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    ものみの塔 1967 | 1月1日
    • 人の兄弟たちと働くことになりました。この写真には,拡声器をすえつけた車が見えます。ドンはこの車を他の島々に船で送り,海岸でキャンプをしながら,砂糖キビやパイナップルの栽培場で講演を放送しました。こうしてハワイのわざは進歩し,1941年,例の真珠湾攻撃の起きた年までには,ハワイのあらゆる島々から多くの兄弟たちが生まれ,強力な基礎ができ上がっていました。

      その数日後の12月7日,私たちの家の戸をノックする音が聞こえたかと思うとピストルを持った4人の男がはいってきて,ドンを捕え,尋問のため軍司令部に連行していったのです。司令部で矢つぎ早やの尋問を受けたドンは,聖書から答えました。怒りに燃えた一将校は,「この問題で聖書のことを持ち出すな!」と言いましたが,ドンは「それはできません。私には聖書から弁明する以外にはないのです」と答えました。遂に責任者はよく納得できた様子で立ち上がり,尋問は終わりました。ドンが連れもどされたのは,「燈火管制」で真暗になった夜も大部ふけてからでした。

      その後,時には困難にも遭遇しましたが,わざは進歩しました。ある時は,ドンが持っていた船着き場の立ち入り許可が取り消されてしまいました。ところがある友人から,釣りの許可証を申請するようにと教えられ,そのおかげで戦争中もとだえることなく聖書文書の積み荷を受け取ることができたのです。

      そのうちに御国会館に出席する人々は徐々にふえ,広い集会場が必要となりました。しかし軍政府が許可しないために建築資材が入手できません。ある日私が家に帰って見ると,ドンは1通の手紙を手にして考え込んでいました。それは,支部の裏の地所に新しい御国会館を建築することを許可した,協会の新しい会長ノア兄弟からの手紙です。ドンは私にこう語りました。「カイザルは,建ててはならぬと言い,エホバの組織は『建てなさい』と言う。もちろんなんとかして建てなければならない」。

      しかしすばらしいことに様々の障害は取り除かれたのです。兄弟たちは日夜働きました。海岸から砂を,山からは石を運び出し,いらなくなった鉄の棒などを農場から安く買い取って,資材に用いました。どんな建物ができ上ったでしょうか? ここにある写真を見てください。それはエホバの民とエホバをほめるのに,なんとふさわしく美しいそしてがっしりした会館でしょう。ごらんのように,内部の壁のあいている部分を通してランや他の植物のしげみを広々と眺められます。私たちは本当に喜びました。

      日本における奉仕を志願する

      やがて1948年,14年にわたるハワイのエピソードは終わりました。ノア兄弟から次のような手紙が来たのです。「ハワイの兄弟のうちでだれか日本に喜んで行ける人はいませんか」。私たち7人は自発的にこの招きに応じました。それから1966年の今年まで,私たち7人全部は愛する任命地ここ日本で喜びの奉仕を続けていますが,実際には全部で9人になりました。ギレアデに入学した両親に一緒について行った二人の少女もこの写真に見えますが,今は二人とも成長し,宣教者として奉仕し,ひとりは巡回のしもべの妻になりました。

      日本に来る前に,ものみの塔協会の宣教者の学校ギレアデに出席する特権もいただきましたが,これは生涯で最も祝福された経験の一つでした。当時,ドンと私は53歳で,学校にはいるのにはかなり年取っていましたが,学校は非常に楽しいところでした。卒業式後,ブルックリンのベテルを訪問し,その玄関の前でこの写真を撮りました。ここに見える1台の赤いジープは,手廻り品も積み込まれ,日本へ出発する直前に写したものです。そしてアメリカ大陸を横断した時のことも忘れられません。サンフランシスコでジープを船に積み込み,途中私たちの船はハワイに1日停泊しました。しかし,なんという悲しいことでしょう! 日本政府は私たち二人のうち,ひとりの入国しか許可できないというのです。その夜,ドンはひとりさびしく乗船用のはしごを上り,やがて船は暗い海のかなたに消えてゆきました。

      ドンが日本に着いたのは1949年1月1日の前日でした。到着と同時に,ドンは多くの困難に直面しました。米国紙幣は使用できず,その上日本円の入手もほとんど不可能でした。軍人以外の外国人が宿泊できるところもなく,駐留米軍に接収されていた第一ホテルで1ヵ月間困難と戦いながら過ごし,毎日毎日東京の町中を駆けめぐって,支部事務所にふさわしい建物を探し求めたのです。戦災で焼き払われているため,いくら探しても無駄だと,人々はドンに語りました。高級将校から聞いたところでは,妻子を日本に呼び寄せる許可が,1年待っても,まだおりないとのことでした。ドンは,生涯でこの時期ほどエホバ神にしばしば祈ったことはなかったと,後日私に話しました。

      しかしエホバはその祈りに答えてくださったのでしょう。そのうちにある建物が見つかり,さっそくものみの塔聖書冊子協会の名で買うことができました。当時その地所に立っていた日本建築の大きな家が,それからの14年間,支部事務所として用いられることになりました。ドンはこの買い取った家にさっそく移り,2月のきびしい寒さをしのぎました。当時,食糧の配給統制が厳しく,しばしば隣り近所の人々と一緒に行列に並んでは,ニンジン1本,キャベツの葉3枚それに少量の米ていどの配給にありつきました。ある時,八百屋さんが大きなからだをしたドンを見て,かわいそうに思い,夜中に裏の戸口のところヘキャベツ1個をお金も求めずに置いていったそうです。翌日,ドンは久しぶりのごちそうを食べ,大喜びしたと,後日語りました。

