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  • 神からの独立 ― なぜ間違っていますか
    ものみの塔 1985 | 11月1日
    • を生み出したので,エホバはその不敬虔な人々の世を滅ぼすことを決意されました。独立したそのみ使いたちは悪霊となり,現在,人類の間でそれと同じ破壊的な反逆の精神をあおっています。―創世記 6:1-7,11。エフェソス 2:2。ユダ 6-12。

      神の導きの必要

      先に述べたいろいろな事実は,一つの基本的な真理を認識する助けになるはずです。つまり,良い結果を生む,すばらしい生き方をするには神の導きに頼らなければならないということです。聖書に,「エホバよ,地の人の道はその人に属していないことをわたしはよく知っています。自分の歩みを導くことさえ,歩んでいるその人に属しているのではありません」と記されている理由の一つはそこにあります。(エレミヤ 10:23)昔の賢人ソロモンは,神の導きから離れて個人的な基準を作り,それを生活の導きとすることの危険を認めていました。「人の前には廉直な道であっても,後にその終わりが死の道となるものがある」と,ソロモンは書いています。―箴言 14:12。

      この点を二つの面から例えによって考えてみましょう。もし民間航空機のパイロットが皆,空港から出される指示を無視して自分の好きな時に,好きな所へ飛行機を着陸させるとしたら,空の旅はどれほど安全でしょうか。あるいは,建築作業に従事する人々のグループが青写真をほうり出して,それぞれが自分の受け持っている部分を自分の思い通りに作るとすれば,どんな建物が出来上がるでしょうか。秩序ある社会が存在するには,基準に従わなければならないということが理解できます。

      その指針を設けるのに,人間の創造者であるエホバ以上の適任者はいません。エホバ神は,創造者であるがゆえに,理知ある被造物が生活の指針とすべき基準を設ける絶対の権利をお持ちです。被造物の人間にはその権利はありません。エホバは人間の限界を知っておられます。幸福と悲しみの境界線がどこにあるかを正確にご存じです。(使徒 17:26,27)神の道に従えば実際にうまくゆくことが,実生活における経験で幾度となく実証されています。神の道に従うのが人間にとって最善の道です。

      神の定めた基準とは何だろうかと憶測する必要はありません。エホバはご親切にもそのみ言葉である聖書の中でわたしたちに告げておられます。「この律法の書があなたの口から離れてはいけない。あなたはそれを昼も夜も小声で読まなければならない。注意してそこに記されているすべてのことをそのとおりに行なうためである。そうすればあなたは自分の道を成功させ,賢く行動できるからである」。(ヨシュア 1:8)使徒パウロは,神の基準が包括的であることを説明し,テモテ第二 3章16節と17節に次のように書いています。「聖書全体は神の霊感を受けたもので,教え,戒め,物事を正し,義にそって訓育するのに有益です。それは,神の人が十分な能力を備え,あらゆる良い業に対して全く整えられた者となるためです」。

      エホバは,「神の善にして受け入れられる完全なご意志を自らわきまえ知るため」ご自分の基準を試してみるよう,わたしたちに勧めておられます。(ローマ 12:2)それを正しく行なうためには言うまでもなく聖書の徹底的な研究が必要です。聖書研究を始めてまだ日の浅い人であろうと,あるいは何十年も聖書を研究している人であろうと,正確な知識を得,かつ神のご意志に対して内なる目を開くという目標を持つのはとても重要なことです。このようにして知覚力を常に働かせて訓練しないなら,エホバが設けられた指針に焦点を合わせておくことはできません。―ヘブライ 5:14。

      エホバの基準を無視すれば災いを身に招くことになります。人が自分の理解だけに頼って物事をうまく行なうには,その行く手を阻む障害物が余りにも多すぎます。まず,サタンとその配下の悪霊たちの,巧妙で超人間的な影響と闘わなければなりません。(ヨハネ第一 5:19。啓示 12:12)それから不従順の精神や極端な利己主義の染み込んだ,全世界にわたる,人間の事物の体制があります。(エフェソス 2:2。ヨハネ第一 2:15-17)また,自分自身の不完全さや,心の欺まん的な傾向とも闘わなければなりません。(詩編 51:3-5。エレミヤ 17:9,10)ですからエホバの導きなしで生活することは,ハンドルのない車に乗るのと同じほど道理に外れたことです。

