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  • エホバへの永遠の奉仕こそ私の目標
    ものみの塔 1965 | 6月1日
    • 南部に来て,バスや汽車,レストランでの差別待遇など,数々の侮辱的な行為に遭遇し,いまさらのように驚きました。最初の二,三回は実に不愉快で,私にとって大きな試みでしたが,次第に私も強くなりました。黒人の兄弟のなかには,そのことに憤慨して,南部の人種差別的な法律に従おうとしませんでした。そういう兄弟たちはずっと以前に脱落し,いまではエホバに奉仕していません。私自身は,神のたてられる正しい新秩序をまたねば,不正はいつまでもなくならぬことに気づきました。古い世に住むかぎり,私たちクリスチャンは,聖書が「上に立つ権威に従うべきである」と教えているように,カイザルの法律に従わねばなりません。(ロマ 13:1)この世には人種の差別があっても,エホバのしもべたちの間にはありません。

      外国での宣教

      1922年から1937年までの間に,私は主の組織のために,パナマ,コスタリカ,ジャマイカなど,多くの国を訪問しました。1937年,ジャマイカからニューヨークに戻ったとき,ものみの塔協会の会長は,ジャマイカにとどまる気持ちはないか,と私に尋ねました。もちろん異存はありませんでした。エホバの組織が望むところならどこでも喜んでいくつもりでした。それで会長は「次に私があなたをジャマイカに送るとき,そこにとどまることになるでしょう」と言いました。ジャマイカ支部の責任をもち,ジャマイカにおける協会の活動を監督してほしいということでした。

      私がジャマイカでの奉仕を任命されたのは1938年のことでした。当時そこで神の国のよいおとずれを伝道していた人々は390人くらいで,53の会衆が組織されていました。その時から今日までに,会衆の数は151にまで増加し,4866人の人々がそれらの会衆と活発に交わっています。そのころは協会の事務所にも今日ほど仕事はなかったので,私のすることはおもに,サウンド・カーで島中を巡り,録音された聖書の講演を人々に聞かせ,また夜も聖書の講演をすることでした。

      私がジャマイカへ来てからほどなくして,ものみの塔協会の出版物の輸入は禁止されました。それは私たちを心よく思わなかった牧師たちが,政治指導者たちに圧力をかけたためでした。私たちは禁止の解除を得るためある大臣の努力を願いました。彼は私に言いました。「知事宛てのあなたの手紙を読んで,私はこの事件に非常な興味をおぼえました」。そして禁止が解除されるように,この問題を下院に提出することに最善の努力をしましょう,とつけ加えました。彼はそのとおりにしましたが,彼から知らせを受けるまでにはかなりの時間がかかりました。その間私たちは手もちの文書を用いて宣教をつづけなければなりませんでした。

      私たちに聖書関係の文書を受け取らせまいとする敵の努力にもかかわらず,エホバは私たちが毎号の「ものみの塔」誌を受け取れるように計らって下さいました。時には筆写されて,個人の手紙として送られてきました。私たちは複写器をもっていたので,それを複写し,ジャマイカのエホバの民の会衆に,ものみの塔協会の機関誌を供給することができ,休刊したことは一度もありませんでした。

      政府が押えたのはある特定の出版物だけで,他の出版物の所有はゆるされました。私たちはこれを,できるだけ長持ちさせるように注意しながら宣教に用いました。そしてもう少しで手持ちがなくなるというときに,政府は協会の出版物に課した不当な禁止を解除し,押収した文書を返してきました。しかしそれ以後は,ジャマイカの聖書愛好者たちに配布するための聖書文書を協会本部から取り寄せるのに,なんの不都合もありませんでした。

      私の健康と体力は衰えてきました。そのため1946年,より若くより元気な人がジャマイカ支部のしもべの責任を引き受けることが必要になりました。私は,アメリカに戻って子どもと一緒に住むなり,あるいはジャマイカの協会の支部にとどまって健康のゆるすかぎりの仕事をするなり,選択をゆるされました。ジャマイカは私の任命地ですから,私はジャマイカにとどまることにしました。その時私は75歳で,いまは93歳です。