      一方,私はハワイで全時間奉仕をしながら待ちました。遂に喜びの日,ドンと再び一緒になれる許可の通知を受ける日がきました! ハワイの大勢の兄弟たちに見送られて,飛行機でハワイを発ち,日本に向かいました。当時は飛行機で24時間かかりました。再び一緒になれた私たちの喜びがどんなに大きかったかは,ご想像にお任せしましょう。

      それから私のあとを追うようにして,他の宣教者たちが私たちに加わわり,それから事態は急速に発展してゆきます。このアルバムの終わりの方を開いてその事を見ましょう。ここに見える大きくて立派な宣教者の家は神戸の垂水に買ったものです。これらは,名古屋,大阪,仙台,横浜,京都そして札幌に開かれた宣教者の家です。こちらに多くの大会の写真があります。最初の頃の新しい兄弟たちの小さな集まりから,大きな大会へと発展しています。この写真は,夏に川で浸礼を受けている情景で,こちらに見えるのは日本の公衆浴場で行なわれた冬の浸礼です。

      今では古い支部の家の跡に,6階建の美しい支部の建物が立っています。それはこの写真です。ドンはこの建築工事で大きな役割を果たし,工事を多くの面で監督できたことを喜びました。現在,日本の4000人以上の御国伝道者のためにこの支部事務所は大きく貢献しています。雑誌の発送量だけでも,この建物が完成して以来2年半の間に2倍にふえています。この建物の中は丁度ミツバチの巣箱のように活気に満ちています。

      それで,私はこれまでの活動に満ちた幸福な生涯を回顧し,エホバの保護の力に心から感謝しています。もちろん苦しい時や,途方に暮れたり,悲しみに打ちひしがれたりした経験もあります。しかし,これらはみな不完全な人間の信仰を試みるために与えられたもので,またそのために必要でした。そして時がよくても悪くても,もし忠実を保つなら,何物も私たちを神の愛から引き離し得ないことを証明する貴重な機会をそれらの経験は与えてくれました。それですべての苦しみを忘れ,与えられた平安に対して私たちの愛ある天の父に感謝できるのです。

      さて今日は私たちの過去の世界の想像の旅に一緒に加わってくださり,ありがとうございました。このアルバムもここで終わり,この話も終わりますが,私の心は感謝の思いであふれています。ドンは神の「忠実な人」のひとりとして地上での歩みを終えました。今,私は「恵みの神は,しばらくの苦しみの後,あなたがたをいやし,強め,力づけ,不動のものとして下さる」ようにと祈っています。(ペテロ第一 5:10)私は割り当てられたこの場所で働き続けたいと思っています。

      親類の手紙には,「今,あなたはひとりなのですから,お帰りになりたいならいつでも喜んでお迎えします」と書かれています。しかし私は決してひとりではありません。ノア兄弟もその親切な慰めの手紙の中で,「厳しい試練に接するほど,私たちは神により一層近づき,神の恵みを知ることができるのです」と述べています。今私は日本の数多くの愛する友人に囲まれ,その上忠実な愛する宣教者たちもともにいます。いつもエホバ神を信頼する時,羊のような人々を見出して養う,輝かしい奉仕の宝によって寂しさは消えてゆきます。今の世に,これより報いの大きなわざは決してありません。

  • 象徴的な太陽の活動は地を悩ます
    ものみの塔 1967 | 1月1日
    • 象徴的な太陽の活動は地を悩ます

      1 人間の最大のエネルギー源はなんですか。

      地球に貯えられているエネルギー源の減少を補うために探究されている他のエネルギー源の中で,ほかのどんなものよりも遙かに大きいエネルギーの源は太陽です。アメリカ合衆国がこの巨大な核の炉である太陽からわずか二日間に受けるエネルギーでさえ,地球になお埋蔵されているエネルギーの総量に匹敵します。しかしこのエネルギーをどのようにして利用するかが問題です。太陽のエネルギーを経済的に利用する方法がいろいろ試みられ,ある程度まで成功しています。

      2 太陽の活動は人間の生活に影響を及ぼしますか。

      2 太陽光線はエネルギーの最大の源であるにとどまらず,そのさまざまな放射能によって人間の生活に大きな影響を及ぼしています。たとえば黒点の活動はラジオ通信を妨げ,また科学者の考えによれば肉体的,心理的に人間に大きな影響を与えます。

      神の怒りは不安な動きをひきおこす

      3 古代バビロニア人その他は太陽をどのように見ましたか。今日でも同じことが見られますか。

      3 古代バビロニア人は,シャマシュの名の下に神また天のさばき主として太陽を崇拝しました。バビロニアの三神一体の一つにおいて,シャマシュは第二の神でした。背教のイスラエル人がバビロニア人にならって太陽を崇拝したことは,エゼキエル書 8章15,16節,申命記 4章19節に示されています。今日でも原始的な人々の間では太陽崇拝が行なわれています。これらの人々にとって,太陽は単なるエネルギー源ではありません。それは理知のある供給者と見なされ,拝まれています。もちろん現代において,教育のある理知的な人々は,太陽が人類にとっ

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