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    ものみの塔 1974 | 2月1日
    • 1974年の年句

      『いちじくの木が花を咲かせなくても,……わたしは,ただエホバにあって歓喜します』― ハバクク 3:17,18,新。

      世界の経済事情が悪化していくなかにあって,人は,ただエホバにあって歓喜することができるでしょうか。エホバの目的を理解している人にはそうすることができます。というのは,諸国家の動揺や戦争,疫病,地震,眼前に迫る飢きんなどが今日世界に見られるのは,大きな変化が近いからである,ということを彼らは悟っているからです。大患難は今まさに地上に臨もうとしており,それはハルマゲドンで最高潮に達します。そのことは,すべての悪が滅ぼされるという意味です。その後,サタン自身は底知れぬ深みに入れられ,神のみ子イエス・キリストを通してエホバ神が勝利を収められます。そしてこのイエス・キリストは,地上に永遠の政府を樹立します。―ダニエル 2:44。

      エホバの証人は聖書の預言に通じており,それゆえ大患難やハルマゲドンの戦いを予期しています。彼らは,イエス・キリストの語った次のことばに従っています。イエスはこう言いました。「これらの事が起こり始めたなら,あなたがたは身をまっすぐに起こし,頭を上げなさい。あなたがたの救出が近づいているからです」。(ルカ 21:28)彼らは,「わたしは……エホバにあって歓喜します」と語ったハバククのようであろうと意を決しています。そのことは,彼らが喜びに躍り上がり,雌じかのように飛びはね,常に意気さかんであり,エホバの勝利を喜ぶという意味です。ハバククはこうことばを続けています。「主権者なるエホバこそわたしの活力であり,わたしの足を雌じかの足のごとくにしてくださり,わたしが自分の高き所を歩むようにしてくださる」。(ハバクク 3:19,新)世界のいたるところで非常な苦難のみられる今日,わたしたちは,常に意志軒昂であるためには,エホバとエホバの組織にしっかりと付き従い,あらゆる霊の食物を取り入れなければなりません。それができる唯一の方法は,人をさわやかにする真理の水を飲むことです。(詩 42:1)この苦難の時期に,わたしたちは次の確信をいだくべきです。『神はわれらの避所また力なり,悩めるときのいと近き助けなり。さればたとえ地は変わり山は海の中央に移るともわれらは恐れじ』― 詩 46:1,2。

      確かに,わたしたちは心を打ちひしがれたり,落胆したり,忍耐を欠いたりすべきではありません。花を咲かせないいちじくの木で示されている飢きんが地に臨んだとしても,エホバはご自分の業を成し遂げられるということを,わたしたちは知っています。たとえそのようなことがあっても,「わたしはかならず,エホバにあって歓喜します」。今は恐怖に捕われてろうばいする時ではありません。攻撃をしかけてくる敵に屈服したり,信仰を否認してエホバのクリスチャン証人たるの立場を捨て去る時でもありません。今は,雌じかのように喜びに躍り上がる時です。なぜなら,わたしたちはエホバの目的を知っており,かつその成就を今や眼前に見ているからです。油そそがれた残れる者も,「ほかの羊」の大群衆も,ともにハバククと同じ態度を実際に取ることができます。ハバククは,大患難の最高潮としてハルマゲドンが訪れる時に地上にどんな状態が見られるかを説明し,次いでこう言いました。「主権者なるエホバこそわたしの活力であり,わたしの足を雌じかの足のごとくにしてくださり,わたしが自分の高き所を歩むようにしてくださる」。(ハバクク 3:18,19,新)わたしたちも同様に語って,この預言にともに与ることができます。

  • 現代におけるエホバの証人の活動 ― 日本
    ものみの塔 1974 | 2月1日
    • 現代におけるエホバの証人の活動 ― 日本

      日本におけるエホバの証人の歴史に関する報告は今回で最後となります。この号では,これまでの記事の中で詳述した業の急速な発展に対応するため,どのような取決めが設けられたかについてお知らせします。

