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    ものみの塔 1962 | 9月1日
    • の家族が12支族となり,それがパレスチナの約束の地で一致したひとつの国民,その父ヤコブすなわちイスラエルの名で呼ばれる国民となる時よりも先を見とおしていました。ヤコブは新しい国民,神の選ばれた民の霊的な国民,霊的なヤコブすなわちイスラエルの時代を見ていたのです。

      17,18 (イ)スラエルの全国民は,どんな礎石の上に建てられましたか。(ロ)これに相当する事柄は,霊的イスラエルの場合,どのように見られますか。

      17 ヤコブは共通の父として,生来のイスラエル国民全体すなわち肉によるイスラエルの,根本的な基礎となりました。ヤコブの12人の息子は12の副の礎石すなわちヤコブを基礎にする12の柱となったのです。この12の支えすなわち柱をもとにして,兄弟関係を持つイスラエル国民全体が形成されました。

      18 同様なことは霊的イスラエル,その成員の一人が後に霊感の下に「神のイスラエル」と呼んだ人々についても言えます。(ガラテヤ 6:16)昔のイスラエル国民がヤコブの神エホバを崇拝する一つの大きな会衆あるいは教会であったのと同様,霊的イスラエルもこの同じ神を崇拝する一つの大きな会衆あるいは教会です。族長ヤコブに相当するのは主イエス・キリストです。それはイエス・キリストが,霊的イスラエルのこの会衆あるいは教会の基礎だからです。イエスは12使徒の一人に「あなたはペテロ〔石〕である。そして,わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう」と言われたとき,そのことを示しました。(マタイ 16:18,新口)御自分の上にこの教会すなわち会衆を建てるにあたって,イエスはヤコブの12人の息子に相当する12使徒を用います。聖書の最後の本の中で,これらは「小羊の十二使徒」と呼ばれており,新しいエルサレムの12の礎石には小羊イエス・キリストの使徒の12の名がしるされていました。しかし新しいエルサレムの12の門には「イスラエルの子らの十二部族」の名が書かれていました。―黙示 21:12-14,新口。

      19 天にあって支配する級を構成するのはだれですか。黙示録 7章4-8節は,この人々のことをどのように描いていますか。

      19 天において支配する級は,栄光の新しいエルサレムによって象徴されています。それは小羊イエス・キリストの,試みを経た忠実な14万4000人の追随者によって構成されます。彼らは神の聖霊によって印せられ,地上における試練の最後の時まで,その印を保ちます。黙示録 7章4-8節において,彼らは霊的イスラエルと呼ばれ,12部族を構成する者として描かれています。これら部族の名前は,族長ヤコブの息子と孫からとられています。黙示録は次に示す一定の順序でその名をあげています,

      わたし,〔使徒ヨハネ〕は印をおされた者の数を聞いたが,イスラエルの子らのすべての部族のうち,印をおされた者は十四万四千人であった。

      (1)ユダの部族のうち,一万二千人が印をおされ,

      (2)ルベンの部族のうち,一万二千人,

      (3)ガドの部族のうち,一万二千人,

      (4)アセルの部族のうち,一万二千人,

      (5)ナフタリの部族のうち,一万二千人,

      (6)マナセの部族のうち,一万二千人,

      (7)シメオンの部族のうち,一万二千人,

      (8)レビの部族のうち,一万二千人,

      (9)イサカルの部族のうち,一万二千人,

      (10)ゼブルンの部族のうち,一万二千人,

      (11)ヨセフの部族のうち,一万二千人,

      (12)ベニヤミンの部族のうち,一万二千人が印をおされた。

      20 部族の名をあげられている順序について,何が注目されますか。しかしどんな数は元のままですか。(ロ)これらの部族の全部について,何に注目すべきですか。そのことは,組織全体にどんな影響を及ぼしますか。

      20 これは,族長ヤコブすなわちイスラエルの息子たちの生まれた順序ではありません。そのうえヤコブの5番目の息子ダンの名前がなくて,その代りにヤコブの孫マナセがはいっています。ダンの部族の歴史に何かあって,そのため,ダンの代りにマナセが用いられるようになったかどうかは,後に論じます。いずれにしても黙示録 7章4-8節には,霊的イスラエルの12部族の数として,12という数が残されています。またその名前はすべてヤコブの11人の息子と,ヨセフによるヤコブの孫の一人の名前です。また各部族から同じ人数がとられていることも注目されます。従って数の上で他の部族よりも大きい部族はなく,霊的イスラエルの組織全体は,ここでも各部族が12という数を強調していて,完全な釣合いを保っていることが描かれています。

      21 預言するに際して,ヤコブは息子の生まれた順序に従っていますか。また息子たち全部を指して何と呼びましたか。

      21 しかし臨終の預言をした時の族長ヤコブは,子供たちがその4人の母すなわちヤコブの最初の妻レアとその仕え女ジルパ,ヤコブの第2の妻ラケルとその仕え女ビルハから生まれた順序に息子の名前をあげていません。全部の息子の父であるヤコブは,その全部を「ヤコブの子ら」と呼び,自分を指して「父イスラエル」と言うことができました。

