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いつ,どこで問題は始まったか目ざめよ! 1975 | 1月8日
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の父親の,神に対する不忠節は,人類家族を罪と不完全さの中に投げ込みました。神のことばの中に記される避けることのできない定めはこうです。「神は侮られるようなかたではありません。なんであれ,人は自分のまいているもの,それをまた刈り取ることになるのです。自分の肉のためにまいている者は自分の肉から腐敗を刈り取り,霊のためにまいている者は霊から永遠の命を刈り取ることになるからです」。(ガラテア 6:7,8)人類の父祖アダムは,霊的な関心事よりも肉の欲望を優先させました。今日,世界的な物質主義の波が,神の導きや霊的な物事に対する人々の関心をほとんど押し流してしまっているのと同じです。アダムは不完全さと腐敗を刈り取り,それが子孫に伝わることを避けられません。神の霊感のことばはローマ 5章12節でこう述べています。「それゆえ,ひとりの人を通して罪が世に入り,罪を通して死が入り,こうして死が,すべての人が罪を犯したがゆえにすべての人に広がった」。
今日,不道徳な行為を自ら行なって性病になり,あるいは麻薬中毒の結果染色体を損傷する人は障害を持つ子どもを生み出すことになります。その人が子孫にもたらす苦しみに配慮を払わなかったからといって,そのゆえに神を責めることはできません。同じように,わたしたちの最初の父親の配慮の不足とその結果を神のせいにすることはできません。霊感を受けた記述者は,責任がどこにあるかを示してこう述べています。「見よ! ただわたしはこのことを見いだした。まことの神は人を方正な者に造られたが,人は自ら多くの計画を探り出した」― 伝道 7:29,新。
しかし,人類の苦悩の始まりについて神に責任はないとはいえ,なぜ神はそれを今までに終わらせなかったのですか。今日に至るまで待ってこられたその理由は,配慮のない態度の表われではなく,人類の永遠の益に対する真の配慮の表われです。その理由とは何ですか。
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長い期間,しかし必要以上に長いわけではない目ざめよ! 1975 | 1月8日
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長い期間,しかし必要以上に長いわけではない
人類が神から独立して歩み始めて以来約6,000年経過しました。その何千年という年月の間に多数の人々が,戦争,飢きん,犯罪,不正行為などのためにどれほどの苦しみを味わってきたかは,想像することさえ困難です。
人類のたどってきた道が聖書に示されている神のご意志に反するものであることを認めるとしても,次の質問は残ります。なぜ神は問題をこんなにも長い間放置していたのか。人間の苦しみを終わらせるためになぜもっと早く手を下さなかったのか。神の意志を行なおうとする人々までがほかの人々とともに苦しむのをなぜ許したのか。それには非常に重要な理由があります。
解決しなければならない問題
その理由というのは,解決しなければならない一つの問題が生じていたということです。エホバ神の宇宙家族の中で生じた反逆は,神の支配の正しさと正当性に疑問を投げかけました。人類は,あるいは神の霊の子たちさえ,そのようにして独立することに幸福を見いだし,また成功することができるでしょうか。そのほうが実際に幸福になれるでしょうか。それとも時がたつうちにその道は災いの多い,惨めな失敗の道であり,神の道は,平和と安全と幸福への正しい,最もすぐれた,そして唯一の道であることが証明されるでしょうか。
そうした質問に対して,もっともな疑問をさしはさむ余地の全くない答えを出すには,幾日とか幾年とかいう期間ではなく,幾世代もかかります。しかしどれほどの時間がかかろうと,その問題は解決するだけの価値があります。というのは,そのことには全宇宙とその将来の平和と良い秩序とが関係しているからです。
この問題を解決するために神が許されている期間はまた,理知のある人間すべてに,この問題のどちらの側につくかを明確にする機会を与えます。神の側につく人々は,神のおつくりになった人間が,あらゆる状況のもとで,不当な迫害や死に直面するときでさえ,神の支配に対する献身と忠誠をいかに堅く保つことができるかを証明する機会を持ちます。神は,忠実なしもべヨブの場合と同じく,神と義に対する彼らの愛が利己心よりもはるかに強い力を持つことを彼らに示させるのです。―ヨブ 1:7-12。ローマ 5:3-5。
こうして問題は生半可な解決ではなく,余すところなく完全に解決され,将来繰り返される必要は全くなくなります。エホバ神はこれ以下のものは受け付けられません。そのような解決のみが,天地の宇宙家族のための終わりのない平和と安全の道を開くことになるのですから,わたしたちにとってそれは喜ぶべきことです。証拠は,時がしだいに縮まって,神が決定的に手を下される時が近いことを示しています。神が今まで時を許されたことからどんな結果が得られましたか。またどんなことが証明されましたか。
人類が独立の道を歩んだ結果は今歴然としている
人類はこれまでに,神を離れてこの地球を支配し管理する点で何ができるかを示す十分の機会を持ちました。なるほどいくつかの政府は,「われらは神を信ず」という表現を用いますし,個々の人の中にも危機に直面すると,「神よ助け給え」と叫ぶ人がたくさんいます。しかし現実に人類全体としては神のことばに少しも注意を払わず,神のご意志を知ろうという気持ちがありません。昔のイスラエル国民の場合と同じく,神は「かれらが心のかたくななるにまかせ彼らがその任意にゆくにまかせ」られました。(詩 81:12)それはどんな結果になりましたか。
人間は,とくに過去半世紀の間に,以前は想像もしなかった事を行ないました。月の上を歩き,通信網を地球全体に張りめぐらし,巨大な工場,巨大な飛行機,巨大な船舶を作り,原子力を開発し,一秒の何分の一かで複雑な計算をする驚くべきコンピューターを考案しました。しかしそのことは,人類の救済という面でいったいどんな意味をもっていますか。人類は今日,より良い食物を食べ,より良い家に住み,より安全でより幸福ですか。
食糧はどうですか。国連食糧農業機関の報告によると,「1974年における世界の状態は,第二次世界大戦による荒廃以後のどの年よりも困難であり不確実」です。簡単に言えば,今日地球上で,四人に一人は,ひどい栄養失調にかかっているということです。これは成功と言えるでしょうか。
ではもっと豊かな,工業化された国々はどうでしょうか。アメリカにおける最近の一ニュース記事は次のように答えます。「悲しい,そしてまた不幸なことではあるが,飢えと貧困と栄養失調をなくするためのわれわれの努力は,過去数年にわたり後退しているのが実状である」― 1974年6月20日付ニューヨーク・タイムズ,1,17ページ。
人間は地を「征服」したことを誇ります。しかしスウェーデンの科学者ゲオーグ・ボーグストロムはこう言っています。「人間が地球の表面に及ぼす影響は実に大きなものがある。……しかし人間は,新しくかんがいした土地よりも広い土地を砂漠にしてしまった。また地球の覆いである世界の森林の半分以上を切り倒し,広大な土地を裸にして水や風などの破壊力にさらし,土地を酷使することによって,自分たちが表土を強化しあるいは新しくつくり出した土地より何倍も広い土地の表土を損ってしまった」。
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