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神はさばきにおいても愛ある親切を示されるものみの塔 1972 | 1月1日
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不義をおこなひエホバの稜威を見ることをこのまず」― イザヤ 26:10。
神が最終的に行動を起こされるとき,その正しい法律の施行にはなんの不公平もありません。神の怒りは制御された怒りであって,死に価する者だけを処刑されます。(箴言 2:21,22)神の戦争は,善人も悪人も無差別に殺す諸国家の戦争とはちがいます。「天下をさばく者」であられる神は正しいことを行なわれること,そして神がある者を滅ぼされるなら,その人はほんとうに義を望まない者であることはたしかです。(創世 18:25。箴言 21:10)その人の心には義をいれる場所がないのです。
愛ある父
このようなかた以外のどんな神を人は自分の神にしたいと願うでしょうか。子どものためを思って子どもを懲らしめ,しかも子どもを愛して,子どもが必要とする良いものすべてを備える父親をわたしたちはありがたいと思います。使徒は仲間のクリスチャンに次のように告げています。
「また我らの肉体の父は,我らを懲しめし者たるになほこれを敬へり,ましてたましひの父に服ひて生くることをせざらんや。そは肉体の父は暫くの間その心のままに懲しむることをせしが,たましひの父は我らを益するために,その聖潔にあづからせんとて懲しめ給えばなり。すべての懲戒,今は喜ばしと見えず,かへって悲しと見ゆ,されどのちこれによりて練習する者に,義の平安なる果を結ばしむ」― ヘブル 12:9-11。
したがって愛ある父のもとに来るように神のもとに来て,神について学び,神の矯正をうけ,しるされた神のみことばに一致してことを行なうのは,わたしたちの義務です。神は今,すべての人々の幸福と福祉のために,全地をおおう正義の新しい秩序のもとで住むべく人々を準備させておられます。あなたも,他のすべての人と同じく,今その機会を捕えることができます。
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義の新秩序のために備えるものみの塔 1972 | 1月1日
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義の新秩序のために備える
神は,ご自分の律法に基づいて義をもって治められる地上に人類を幸福に住まわせるという目的を明らかにしておられます。しかし,神は,人類にとってそうした好ましい状態をもたらすのに世界を改宗させようとはされません。諸国民が聖書の規準からますます逸脱してゆく現状からすれば,それはまさに明白です。
神は大洪水以前の世界を改宗させるかわりに,それを滅ぼされました。こうしるされています。「エホバ人の悪の地に大なると其心の思念の都て図維る所の恒に惟悪きのみなるを見たまへり」。とはいえ,エホバは愛ある親切から『心に憂い』て,人々を処罰する前に120年の猶予期間をお与えになりました。当時の人々が滅びたのは,あやまった道をみずから選んだためでした。―創世 6:3,5,6。
この歴史的な事実はわたしたちにとって興味深い事柄です。なぜなら,イエス・キリストはこう言われました。『人の子の臨在はちょうどノアの日のようだからです。人々は洪水が来て,彼らすべてを流し去るまで注意しませんでした』。―マタイ 24:37-39,新。
備えをする人々だけが生き残る
神は現在の事物の体制を滅ぼして,何も存在しない状態をもたらそうとしておられるのではありません。つまり,地球の住民を絶やそうとしているとか,神の方法を知らない,あるいは神の主権を認めようとしない人々をわずかに残そうなどとしておられるのではありません。