      エホバへの奉仕は病気と老齢に妨げられて思うにまかせない状態ですが,依然ここジャマイカの協会の支部で生活を楽しんでいます。私の部屋は支部の中にある御国会館からほんの数歩のところにあるため,会衆のすべての集会に出席することができます。視力はまだそれほど衰えていないので,協会のすべての出版物を読むことができ,それに盛られている,人間の知性と心に訴える真理を楽しむことができます。私は機会をとらえては,訪問者にエホバの目的とエホバのみことばの真理について語り,また手紙によってそのことを伝えます。そして,外国の任命地で地上の生涯を終えること,またいまもなおエホバに全時間の奉仕をしていることを非常なしあわせと考えています。

      私はいま実際には若者です。というのは,もし私の希望が成就するなら,将来永遠の生命を得ることができるからです。それで私はこの93年を私の生涯のはじまりと考えています。すべての時間をエホバへの奉仕にささげてきたことは喜びでありました。そしてひきつづきイエス・キリストおよび「光のうちにある聖徒たち」と永遠に交われることを待ち望んでいます。―コロサイ 1:12。

  • 読者からの質問
    ものみの塔 1965 | 6月1日
    • 読者からの質問

      ● 「『大いなるバビロンは倒れた』,神の御国は支配す」(英文)という本に述べられていることから考えると,マタイ伝 24章21,22節の「大きな患難」は,ハルマゲドンで生ずる事だけを指していると解釈すべきですか。

      「『大いなるバビロンは倒れた』,神の御国は支配す」の629,30頁には次のように述べられています。「七つの頭と十本の角を持つ獣,および偽預言者は象徴であるゆえに,『地の王たちとその軍勢』とは別に扱われています。これらの象徴的なものが焼きつくされるとき,政治組織における世界的一致,および政治的提携は,白馬にまたがる勝利者の前に崩壊します。他の預言が予告しているように,そこには甚しい混乱と無秩序があるでしょう。イエス・キリストは地上におられたとき次のように言われました。『その時には,世の初めから現在に至るまで,かつてなく今後もないような大きな患難が起るからである。もしその期間が縮められないなら,救われる者はひとりもいないであろう。しかし選民〔14万4000人のうちのまだ地上に残っている者〕のためには,その期間が縮められるであろう』」。

      この本は,それらの節で,「大きな患難」の最後の部分だけを取り上げているのであって,「大きな患難」はハルマゲドンの時にのみ起こるということを示唆する意図を含んでいません。その証拠に,630頁の次の節はこのようになっています。「『大きな患難』が頂点に達するハルマゲドンにおいて,王たちとその軍勢,および『獣』の刻印を受けている者たちはみな,勝利者である諸王の王の口から出る『長いつるぎ』に似た,死刑の執行によって『殺されて』しまいます」。

      ハルマゲドンにかんして,「大きな患難」の頂点,という言葉が使われていることに注目して下さい。したがってこれらの節は,「大きな患難」の最後の部分について述べているとはいうものの,ハルマゲドンのくるまえに他の部分もあったという事実を否定するものではありません。

      ゆえにこれは,その適用をハルマゲドンのみに限定するマタイ伝 24章21,22節についての新しい考えではありません。この聖句は二重に適用されます。まず,エホバが,サンタとその組織の上にもたらされた患難に適用します。それはエホバの御子キリスト・イエスが,天で,サタンとサタンに属する悪霊どもに対し戦いをいどまれた時でした。その戦いは1914年に始まりました。サタンとその組織にもたらされた患難は,1918年に中止されました。それはエホバの油そそがれた者の残れる者を集めるためでした。2番目は,この本が取りあげているもので,ハルマゲドンの時サタンとその組織に対して「大きな患難」が再びのぞむときに適用されます。

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