      22 その時ヤコブが預言したのは,実際にはだれの益のためでしたか。しかし今日,その他にだれが関心を持つべきですか。

      22 ヤコブは12人の息子あるいは「終りの時」におよんでそれらの予影した者たちに起きる事柄を告げるため,彼らを呼び集めました。それは霊的イスラエルの地上における「終りの時」,その14万4000人の成員のわずかに残った者たちが,天にある新しいエルサレムにはいって神の御子,小羊イエス・キリストと共になる前のいまの時代を意味しています。従って3600年以上の昔,ヤコブが12人の息子に語った事柄は,人間の歴史の中でもいちばんすばらしい時代であるいま,地上にいる霊的イスラエルのわずかな残れる者の益のために,述べられたのです。またこれらの者たちは霊的な「アブラハムの裔」の成員であり,地の全国民,全家族はこの裔によって自らを永遠に祝福するゆえに,自らを祝福することを願う全家族,全国民の人々は,いま私たちと共にヤコブの臨終の言葉を調べることに大きな関心を持つはずです。

      ルベン

      23 ヤコブの長子がその名を得たいわれは何でしたか。長子としての彼の地位に関して,いまどんな質問が起きますか。

      23 ヤコブは詩的な類似を用いて語り,彼の最初の,しかし余り愛されなかった妻,シリアの娘レアによってもうけた長子ルベンについて,預言しました。この子の生まれたとき,レアは言いました,「ごらん,男の子です!」そしてこの叫びを子供の名前にしてルベンと名づけたのです。ヤコブの長子であるルベンは,家族内で長子の権を当然に持っていました。従って父ヤコブの遺産の中から2倍の分け前を得る権利があったのです。問題はこうです,いまルベンはこれらの長子の権を受け継ぐでしょうか。族長ヤコブはまた家族のかしらとして,家族全部のためにエホバの祭司を務め,家族の祭壇に犠牲をささげると共に家族を導いて祈り,また宗教的な教えを授けました。ヤコブはまた父として家族全員,僕たち,家畜,財産の支配者でした。これらの特権についてはどうですか。

      24 ヤコブの死後,12の家族はどのように振舞うべきでしたか。ルベンに対するヤコブの言葉は,どんな問題を解決しなければなりませんか。

      24 12人の息子たちは,彼ら全部の父が死ぬと共に,各自の道を進んで12の家族に分裂してしまうべきではなく,一つの民,一つの国民として結合するべきでした。しかし今度だれがこの民すなわち会衆のために祭司をつとめるべきですか。だれが支配の地位につくべきですか。普通には長子のものである,このような特権は,神の御霊の霊感によってルベンに与えられましたか。そこで私たちは,ヤコブの12人の息子が耳を傾けた時と少なくとも同じ関心をもってヤコブの言葉を聞きます,

      「ルベンよ,あなたはわが長子,わが勢い,わが力のはじめ,威光のすぐれた者,権力のすぐれた者。しかし,沸き立つ水のようだから,もはや,すぐれた者ではあり得ない。あなたは父の床に上って汚した。ああ,あなたはわが寝床に上った」。―創世 49:3,4,新口。

      25,26 (イ)ヤコブはどんな表現を用いて,ルベンが長子であることを強調しましたか。ルベンは何にふさわしいことを,証明すべきでしたか。(ロ)「威光のすぐれた者」という表現は,何を意味しますか。「権力のすぐれた者」という表現は?

      25 最初の妻レアと結婚した日の夜まで,ヤコブは性関係を結びませんでした。ヤコブはそのとき(西暦前1774年)84歳でしたが,子供を身ごもらせる力はそれまでにおとろえていませんでした。その最後の男子が生まれたのは,13年以上も後のことです。それでヤコブはルベンに向かって「わが勢い,わが力のはじめ」と言うことができました。ルベンは,兄弟たちよりも2倍の遺産を相続するにふさわしい,家族の中でいちばん良い息子であるべきでした。(申命 21:17)彼があらゆる点で,兄弟たちにまさっていなければならないのは当然です。

      26 ルベンは当然に「威光のすぐれた者,権力のすぐれた者」となるはずでした。「威光のすぐれた者」という表現は,国民の祭司の職を指したもののようです。祭司の職につく者は,ルベンの族の男子であるはずでした。「権力のすぐれた者」という表現は,この国民が王国になった時,支配者すなわち王となる権を表わしていたのかも知れません。エホバ神の祭司となる栄光はルベンのものになるはずであり,支配者の権または王国の権はルベンの肩に置かれるはずでした。ヤコブはこの事について,何を預言しましたか。ヤコブの預言は真実になりましたか。

      27 ルベンを失格させるどんなことを,ヤコブは思い起こしましたか。

      27 ヤコブは,この三つの特権のすべて,長子,祭司職,支配権の点でルベンに影響を及ぼし,ルベンを失格させる事柄を思い起こしました。ルベンはその父の面目を汚したのです。彼の父の妾,ヤコブの愛した妻ラケルの仕え女ビルハと近親相姦の不品行をしました。それは愛されたラケルがベニヤミンを生んだのち,死んで間もなくのことでした。長子ルベンが仕え女ビルハを犯したのは,ビルハがラケルに代ってヤコブの愛を得,ルベンの母レアよりも寵愛されるのを防ぐためであったか,それともビルハに対して色情を抱いたためであったかは,聖書の記録中に説明されていません。聖書は単に次のことを述べています,「イスラエルがその地に住んでいた時,ルベンは父のそばめビルハのところへ行って,これと寝た。イスラエルはこれを聞いた」。聖書のギリシャ語聖書七十人訳は次の言葉を加えています,「そして彼はそれを悪と見た」。―創世 35:22,新口。七十人訳(トムソン)。