大洪水を生き残って箱船を出たのはノアとその家族,合計わずか8人だけでしたが,彼らは無知な人々ではありませんでした。神の原則を実践しながら生活していたのです。事実,ノアは600年もの間そうした生活をしていました。人間がふたたび地上でふえはじめた時,ノアは,『神と偕に歩ん』で得た知恵を働らかせて,なすべき事柄に対して正しい指示を与えることができました。―創世 6:9; 7:11。
神は今,新秩序での生活に備える機会,つまり命への道を歩む機会を人類に与えておられます。あなたは,「天の王国が近づいた」と宣布することばをお聞きになりましたか。地上がまもなく楽園のような状態になり,人間はそこで永遠に生きられるようになるということを,お宅か職場,あるいは他の場所でだれかからお聞きになりましたか。もしそうなら,あなたは天の王国がほんとうに近いことを認識しておられるかもしれません。そして,その宣布のわざは,人々に生き残る道を知らせ,生き残れるよう人々を訓練するために神が行なわせておられる教育のわざであることに気づいておられるかもしれません。
神の律法を研究し,それを生活面で今実践するならば,新秩序における生活に備えることができます。たいせつなのは,この世の科学,政治,哲学の教育ではありません。そうした教育は生き残るための助けとはなりません。その種の知識は単なる情報にすぎず,真の知恵とはいえません。仲間の人間と仲良くし,また創造者と一致して暮らす方法を知る助けとはならないからです。宇宙の創造者または設計者としての神はご自分の創造物に関してすべてをご存じです。神の律法を知って従うことこそ真の知恵です。
今日,大ぜいの人々は知識を追い求めていますが,進んで神に従おうとする心を持つ人は多いわけではありません。神の目に価値があるのは徹頭徹尾忠節で信頼のおける,良い心を持つ人々です。神は,ご自分の新秩序下の地上の組織された社会に必要な技術的分野その他いっさいの知識をそうした人々に知恵とともにお与えになります。彼らは地を「服従せて」楽園にし,神に栄光を帰すことになるでしょう。―創世 1:28。
神の新秩序とその政府の取り決めについて聖書はなんと述べていますか。
その新秩序のためにどんな政府が用いられるか
現在の事物の体制下の政府はしばしば多数の人間の集団で構成されています。政府の立法,司法および行政の各機関はかなりの人員で構成されています。聖書によれば,そうしたこの世の諸政府は,目に見えない支配者の一団の配下にあります。その支配者たちとは邪悪な霊者で,目に見えないために人類の大多数の人々には知られていません。キリストの使徒のひとりは,悪魔の策略に対抗して堅く立たねばならないとクリスチャンに助言した後,こう続けています。
「なぜなら,わたしたちは,血肉に対してではなく,諸政府に対して,諸権威に対して,このやみの世の支配者に対して,天の各所の邪悪な霊の勢力に対して闘争しているからです」― エペソ 6:11,12,新。
現在の人間の社会である「地」を治める,目に見えない支配勢力を成している「天」すなわちそれら邪悪な霊者は,取り除かれることになっています。『諸天は過ぎ去る』と使徒ペテロは述べました。次いで,「新しい天」が,義にかなう人間社会である「新しい地」を支配します。(黙示 21:1-4,新)聖書は,この「新しい天」を神の用いられる王また大祭司であるイエス・キリストと,その仲間の王で従属の祭司である14万4,000人によって構成されるものとして描写しています。人類を治めるための,目に見える政府の取り決めがありますか。―黙示 14:1,3,4,新; 20:4,6。
詩篇 45篇の中で,霊感を受けたその作者は王に話しかけるように語っています。クリスチャン・ギリシア語聖書はこの詩篇を引用してイエス・キリストに適用しています。(詩 45:1,6,7。ヘブル 1:8,9)詩篇作者はこの詩篇の中で王にこう語りかけています。「なんぢの子らは列祖にかはりてたち なんぢはこれを全地に君となさん」。(詩 45:16)ノア,アブラハム,ダビデのような義人は,肉的にはイエスの祖先にあたります。彼らは忠節の人であり,忠誠を実証しました。彼らは,キリストのあがないの犠牲を通して復活にあずかるゆえに,『とこしへの父』であられるイエス・キリストの「子ら」になります。(イザヤ 9:6)他のそうした,神に対する破れることのない忠誠の人とともに,彼らは目に見える「君」を構成します。預言者イザヤがしるしたとおりです。
「ここにひとりの王あり正義をもて統治めその君たちは公平をもて宰さどらんかくて正義のいさをは平和 せいぎのむすぶ果はとこしへの平穏とやすきなり わが民はへいわの家にをり思ひわずらひなき住所にをり安らかなる休息所にをらん」― イザヤ 32:1,17,18。
こうして,この古い体制の滅びを生き残る人々は,「新しい天」のもとで,また「新しい天」を通して伝達される情報に従って働く一団の「君たち」とともに,完全性に向かって急速に進歩してゆきます。キリストの犠牲は生きている人々のためばかりでなく,死者のためのものでもありますから,人々は復活させられ,それから,生き残る希望をいだく人たちが現在守っているのと同じ原則を教えられるでしょう。―使行 24:15。テモテ後 4:1。
現在,全能の神の正しい義の原則を知ろうとする人はだれでも,それを容易に理解します。聖書全巻を神の霊感を受けたものとして受け入れて,生活をその原則に誠実に一致させる人々は,義の新秩序での生活に備えているのです。そのような人は,「あなたの王国を来させてください。あなたの意志を天におけるように地にも行なってください」と,確信をもって神に祈れます。神の意志と目的が成就し,真の平和が地上にもたらされる道を開くため,まさしくその王国は『来て』,諸国民と衝突します。―マタイ 6:10,新。
あなたはこうした変化を望まれますか。地上の状態に生ずるそうした変化は,あなたにもなんらかの変化を要求するかどうかを喜んで調べてみたいと思われますか。
[27ページの図版]
神のみことばを学んでそれに従うことは,神の新秩序での生活に備えるのに肝要
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あなたはほんとうに変化を見たいと思っておられますかものみの塔 1972 | 1月1日
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あなたはほんとうに変化を見たいと思っておられますか
今日,生活の現状を直視する大ぜいの人びとは,その変化を見たいと思っています。
どんな見出しの記事が新聞に載せられるようになって欲しいと思うかと尋ねられると,世界平和,犯罪や汚染の除去,ガンの治癒を上げる人もいれば,自分たちの望む政治的な変改を指摘する人もいます。
税金や世界的な食糧不足の問題もうんぬんされます。
清浄な空気と水およびすべての人のための健全な食物に恵まれ,生態学的均衡を保ち,圧政の終わった平和で豊かな世界は確かに望ましいものです。
こうした望ましい状態がすべて同時に存在するためには,この世界は相当の変化を経なければなりません。そうした変化はどれほど広範に及ぶものでしょうか。それは日常生活の個人的な調整を要求しますか。もしそうであれば,今そうした調整をすることが自分にとってたとえひどく不都合であっても,喜んでそうしますか。
すでに指摘したとおり,世界のみじめな状態をもたらした責任はすべて支配者にあるわけではありません。もし個人個人が法律に服せば,犯罪の問題はありません。各人が隣人,職場の同僚,雇用者や従業員に思いやりを示し,正直かつ親切に人を扱うなら,偏見や憎しみはなく,ストライキのための業務停滞もありません。もし各自が喜んで,また真の興味と関心をいだいて働くなら,経済ははるかに安定し,税金は相当下がるでしょう。
とはいえ,これが今日の実情ですか。たとえば,普通の従業員は雇用者の所有物である資材・供給物・装備などをどう考えていますか。『これは小さな品物だから,取ったってかまうものか。それに,会社は余裕があるんだ』とか,『会社はたくさんもうけていながら,とにかく十分の給料をくれちゃいないんだ』などと考えますか。人びとは概して他人の所有物をぞんざいに扱いますか。公園・手洗い・街路・公共建造物など公共の施設の扱い方についてはどうですか。そうした施設に対するあなたの態度はいかがですか。こうした点での態度や習慣を改めるのは容易ではありません。しかし,そうした習慣は今日の社会の問題の基本的な原因の一つであり,義にのっとった社会とは全く相容れません。
さらに,もしおのおのが仲間の人間に対して愛をいだいているならば,もはや戦争はありません。また,もし進んで積極的に愛を表わし,人を助けるためにわざわざ努力を払い,自分自身に対するように隣人のことを気にかけるなら,真の平安と緊張からの解放がもたらされるでしょう。同胞に対してそうした深い関心をいつも示しておられますか。
望ましい世界に住む人たちはみな各自行動する,つまり各自自分の生活を大きく変えねばならないことは明らかです。そうした変化を遂げて,こうした点に沿って自分の生活を規制しないなら,他の人の迷惑となり,折り合ってなどゆけるものではありませんし,その世界の平和とのどけさにふさわしい人とはなれないでしょう。
神の約束による義の新秩序は,まさにそうした望ましいりっぱな取り決めを意味しており,さらに,完全な健康に恵まれた永遠の命の賞を伴います。聖書は,これまでに論じてきた良い状態を神のメシヤによる王国の支配下の地上で実現されるものとして描写しています。このすべてはあなたにどう訴えるものですか。
あなたは聞いて行なう人ですか
聖書の約束する,人間のための物質上の益にあずかりたくない人はまずいませんが,すべての人が自分の生き方を変えて,物質主義を退け,霊的な思いを持ちたいと願うわけではありません。そうした人びとは,神の預言者エゼキエルが次のように語りかけた,バビロン在住のユダヤ人に似ています。
「彼ら民の集会のごとくに汝に来り吾民のごとくに汝の前に坐し汝の言を聞ん然ども之を行はじ彼らは口に悦ばしきところの事をなし其心は利にしたがふなり彼等には汝悦ばしき歌 美しき声 美く奏る者のごとし彼ら汝の言を聞ん然ど之をおこなはじ」― エゼキエル 33:31,32。
事態が神の新秩序におけるすぐれた状態に変わるのを心から見たいと願う人は,使徒ペテロから,「この曲れる代より救ひ出されよ」と言われた人たちのようになります。彼らはまさに真摯な態度で,「兄弟たちよ,我ら何をなすべきか」と尋ねました。(使行 2:37,40)そうした願いをいだく人は,イエスの教えに耳を傾けるや,相当の費用がいるにもかかわらず,自分のあやまちを正して生活を変えるべく直ちに行動した収税吏ザアカイと同様の態度を取るようになります。(ルカ 19:2,8,9)また,言いわけをしたり,内心で差し控えたりしなかったために,『[エホバ]がその心をひらき謹みて使徒パウロの語る言をきかしめ』られた,テアテラの町のルデヤのようになるでしょう。―使行 16:14,15[新]。
広範にわたる有益な変化
前述の望ましい事がらすべてをもたらす変化を起こせる唯一のかたは創造者です。「なんぢ手をひらきてもろもろの生るものの願望をあかしめたまふ」と実際に言いうるのは創造者についてだけです。(詩 145:16)この変化は生きとし生けるものすべてに影響を及ぼします。地の象徴的な「基」が均衡を失うからです。エホバはご自分の契約の民イスラエルの支配者また審判者たちの不正に言及し,民の実情についてこう言われました。「かれらは知ることなく悟ることなくして暗中をゆきめぐりぬ 地のもろもろの基はうごきたり」。(詩 82:5)神はご自分の預言者イザヤを通して言われました。「地はうれへおとろへ世は萎おとろへ地のたふときものも萎はてたり 民はおきてにそむき法ををかし とこしへの契約をやぶりたるがゆえに地はその下にけがされたり」― イザヤ 24:4,5。
これらのことばは,神との契約関係にあると唱えるキリスト教世界にいっそう大規模な仕方であてはまります。しかしながら,詩篇作者は,本来そうあってしかるべき事態,また神の新秩序に見いだされる事態を描写しています。霊感の歌の中で,「獣もろもろの牲畜はふもの翼ある鳥」もろともにエホバを賛美するようにとの命令が,老若男女を問わず,あらゆる種類の人びとに差し伸べられています。(詩 148:10-13)こうして全創造物は調和を回復し,幸福と無限の益があらゆるものにもたらされるのです。