      沼津における新しい計画

      1969年10月の「地に平和」国際大会でノア兄弟は,協会が東京の南西約120㌔にある沼津に新しい土地を購入する準備を進めていることを発表しました。1970年4月から,4人の宣教者と協会の発送部門,および王国宣教学校が約1,200坪のこの敷地に建っている9つの日本家屋に移転しました。そして,さらに400人の兄弟たちがここの王国学校で訓練を受けました。富士山と美しい海岸線の間に横たわっているこの地域は,王国の良いたよりを宣べ伝える点でほんとうに楽園のようです。近くの富士会衆で宣教者たちが奉仕を始めた時,その会衆では姉妹たちがすべてのしもべの職務を果たしていました。その当時,毎月平均7人の伝道者が野外で働いていましたが,今では11人のバプテスマを受けた兄弟を含む36人の伝道者がいます。

      1971年7月に日本を訪問したノア兄弟は,沼津における大きな新しい計画の基礎を据えました。同兄弟は3階建の工場と5階建のベテル・ホームの図面を作製しました。1971年の半ば過ぎに,土地の一角にある2階建の「宣教者ホーム」を除く他のすべての建物が取り壊されました。そして,1972年1月から建築工事が正式に開始されました。日本の兄弟たちが貸付や直接の寄付の形で非常に寛大に資金を寄せたため,この大工事の費用は外国からの資金の協力を求めることなくまかなうことができました。建築会社と取決めを作り,建物内の電気工事,塗装,タイルはり,および大工の仕事はすべて兄弟たちによって行なわれました。カナダの宣教者ユーステス・カイトはこれらの仕事全部を非常によく監督しました。

      同じころ,川崎と大阪の機械製造業者は重量40㌧の輪転機3台と付随した印刷装置の製造に着手しました。そのうちの1台は沼津支部のための輪転機で,他の輪転機はオーストラリアとフィリピン支部のためのものです。6月初めまでには建築の仕事はかなり進み,沼津工場の1階と2階に輪転機や他の機械類を設置することができるようになりました。輪転機の据え付けを監督するために協会のブルックリンの工場からミラン・ミラー兄弟がやって来ました。ミラー兄弟は沼津工場の中に初めて足を踏み入れた時,工場を見て受けた印象を「なんと広いのだろう!」というひとことで言い表わしました。工場の中を測ったミラー兄弟は,もし必要なら,8台の輪転機を工場の1階に設置できると言いました。しかしわたしたちは,現在のところ工場の片すみに1台だけの輪転機を据えて雑誌を印刷できることを非常にうれしく思っています。そしてすでに,輪転機は順調に作動しており,1時間に2万1,000冊の雑誌を印刷しています。その輪転機が最初に印刷したものは,16ページの色刷りのブロシェアーで,そこには1972年の地域大会の公開講演の内容が主に収められていました。大会の最後に,予期していなかったこのブロシェアーが発表されて,兄弟たちはなんと喜んだことでしょう。

      完成した工場とベテル・ホームは,1972年8月15日に建築会社からものみの塔協会に引き渡されました。塗装その他の仕上げの仕事が,その後1,2か月にわたり兄弟たちによって忙しく行なわれましたが,その時にはすでに,ベテル・ホーム3階のでき上がった16の寝室で兄弟たちが生活していました。4階と5階にはさらに32の寝室があり,2階は主に広々とした図書室と食堂および台所になっています。事務所,洗濯室,ボイラー室,そして美しい王国会館は1階にあります。ブルックリンからコンテナー3台分の文書が到着し,工場の広々とした倉庫は文書でいっぱいになりました。大型の貨物用エレベーターと電動フォークリフトがあるので,大きな荷物を工場の中で楽に動かすことができます。大工部門はベテル・ホームや工場の備品を作るために全力をあげて働いています。

      エレベーターのモーターと巻揚げ機は,2つの建物よりも高く建っている望楼(ワッチタワー)の中に収められています。この塔からは工場やベテル・ホームの大きな姿だけでなく,松林の続く海岸線や,富士山のふもとに広がる肥沃な田園地帯の壮大なながめが見えます。エホバの業は確かに目に麗しいものです。「忠実で思慮深い奴隷」級の業と,統治体が地上のエホバの組織の本部から与えるすぐれた指導も大いに感謝されています。会衆の集会や野外で用いるための,今までよりもいっそう高い質の霊的食物がかつてないほど豊富にわたしたちのもとに絶えず供給されています。わたしたちのすべては,わたしたちの神エホバの比類のないお名前を,これほど忠節に擁護しているこのりっぱな組織の一員であることに喜びを感じています。日本じゅうで伝道者の数が増加し,さらに多くの人びとが集会や大会に集っているのを見る時,わたしたちは,あまり多くの日本人の奉仕者がいるために宣教者を見つけることが難しくなる日が訪れることを待ち望んでいるという,1951年4月の東京大会におけるノア兄弟のことばを思い起こします。確かに,『小さな者が千となりました』― イザヤ 60:22,新。

