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どんな理由でエホバに奉仕しますかものみの塔 1970 | 5月1日
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であられるからです。エホバはいっさいの物事に対する正当な権威を所有しておられます。エホバはご自分の創造物に,あることを命じ,またあることを禁ずる権利をお持ちです。預言者エレミヤはそのことをこう言い表わしました。「地上の人間の道は人間が決めるものでないことを,わたしはよく知っています。自分の歩みを定めることさえ,歩く人に属していないのです」。そのうえ人の目に見えないものをも含め万物の創造者であられるエホバは,ご自分の全創造物の所有者でもあられます。地上の創造物は,神の所有物である地球の住人です。「われらを造りたまへるものはエホバにましませば我らは[エホバ]のものなり」。それゆえわたしたちが,自分の利己的な目的ではなく,エホバのお目的に仕えるのはほんとうに正しいことです。―エレミヤ 10:23,新。詩 100:3[新]。
加えて,エホバ神はわたしたちにまず最初に命を与えられただけでなく,太陽や雨など,命を保つに必要なものすべてをも与えておられます。アレオパゴス,つまりマルスの丘に集ったギリシアの哲学者たちへの話の中で,使徒パウロはそのことを,「わたしたちは神によって生き,動き,存在している」と語りました。―使行 17:28,新。詩 36:9。マタイ 5:45。
エホバ神に奉仕するのは,エホバに当然ささげるべきものをささげることにほかなりません。それできわめて適切にも,イエスは,「神のものは神に返しなさい」と言われました。(マルコ 12:17,新)神はわたしたちに命を与え,同時に知的,感情的,また身体的な力また能力を与えてくださいました。わたしたちは神に奉仕することにより,これらに対して神にお返しすべきです。それ以外の方法はありません。自分の心と魂と思いをつくして神を愛し,自分自身のように隣人を愛するという二つの大きな戒めを実行するならば,わたしたちは神のご要求にかなうことになるのです。(マタイ 22:37-39)それで,当然になすべき正しいことであるがゆえに,わたしたちはエホバ神に奉仕すべきです。わたしたちにはエホバに奉仕する務めがあるのです。これは三重のきずなの第二のものと言えるでしょう。
愛すべきこと
しかし,エホバに奉仕する最大の理由は,それが愛すべきことだからです。つまり,エホバがわたしたちのためにしてくださったことだけでなく,エホバの持たれる属性に対する愛と感謝のゆえに奉仕すべきです。
エホバ神は人間が仕えることのできる主人の中では,最も賢く,最も公正で,最も愛のあるかたです。古代のイスラエルにおいては身を売られてしもべとなる者がいましたが,普通以上にやさしく,愛と思いやりのある主人に恵まれたしもべの中には,自分の奉公の期間が終わったのちにも,その主人に引きつづき仕えたいと考える者がいました。その場合には,心のやさしい主人に対する愛情のゆえに終身のしもべとなることを願い出ることができました。エホバ神はそのような愛と思いやりのあるやさしい主人ですから,エホバによって生を受けた者すべては,エホバへの愛のゆえに,永遠にそのしもべであることを願うべきでしょう。―申命 15:12-17。
そうです,ただ愛と感謝のゆえにわたしたちはエホバ神に奉仕すべきです。エホバはすべての良い賜物と完全な賜り物の与え主であられます。(ヤコブ 1:17)エホバご自身は愛であられ,原則にのっとった無私の愛を体現しておられるかたです。(ヨハネ第一 4:8)人類の世に深い愛をいだかれたエホバは,ご自分のひとり子を地上につかわし,御子が世の罪を除く神の小羊として人類のために死ぬことを定められました。一使徒はこうしるしています。「愛とは,わたしたちが神を愛してきたことではなく,神がわたしたちを愛し,わたしたちの罪のためのなだめの犠牲と[なって死ぬため],ご自分の御子をつかわされたことである」。―ヨハネ第一 4:10,新。ヨハネ 1:29; 3:16。