      28 (イ)ルベンの罪は何時その身に及び,どんな結果をもたらしましたか。(ロ)ルベンはどんな行いをしましたか。しかしどのように行なうべきでしたか。

      28 父ヤコブに対し,また異母兄弟のダンとナフタリの母に対してこの大きな罪を犯した時に,長子のルベンは勘当されず,追い出されませんでした。しかし約50年を経たいま遂にルベンの罪はその身に及び,彼を捕えたのです。(民数 32:6,23)死ぬ間ぎわの父親は,霊感を受けてルベンの悪行の報いを彼に告げます。ヤコブは言いました,「あなたは……すぐれた者ではあり得ない」。このようにしてルベンは「威光のすぐれた者,権力のすぐれた者」で長なくなり,父の遺産の中から2倍を相続する子の権を奪われてしまいます。なぜですか。彼は「沸き立つ水のよう」に振舞ったからです。彼は水のように定まりがなく,あるいはダムにほとばしり出る水か谷間の急流のように激しく無鉄砲な者であることをあらわしました。結果を意に介しない,無謀な放縦は,すぐれる事とは相容れません。ルベンは自分をおさえるべきでした。彼は父の威厳に対し,父の妾ビルハの二人の息子の名誉に対して,子の尊敬を示すべきでした。

      29,30 (イ)のちにギリシャ,コリントの会衆で起きたどんな出来事が,ルベンの行いに類似していますか。(ロ)ルベンの不道徳な行いのために,だれが難をうけましたか。どのように?

      29 ルベンは自分の父の婚姻の床を汚しました。これはずっと後にギリシャ,コリントのクリスチャン会衆にあった出来事と似ています。その場合,父の妻をとって性関係を結んだ,クリスチャンと唱える人を,使徒パウロは排斥しました。(コリント前 5:1-13)ルベンに面と向かってその恥ずべき行いをそれ以上告げるのはいやな事であると考えたヤコブは,長子ルベンに対する預言的な裁きの言葉を次のように結んでいます,「あなたはわが寝床に上った」。ルベンの不道徳な行いのために,その息子たち,その支族全部が影響を受けました。そのことは歴代志略上 5章1,2節(新口)にしるされています。

      30 「イスラエルの長子ルベンの子らは次のとおりである。―ルベンは長子であったが父の床を汚したので,長子の権はイスラエルの子ヨセフの子らに与えられた。それで長子の権による系図にしるされていない。またユダは兄弟たちにまさる者となり,その中から君たる者がでたが長子の権はヨセフのものとなったのである」。

      31,32 (イ)どのように,ルベンの子孫はイスラエルの中ですぐれた者となりませんでしたか。(ロ)士師バラクの時代に,彼らの行いはどのようでしたか。北のイスラエルがアッスリヤに捕われた時には?

      31 ルベンは,長子としての生れながらの地位を名誉あるものに保たなかったため,イスラエル国民の中で監督者となる特権を失いました。ルベンの子孫の中で,イスラエルの裁き人,預言者,指導者となった者はいません。西暦前15世紀に,イスラエルの12支族が約束の地に定住したとき,ルベンは死海およびヨルダン川の東に割当の領地を得ました。後に圧制者,カナン人のヤビン王とその将軍シセラの手から土地を解放するために,「メギドの水」のほとりで戦いが行なわれた時,ルベンの族の者は裁き人バラクと女預言者デボラに加勢しませんでした。従ってバラクとデボラは,その勝利の歌の中でルベンの族の不参加をとりあげて,次のように歌いました,「ルベンの氏族は大いに思案した。ギレアデ〔ルベンのかたわらにある〕はヨルダンの向こうにとどまっていた」。―士師 5:15,17,新口。

      32 何世紀も後になって,北のイスラエルの国がアッスリヤに捕われたとき,まっさきに連れていかれた人々の中には,ルベンの子孫がいました。(歴代上 5:26)たしかにルベンの氏族は,イスラエルの仲間の支族にくらべてすぐれていませんでした。

      33 神の御国の下における土地の配分を示すエゼキエルの幻の中で,ルベンの支族はどんな場所を与えられてますか。

      33 新しい世の神の御国の下における土地の配分を示す,エゼキエルの幻中の土地の配分に従えば,ルベンの分は,エホバの宮,エホバ-シャンマの町,君たる者の分の位置する「聖なる献納地」に隣接していません。聖なる献納地のすぐ北にはユダがおかれ,ルベンはそのまた北に位置しています。―エゼキエル 48:6-22。

      34 従って14万4000人が印せられたことを示す幻に関しては,何が不思議ではありませんか。しかしこれによって,その成員は何を心に留めますか。

      34 従って霊的イスラエルの12支族が印せられるのを見た,使徒ヨハネの幻の中で,ルベンの支族が真先にあげられておらず,2番目すなわちユダの支族の次にあげられているのも不思議ではありません。(黙示 7:5。528頁を見なさい)このようにして14万4000人の霊的イスラエル人の成員は,ルベンがエホバ神の選民の間の監督として正しい模範を示さなかったために,貴重な特権をどのように失ったかを知らされているのです。

