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    ものみの塔 1973 | 11月15日
    • て王国の関心事に奉仕しました。最初,京都にはわずか4人の伝道者しかいませんでした。この宣教者のグループはギレアデで日本語を勉強していなかったため,野外奉仕の前後に宣教者の家族が集まっていっしょに日本語を,懸命に勉強しなければなりませんでした。

      京都は,何百という寺社や仏像のある,古い伝統の強い都市であるために,年寄りの中には“外国人”にかなりの敵意を示す人もいました。ていねいな態度の若い人に証言しているさいに,おじいさんかおばあさんが現われて,ひと言もいわずに,ただ手を振って宣教者に出て行くよう求める時など,冷静な精神の大きな試みとなりました。

      しかし,宣教者と勉強していた人びとは,宣教者のために土地のごちそうなどを出して,非常に親切にもてなしてくれました。ある新しい宣教者の兄弟は,家の主人にごちそうのお礼を丁重に述べたところ,次から次へとごちそうが出され,その兄弟は日本語でていねいに断わる方法をまだ知らなかったために,食べ続けなければなりませんでした。それで,宣教者の家の次の日本語の勉強ではこの問題が取り上げられました。

      聖書研究や集会のさいに床の上に座ることは宣教者たちにとって初めのうち非常に奇妙に思えましたが,そうすれば冬場でも足を暖かくしておけることに気づきました。集会を司会する宣教者が日本語をほとんど知らなかったにもかかわらず,集会は宣教者の家で始めから日本語で行なわれました。司会者の初めのころの問題のひとつは,「ものみの塔」研究の時に「ものみの塔」の読み手に,各節の終わりで朗読をやめさせることでした。出席者が増えるにつれて,集会は個人の家から市場の二階の部屋へ,また後にはもっと良い建物へと移りました。京都の最初の宣教者のひとりで,現在でも引き続き,東京で宣教者として奉仕しているエリザベス・テーラーは,集会がどんなものかを見に来て,それ以来集会を欠かしたことのない,教会に通っていたひとりの婦人との研究のことを今でも思い出します。彼女が伝道者となり,後に開拓者になるのを見たのはテーラー姉妹にとって喜びでした。また同姉妹は,彼女の家族全員 ― 夫と3人の子どもたち ― がエホバの証人になるように助けました。その家族の娘のうちのふたりは特別開拓者になりました。

      宣教者たちが他の割当てを受けて京都を離れる少し前,宣教者のひとりは旧帝国陸軍の兵士美馬勝三と勉強しました。その当時,彼は寝たきりの病人でした。そしてそれまでは,聖書については何も知りませんでした。しかし今では,肉体的にも霊的にも最良の健康状態にあり,12年以上も正規開拓奉仕を行なっています。美馬兄弟の妻も正規開拓者です。同兄弟は京都の都市の監督として奉仕しています。土地の伝道者がわずか4人しかいなかった(今では,そのうちの3人は正規開拓者)時分に,その宣教者の家の奉仕を受けた区域には,今日8つの会衆があり,1972年7月の報告によると,合計452人の伝道者が交わっており,そのうちの80人は開拓者でした。

      東北への拡大 ― 仙台

      1952年10月に,ドンおよびメーブル・ハズレットが仙台に移り,初めて人口100万以下の都市に宣教者の家が開かれました。人口100万以下といっても,仙台市は50万以上の人口を有しています。大阪の宣教者の家が閉鎖された時,桃原真一兄弟の家族も仙台に移りました。これらハワイ出身の宣教者たちは東北の寒い冬の気候にすぐに慣れました。後に,ハワイとカナダの宣教者の姉妹たちが彼らに加わりました。6年半にわたって,仙台の宣教者の家はりっぱな奉仕を行ないました。

      カナダ出身の宣教者のひとり,マーガレット・パスターは,大会が開かれていた最中に仙台に到着した時のことを今でも思い出します。新しい宣教者たちは日本語を全く知りませんでしたが,ある人が宣教者のために大会のバッジを作ってくれました。宣教者たちは自分でそれを読むことはできませんでしたが,地元の仙台の伝道者たちには読むことができたので,彼らは宣教者のところにやって来て身ぶり手ぶりで,彼らのバッジが宣教者のものと同じであることを示しました。こうして,宣教者たちは新しい会衆とすぐに親しくなりました。

      宣教者が仙台を去る時には,関心ある人びととの研究を引き継ぐことのできるおおぜいの伝道者がいました。仙台の宣教者たちが初めに奉仕していた区域には現在,3つの会衆があります。

      ものみの塔協会の会長は再び日本を訪問

      1956年4月21日から27日にかけて,ノア兄弟はドン・アダムスとともに日本を再度訪れました。到着は午前1時10分でしたが,約20人の宣教者が兄弟たちを空港に出迎えました。ノア兄弟の訪問と時を同じくして計画されていた大会が,東京西部の新しい美しい中野区公会堂で4月21日から23日にわたって開かれました。当時はまだ,東京の西部ではそれほど証言が行なわれていませんでしたが,今や,20万枚の招待ビラ,2,500枚のポスター,2万冊の特別号の「目ざめよ!」誌(同誌は1956年1月に発行されて以来,非常に多くの人に読まれるようになりました),それに宿舎捜しのための集中的な戸別訪問のわざによって,近隣の人びとにすぐれた証言が行なわれました。新聞も大会とノア兄弟の訪問を報道してよい宣伝となりました。

