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エホバの道に喜びを見いだすものみの塔 1974 | 12月15日
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8 (イ)エホバの証人たちの霊的な種まきの仕事において,伝道之書 11章6節はどのように実現してきましたか。(ロ)神がわたしたちの手にゆだねてくださった真理についてこれは何を示していますか。
8 家から家に王国のことばを『まく』業においては,それに答え応じた人々だけでなく,答え応じなかった人々の中でも基礎の据えられている場合が少なくありません。この活動,また非公式の証しの業によって,つまり,どこにいようと,また関心をもって迎えられても迎えられなくても,さらには反対に遭ってさえ,エホバの証人が語り告げることによって,他の人々がそれについて語るようになっています。(フィリピ 1:15-18)「種」に発芽させるのは神です。証しを聞き,またものみの塔の出版物をある程度読んだ人の中にさえ,初めはほとんど注意を払わず,あるいは,しばらく耳を傾けた後に漂い出てしまった人たちも多くいます。しかし,種々の状況のために,世界の状態について後にいっそう真剣に考えるようになりました。宗教また政治上の宣伝を聞く場合でも,その心と思いにある程度まかれた真理の種のために,そうした宣伝の偽りを見きわめることができました。エホバの証人が再び近づいた時,そうした人たちの態度は変化していました。中には,自らすすんでエホバの証人と連絡を取り,霊的な助けを求めた人もいます。種は芽を出したのです。このすべては,真理が持つ力の証拠です。それがその人々の心を全く離れたことはなく,ちょうど良い時,またちょうど良い状況のもとで,それは成長して実を結びました。エホバの証人の一人なら,あなたもそうした種を多少ともまいたことがあるのです。
9 多くの人は良いたよりとそれが人の生活に与える力についてどのようにして知るようになっていますか。
9 さらに,真理には「連鎖反応」的効果があります。たいていの人は今,エホバの証人である親族,友人,仕事仲間,学校友だちなどを有しています。証人が近づいてみると,そうした人たちは,少なくとも神の民やその音信についてすでにある程度のことを知っており,そのゆえにより分別のある判断を下すことができます。そして,証人たちが語る真理だけでなく,その生活に見られる真理の清めの力もまた,人々をエホバへの奉仕へと引き寄せるのです。
エホバの資質も喜びのいわれ
10 神の民に対してエホバとみ子はどんな態度を持っておられますか。
10 エホバはご自分の民が行なう事がらに対してどのように感じられるでしょうか。エホバはご自分の民を喜ばれますか。エホバはご自分のしもべについてこう述べておられます。「人のあゆみはエホバによりて定めらる そのゆくみちをエホバよろこびたまへり」。(詩 37:23)そして,み子イエス・キリストは,イエスを愛する人々に対して自分と父とが持つ特別の喜びの情を次のように言い表わしました。「だれでもわたしを愛するなら,その者はわたしのことばを守り,わたしの父はその者を愛し,わたしたちはその者のところに来て住まうのです」― ヨハネ 14:23。
11 エホバの資質は,キリスト教世界の神々を含め,諸国民の神々の資質とどのような著しい対照をなしていますか。
11 エホバは父親のごとくにご自分の民を愛される神であり,また,清さと美と平和を愛される幸福な神であられます。わたしたちはこうしたエホバについて大いに喜べるではありませんか。これは,グロテスクで恐ろしく,怒っていてなだめにくいものとして描かれるキリスト教世界の神々を含め,諸国民の神々と著しい対照をなしています。それとは逆に,エホバの有様は,ヨハネの幻の中で,人の心に明るさ,穏やかさ,落ち着き,荘厳さ,静けさ,そして平和を感じさせるものとして描かれています。―啓示 4:3。
12 神はわたしたちの真の父親としてどのように行動されますか。
12 さらに,エホバは,遠く離れた所ではなく,すぐ近くにいてくださる神です。(使徒 17:27。詩 119:151)エホバは父親として,み使いを通してわたしたちに保護を差し伸べてくださいます。(詩 34:7)また,父親が子どもに対してするように,わたしたちに対していろいろな感情を表現されます。わたしたちが忠節を守るとき,エホバは喜ばれます。(箴 27:11)また,わたしたちが不従順であると,エホバはその心を痛め,またその霊は憂いもしくは痛みを覚えます。―創世 6:6。イザヤ 63:10。エフェソス 4:30。