      35 ルベンのしたような無思慮で放縦な行いは,霊的イスラエルにどんな結果をもたらしますか。このことはコリントの不道徳なクリスチャンの場合に,どう示されましたか。

      35 霊的イスラエルの,献身して洗礼を受けたどの成員も,放縦な行いに走って不安定なことを示し,姦怪または淫行に陥るならば,必ず恵みを失います。不品行を真実に悔い改めることはあっても,その汚れた記録を消し去ることはできません。それは神の群れに対して悪い手本となりました。父の婚姻の床を汚した,あのコリント会衆の人のように排斥され,悔改めに導く敬虔な憂いのゆえに,後で復帰を許されるかも知れません。しかし排斥されてのち,あのコリントの人は,良い手本となるべき,クリスチャン会衆の監督の地位につく資格を得ませんでした。(コリント後 7:9,10; 2:6-11)その人は,監督にふさわしく非の打ちどころのない,神の群れにとって健全な手本となる人ではありません。(テモテ前 3:1-4。テトス 1:5-9)ルベンの支族に似て,その人は霊的イスラエルの中で指導的な立場をとるにふさわしくない者です。

      36 (イ)14万4000人の全部は,どんな位を持つ会衆の中にいますか。(ロ)霊的イスラエルの中にルベンの支族がいますが,14万4000人は何につけこんではなりませんか。それはなぜですか?

      36 従ってルベンの父が死の間ぎわに彼をいやしめるために下した裁きに照らして見るとき,彼の例は,14万4000人の霊的イスラエルのいまなお地上に残る少数の者に対して,厳しゅくな警告となっています。14万4000人の全部は,「天に登録されている長子たちの教会」を構成し,何時でもそれにふさわしく行動しなければなりません。(ヘブル 12:23,新口)しかしルベンのように,結果を考えない無謀な行いをして,そのため地上におけるクリスチャン会衆内の特別な特権を失い,取り返しのつかない事をする者が出るかも知れません。ただ神のあわれみにより,また霊的ないやしを受け入れたことによって,永久に捨てられ,霊的イスラエルの外に出されるのを免れるだけです。神の愛の御親切によって,霊的イスラエルの中にもルベンの支族がいます。私たちはそのことに感謝できます。しかし神のあわれみをよいことにして,危険をおかすような事をしてはなりません。ルベンはした事の報いを受けました。私たちとても同様です!

      シメオンとレビ

      37,38 (イ)どの程度まで,シメオンとレビは兄弟でしたか。それぞれの名前は何を意味しますか。(ロ)ヤコブの臨終の言葉によれば,二人の兄弟は何をすることに力を合わせましたか。

      37 長子に対する言葉を終えたヤコブは,次男のシメオンと三男のレビに注意を向けました。この二人とも,最初の妻レアの子供です。臨終のヤコブはヘブル語の詩の文体を用いて預言し,次のように述べました,

      「シメオンとレビとは兄弟。彼らのつるぎは暴虐の武器。わが魂よ,彼らの会議に臨むな。わが栄えよ,彼らのつどいに連なるな。彼らは怒りに任せて人を殺し,ほしいままに雄牛の足の筋を切った。彼らの怒りは,激しいゆえにのろわれ,彼らの憤りは,はなはだしいゆえにのろわれる。わたしは彼らをヤコブのうちに分け,イスラエルのうちに散らそう」― 創世 49:5-7,新口。

      38 これら二人の兄弟は,悪事をするために力を合わせました。シメオンの名は「聞いてもらえる」つまり是認されることを表わし,レビの名は「加わった,つき従う」を意味します。

      39,40 (イ)どんな特別な事態が起きたとき,シメオンとレビは,人殺しの武器として暴力の道具を使いましたか。(ロ)この事について父の述べた言葉に対し,二人は何と答えましたか。

      39 彼らが暴虐の武器をとって人を殺したのは,妹デナが辱められた特別な場合に,自分たちが勝手に報復の行いに出た時のことでした。これはいちばん上の兄ルベンが,父の妾ビルハをおかす前のことです。族長ヤコブが約束の地のシケムの町の近くに天幕を張った時,処女のデナがおかされました。その町の君主ヒビ人の子がそのことをしたのです。デナの兄弟たちは,復しゅうしようと計りました。デナと結婚するため,おかした者はイスラエル人のように割礼を受けなければならないと主張して,彼らはシケムの男子全部に割礼を受けさせました。割礼の三日目になって,割礼を受けた人々が痛みのため,ほとんど動けないでいるとき,シメオンとレビは行動を起こしました。

      40 「ヤコブのふたりの子,すなわちデナの兄弟シメオンとレビとは,おのおのつるぎを取って,不意に町を襲い,男子をことごとく殺し,またつるぎの刃にかけてハモル〔君主〕とその子シケムとを殺し,シケムの家からデナを連れ出した」。そのあと,ヤコブの他の子たちが町をかすめ,女と子供をとりこにしたのです。それは「彼らが妹を汚したから」でした。ヤコブはこの事に少しも共鳴せず,シメオンとレビを叱りました。それに対して二人は答えました,「わたしたちの妹を遊女のように彼が扱ってよいのですか」。―創世 33:18–34:31,新口。