      (この続きは次号に載せられます)

  • 読者からの質問
    ものみの塔 1973 | 11月15日
    • 読者からの質問

      ● 神はいつ恐竜を創造されたのですか。そして恐竜はいつ絶滅したのですか。―アメリカの一読者より

      この質問に対して聖書は明確な答えを与えていません。創世記の記述によると,動物は創造の第五および第六期間すなわち『五日め』『六日め』に創造されました。もし「海の巨獣」[ヘブル語でタンニニム]と訳されているヘブル語の表現に,沼地や湿地帯に生息することが多かった恐竜(ダイナソア)が含まれていたなら,恐竜は「五日」めに創造されました。(創世 1:21,新)恐竜が人間の創造された時(「六日」めの終わり)まで存在していたかどうかはわかりませんが,どんなにおそくても,ノアの日の洪水の時には地から姿を消していたものと思われます。恐竜は,は虫類でした。そしてある種の恐竜は,構造その他の点でトカゲによく似ていました。(事実,サウロスはギリシア語で「トカゲ」のことです。七十人訳のレビ記 11章29節ではサウラとなっています)恐竜といってもあらゆる恐竜が巨大なものであったわけではありません。したがって,恐竜が大洪水まで生きていたとしても,巨大な種類の恐竜の雄と雌を箱船の中に入れる必要はありませんでした。それらの恐竜が属していた科もしくは「類」の,より小さなメンバーで神の命令は十分に果たせました。―創世 6:19,20; 7:14。

      聖書の古い翻訳の中では,ヘブル語のタンニニム(「海の巨獣」,新)を訳すのに「竜」という語が使われています。(詩 74:13; 148:7。イザヤ 27:1,欽定訳)。「竜」(ギリシア語ではドラコン)という語はクリスチャン・ギリシア語聖書中に見られます。この表現は全くの神話に基づくものではなく,もとは恐竜のような巨大な生物を呼ぶのに用いられ,それらの巨大な生物が姿を消してからずっと後になって神話的な感じを帯びるようになった,という説もあります。興味深いことに,神話に出てくる「竜」の描写の多くは,恐竜を含む大は虫類のある種の生物に非常によく似ています。

      ● ラテン・アメリカのある部分で習慣となっているように,クリスチャンが両親や祖父母に自分を祝福するよう頼むのは正しいことですか。―ベネズエラの一読者より

      聖書の示すところによると,古代の神のしもべたちは他の人びとを祝福しました。ヤコブはパロを祝福しました。つまりヤコブはパロが栄えますようにとあいさつしました。(創世 47:7)リベカの家族は,彼女がイサクと結婚するため上メソポタミアを離れた時彼女を祝福しました。(創世 24:60)またヤコブもイサクも,彼らの子孫を特別に祝福しました。(ヘブル 11:20,21)箴言 30章11節によると,親は子どもたちから祝福を受けるに値します。

      ですから,聖書的な面からすれば,親または祖父母が自分の子どもたちを祝福することに対して異議を唱える必要はありません。祝福を求めることが一般の習慣となっていない国々においてさえ,祝福を与えるのは普通です。エホバの献身したしもべたちの間ではどこでも,仲間の信者が,任命された特別の仕事に関連して神の祝福を得るように,あるいは別の場所で忠実に奉仕をつづける時に神の祝福があるようにという願いを言い表わすのは珍しいことではありません。また,多くの言語の別れのあいさつは,実際には祝福であることも注目に値します。たとえば英語の「グッド・バイ」は,「神があなたとともにいますように」という意味です。

      もとより,自分の住んでいる地域に,ラテン・アメリカのある国で行なわれているような「祝福を求め」たり与えたりする習慣がないのであれば,新たに始める必要はありません。しかし,もし他の人を祝福することがすでによく知られた習慣となっていれば,それについてクリスチャンが考慮しなければならない要素がいくつかあります。つまり次のようなことを自問してみます。自分はそういう祝福について正しい見方を持っているだろうか。その祝福は単なるきまり文句で,誠実さも純粋さもなく,またまごころもこめずに神を口にすることだろうか。(マタイ 15:4-7と比較してください)この習慣に従わない時はいつも物事がうまくいかない,と考える傾向があるだろうか。迷信的になって,その祝福をまじない文句のように考えはじめることのないよう注意しなければなりません。それに,親または祖父母がエホバの献身したしもべでなければ,彼らの宗教的見解がはいってきます。真の崇拝に対する認識を持たない人が,真の神をさえ知らずに,どうして子どもの上に神の祝福があるよう正しく願い求めることができるでしょうか。

      以上のように,人が親か祖父母に祝福を求めることは,聖書的には異存はありませんが,特別の場合に直面してどうするかを決定しなければならない時には,クリスチャンは,聖書によって訓練された良心の支配に従わねばなりません。そして,人をつまずかせる,あるいは真の神を誤り伝えるようなことをするのを,ぜひとも避けねばなりません。―ピリピ 1:10。

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