      このように,宣教者の業は1億616万4,444人を数える日本の人口の四分の一以上に相当する人びとの間で行なわれてきました。

      [93ページの図表]

      宣教者が働いていた場所

      その地区における そのうちの

      人口 宣教者ホームの 宣教者の 現在の王国伝道者 開拓者の数

      都市 (1972年10月) 開かれていた期間 最高数 (1973年9月) (1973年9月)

      東京 11,377,363 三田支部1949年1月から 12 720 120

      千代田1954年5月から 8 646 181

      中野1956年10月から 10 1,022 277

      世田谷1960年7月から 6 212 54

      神戸 1,320,894 1949年11月から 18 888 154

      名古屋 2,062,273 1950年10月 ― 1960年8月 12 721 105

      大阪 2,861,489 1951年3月 ― 1953年2月 8 1,049 239

      横浜 2,420,880 1951年4月 ― 1957年9月 14 975 311

      京都 1,445,466 1952年4月 ― 1957年11月 7 593 121

      仙台 569,260 1952年10月 ― 1959年9月 6 157 36

      広島 651,183 1957年1月 ― 1963年10月 4 320 96

      札幌 1,062,930 1957年9月 ― 1971年3月 6 385 111

      福岡 878,797 1957年9月 ― 1973年2月 6 322 67

      熊本 459,128 1957年12月 ― 1963年9月 4 79 14

      鹿児島 422,840 1957年12月 ― 1961年5月 4 103 34

      佐世保 259,951 1957年12月 ― 1959年3月 5 49 8

      函館 237,261 1959年9月 ― 1961年8月 4 89 23

      松山 346,147 1966年11月 ― 1969年11月 4 82 24

      岡山 480,120 1969年5月 ― 1973年3月 6 74 31

      長崎 431,788 1969年6月 ― 1973年7月 5 113 26

      沼津 197,411 1970年4月 ― 1972年11月 6 117 14

      新潟 394,411 1971年9月から 6 70 15

      高知 260,037 1972年5月から 6 33 10

      合計 28,139,629 8,819 2,071

      日本の他の土地の伝道者 10,946 3,420

      [92ページの図版]

      沼津の印刷工場とベテル・ホーム

  • 読者からの質問
    ものみの塔 1974 | 2月1日
    • 読者からの質問

      ● ヘブライ 8章10節はこう述べています。「『これが,それらの日ののちにわたしがイスラエルの家と立てる契約なのである』とエホバは言われる。『わたしは,わたしの律法を彼らの思いの中に置き,それを彼らの心の中に書く』」。この聖句の中で言及されていますが,新しい契約に入れられた人々に対する神の扱いは,古い律法契約下にあった人々の場合とどのように異なっているのですか。―アメリカの一読者より

      それら二つの契約の特色および神との契約関係に入れられた人々のそれぞれの状態について考えると,その相違を理解できます。

      イスラエル国民がエホバ神との契約関係に入ったのち,その後に生まれ出た個々のイスラエル人は,生まれながらにその契約下に入りました。彼らは自分がエホバ神のしもべになるという点で個人的な決定をする必要はありませんでした。したがって,心からの認識をいだくということは,神との契約下の民の一員であることに対する先行要件ではありませんでした。それでも,歴史を通じて,イスラエル国民の個々の多くの人は,単に神の律法に関する知識を有していただけでなく,それに対する心からの認識を培いました。義にかなった人について,詩篇 37篇31節はこう述べています。『彼が神の法はその心にあり』。

      とはいえ,律法の規定の中には,犠牲や清めの手順に関することを含め,イスラエル人が十分に理解していない点がありました。それは,それらの点がはるかに偉大な事がらの予表であったからです。コロサイ 2章17節はこう述べています。「そうした事はきたるべきものの影であり,その実体はキリストに属している」。イスラエル人は律法の儀式的な規定を実行しましたが,それはおもに,そのような命令を受けたからであり,またそれに従わない場合に厳重な処罰が課されたからです。彼らはそれらのことについて十分な理解を有してはいませんでし

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