      41 ヨセフが17歳のとき,この二人は何をしようとはかりましたか。父親は事の真相を何時知りましたか。

      41 何年かのち,その異母兄弟のヨセフが17歳になったとき,シメオンとレビは,ヨセフが父の寵愛を受けているのをねたんでヨセフを殺そうとしました。兄のルベンと,シメオン,レビのすぐ下の弟ユダは,ヨセフを殺すことを望まず,下の兄弟たち,ヤコブの二人の妾の子はヨセフに対して友好的であり,寛大でした。そのまた下のイサカルとゼブルンは,何も口出しできなかったのです。従ってヨセフが彼らの様子を見るためにドタンの町の近くに来たとき,「これを殺そうと計」った張本人は,明らかにシメオンとレビでした。彼らはユダのすすめをいれてヨセフを殺すことをやめましたが,ルベンが戻って来た時は,彼らがヨセフをエジプトへ奴隷として売ってしまった後でした。(創世 37:2-36,新口)時を経て,ヨセフは生きているばかりか,エジプトの総理大臣になっていることが分かったとき,ヤコブは自分の息子が突然にいなくなった訳を知りました。おそらくヤコブは,シメオンとレビの「暴虐の武器」のことを語ったとき,そのことを考えていたのです。

      42 暴虐の武器を使わなかったとすれば,シメオン次にレビは,どんな地位を得たかも知れませんか。

      42 たしかにヨセフは父の愛した妻ラケルの長子でしたが,ヤコブの11番目の息子であり,シメオン,レビよりも何年も後に生まれました。ゆえに父の同意を得ずにシケムの町の人々を殺して報復したことがなければ,二人はルベンがそれを失ってのち,指導者の地位を得たかも知れません。シメオンにまずその機会があり,レビの機会はそれに次ぐものでした。しかし臨終の床のヤコブが二人に与えた裁きの言葉からはっきり分かるように,二人ともその機会を失いました。

      43 ヤコブはその生涯の最後の日になって,自分が彼らの罪に対して共同の責任を持たず,またそれを望まないことを,どのように示しましたか。

      43 このようにヤコブはその生涯の最後の日に,シケムの町に対して行なわれた暴力行為との関係を絶ち切りました。娘のデナがおかされたといっても,その行為は正しいものではありません。エジプトで死ぬ間ぎわにあったヤコブの魂は,シメオンとレビのこのような罪にかかり合うことを望まなかったのです。ヤコブの気性自体,そのように極端な暴力をふるう者と仲間になることを許しませんでした。生涯を終える前に,ヤコブはその流血の行いに対して共同の責任がないことを言明しました。シメオンとレビは怒りにかられて,父親に相談せず勝手にこのような報復の行いに出ました。二人は,ヤコブをカナン全土で忌みきらわれる者にしました。

      44 ヤコブは何をのろいましたか。またシメオンとレビの将来の見込みに関しては,何を決意していましたか。

      44 しかし約50年たったいま,臨終のヤコブは,シメオンとレビ自身を呪ったのではありません。「激しいゆえに」のろわれたのは,二人の怒りでした。彼らの憤りは「はなはだしいゆえに」のろわれました。ヤコブは自分の息子の場合,そして自分の娘のためにそそがれたのであっても,それを是認できなかったのです。ヤコブは二人を許しましたが,彼らの身に及んだ結果を変えませんでした。それで二人とも指導的な地位あるいは支配者に任命されませんでした。ヤコブは彼らとその支族をイスラエルの中の除け者にしませんでした。しかし二人が一緒になって残虐な怒りにまかせ,憤りにかられて事をしないように,二人をひき離さねばなりません。霊感の預言的な言葉によって,ヤコブは,神が彼とその子孫に約束した土地の中に二人の場所を与えました。239年後に彼らはその土地にはいりましたが,その土地は隣り合っていないことを,ヤコブは預言したのです。

      45 ヤコブの決意と一致して,シメオンとレビはイスラエルの中でどんな地位を与えられましたか。

      45 預言的に,また約束の地の相続者として,ヤコブはシメオンとレビに「ヤコブのうちに」分け前を与えましたが,そのいずれも,まるのまま,すなわちまとまったものではありません。ヤコブは二人の兄弟を離れ離れにしました。それでシメオンとレビは互いに離れていただけでなく,各自は自分の中で分かれていました。ヨルダン川を渡って約束の地にはいろうとしていたイスラエルの支族を祝福した預言者モーセは,シメオンの名前すらあげていません。(申命 33:16-23)シメオンの支族は,ユダの支族に分け与えられた大きな土地のここかしこに散在していました。ユダの領土に囲まれたこれらの土地の中で,国の首都になったエルサレムの町に隣接したものはありませんでした。あやまって人を殺した人が逃れる逃れの町とするため,支族がそれぞれの領地の中から町を選んでレビの祭司に与えたとき,シメオンの支族は町を与えませんでした。祭司を含むすべてのレビ人に48の町が割り当てられたとき,ユダ,シメオン,ベニヤミンの支族が与えた町は13に過ぎませんでした。従ってシメオンの支族の町に住んだレビ人は,ごくわずかであったに違いありません。―ヨシュア 20:7-9; 19:1-9; 21:3,4。