したがって,あらゆる人,すなわち神が最初に人間を作った時の状態のもとで生きたいと願う人すべての生活には,広範に及ぶ大規模な変化がぜひとも生じなければなりません。しかし,それは確かに価値ある変化であり,真の幸福をかち得る唯一の道です。どのようにしてそうした変化を遂げることができますか。「あなたは何を行ないたいと思いますか」と題する次の記事でこの問題を論ずることにいたします。
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あなたは何を行ないたいと思いますかものみの塔 1972 | 1月1日
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あなたは何を行ないたいと思いますか
この雑誌,中でも「諸国民すべてが神と正面衝突する時」と題する記事をお読みになったあなたは,今わたしたちが直面している事態および今や世界を襲おうとしているできごとに関する神のみことばからの情報を考慮してこられました。あなたは事前に危険を知らされたのです。
あなたの前には他のすべての人の場合と同様,あなたは何を行なえますか,それよりもむしろ,あなたは何を行ないたいと思いますか,という問いが提起されています。欲する人は,安全な道を取れるからです。
だれもが決定を下さねばならない
何もせずに,「じっとすわって」成り行きを見守るだけでは安全は決して保証されません。神のことばはいたずらに述べられてはいません。イエスはたとえを述べて問題を明らかにしておられます。
「さらば凡て我がこれらの言をききて行ふ者を,磐の上に家をたてたる慧き人に擬へん。雨ふり流漲り,風ふきて其の家をうてど倒れず,これ磐の上に建てられたる故なり。すべて我がこれらの言をききて行はぬ者を,沙の上に家を建てたる愚なる人に擬へん。雨ふり流漲り,風ふきて其の家をうてば,倒れてその顛倒はなはだし」― マタイ 7:24-27。
ここでイエスが言及しておられる「これらの言」は,何か無理なことを聞き手に要求するものではなく,神と同胞の権利に対して純粋の敬意をいだく人すべてのなすべきことのみを求めることばです。マタイ伝 5章から7章にしるされているキリストの山上の垂訓を読んでみると,まず第一に,キリストは,霊的な必要を意識し,義を求め,純粋な心をいだき,平和的であることの重要性を強調しておられることがわかります。また,正しい生き方を強調し,天の王国,および天の王国と神の義を求める必要を再三指摘されました。イエスは,こうした教えに対する従順のうちに安全を見いだせると言われました。
自由意志の問題
こうした事がらすべてを行なうかどうかは各人の自由意志にゆだねられており,だれひとり強制されてはいません。神は愛をもって支配することを喜びとしておられます。使徒ヨハネは,『神は愛なり』と述べ,エホバご自身,『われはエホバにして地に仁恵と公道と公義とを行ふ者……なり我これらを悦ぶなり』と言われました。―ヨハネ第一 4:8。エレミヤ 9:24。
神が,理知ある人間個人個人にご自身の主権を認めて受け入れるかどうかを選択させるということは,創造者としての威厳とその主権とにかなっています。神はご自分に対する奉仕に対してだけでなく,第一に心の動機に関心を持ち,『われエホバは[心]を察る』と言明しておられます。霊感を受けた記述者は,「エホバは人の心をはかりたまふ」と述べました。(エレミヤ 17:10[新]。箴言 21:2)神は人間の偉大な能力から感銘を受けるわけではなく,また忠節の単なる見せかけや告白を受け入れられるわけでもありません。人は真実のわざで自分の忠節を実証しなければなりません。
