ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • わたしたちの信仰をこころみる試練に耐える
    ものみの塔 1971 | 6月1日
    • があっても,サタンのために,伝道するようにとの天の父からの命令に従うことをやめてはなりません。

      わたしたちの信仰の試みを通過する

      21 神はアブラハムをどのように試みられましたか。アブラハムはどのように応じましたか。

      21 サタンが試練をもたらさない時でさえ,神のわたしたちに対する命令が試みとなることがありえます。聖書は古代の一例をあげて,こう述べています。「神アブラハムを試みんとて之をアブラハムよと呼たまふ…爾の子爾の愛する独子即ちイサクを携てモリアの地に到りわが爾に示さんとする彼所の山に於て彼を燔祭として献ぐべし」。神のこの命令に従うことがアブラハムにとってどんなにむずかしかったか想像してごらんなさい。しかしアブラハムはその命令に従い,自分のいつくしむむすこを殺すため,まさにナイフを手にするところにまで至りました。神に対するなんという忠実さでしょう。むすこを害さないようアブラハムの手をとどめた後,エホバは彼にこう言いました。「汝の子即ち汝の独子をも我ために惜しまざれば我今汝が神を畏るを知る」― 創世 22:1-18。

      22 (イ)ある人にとって,今日のクリスチャンに対するどんな要求は,アブラハムが受けた試練と同じほど困難なものですか。(ロ)アブラハムは自分の示した従順ゆえに,どのように祝福されましたか。これは,わたしたちが従順であったら,どうなることを示していますか。

      22 今日のクリスチャンに対する神の指示は同様な試練となります。たとえばある人にとって,「公にも,また家から家にも」伝道するのは非常にむずかしいことです。(使行 20:20,新)さらに,神権宣教学校で話をしたり,会衆の集会で注解をしたりすることによってこの伝道のわざに備えるのは,その人たちにとってどんなにか困難でしょう。(テモテ前 4:13。ヘブル 10:24,25)しかしそうした試みは,神がアブラハムに与えたものより大きいと言えるでしょうか。極端におくびょうな人はそう思うかもしれませんが,エホバが愛に富む,恵み深い神であることを忘れないでください。神はご自分の民みずからの益と祝福にならないことを決して要求されません。たとえば,神に従ったためにアブラハムの得た祝福を考えてみてください。神の天使によってとどめられ,自分に神の是認が宣されるのを聞く喜びを味わいました。彼は約束のすえの先祖となりました。(創世 22:17,18。ガラテヤ 3:16)さらに,彼の信仰はすべてのクリスチャンがならうものとして聖書の中で推薦されています。(ヘブル 11:17-19)そしてアブラハムは,人類のためにご自分の御子を犠牲としてささげられた神ご自身の原型となりました。(ヨハネ 3:16)神の言われることに従順に従うなら,わたしたちも神から祝福されます。

      23 わたしたちはどんなまちがいをしないように望みますか。

      23 神によってわたしたちに命令されたことを行なわないで,試みを避けたり,よけたりするのは確かにまちがいです。聖書は,『アブラハムが朝つとに起き』,イサクを連れ,直ちにモリアへの旅を始めたことを述べています。彼はそれを延ばしませんでした。わたしたちも,王国の音信を伝道するようにその神の指示に従うことを延ばすべきではありません。今すべきだとわかっている事柄を延ばせば延ばすほど,従うことはいっそうむずかしくなります。しかもその試みは,わたしたちと,神の是認と祝福を受けることとの間に常に存在しているのです。

      24 イスラエル人のある者は,どんな試みを通過しませんでしたか。彼らが神を信頼していたらそれを通過していたと,何が示していますか。

      24 一例として,エジプトから「乳と蜜との流るる」地へと神が導き出されたイスラエル人のことを考えてみましょう。その地は彼らのものでしたが,まず通過しなければならない試みが待っていました。その地は,実に忌むべき風習にかかわりを持つ悪霊崇拝者で満ちていました。さらに,ある者は巨人のような異常に大きい体格をしていました。(民数 13:1-33)そのためイスラエル人は恐れをいだき,その地にはいってそれを占領するようにとの神の指示に従うことを拒みました。それゆえ神は,彼らがその土地にはいらず,20歳以上の者は全員荒野で死ぬであろうと言われました。(民数 14:29-34)しかしながら,40年後に次の世代のイスラエル人が,神の命令でその土地にはいり込みはじめた時の情況はどうでしたか。そこには同じそれら強力な人間,少なくともその子孫たちがいました。やはり試みを通過しなければなりませんでした。イスラエル人は今度はその試みを避けようとはしませんでした。彼らは神に信頼し,従順に直ちに進み入って,土地を占領しました。(ヨシュア 11:21-23)それにしても,彼らの父親たちが40年前に試みを通過していたほうが,はるかによかったのではありませんか。

      25 わたしたちは今なにをすべきですか。どんな見込みがありますか。

      25 わたしたちは,今,神の正義の新しい事物の体制の入り口にいます。(ペテロ後 3:13,新)現代の体制の終わりはなんと近いのでしょう。ですから,今は神の意志を行なうことを延ばしたり,なおざりにしたりする時ではありません。エホバを信頼し,勇気をもってエホバの言われる事柄を行なわねばなりません。今からほんのまもないうちに,サタンは神の民に対し最後の全面的な攻撃に出,わたしたちにすさまじい試練をもたらすものと考えられます。しかし,わたしたちは神の力を得て,わたしたちの信仰をこころみるそれらの試練を耐えることができます。そうです,そして,神がわたしたちに祝福してくださる,正義の新秩序における永遠の命という,すばらしい報いを熟慮してください。―ヤコブ 1:12。黙示 21:3,4。

  • あらゆる民族集団のあいだの一致は可能ですか
    ものみの塔 1971 | 6月1日
    • あらゆる民族集団のあいだの一致は可能ですか

      人々が,偽りのない,心臓からの愛と一致のうちにともに暮らすことのできる基盤というものがありますか。特に,人種や国籍,言語や社会的背景の異なる人々のあいだでそれは可能でしょうか。

      昨年の暮アフリカを訪れた,アメリカとカナダの人々236名の一行は,この問題を直接に知る機会に恵まれました。アフリカほど多くの民族集団が見られる土地がほかにありますか。また,世界における自分の特権と立場に目ざめた巨人のようなこの大陸におけるほど,現在自由を求める声の強い土地は地上にあるでしょうか。

      旅行者たちが12月を選んだのは,その1か月間にアフリカのエホバの証人がいくつかの「善意の人々」大会を開くことになっていたからでした。それらの大会には多くの部族から,様々な背景を持つ何千人ものアフリカ人がともに集まることになっていました。また旅行者の一行もエホバの証人で,聖書に『神がひとりの人からあらゆる国民を造り出した』と書かれていることを知っていました。さらに,そうした大会の最初のものが昨年の夏に北アメリカで連続して開かれた際,一致と協力が発揮されたのを見ていました。それはすべての国々において可能でしょうか。その上,それら北アメリカからの訪問者は「兄弟」として迎えられ,一方,彼らがアフリカの大会出席者たちに対して兄弟のような感情をいだくでしょうか。

      セネガルのダカール

      10の大会がもれなく旅行者の訪問を受けられるように,一行はそれぞれ異なった旅程を組み,別々の大会に出席しました。最初に訪問したのは,アフリカ大陸が大西洋に大きく突き出た部分の最西端に位置する,セネガルのダカール市でした。

      早朝の7時半に到着した旅行者は,土地のエホバの

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする