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  • われわれは神に何を負っているか
    ものみの塔 1966 | 11月1日
    • られました。ところが,どうかすると動物にも劣るのではないかと思われるような人間がいます。昔のイスラエル国民の歴史の中で,神が人間について次のように言われたことがありました。「わたしは子を養い育てた,しかし彼らはわたしにそむいた。牛はその飼主を知り,ろばはその主人のまぐさおけを知る。しかしイスラエルは知らず,わが民は悟らない……彼らは〔エホバ〕を捨て,イスラエルの聖者をあなどり,これをうとんじ遠ざかった」。(イザヤ 1:2-4,〔文語〕)人は犬を呼んで,犬に答えさせることができます。しかし神のことばに答え応ずる人がどれだけいますか。この昔の国民は,自分たちを創造した神に対する務めを忘れました。そして神に従うだけの分別を持たなかったのです。今日,牛またはろばに劣るものと,創造者から言われることを望む人がいますか。

      神と人との関係

      7 神と人間との関係は,聖書にどのように描かれていますか。

      7 昔も今も変わらない,神と人との真の関係はどんな関係ですか。それは聖書の中で次のようにたとえられています。「〔エホバ〕からエレミヤに臨んだ言葉。『立って,陶器師の家に下って行きなさい。その所でわたしはあなたにわたしの言葉を聞かせよう』。わたしは陶器師の家へ下って行った。見ると彼は,ろくろで仕事をしていたが,粘土で造っていた器が,その人の手の中で仕損じたので,彼は自分の意のままに,それをもってほかの器を造った。その時,〔エホバ〕の言葉がわたしに臨んだ『〔エホバ〕は仰せられる,イスラエルの家よ,この陶器師がしたように,わたしもあなたがたにできないのだろうか。イスラエルの家よ,陶器師の手に粘土があるように,あなたがたはわたしの手のうちにある』」。(エレミヤ 18:1-6,〔文語〕)「ああ人よ。あなたは,神に言い逆らうとは,いったい,何者なのか。造られたものが造った者に向かって,『なぜ,わたしをこのように造ったのか』と言うことがあろうか。陶器を造る者は,同じ土くれから,一つを尊い器に,他を卑しい器に造りあげる権能がないのであろうか」。(ローマ 9:20,21)すべての人は,生きていることを心から神に感謝しなければなりません。

      8 人間が神の教えに耳を傾けることは,なぜ理にかなっていますか。

      8 神はみこころのままに人を造る権利を持たれるだけでなく,創造者として人間の行為を律する規則を定める権利を持たれています。このような規則は人間に益となります。製品の取り扱い方を定める発明者あるいは製作者の権利を疑う人はいません。飛行機製造会社は,飛行機の安全かつ満足な飛行のために所有者の守るべき操縦法また整備法を定めるではありませんか。飛行機製造会社にその知識がないと思う人はいません。それであるのに,人間は人間の製造者が人間の益をはかって与えた教えに耳を傾けるだけの分別を欠いています。最初の人アダムは完全な人間でした。それでも人間に対する定めにそむき,創造者の教えを無視して堕落と死を招きました。今日に至るまで,大多数の人間は創造者の教えに耳を傾けません。神のことばにしるされている神の教えは身体と精神の両面にわたって人間を益するものです。からだを正しく用いず,また神を無視したことは,人間の苦痛,病気,不幸を大きくしました。今日,精神また感情の面で不健全な人が多いひとつの理由は,神の道に従っていないことにあります。―創世 2:16,17; 3:17-19。

      9,10 (イ)神が人類に望まれているのは,アダムとエバのした事とは対照的などんなことですか。(ロ)義務とはなんですか。

      9 完全な人間を造り,しかも選択の自由を人間に与えるのは,神のみこころにかなったことでした。神が人間に与えられた最も強い,自然の欲求は,崇拝の欲求です。創造者を喜ばせ,また崇拝することを常に選び,神の定めに従って生活するのは,人間の務めです。アダムとエバは創造者のことばに聞かなくても,善とは何かを知ることができると考えました。そして罪を犯したのです。こうして死がすべての人に及びました。これはよく知られていることですが,それでも人類の大多数は,人間を益する神の定めに今なお従おうとしません。

      10 神はアダムとエバに何を望まれましたか。また全人類に何を望まれていますか。神はそのことを明らかにされています。「あなたの神エホバであるわたしは,専心の献身を求める神であり……」と言われているからです。(出エジプト 20:5,新世訳)人間に理知と思考の力とを授けられたエホバは,人間がこれらの賜物を正しく用いることを望まれています。明らかな理性と知恵に導かれる人は,創造者エホバ神に崇拝と奉仕をささげるため,自分からすすんで献身することでしょう。そうすることが正しいのを知っているからです。エホバ神の崇拝に専心することは,すべての人が創造者に対して持つ義務です。義務は上位者に対して行なわなければならない行為です。それは敬意と従順を示唆します。倫理学が示しているように,それを行なわないことが悪となる行為が義務と言われるものです。神に奉仕するのは人間の道義的な責任であり,したがってそれは良心の問題です。家庭における父親また子供の義務,従業員,医師,僧職者の義務がしばしば話題に上ります。しかし人間が神に対して持つ義務を,まず考慮すべきではありませんか。

