結婚生活における問題にご自分のそれを表わすよう仕組まれましたか。(ロ)イスラエルはヤラベアム一世の時代にどのようにして姦淫を行なうようになりましたか。

      男と女の結婚は,地上で罪と悪が支配する間に多くの問題にぶつかりました。エホバと古代イスラエル国民との結婚に生じたのもそれです。

      2 神はご自身の結婚において生じた問題を,預言者ホセアの結婚生活における問題を通して表わすように仕組まれました。ホセアは神の命令により,デブライムの娘ゴメルと結婚しました。このことは,西暦前1513年に神がシナイ山でモーセの律法契約により古代イスラエルと結婚されたことを表わしました。ダビデの子ソロモン王が西暦前997年に死んだ後,長く結婚生活を送ってきたイスラエル国民は二つの部分に分裂しました。ユダとベニヤミンの二部族は共にユダ王国の下に,他の10部族はイスラエル王国の下にとどまりました。イスラエル王国の最初の王は,エフライム族のネバテの子ヤラベアムでした。このヤラベアム一世の下にイスラエル王国はエホバとの結婚契約を破りました。エルサレムにおけるエホバの崇拝をボイコットし,二個の金の子牛の偶像を,一つをダンに,もう一つをベテルに設けて,その国自身の国民的崇拝を打ち立てました。こうして10部族のイスラエル王国は,預言者ホセアの妻ゴメルのように,姦淫を行なう者となりました。

      3 エホバはゴメルの二番目の子にどんな名前を付けるように言われましたか。なぜですか。

      3 ゴメルがホセアにエズレルという名前の嫡出子を産んだ後,エホバと12部族のイスラエル国民との間の問題を示す例としてのホセアの結婚生活に生じた問題は,どう発展したでしょうか。ホセアは続けて次のように語ります。『ゴメルまた孕みて女子を産みければエホバ,ホセアに言いたまいけるは汝その名をロルハマと名づくべし そは我もはやイスラエルの家をあわれみて赦すがごときことをせざるべければなり されどわれユダの家をあわれまん その神エホバによりてこれ[ユダ人]をすくわん 我は弓 剣 戦争 馬 騎兵などによりてすくうことをせじ』― ホセア 1:6,7。

      4 ゴメルの娘の父親はだれでしたか。彼女の名前は預言的にだれに向けられましたか。

      4 この場合にはホセアは,ゴメルが「彼に」娘を産んだ,とは述べていません。それでロルハマと名付けられたその娘は一般に『淫行の子』と解されています。(ホセア 1:2)ホセアの妻ゴメルがそのようにして姦淫をしたことは,エホバ神とイスラエル国民の結婚関係における問題の経過と一致しています。もちろん,ホセアの問題の場合にここで重要な事柄は,ゴメルの娘に与えられた名前の意味 ― またエホバがホセアにそういう不快で不吉な名前を彼女に付けるように告げられた理由です。その娘の名前ロルハマの字義通りの意味は,「あわれまれぬ女子」です。エホバはその名前を,エズレルの町に王宮を持つ,霊的な姦淫を行なう10部族のイスラエル王国に対して預言的に向けられました。それにはどんな理由がありましたか。

      5 エホバが10部族のイスラエル王国にあわれみを示されなかったことはどんな結果を招きましたか。キリスト教世界はどのように同様の経験をしますか。

      5 この20世紀においては,キリスト教世界がエホバの示される理由に耳を傾けねばなりません。なぜなら,ロルハマという名前は現在に当てはまるからです。エホバが示しておられる理由は今日のキリスト教世界に当てはまります。『そは我もはやイスラエルの家をあわれみて赦すがごときことをせざるべければなり』。(ホセア 1:6)キリスト教世界は現在のあわれまれない者,あわれみを示されていない者です。西暦33年にイエス・キリストの仲介によって成立した「新しい契約」によりエホバ神と結婚関係にあると彼女は主張しますが,10部族のイスラエル王国と同じく,そのエホバ神に背いて霊的姦淫にふけっています。(エレミヤ 31:31-34。ルカ 22:19,20。ヘブライ 8:6-12)ホセアの時代以降,エホバはもはや10部族のイスラエル王国にあわれみを抱いておられなかったので,結果はどうなりましたか。霊的に不貞なその王国は,一世紀たたないうちに,すなわち西暦前740年に滅びました。同様に,エホバはイスラエルの現代の相対物にもはやあわれみを抱いておられないので,きたるべき「大患難」がハルマゲドンで頂点に達するとき,キリスト教世界は滅びてしまうでしょう。―マタイ 24:21,22。