13 エホバはご自分の民の信仰と奉仕に対して認識を示されますか。例を挙げなさい。
13 しかし,誠実な心でささげられる奉仕と信仰に対してエホバは深い認識を示されるではありませんか。エホバはご自分を愛する者たちに,期待を超えた報いを施されるのです。その信仰のゆえに,神はアブラハムを,当時の全世界から選び出し,地上のすべての家族に祝福を来たらせるその経路の人とされました。(創世 12:1-3。ローマ 4:3)エリコのラハブは,売春婦ではありましたが,エホバの強大なみ業について聞いた後,真の神に対する信仰を培い,それを実証しました。彼女は自分の命を危うくしながらも,神の民イスラエルからの斥候を保護しました。このために彼女は死を免れました。彼女は後にユダ族の族長と結婚し,イエス・キリストを生み出す先祖の一人となりました。(ヨシュア 二章; 6:25。マタイ 1:5)またエホバは,イスラエルの宿営を不道徳や偶像崇拝から清く守るために取った忠節な行ないのゆえに,ピネハスに対して祭司職の契約を結ばれました。―民数 25:10-13。
14 神を喜ばせるために大きな事をすることが神の民に常に求められているわけではありません。その点を示しなさい。
14 ご自分のしもべたちの信仰と,献身の行為に対する神の愛ある配慮と認識は非常に深いものです。したがって,しもべたちは神を喜ばせるため特に大きな事をしなければならないということはありません。神殿の寄付箱に硬貨二つ,ほんの一円ほどの価値のものを入れたやもめについて,イエスはこう言われました。「このやもめは,貧しいとはいえ,彼ら[富んだ人々]全部より多く入れました」。(ルカ 21:3)また,ラザロとマルタの姉妹マリアがイエスに香油を注いだ時,イエスはこう語りました。「世界じゅうどこでもこの良いたよりが宣べ伝えられる所では,この女のしたことも,彼女の記念として語られるでしょう」。(マタイ 26:6-13)神はイエスのことばが真実となるように図られました。彼女の献身の行為は三つの福音書の中に記述されているからです。―マルコ 14:3-9。
15 多くの事を行なえず,また,自分の業にそれほどの成果を見ていないとしても,神への奉仕に対して真剣な態度を抱いてきたならどのような考えを持つべきですか。
15 それで,周囲の種々の状況のために,良いたよりをふれ告げる業にごくわずかの時間しかささげられない場合,そのことをどのように考えるべきでしょうか。また,他の人が真理を学ぶのを聖書研究によって直接に助ける面であまり成功していない場合はどうでしょうか。あなたの努力が誠実な信仰のうちになされたものであるなら,それがエホバ神に見過ごされ,その価値の認められないことがあるでしょうか。決してそのようなことはありません。それに対して神の愛があなたに注がれるだけでなく,神はあなたの植えた種を成長させ,あなたの業に実を結ばせることもおできになります。使徒パウロはこう語りました。「わたしは植え,アポロは水を注ぎました。しかし,神がそれをずっと成長させてくださったのです」― コリント第一 3:6。
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「賞である上への召しのため」に走り,それを勝ち取るものみの塔 1974 | 12月15日
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「賞である上への召しのため」に走り,それを勝ち取る
トーマス・ジェームズ・サリバンは,1974年7月30日,86歳で地上の歩みを終えました。彼は1888年5月14日,アイルランドのケリー州に生まれ,1916年3月にバプテスマを受けて後,1924年に妻のエベリンと共にブルックリン・ベテルで全時間奉仕に入りました。親しい友人たちから愛情を込めて“バド”と呼ばれた彼は,福音宣明者の監督として幾年間もものみの塔協会の奉仕部門をあずかっていました。第二次世界大戦中,そしてその後も,中立を保つゆえに米国内で投獄されていたクリスチャン兄弟たちをその資格で定期的に訪問しました。1932年10月31日には,ペンシルバニア州のものみの塔聖書冊子協会の理事に推され,エホバの証人の統治体の11人の成員の一人でもありました。過去11か月間住んでいたものみの塔農場で死んだ時,彼は,使徒パウロと同じく,次のように言えました。「わたしは戦いをりっぱに戦い,走路を最後まで走り,信仰を守り通しました」― テモテ第二 4:7。フィリピ 3:14。
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