      信仰が必要

      11 (イ)神はどんな崇拝を望まれますか。(ロ)どんな人はほんとうの信仰を持っていますか。

      11 神が地上の被造物,人間に求められるのは,人間が理知的に行動し,像を用いずに信仰によって神を崇拝することです。創造は神の存在を証明しています。神はそれ以上のもの,文字に書かれた導き,聖書を与え,人間が神のことを正しく知るようにされました。ローマ人への手紙 1章18節から23節によれば,偶像を使う人は無知であり,その思いは空しくなっています。自然界の観察と聖書の研究の両方から得られる知識によって,人は信仰を持つようになります。神が求められるのは,信仰に基づいた崇拝です。「信仰がなくては,神に喜ばれることはできない。なぜなら,神に来る者は,神のいますことと,ご自身を求める者に報いて下さることを,必ず信じるはずだからである」。(ヘブル 11:6)しかし創造者に喜ばれる信仰を持っているとすれば,そのことはどうしてわかりますか。信仰は外に表われない,秘められた資質ではありません。神の事柄について自分のしていることを調べるならば,自分の信仰の強さを容易に判断できます。神のことばに教えられているとおりに,神のみこころを行なっていますか。アブラハムとラハブのしたことに関連して,ヤコブの手紙 2章14,24,26節はこれを次のように述べています。「わたしの兄弟たちよ。ある人が自分には信仰があると称していても,もし行いがなかったら,なんの役に立つか。その信仰は彼を救うことができるか。これでわかるように,人が義とされるのは,行いによるのであって,信仰だけによるのではない。〔息〕のないからだが死んだものであると同様に,行いのない信仰も死んだものなのである」―〔新世訳〕。

      12,13 (イ)神に対する人間の務めは,聖書にどのように要約されていますか。(ロ)人間がそれをすることは,どのようにして可能ですか。

      12 エホバ神が被造物,人間にどんな行ないを求めていられるかは,全く明白です。聖書の二,三の句を読んでも,それは明らかとなります。「汝の神エホバの汝に要めたまふ事は何ぞや惟是のみ即ち汝がその神エホバを畏れその一切の道に歩み之を愛し心を尽し精神を尽して汝の神エホバに事へ 又我が今日汝らに命ずるエホバの誠命と法度とを守りて身に福祉を得る事のみ」。「汝の神エホバを愛し常にその職守と法度と律法と誠命とを守るべし」。(申命 10:12,13; 11:1,文語)「只エホバの僕モーセが汝らに命じおきし誠命と律法とを善く謹みて行ひ汝らの神エホバを愛しその一切の途に歩みその命令を守りて之に附きしたがひ心を尽し精神を尽して之に事ふべし」。(ヨシュア 22:5,文語)「人よ彼さきに善事の何なるかを汝に告げたりエホバの汝に要めたまふ事は唯正義を行ひ憐憫を愛し謙遜りて汝の神と偕に歩む事ならずや」。(ミカ 6:8,文語)「わが子よ,あなたの心をわたしに与え,あなたの目をわたしの道に注げ」― 箴言 23:26。

      13 しかしどうすれば人はこれらのことを行なえるかと,あなたは問われるでしょう。神の戒めを守るには,それを知らなければなりません。それは当然です。すなわち神のことば聖書をよく読むことが必要になります。知識は信仰の基礎です。そして神に対する信仰を表わすのは人の務めです。信仰を持つ時,創造者を喜ばせる行ないをすることができます。昔から信仰の人は神に対する務めをはたしてきました。ゆえにわたしたちにも同じことができ,神に負うものを神にささげることができます。神に負うものを神にささげた著しい例は,神の最初の理知ある被造物です。それはだれですか。アダムではありません。それは地上において人となった言です。(ヨハネ 1:1。コロサイ 1:15。黙示 3:14)イエス・キリストは,神に負うものをどのように神にささげるべきかを,身をもって人類に示されました。どうぞ次の記事をごらんください。

  • バプテスマは信仰を表わす
    ものみの塔 1966 | 11月1日
    • バプテスマは信仰を表わす

      「わたしはまいります…わが神よ,わたしはみこころを行うことを喜びます。あなたのおきてはわたしの心のうちにあります」― 詩 40:7,8。

      1 最もすぐれた信仰の手本を残したのはだれですか。彼はすでに子供の時からどのように信仰を示しましたか。

      イエス・キリストは,被造物が創造者に信仰を表わした,最もすぐれた手本です。イエス・キリストが地上の人となって行なわれた事柄の記録は,神のものを神に返そうと努力しているわたしたちにきわめて必要な導きとなっています。イエスは,文字にしるされた神の律法を持ち,それを守る契約の義務の下にあった国民の中に生まれました。その国民の多くは神の律法を守っていませんでしたが,イエスの子供の時からの行ないは,イエスがエホバに強い信仰を持っていたことを示しています。

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