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    ものみの塔 1963 | 12月15日
    • 賛美に値する神

      それはどの神ですか。神のみわざはどのように賛美に値しますか。

      すばらしい創造のわざを見ても,示す反応は人によって異なります。たとえば宝石を散りばめたような星空を見上げて美しいと感嘆しても,天に星を散りばめた神を賛美することを考えない人があり,一方では天の驚異を作り出した神の前で謙遜になり,自分の小さいことを思う人があります。神の創造を認めるこのような人の心は感謝の念にあふれ,その口は賛美を語ります。

      天と地とその中にあるすばらしいものを創造した神は,たしかに賛美に値します。しかし知識と理解に欠けているために,何百万の人々は神のみ名に当然の賛美を帰することをしません。日没の色彩を画布の上にうつす画家,人体や動物を造形する彫刻家が死後においても称賛されることを考えれば,神を賛美しないのはおかしいことです。写しとられたものよりも原型を作り出した者を賛美するのは,当然ではありませんか。

      少し考えれば,そうであることがわかります。神は知られない神のまゝに留まることを望みません。また他の者にご自身の栄光を与えません。「母なる自然」をほめている人々は,神の栄光をほかのものに帰しているのです。従って神によろこばれる賛美を語るためには,神と神のお目的を理解しなければなりません。

      このような知識と理解を得た人に,昔のダビデがいます。ダビデはその若い頃,巨人のゴリアテを殺しました。このダビデが王権を子のソロモンに渡したときさゝげた心からの祈りは,今日の私たちの益のために歴代史略上 29章に記録されています。ダビデの美しい賛美のことばをしらべて,私たちも同じ賛美をさゝげる理由があるかないかを,考えてごらんなさい。

      み名と高い地位

      ダビデの祈りは次のことばで始まっています。「我らの先祖イスラエルの神エホバよ汝は世々限りなくたゝへまつるべきなりエホバよ権勢と能力と栄光と威光とは次に属す凡て天にある者地にある者はみな汝に属す」― 歴代上 29:10,11。

      ダビデはエホバという個有の名で神に呼びかけています。その事に注目して下さい。ダビデは,神を自然界の力とは考えず,イスラエルの民の父として神を認めました。ダビデは創造のすべてのわざ,「天にある者地にある者」がみなエホバに属することを認めました。この偉大な創造主をあなたの神とし,またエホバの名をもって創造主を呼び,その御手になったすべての美しいものを見てほめますか。

      ダビデの神を崇拝するという人の間にも,エホバをユダヤ人の神と考え,従ってクリスチャンはエホバの名によって神を呼ぶ必要はないとする考えがあります。しかしダビデはエホバのみ名が,ユダヤ人によって短い期間たゝえられるのではなく,「世々限りなく」たゝえられることを祈りました。ダビデは聖書のほとんど3分の1を持っており,従ってみ名を知らせるという神のお目的を承知していました。この点に注目すべきです。

      たとえばダビデは聖書の2番目の本にある次の言葉を知っていました。「神またモーセにいひたまひけるは汝かくイスラエルの子孫にいふべし,なんぢらの先祖等の神アブラハムの神イサクの神ヤコブの神エホバわれを汝らにつかはしたまふと是は永遠にわが名となり世々にわが誌となるべし」― 出エジプト 3:15。

      明らかにエホバのみ名によってご自身を知らせることは,神のお目的です。ダビデ時代のレビ人の一作詞者は,その歌を次のように結んでいます,「然らばかれらはエホバてふ名をもち給ふ汝のみ全地をしろしめす至上者なることを知るべし」。その時以来書き加えられた聖書の本すべては,神がそのみ名エホバによって知られるのを望まれていることを明白に示しています。―詩 83:18。

      今日すぐれた芸術作品は,たとえばレンブラント,ダビンチ,ミケランジェロというように作者の名によって知られ,これらの芸術家は偉大であると言われます。自然を造り出した創造主エホバのみ名は,はるかにまさって賛められねばなりません。創造の驚異を知るとき,あなたはそのように感じますか。そのように感じたダビデは心の底からエホバを賛美し,エホバの「権勢と能力と栄光と威光」を歌いました。それでも言葉でエホバの偉大さを言いつくすことはできません。―歴代上 29:11。

      私たちのまわりを見ただけでも,エホバを賛める理由がたくさんあります。空を見てごらんなさい。「もろもろの天は神の栄光をあらわす」と,ダビデは書きました。望遠鏡のなかった時代のダビデに見えたものは,数千の星に過ぎませんでした。それでもダビデは神の栄光をそこに認めました。今日の人は何十億の星が存在することを知り,その運行を支配する法則と秩序を知っています。私たちには,エホバを賛めるいっそうの理由があるではありませんか。エホバのみ名を知ることは,ほんとうに幸いです。―詩 19:1,2; 8:3,4,新口。

      支配権と至上権

      ダビデはまたエホバが力強い支配者であり,イスラエルの民にすばらしい処遇をお与えになったことを認識していました。それで次のように祈りのことばを続けています,「エホバよ国もまた汝に属す汝は万有の首と崇られたまふ富と貴とは共に汝より出づ汝は万有を主宰りたまふ汝の手には権勢と能力あり汝の手は能く一切をして大ならしめ又強くならしむるなり然ば我等の神よ我等今なんぢに感謝し汝の尊き名を賛美す」― 歴代上 29:11-13。

      今日,すばらしい創造のわざのゆえにエホバを賛める気持になる人は多くても,エホバの約束した御国またご自身の民のために行使された力に対してエホバを賛美することが忘れられていませんか。神を賛めるべきこのような理由を考えたことがありますか。ダビデの美しい祈りから見て,ダビデは当時のイスラエル民族に対するエホバの恵みだけではなく,過去においてエホバがその民のために行なわれた事柄を聖書から読んで知っていました。