      46 モーセに対する神の指示により,レビ人はどんな特権と名誉を得ましたか。これにより,彼らはどのように再び集まって働くことができましたか。

      46 ヤコブの預言によるのではなく,後にレビ人の預言者モーセに与えられたエホバの指図によって,レビの支族はエホバの崇拝の宮で仕え,祭司となる特権と名誉を与えられました。従ってレビ人は約束の地において相続を得ませんでした。エホバ神が実際には彼らの相続であったからです。レビの支族に与えられたと考えられる約束の地の部分は,ヨセフの子の一人の支族に与えられ,従ってイスラエル全国民の中には,やはり12の支族の領地がありました。これら12支族の全部が,エホバの宮で仕えていないレビ人の住むために全部で48の町を献納しました。それでレビの支族はシメオンの支族よりも甚しく,つまりイスラエルの土地全体に散らされました。エホバの宮においてのみ,レビ人はみな再び一緒になりました。それはエホバのお定めになった祭りとあがないの日に,エホバの奉仕において良いわざを行なうためです。シメオンとレビに対して「彼らを……イスラエルのうちに散らそう」と告げたヤコブの言葉の真実は,何とすばらしく確証されたのでしょう!

      47,48 (イ)シメオンとレビに関して,この事の真実は,土地の配分を示すエゼキエルの幻の中でもどのように示されましたか。(ロ)二人の兄弟がこのように何時までも分けられたことは,何を強調していますか。

      47 来るべき神の御国の下での土地の分配を示すエゼキエルの幻の中でも,その事の真実は示されました。レビの支族の成員は,エホバの聖所のまわりにある「聖なる献納地」の中に位置し,シメオンの支族は聖なる献納地の南すなわち聖なる献納地の南に境を接するベニヤミンの支族のすぐ下にあって,分けられています。(エゼキエル 48:8-14,22,24)このようにシメオンは土地の政府と直接に接していませんでした。そして政府の位置するところ,エホバ-シャンマ(「エホバ御自身がそこにいます」の意)と呼ばれる町を示すエゼキエルの幻の中で,シメオンとレビの門は並んでおらず,シメオンの門は第7番目で南側にあるのに,レビの門は3番目で北側にあります。―エゼキエル 48:31,33。531頁を見なさい。

      48 シメオンとレビがこのように何時までも分けられていることは,兄弟または他の者が怒りにかられてなす暴虐また残酷な行いを,神が是認し給わないことを強調しています。

      49 祭司ピネハスは,この事実を認識していることをどのように示しましたか。また自分が何にふさわしいことを示しましたか。

      49 レビ族の祭司ピネハスは,ヨルダン川をへだてて約束の地の対岸にあるモアブの平野で彼のとった行動により,この事実に対する認識を示しました。イスラエル人がモアブの女と偶像崇拝と淫行の行いを始めたとき,シメオン人のつかさジムリは厚かましくも異教の淫行の女,ミデアン人の王女コズビを連れてイスラエル人の間を通り,自分の天幕にはいって性の快楽にふけろうとしました。レビ人のピネハスは,それがシメオン人の行いであるために,黙って見逃しましたか。レビがシメオンと一緒になってのろわれた行いをしたように,ジムリと協力しましたか。そうではありません! ピネハスは槍をとってジムリの天幕に走り入り,ジムリと異教の女友だちの両方を殺しました。神の崇拝に関して敵対者を許さない熱心のために,ピネハスは神の祝福を得ました。彼はレビ人として祭司の職にふさわしいことを示したのです。―民数 25:1-15。

      50,51 (イ)霊的イスラエルの中にレビの支族がいることは,その支族にとって何を意味しませんか。そしてなぜ?(ロ)シメオンとレビに対するヤコブの預言は,何を思い起こさせますか。霊的イスラエルの成員のある者は,この点においてどのように罪を犯したかも知れませんか。

      50 霊的イスラエルの12支族の構成の中で,シメオンは7番目,レビは8番目に位置しています。(528頁を見なさい)ひとつの族がレビと名づけられているこの事実は,この族の1万2000人が,霊的イスラエル全部のために祭司職をつとめるという意味ではありません。そうではなくて,14万4000人の全部が祭司です。14万4000人の全部について次のようにしるされています,「彼らは神とキリストとの祭司となり,キリストと共に千年の間,支配する」。(黙示 20:6,新口)従ってレビの名前を見るとき,祭司職以外のものを考えなければなりません。シメオンについても同様です。

      51 シメオンとレビに関して,ヤコブの臨終の預言が思い起こさせるのは,残酷な怒り,激しい憤りのはけ口にするため,殺人の武器として暴力の具を使うことにのろいがあるという事です。霊的なシメオン,レビの支族を構成する人々のある者は,仲間の人間を殺すこの世の戦争あるいは個人的な復しゅうや家名の擁護のために,怒りに燃えてこのような武器を使ったことがあるかも知れません。しかし霊的イスラエルの成員となったいま,彼らは「敵意,争い,そねみ,怒り,党派心,分裂」が「肉の働き」であり,神の「御霊の実」ではないことを知って,このような,のろわれた行いを捨て去ります。―ガラテヤ 5:19-22,新口。

      52,53 (イ)まだ地上にいる霊的イスラエルの残れる者は,暴力の道具に対して何をしましたか。(ロ)どの支族の人々を一緒にしても安全ですか。そしてなぜ?

      52 いまから1900年前,新しいエルサレムの基礎石となる12の使徒がまだ地上にあったとき,クリスチャンがイザヤ書 2章4節の預言的な言葉を自分たちに適用したのは,証拠もあり確かなことです。今日の国際連合はこの言葉を勝手に自分に適用しています。今日においても,霊的なシメオンまたレビの支族に属するかも知れない地上の人々,事実,霊的イスラエルの12支族全部のうち,地上に残るわずかな人々は,暴力と殺人の武器を使うことを拒み,次のように述べるイザヤ書 2章4節(新口)にふさわしく生きることに努めます。「こうして彼らはそのつるぎを打ちかえて,すきとし,そのやりを打ちかえて,かまとし,国は国にむかって,つるぎをあげず,彼らはもはや戦いのことを学ばない」。このようにして,霊的なシメオンとレビの支族に属する者は,人格を変えました。霊的イスラエルにおいて彼らは互いに隣同志ですが,彼らが一緒に働いても安心です。彼らはいまロマ書 12章17-19節(新世)に従うからです。

      53 「悪をもって悪に報いてはならない……愛する者たちよ。自分で復しゅうをしないで,神の怒りに任せなさい。なぜなら『復しゅうは私のものである。私は報いようとエホバは言う』と書かれているからである」。

      ユダ

      54 ユダがヤコブの叱責を期待していたかも知れないのは,なぜですか。しかしその行いはどんな結果となって,ユダは非難をこうむりませんでしたか。

      54 死ぬ間ぎわのヤコブが当然のこととして次に注意を向けたのは,その最初の妻レアによってもうけた4番目の息子ユダでした。ユダもまた叱責を期待していたかも知れません。ユダはそれと知らずして,以前の義理の娘タマルと関係を持ったからです。しかしユダは遊び女すなわち宮の売春婦と姦淫するかわりに,巧みな欺きに乗せられて,自分の怠っていたこと,すなわちやもめタマルに対するレビレート<死んだ夫の兄弟>結婚を行なうことになったのです。従ってこの場合,ユダはその息子で,タマルの亡夫エルの弟であるシラの代りをつとめたことになりました。それでタマルの生んだユダのふた子の息子は姦淫の子ではなく,聖書もその二人を不名誉な者として述べていません。事実その一人は,イエス・キリストの先祖となりました。キリストの先祖の一人であるボアズがルツを妻に迎えたとき,人々はボアズにこう言いました,「ねがはくはヱホバがこの若き婦〔ルツ〕よりして汝にたまはんところの子によりて汝の家かのタマルがユダに生たるペレヅの家のごとくなるにいたれ」―ルツ 4:12。創世 38:6-30。

      55 ヤコブはユダについて,疑いなく何を覚えていましたか。またユダに対して述べたことにより,ヤコブはイスラエルに関するどんな問題を解決しましたか。

      55 ゆえに死の床のヤコブが,この事柄を持ち出してユダの不利をはかる理由はひとつもありませんでした。疑いなくヤコブは,ヨセフを殺そうとした兄弟たちにユダが反対したこと,また自分がベニヤミンの身代りとしてエジプトの奴隷になることを申し出,ヨセフの兄弟ベニヤミンの生命と自由を守ろうとしたユダの崇高な行いを,覚えていました。(創世 37:26; 43:8-10; 44:18-34)そこでヘブル語の詩の文体を用いて語ったヤコブは,次のように述べてイスラエルの将来の支配者の問題を解決しています,

      「ユダよ,兄弟たちはあなたをほめる。あなたの手は敵のくびを押え,父の子らはあなたの前に身をかがめるであろう。ユダは,ししの子。わが子よ,あなたは獲物をもって上って来る。彼は雄じしのようにうずくまり,雌じしのように身を伏せる。だれがこれを起すことができよう。つえはユダを離れず。立法者のつえはその足の間を離れることなく,シロの来る時までに及ぶであろう。もろもろの民は彼に従う。彼はそのろばの子をぶどうの木につなぎその雌ろばの子を良きぶどうの木につなぐ。彼はその衣服をぶどう酒で洗い,その着物をぶどうの汁で洗うであろう。その目はぶどう酒によって赤く。その歯は乳によって白い」。―創世 49:8-12,新口

      56 ユダの名前は何を意味しますか。ヤコブはどのようにそれをユダに適用し,同時にその兄弟また敵と対照させましたか。

      56 レアはこの4番目の息子が生まれたとき,エホバを賛美してほめたたえ,子をユダと名づけました。ユダの名は「ほめたたえられた,称揚された〔もの〕」を意味します。(創世 29:35)ヤコブはその名が意義を持つようにしました。そして死の床にあって,その名を持つ者ユダにもこの意義を適用しました。ユダの11人の兄弟は,その資質,国のためにつくすその働きのゆえにユダをほめるでしょう。もちろんユダの敵は彼をほめません。少なくとも進んでそうはしないでしょう。ユダの手は敵の首をおさえるからです。ユダは戦いに勝利をおさめ,敵を逃げ走らせ,あるいは従わせます。