もとより,キリスト教を奉ずると唱える組織は,神への強い信仰,神のみことばの知識,その王国に対する忠節を成員に薫陶すべきです。しかしながら,こうした問題を真剣に検討すると,自分の属している宗教組織は聖書の真理を教えていないことが明らかになる場合もあります。もし,その組織が聖書の理解をあなたに与えず,したがってあなたが聖書を他の人に説明できなかったり,さらに,その組織が悪行を黙認し,金持ちや有力者をひいきにし,また聖書に反する教理を説いたりするなら,あなたはどうなさいますか。「[エホバ]いひ給ふ,汝等かれらの中より出で,之を離れ,穢れたる者に触るなかれ」との命令に従われますか。
どこに頼るか
では,何に,あるいはどこに頼るべきですか。はなはだしい唯物主義と化した無神論的な進化論にも,完全な孤立主義の理論にも頼れません。それは義を求めることでもなければ,そこには安全も見いだせません。むしろ,神は前述のことばに続けて,忠実な信仰の持ち主に,『さらば我なんぢらを受けん』と述べ,ご自分の世話のもとに来る道を示しておられます。―コリント後 6:17。
まず第一に,理解の目をもって聖書を読み,かつ研究することは緊急な,つまりこの重大な時代において生死にかかわる事がらです。聖書を理解し,あなたの質問に対する答えを聖書に見いだしうる人たちの助けを受けるなら,聖書を理解する点でずっと早く進歩できることに気づかれるでしょう。
この事物の体制の終わりの直前の今,クリスチャン,つまり神の王国の良いたよりを伝道し教え,かつ自分の生活を聖書の原則に合わせている奉仕者の団体あるいは協会があります。それら奉仕者は,イエスの次の命令に従って時間と精力を費やしています。「然れば汝ら往きて,もろもろの国人を弟子となし,父と子と聖霊との名によりてバプテスマを施し,わが汝らに命ぜし凡ての事を守るべきを教へよ。視よ,我は〔事物の体制の終局〕まで常に汝らと偕に在るなり」― マタイ 28:19,20〔新〕。
このわざは,使徒パウロが言明したとおり『片隅』で行なわれるのではありません。(使行 26:26)それは国際的なわざで,神のみことばを信ずる人たちは世界中で,神とキリストとにあって仲間の信者と交わります。使徒ペテロは,「兄弟たちの交わり全体に対する愛をいだき(なさい)」としるして,この点を確証しています。―ペテロ前 2:17; 5:9。
こうしてエホバの証人はこの教えるわざを遂行する点で提携し合っています。証人は自分が本来,あるいは先天的に他の人よりすぐれているとか賢いとは考えませんが,聖書の研究を通して,またこのクリスチャンの協会の他の人びとの助けを受けたからこそ物事を知っており,このことを感謝しています。また,「この事物の体制に合わせて形づくられるのをやめなさい。むしろあなたがたの思いを作り変えて,みずからを一変させなさい。あなたがたが神の善良で,好ましく,かつ完全な意志を自分自身に実証するためです」という命令に従っています。―ロマ 12:2,新。
さらに調べるよう勧められています
この雑誌をお読みになっても,未解決のままの疑問をお持ちかもしれません。聖書をお読みになるようエホバの証人はお勧めいたします。また,ご都合のよい時に無償で喜んであなたと聖書の研究を行なえます。聖書の述べる事がらをいっそう十分に調べて吟味し,あなたご自身とあなたの愛しておられるかたがたのための安全な道として聖書が勧める進路を取るのは,人を建て起こす,励みの多いものであることに気づかれるでしょう。
誠実に『求めつづける』人は真理を見いだせるということを神のみことばは保証しています。(マタイ 7:7,新)イエスの名によってエホバ神に祈り,正しい道を見いだせるよう神に助けを請い求めるなら,神はあなたに答えてくださいます。イスラエルの王ダビデは述べました。「[エホバは]その道をへりくだる者にしめしたまはん」。そして,あなたに対する神の暖かい愛は,「されど神は我等おのおのを離れ給ふこと遠からず」と述べた使徒パウロのことばに表わされています。―詩 25:9。使行 17:27。
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