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  • 内部から動揺するアルゼンチンの教会
    目ざめよ! 1971 | 5月22日
    • 現在のように危機的な事態になる以前でさえ,僧職者との関係を断つカトリック教徒は少なくなかった。が,今やその数は増加し,両者の隔たりはますます深刻になっている。「わたしはカトリック教徒ですが,わたしなりのやり方をしています」と言う人もいれば,「わたしはカトリック教徒ですが,教会へ行く必要があるとは思いません」とはっきり言う人もいる。さらには,「わたしはカトリック教徒ですが,司祭とは何の関係もありません」と言いきる人もある。

      エホバの証人の訪問を受けた一婦人は,こう語った。「わたしは教会にすっかり腹を立てています。わたしは代々カトリック教徒の家で育ちました。母は奇妙ななくなり方をして,わたしたちはその死因を明らかにすることができませんでした。そのため,母は非難のない人だったのですが,葬式の時司祭を呼んで祝福をのべてもらうことができませんでした。ところが,有名なふたりの司祭は,ふたりのテロリストの葬式に立ち合い,彼らのことを若者の模範だと言いました。それからというもの,わたしは二度と教会の敷居をまたがないことにしました」。

      この婦人のおばにあたる人は修道女で,かなり年配の人だが,めいである婦人に,「人々の聖職者に対する態度にはとても落胆」していると語った。また,その修道女によれば,こうした反抗はここ数年のあいだに激化し,ささいな事にも表われているという。一例として,数年前ならば公共の乗り物の中で修道女が立っているのはまれなことだったが,今では女性であり,年老いており,しかも修道女である彼女に席を譲る人はほとんどいないという。彼女はまた,「カトリックの聖職者と同一視されるのがなんだかとてもいやになりました」とも述べた。

      もちろん,今もって教会に行き,教会を支持するアルゼンチンの人は多い。しかし,そうしない人が増加の一途をたどっているのである。そして,エホバの証人が聖書教育のわざの一環として訪問すると,いっしょに聖書について話し合いたいと希望する人がふえている。現在,エホバの証人が公の奉仕として行なっている,無償の家庭聖書研究の課程に注意深く耳を傾け,それを楽しんでいる人が多い。

      アルゼンチンにおけるカトリック教会が深刻な苦悩を経験していることには疑問の余地がない。そうした困難な事態は,教会がかかえている世界的な諸問題を反映している。教会の教義,組織の運営方法,および政治的社会的問題に対するその態度は,いたるところで挑戦を受けている。しかもそれは外部から,つまり非カトリック教徒からばかりでなく,今や内部,すなわち僧職者や信徒たちの,教会を引き裂こうとする挑戦となって現われているのである。

  • ほんとうの兄弟愛を見出した場所
    目ざめよ! 1971 | 5月22日
    • ほんとうの兄弟愛を見出した場所

      ● 日本の一青年は「新しき村」という人格形成を目ざすグループにはいっていました。このグループの人々はおたがいに「兄弟」と呼び合うことになっていました。しかし,その青年は彼らのあいだに多くの偽善があることを知っていました。ある日,エホバの証人が訪れて2冊の雑誌を置いて行きました。一方の雑誌には「地に平和」国際大会に関する報告が載せられていました。その記事を読んだ青年は,エホバの証人がおたがいに「兄弟」と呼び合っていることに気づき,その真偽を確かめるためにさっそく最寄りの王国会館を捜しました。

      この青年は王国会館を訪れて,自分がそれまでまちがった所に真の兄弟愛を求めていたことを確信し,入手しうるかぎりの聖書文書を求め,家庭聖書研究を始めました。3か月後,彼は戸別に行なうクリスチャンの伝道奉仕に加わりました。現在,エホバの証人のクリスチャン「兄弟」になって,引き続き聖書研究に励んでいます。―ヨハネ 13:34,35。

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