      6 ホセア書 1章7節によると,10部族の王国の滅びの時,エホバのあわれみは全イスラエルから撤去されましたか。

      6 10部族のイスラエル王国を一掃されたとき,エホバは少しもあわれみを示されなかったでしょうか。シナイ山で与えられた律法契約を通して最初に神と結婚関係に入っていたすべての部族から,あわれみを完全に撤去されたのでしょうか。エホバご自身がその問いに答え,次のように言われました。『されどわれユダの家をあわれまん その神エホバによりてこれをすくわん 我は弓 剣 戦争 馬 騎兵などによりてすくうことをせじ』― ホセア 1:7。

      7,8 (イ)エホバがユダの家にあわれみをかけられた理由はどこにありましたか。(ロ)その時優勢な世界強国が存在していた故に,戦争の道具によらずにユダを救うためには,エホバは何をしなければなりませんでしたか。

      7 エホバが,エルサレムを首都とする二部族のユダ王国にあわれみを示すことにされた納得のいく理由に注目するのは良いことです。ホセア書 11章12節でエホバはご自分があわれみを示す理由を明確にし,次のように言われています。『エフライムはいつわりをもて イスラエルの家[主要な部族エフライムにより表わされた]は詐偽をもて我を囲めり ユダは神と信ある〔至高の聖者〕とに属きみつかずみ漂蕩おれり』。a ユダの家はまだエホバを至高の聖者,己が神として,『つかず離れずたゆたって』いました。ですからエホバはご自分の名のためにユダの家を救わざるを得ませんでした。「その神エホバによりてこれをすくわん」とエホバが言われたのはそのような理由からでした。

      8 エホバは,10部族の王国を取り除いて『イスラエルの家の国をほろぼし』,それと同時にユダの家を救う目的を立てられました。そうするためには,アッシリア帝国と対決しなければなりません。アッシリアは高度の軍備を整えて,当時の支配的な世界強国となっていました。そうした状況の下で,弓,剣,戦争,馬,騎兵などによらずにユダの家を救うためには,エホバは何か特別のことを行なわれねばなりません。

      ハルマゲドンにおける神のあわれみを予示する

      9 サマリアが滅びた後,エルサレムに関し,事態はエホバにとってどのように極めて挑戦的なものになってきましたか。

      9 西暦前740年,エホバは世界強国アッシリアをご自分の「斧」として用いて,偶像崇拝を行なう不貞な「イスラエルの家」を切り倒されました。エズレルにあった王宮はあき家にされ,首都サマリアは覆され,生き残ったイスラエル人は,アッシリアの遠隔の諸州に流刑にされました。(イザヤ 10:15)それはエルサレムにとって脅威となりました。エルサレムにはダビデの王家のヒゼキヤ王がいて,二部族のユダ王国を統治していました。八年後,アッシリアの大軍がユダの地に侵入し,その町々を従わせ始めました。攻め寄せるアッシリア王セナケリブは,弓,剣,戦いの道具,軍馬,騎兵などを十分に有していました。さて,エホバのあわれみはどんな方法でユダの家に示されるでしょうか。事態はエホバに対し極めて挑戦的なものになってきました。

      10,11 ご自身の名前を高めるために,エホバは今やユダの家をどのように救われましたか。

      10 リブナの町を包囲している間に,セナケリブは,30余キロ離れたエルサレムのヒゼキヤ王に対して,神にいどむ最後通牒を発しました。憤りを感じられたエホバは,預言者イザヤに霊感を与えて挑戦的な通告を出させ,エルサレムの城壁の前にいたアッシリアの代表をしてそれを不敬なセナケリブ

  • 神のみことばは人の生活に影響を与える
    ものみの塔 1976 | 6月15日
    • 神のみことばは人の生活に影響を与える

      [イスラエルの]支部は,前科のあるひとりの若者の経験を寄せています。その若者のおばは会衆と交わっていて,しばしば彼に証言しましたが,若者は応じようとしませんでした。そうしたある日,彼は,訪問中の地帯の監督の講演会に出席することに同意しました。若者はその講演から深い感銘を受け,まもなく家庭聖書研究をするようにとの勧めを受け入れました。神のみことばが若者の生活に著しい影響を与え,彼はかつての生き方を捨てて,野外奉仕に活発になると共にエホバ神に献身しました。彼の個人的な生活上の大きな変化は結婚生活をも救いました。彼と妻は,あらゆる面で共通点がなかったので,離婚寸前のところだったのです。しかし,現在共に良いたよりの伝道者であるふたりは,聖書の原則にそって生活し,クリスチャン会衆の幸福な成員となっています。―「エホバの証人の1976年の年鑑」より

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