エホバ神への愛にとどまらず,仲間の人間に対する愛のゆえにも,わたしたちはエホバへの奉仕を願うべきです。わたしたちが自分の隣人のためにできる最大の善は,その人がエホバ神とイエス・キリストに関する知識を取り入れるように助けることです。なぜ? イエスご自身が言われたとおり,『唯一のまことの神と,神のつかわされたイエス・キリストとの知識を取り入れること,これは永遠の命を意味(する)』からです。そして,永遠の命の見込みにまさるどんな祝福を人は望めるでしょうか。―ヨハネ 17:3。
確かに,エホバ神に奉仕するのは賢明なことです。それは現在と将来における数多くの報いをもたらすからです。エホバに奉仕するさらにすぐれた理由は,それが正しいことであるからです。そしてエホバに奉仕する理由のうち最善のものは,愛のゆえに,つまりエホバの属性,およびエホバがわたしたちのためにこれまでに行なわれた事柄,またこれから行なわれる事柄に対する愛のこもった感謝のゆえに奉仕することです。これら三つの基本的な理由は,わたしたちがエホバに仕え,現在の事物の体制に残された時間の長短にかかわらずエホバに奉仕しつづけるという面で,確かに三重のきずなとなります。
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『すべての国の人々を弟子とする』ものみの塔 1970 | 5月1日
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『すべての国の人々を弟子とする』
エホバの証人の1970年度年鑑より
韓国
人口: 31,139,000人
伝道者最高数: 10,610人
比率: 2,935人に1人
韓国での1969奉仕年度はまたたくまに過ぎ,活動に満ちあふれた年でした。それぞれの増加は著しく,2,226人がバプテスマを受け,連続22回の伝道者最高数が得られました。再び活発になった人のほうが,不活発になった人より多かったため,伝道者の減少はありませんでした。23,796人に上る記念式出席者数や4月に報告された14,818件の家庭聖書研究最高数からもわかるとおり,今ままで以上に増加する可能性があります。
ここ韓国の兄弟たちが宣教に巧みになり,エホバの組織が備えた宣教の道具を活用するのを見るのはうれしいことです。ひとりの特別開拓者が数か月おきに訪問して雑誌を勧めるたびに断わる婦人がいました。しかし,その婦人がわずかながら関心をもっていることに気づいたその伝道者は,雑誌をそばに置き,婦人と「御国の良いたより」の小冊子を数節研究することに首尾よく成功しました。伝道者は後日,その続きを研究するために再び訪問し,家の婦人がそれと気づかないうちに,週に2回の聖書研究が始まっていました。やがて「真理」の本の研究にはいり,伝道者が集会に出席することを勧めたところ,婦人はそれに応じました。そして,「真理」の本の各章の結論に述べられている事柄を実行し,義理の母親からもらった仏像を捨てたのです。先祖崇拝を行なうことを拒絶したため家族から激しい反対を受けましたが,4か月間それに耐え,他の人に伝道するまでになりました。
この「良いたより」の小冊子がもたらした,もう一つの成果を見てください。バプテスマを受けようとしているひとりの伝道者は巡回大会において経験を話し,小冊子を手に入れて読み,もよりの御国会館の住所を知るために支部事務所を尋ねる気になったいきさつを説明しました。近くに住んでいる兄弟との聖書研究が取り決められたのち,その人は週2回研究することを望み,また,初めから,一度も欠かさず集会に出席しました。そして,8週間たたないうちに友人に伝道しはじめ,今では自分の弟に聖書を教えています。彼は,その小冊子を手に入れたときの喜び,またそれによって自分の人生がいかに変化したかについて語りました。
もし伝道者自身が今の時代の緊急さを認識しているなら,関心ある人はそれに気づくものです。江陵の一姉妹は,伝道の時に関心を示した婦人を再び訪問しました。1回目の再訪問にもかかわらずその婦人は熱心に姉妹の話をきき,夢中になって話をするので,姉妹は家族の夕食の準備をすっかり忘れてしまうほどでした。聖書研究が始まり,婦人は週に3回研究することを望みました。研究を2回しただけで集会に出席しはじめ,4か月目には伝道を開始し,5か月目には他の人との聖書研究を司会していました。そして,必要な研究を終えて資格を得ると,すぐにバプテスマを受けたのです。今では開拓者になることを計画しています。
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