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神の属性を反映するように励まされた宣教者たちものみの塔 1969 | 1月15日
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をもって卒業式は終わりました。これに出席した人々は,心を高める数々の教訓に深く感謝しました。それは,前途の仕事に備えて,クリスチャンたちを強めるものとなったのです。
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読者からの質問ものみの塔 1969 | 1月15日
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読者からの質問
● 婚約したクリスチャンがそれを破棄するのは正しいことですか。―アメリカの一読者から
結婚は神の賜物であり,人に幸福と満足な気持ちとを与えます。同時にそれは,重大な責任をももたらします。したがって,結婚を軽く扱うべきではありません。今でもある土地では,親が自分の子供の婚約を取り決めていますが,多くの社会では,独身の成人が自由に配偶者を選ぶことが許されています。後者の場合,ふたりのクリスチャンが結婚に同意し,あるいはそれを約束したなら,正常の条件下では,その約束を守ることが求められます。
人は,あることに同意する前に,それに伴って自分に求められる事柄を考慮すべきです。その上で同意するならば,「あなたがたの『然り』は『然り』を意味し,『否』は『否』を意味するようにせよ」という,イエスの助言に従うことができるでしょう。(マタイ 5:37,新)クリスチャンにとって,自分のことばの真実性を示すための特別な誓いは必要ありません。クリスチャンが何かを言う場合,それはそのことばどおりの意味であるべきです。
それで,ふたりのクリスチャンが結婚の合意に達した場合,両人のことばは変わるべきではありません。特別な行為あるいは公の声明がなされている場合もありますが,これは普通には必要ありません。「アメリカ法」第8巻849,850ページは,「結婚の約束の破棄」について取り上げ,「[婚約]をかわすのに特にきまったことばは必要ない。当事者の心が一致し,双方が婚約に同意していれば十分である」と述べています。
もとより,結婚の申し込みがなされただけで,他方がそれを受け入れていない場合には婚約ではありません。こゝに引用した法律書はこう述べています。「一方の当事者が約束しても,それに対応する約束がその者に与えられない場合,それは単に結婚の申し出であって,契約[婚約]ではない」。(849ページ)このように,わたしたちが婚約について語る場合,それは当事者双方の正直なことばを伴う互いの合意を意味しています。
ヘブル人の間では,婚約は非常に真剣な事柄とみなされていました。それで実際に結婚するまで性交を許されなかったのは当然にしても,婚約した婦人は相手の男子の妻として扱われたのです。(創世 29:21。マタイ 1:18,19)また婚約した婦人の法的な立場は,婚約していないおとめの立場とは異なっていました。(出エジプト 22:16,17。申命 22:23-29)これは婚約した状態にあることの重大さを示すものです。
しかし,一方的な婚約の破棄を正当にするような事柄が何かあるでしょうか。円熟したクリスチャンにとって,一方的に婚約を破棄することが許されるような事態はごくまれでしょう。重要な事実が曲げられ,あるいは隠されていた場合などは,婚約の停止を正当にするかもしれません。二つの例をあげましょう。ある婦人は聖書的に見て結婚する自由がないにもかゝわらず,その事実を故意に隠し,ある男子からの結婚の申し込みを受け入れたとします。その男子は相手の婦人の結婚関係について十分には尋ねませんでした。彼女がまだ結婚できる立場にいないことをあとで知った場合,男子がその婚約を解消することは正当でしょう。事実,そうすることは彼の聖書的な務めでもあります。(マタイ 5:32)あるいは男子が計画的にうそをついて事実を隠し,それによって婦人から結婚の同意を得た場合,事実と彼の偽りとを知った婦人は婚約を停止することになるかもしれません。(コロサイ 3:9)これらの場合,クリスチャン会衆の道徳上の清さを守る務めを持つ霊的に古い者たちは,他のクリスチャンを保護する処置を講ずるため,こうした不正を調べるでしょう。
こうした正当な理由なくして一方的に婚約を破棄するのは,未熟さ,および心の不安定さの表われです。そのような人をクリスチャン円熟の模範として会衆の前に掲げることができないのは明らかです。クリスチャン会衆内の男子がこれを行なうなら,その者は会衆内の責任の地位につく資格がありません。監督と補佐のしもべたちは「責むべき所」のない者でなければならず,こうしたことを行なうなら,「責むべき所」のない者であるとは言えないでしょう。(テモテ前 3:10)結婚に関して自分自身の心を知らず,自分のことばを尊重できない人は,他の事柄においても同じでしょう。その人はもっと円熟しなければなりません。
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