      聖書の2番目の本は,エホバがイスラエル全国民をエジプトにおける奴隷のくびきから解放した次第を物語っています。紅海をせきとめたエホバの力は何と偉大ではありませんか。荒野においてエホバは,すべの必要なものをお与えになりました。また約束の地を征服するための力を,イスラエルの民にお与えになったのです。またモーセを通して,偉大な律法を与え,またそれだけにとゞまらず,後になって裁き人や王を起しました。

      ダビデはこれらの事を知っていました。また自分が父の羊を飼う若者だったとき,預言者サムエルに油そゝがれて王となったことを忘れませんでした。それで歴代史略の筆者が後に書いている通り,自分はエホバの位に坐っているという事を認識していたのです。「かくてソロモンはエホバの位に座しその父ダビデに代りて王となり」。これらの事を知っていたダビデは,国がエホバのものであることを知り,そのすばらしい支配のゆえにエホバを賛めました。―歴代上 29:23。

      エホバの御国またその民に対するエホバの恵みに対して,同じような認識を持っていますか。今日の私たちはいっそう深い認識を持たなければなりません。イスラエル王国は,ダビデの裔,約束のメシヤの手にゆだねられる永遠の御国を表わしていたに過ぎないからです。この支配に関して神は次のように約束されています,「わたしはひとたびわが聖によって誓った。わたしはダビデに偽りを言わない。彼の家系はとこしえに続き,彼の位は太陽のように常にわたしの前にある。また月のようにとこしえに堅く定められ……」― 詩 89:35-37,新口。

      日や月のように永続する御国をエホバから与えられたダビデの裔は,イエス・キリストでした。イエスは地上にいたとき,この御国を祈り求めよ,と弟子たちに教えました。その祈りの言葉はよく知られています。「だから,あなたがたはこう祈りなさい,天にいますわれらの父よ,御名があがめられますように。御国がきますように。みこころが天に行われるとおり,地にも行われますように」― マタイ 6:9,10,新口。

      父にさゝげるこの祈りの中で,イエスは「御国」といわれました。すなわちこの国はエホバの国です。「エホバよ国もまた汝に属す」とダビデも祈りました。聖書の預言の成就から見て,人手によらないこの政府の支配が全地に及ぶときは間近かです。間もなくエホバはその「手には権勢と能力」のあることを再び示すでしょう。パロとその軍隊を紅海に沈めたように,エホバはこの古い世の悪しき者を滅ぼします。そして昔ご自分の民を守ったのと同じく,この世の滅びの時にもご自分の民を保護して約束の新しい世に導きいれ御国の永遠の祝福に与らせるでしょう。

      エホバの大いなるみわざ,過去において行なわれたこと,また近い将来に行なうと約束されている事を考えるとき,エホバを賛美するのは全く当然ではありませんか。次のように祈ったダビデの手本にならう人は幸いです。「然ば我等の神よ我等今なんぢに感謝し汝の尊き名を賛美す」― 歴代下 29:13。

  • 魂を得るに至る信仰を行いにあらわす
    ものみの塔 1963 | 12月15日
    • 魂を得るに至る信仰を行いにあらわす

      1963年エホバの証者の年鑑から

      フィリピン共和国

      人口: 27,473,000

      最高伝道者数: 36,829

      比率: 746人に1人

      なんぢらの光を人の前に輝かせ,とのキリストの言葉に従うエホバの証者は,フィリピンにおいても大きな仕事を成し遂げました。良いたよりを宣明する仕事が心の正しい人にもたらしたものは,霊的な目ざめと明るい希望です。クリスチャンの光は輝かねばなりません。それは単に言葉だけでなく,生活の仕方そのものによってもなされねばなりません。クリスチャンが宣べ伝える事柄を,世の人々が聞き入れるかどうかは,伝える人の行動や態度によって大きく左右されるのです。フィリピンの支部の僕の報告は次の通りです。

      物質的な利害とか身体的な難儀などによって,「羊」に対する愛がそがれることはありません。特殊な区域に任命を受けた開拓者は,自分たちの区域を冗談ながら,「行って帰らぬ土地」と呼んでいます。なぜかと言えば,その区域へ行くためには岩のごろごろした道を通らねばならず,しかもその道幅は狭く,両側にはおゝいかぶさるように,とげのある草が茂っているので,靴はいたみ,傘は破れて,無事なすがたで戻れる事がないからです。姉妹たちはその道の悪さにねをあげることもありましたが,忠実は報いをもたらしました。最近,喜びあふれる30人の伝道者を持つ会衆がその地に設立されたからです。しかし,喜びはそれで終りではありません。新しい会衆の兄弟たちは,献身的に努力した二人の開拓者の忠実な模範に動かされ,6人のしもべを含む8人の伝道者が休暇開拓者となり,さらに正規開拓者になる事を望んだからです。次の詩篇の言葉はなんと意味深いではありませんか。「人は種をたづさへ,涙をながしていでゆけど,たばをたづさへて喜びてかへりきたらん」。―詩 126:6。

      神権的な家族が進んでたがいに協力し,すくなくとも家族の一人が開拓者になれるように努力するならば,開拓奉仕に対する熱意はいよいよ高められます。10人の子供を持つある父親は,家族の取りきめとして,子供たちは一人ずつ高等学校を終えたらすぐに開拓奉仕をすることに決めました。卒業までの間,子供たちは夏休みが来るたびに,休暇開拓奉仕をして,開拓奉仕に対する認識を深めました。この家族の計画には喜ばしい結果がありました。上の3人の子供は今特別開拓者であり,最近卒業した子供は正規開拓奉仕を始めるための準備をしており,残りの子供と母親は夏の休みに休暇開拓奉仕をしています。

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