      イエス・キリストは,神の導きの真の価値を認識していた人の最も優れた模範です。イエスは完全であったにもかかわらずご自分について,「子は,自分からは何一つ行なうことができず,ただ父がしておられて,自分が目にする事柄を行なえるにすぎません」と言われました。(ヨハネ 5:19)イエスは自分を喜ばせるために生きたのではありません。別の時には次のように言われました。「私(は),自分では何事もせず,ただ御父に教えられたとおりにこれらのことを話した……私をおつかわしになったお方は,私とともにおいでになり,つねにみ旨にかなうことを行なう私を,ひとりでお置きにならない」。(ヨハネ 8:28,29,バルバロ訳)あなたは,イエス・キリストが認めておられたのと同じ基準を導きにしたいと思いますか。―ペテロ第一 2:21。

      神の導きを受け入れる価値

      エホバは「幸福な神」です。(テモテ第一 1:11)エホバはわたしたちから健全な楽しみや刺激や幸福を奪い取りたいとは思っておられません。ローマ 1章28節から32節にはっきり述べられている事柄をしばらく考えてみてください。神から独立すれば悪い結果をもたらすことにしかなりません。新英訳聖書によるとその部分は次のようになっています。

      「このように,彼らは神を認めることをよしとしなかったので,神は彼らを自分自身の堕落した理性に引き渡された。そのために彼らは行動の規則をすべて破るようになる。彼らはあらゆる不正,害悪,貪欲および悪意であふれ,ねたみ,殺意,対抗心,詐欺および悪念の固まりであり,ささやく者,悪口を言いふらす者であり,神を憎み,不遜で,ごう慢で,大言壮語する者であり,新手の悪事を考え出し,親に忠誠を示さず,良心がなく,約束に忠実でない者であり,自然の情愛がなく哀れみのない者である。彼らはこのように振る舞う者が死に値するという神の公正なおきてをよく知っていながら,それでもなおそれを行なう。そればかりか,そのような習わしを実際に称賛する」。

      一方,神の基準に従うことを選ぶ人々は,古い人格を独立の精神と共に脱ぎ捨て,その代わりに新しい,キリストのような人格を着けるよう勧められています。その新しい人格には,人に対して親切になり,優しい同情心を示し,惜しみなく許すようになることが含まれます。(エフェソス 4:20-32)そして,「愛,喜び,平和,辛抱強さ,親切,善良,信仰,温和,自制」などの神の聖霊の実という形で外に表われます。―ガラテア 5:22,23。

      両方の人格をよく考えてみて,あなたはどんな人ですか。自分の友達にどちらの人格が見られるのが望ましいと思いますか。

      さらに,聖書の教えによると,非常に近い将来,不敬虔な人はすべて神の手によって滅ぼされます。(ペテロ第二 3:7。テサロニケ第二 1:7-9)イエス・キリストが預言されたところによると,神が地を清められる直前に,一般の人々はノアの時代の人々と同じほど,神の基準に従うことに対して無関心な態度を示します。(ルカ 17:26-30)ですから,神がお定めになった指針の価値を十分に認識することは急務です。ノアにとって当時それが必要であったのと同じく,今日のわたしたちにとってもそれは生き残るために是非とも必要です。

      したがって,神から独立することは真の幸福をもたらしません。神のご意志を行なう時に真の幸福は訪れます。エホバの導きに従う人々は,キリストのような人格を持つ人々で満ちる地上で永遠に生きるという報いを受けます。―詩編 37:27-29。

  • 「私は温かい気持ちでいっぱいになりました」
    ものみの塔 1985 | 11月1日
    • 「私は温かい気持ちでいっぱいになりました」

      バートは英国に住んでいます。オーストラリアに,エホバの証人である実の兄弟エリック夫婦がいるのでそこへ行き,6週間一緒に過ごしました。エリックから王国会館へ行こうと誘われたとき,バートは宗教が違うのでためらいました。しかし温かい,友好的な態度で迎えられてすっかり驚き,英国へ戻ってからその会衆に次のような感謝の手紙を書きました。

      「私は英国国教会の活動的な会員ですから,証人でないことを認めなければなりません。それでエリックとジョーンに連れられて証人の日曜日の礼拝に行ったとき,私は幾分不安を抱いておりました。

      「でも恐れることは全く何もありませんでした。私は,会衆を挙げて,と言ってもいいほどの歓迎を受けました。それは本当に兄弟愛と誠実さのこもったもので,全く未知の者でありながら,訪問者としてではなく,会衆の歓迎される成員として受け入れられたという温かい気持ちでいっぱいになりました。

      「皆さんの礼拝や証言を十分に理解することはできませんでしたが,それでも集会が終わって帰るとき,その経験は自分にとって非常に有益だったと思いました。そして,礼拝全体を通して明らかに見られた愛と誠実さを,非常に問題の多いこの世界に広めることがどうしてできないのだろうかと思いました。

      敬具

      バート B」。

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