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    ものみの塔 1956 | 11月15日
    • 者は,神道の一派である天理教の経営している下宿屋を訪問しました。老年の一婦人は,多くの興味を示し,研究が取極められました。しかし,家の人からの反対を避けるために,研究は小声で司会されました。その婦人は,家に来る人々に今では証言しています。

      特別開拓者たちは,新しく興味を持つた人々といつしよに大会に来ました。他の人々といつしよに旅行できなかつた,別の興味者は夜行の汽車で来ました。翌朝,大会の会場で友人といつしよになり,到着すると友人と共々に直ぐに奉仕に出かけました。―これはその人の最初の伝道でした。或る都市に働いている特別開拓者たちは,8ヶ月の伝道の後に14の研究を司会し,二人の伝道者を得ました。この特別開拓者の一人が街頭伝道している時,『ものみの塔牧師へ』と宛書された封筒を手渡されました。その封筒の中には,聖書についての質問が入つていたのです。翌週になると,同じ人は街頭伝道している開拓者のところに来て,その答をもらいました。公開講演に来ませんか,と招待したところ,その人は公開講演に来ました。研究も始まりましたが,その人は自分の住所を告げようとしません。その人は教会に関係を持つたことがある為,寄附を頼まれるのではないか,と心配していたのです。しかし,ヱホバの民の正しいことをすつかり確信して後,その人はよろこんで自分の住所を知らせました。その人は,この東京大会に出席していました。

      日曜日のアダムス兄弟の話は,日本人の面している難問題のひとつ ― 自分の家族からの反対 ― について明快な解答を示しました。日本にいる多くの若い伝道者にとつて,ミカ書 7章6節はピツタリ当てはまるものです。大会に出席することについて非常な反対をうけたひとりの伝道者は,この話から大きな慰めを得た,と語りました。朝の2時まで両親は,行つてはいけないと言続けましたが,この伝道者は断念せず,遂に大会に出席しました。そして今ではこの世の絆を更に切つて開拓者になろう,という気持で充たされています。開拓者奉仕を考慮中であつた別の人は,『この話は全く要点をついたものだ』と語つていました。

      聴衆は,ノア兄弟の公開講演『創造主の下にすべての人類を一つとなす』を,熱心に謹聴しました。幾週間にもわたつて勤勉に行われた宣伝は美事に結実して,会館には974名の聴衆がつめかけて熱心に話を聴きました。これは,大会中ずつと出席していた400名の兄弟たちをずつと遥かに上廻る数です。974名の中,660名は休憩後に行われたアダムス兄弟の話を聞くため会館に残りました。講演の後には,人々は次のような事を言つていました,

      『この制度は世界を一致させる真実の希望を示す。』

      『ヱホバの証者は,他の宗教とちがい,金に興味を持つていない。』

      『新しく関心を持つ人々にとつては素晴らしく良い講演だ。誰でも良く理解できた。』

      公開講演後の多くの人々の食事のために,弁当箱が用意されました。それは,日本における大会で初めて使用されたものです。この弁当箱は,どの場所にでも持つて行くことができ,そしてどの場所でも食べることができました,それですから,これは上首尾の結果を収めたのです。

      月曜日の夜,ノア兄弟が演壇に立つて最後の話を始めたとき,聴衆の熱意は最高潮に達していました。熱意のこもつた拍手が自然に起りました。ロシヤにいるヱホバの証者についての心打つ話は,巧みに通訳され,そして全身を耳のようにして聞き入つている聴衆に伝えられました。拍手が数回なされました。鉄のカーテンにいる兄弟たちでも,活潑に奉仕しており,全世界のヱホバの制度とともに戦つているのです! そのことを知るのは,なんというよろこびなのでしよう。すべての人はよろこびに溢れた心で大会の会場を出ました。そして,自由の許されているこの日本の地で,もつと多く奉仕しようと決意したのです。

      日本では1956年の3月には,前年度よりも21パーセントも増加した567名の伝道者の最高数が得られたのです。そして,その中の40人以上は,日本人の開拓者なのです。3月の報告の中でも特に興味深いものは,2万368冊という雑誌配布の新最高数です。伝道者たちは,日本語の『ものみの塔』と『目ざめよ!』誌を使用することをたいへんよろこんでいますが,これらの雑誌は,日本の人々の中に多くの興味をひき起しています。

      興味ある再訪問

      昨年の夏,欧州の大会から飛行機でニューヨークに帰る途中で,ノア兄弟は機上の次の坐席にいた乗客に証言しました。その乗客は,2万5000人の学生を擁する日本でも屈指の大学,早稲田大学の総長,大濱氏でした。ノア兄弟は,大濱氏に日本語で書かれている御国の文書を幾冊か送りました。後に,ノア兄弟が日本に来ると知つた大濱氏は大学の言語学専攻の学生講堂で講演をして頂きたい,とノア兄弟を招待しました。この会は,4月25日,水曜日の午後に行われ,ノア兄弟は通訳を通して386人の教授や学生たちに講演しました。聴衆は良く謹聴していて,講演の終りには,みな熱心に拍手しました。ノア兄弟はそれから教授たちの出席したお茶の会に招かれ,その席上でもヱホバの証者の業を教授たちに知らせることができたのです。教授たちの質問から判断して,みな講演を良く聴いていた,ということが分りました。ノア兄弟にとつて,これは非常に愉快で,楽しい経験でした。大学の近くにいる宣教者たちは,これによつて新しく興味を感じた方々と更に接触を続けて行きたい,と希望しています。

      それで,楽しい訪問と多くの励ましを与えた大会も終了しました。日本に滞在した6日間は,アツという間に過ぎ去りました。しかし,幸福な時間であつた,ということがまざまざと記憶に残つています。3人の兄弟は,今度は韓国に向つて出発しました。

  • 『ものみの塔』の研究
    ものみの塔 1956 | 11月15日
    • 『ものみの塔』の研究

      12月9日「ヱホバよさばき給え!」 1-21節 426頁

      12月16日「ヱホバよさばき給え!」 22-24節と忠実を保つ 432頁

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