      57,58 (イ)ユダの兄弟たちは,どのようにユダの前に身をかがめることになりますか。そしてなぜ?(ロ)カナンの土地の征服に至るまで,ユダの支族にはどのよう指導的な地位が与えられましたか。

      57 その兄弟がどのようにユダをほめるかと言えば,言葉だけでなく,ユダに対する行いによってもそうします。ユダの11人の兄弟はみなその父の子でしたが,彼の母レアの息子は彼自身を除いて5人に過ぎません。長子のルベンではなく,ユダに対して,兄弟は身をかがめるのです。これは兄弟たちが,上にある者,支配者としてユダを認めることを意味しました。その特定の時にユダとその兄弟たちは,自分たちの住んでいたエジプトの総理大臣であるヨセフの前に身をかがめました。しかしイスラエルの12支族内部の事柄については,ヨセフをも含めて兄弟たちはユダに身をかがめるのです。もちろんこれはユダの支族に対して言われた言葉であり,この国民の従うべき支配者がユダから出るという預言でした。

      58 後になって歴代志略上 5章2節(新口)はこの事を次のようによく述べています,「またユダは兄弟たちにまさる者となり,その中から君たる者がでたが長子の権はヨセフのものとなったのである」。ヨセフの死後,エジプトの奴隷となったイスラエルの12支族をエホバ神が救われたとき,荒野を旅してカナンの約束の地にはいる行進の先頭に立ったのは,この聖句の通りユダの支族でした。(民数 2:3; 10:12-14)約束の地をうかがって報告をもたらすため,まず12人の間者が遣わされたとき,生き延びて約束の地に再びはいることのできた二人の忠実な間者の一人カレブは,ユダの生み出した者でした。このカレブは,ユダの支族に割り当てられた土地を平定するのにあずかって力がありました。(民数 13:6,30; 14:6-10,38。ヨシュア 15:13-20; 14:6-14)征服した地を分けて人々が土地を得たとき,ユダは最初に与えられました。(ヨシュア 15:1)土地を征服してそれを得るにあたり,エホバ神はユダの支族が先に立って攻めるべきことを定めました。(士師 1:1-8)当時ユダの支族のつかさはサルマでした。この人はダビデの曾祖父の父になった人です。(歴代上 2:10,11。ルツ 4:20-22。マタイ 1:5,6)約束の地においてユダの領地は,死海の西岸の全域に及び,西にのびて地中海に達していました。

      59 ユダの支族は,どのようにししの子のようでしたか。

      59 それでユダの族は,森の獣の中のししにも似ていました。(ミカ 5:8)「ユダは,ししの子」と言った族長ヤコブの言葉は,全く適切でした。イスラエルの国民の永遠の王統すなわち王の家族は,ユダの支族から出ました。ダビデはこの王統のかしらとなりました。エホバ神はダビデと契約を結び,永遠の王権がダビデの家に属することをお定めになったからです。はじめベニヤミンの支族から出たサウロ王がイスラエル全部を治めたとき,そして巨人を殺したダビデがサウロ王の軍隊の一人の将であったとき,ユダの支族はししの子のようであったかも知れません。しかしサウロが意識的に不従順となったので,神はイスラエルを治める王がもはやサウロの家から出ないことを定め,従って西暦前1070年,サウロの子イシボセテ王の死後,イスラエルの12支族は,ユダの族のダビデを王にしました。

      60,61 (イ)ダビデはどのようにその支族の名にふさわしく振舞いましたか。ダビデはイエス・キリストとどんな関係にありましたか。(ロ)私たち読者は,ヤコブの預言のこれ以上の説明を何にまたなければなりませんか。

      60 このようにして,ユダの兄弟たちがユダをたたえ,その前に身をかがめるというヤコブの預言は,大規模に成就しました。(サムエル後 4:5–5:5)ユダの支族から出たこの国の指導者ダビデは,まず大抵の場合ほめられるべき振舞をしました。ダビデは,すべての国民が一致して従うとヤコブが預言した,来るべき王を預言的に表わす人となりました。事実,ダビデはこの預言された者,イエス・キリストの有名な先祖となり,イエス・キリストはイスラエルの支配者となる権をダビデ王から受け継いだのです。―ルカ 1:26-33。

      61 しかし,すべての民の従うべきものに関して,ヤコブの預言した事柄を更にしらべることは,「『ユダの族のしし』と共に治める者たち」と題する記事の出版にまたなければなりません。

      (1962年9月15日号「ものみの塔」をごらん下さい)

  • カトリック教会は聖書を憎む
    ものみの塔 1962 | 9月1日
    • カトリック教会は聖書を憎む

      メキシコのカトリック教会は聖書の知識を憎み,聖書を伝道する人に対しては力ずくでも伝道をやめさせようとする態度を,今もって変えていません。エフトラ・オアクサカで,牧師にそそのかされた暴徒が,御国会館としても使われている会衆の僕の家を襲って,何冊もの聖書を持ち出し,広場でそれを焼いてしまいました。土地の新聞によると,彼らは「『信仰の行い』をしているかのように振舞った」ということです。兄弟であるその家の者はのがれて,生命は無事でしたが,またもカトリック教会は聖書を憎んでいることを表わしました。―1962年エホバの証者の年鑑(英文)より

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