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  • 神からの独立を主張する者は災いに陥る
    ものみの塔 1972 | 10月15日
    • 邪曲なる心の随に為まじき事をするに任せ給へり。即ちもろもろの不義・悪・むさぼり・悪意にて満つる者,また嫉妬・殺意・紛争・詭計・悪念の溢るる者,ざん言する者・謗る者・神に憎まるる者・侮る者・高ぶる者・誇る者・悪事を企つる者・父母に逆ふ者,無知・違約・無情・無慈悲なる者(なり)」。

      15 パウロの描写した堕落した行為はなお存在していますか。

      15 今日,使徒パウロの述べたとおりのことがなお存在し,そのために恐怖と不信の空気が生まれていることは,あらためて指摘されるまでもありません。日々,善悪についての神の規準が無視されるため,人々の生命また幸福や福祉が脅かされています。犯罪者や非行者や変質者による窃盗や強姦や暴行は日常普通のことになっています。性の不道徳は,忌まわしい性病を広め,家庭を破壊し,子どもから必要な親の導きを奪い,さらにはそれが原因で堕胎により生命がつみ取られています。創造者を無視した人たちの間には,肉体的,感情的また精神的障害が歴然としています。神の不変の律法が作用していることがはっきりと認められます。「人の播く所は,その刈る所とならん」― ガラテヤ 6:7。

      神に対する従順からもたらされる益

      16,17 神の律法に従うならどんな益がもたらされますか。

      16 他方,神の律法に忠実に従うなら,永続する益がもたらされます。その理由は,全能者が愛の神であり(ヨハネ第一 4:8),その知恵に限りがなく(ロマ 16:27),人間にとって最善の益となる律法しか定められないからです。それらの律法は,人間を害から守り善が人間に及ぶように意図されたものです。人間関係を律する神の律法のすべては仲間の人間に対する愛に基づいています。それは使徒パウロの書いたとおりです。「汝等たがいに愛を負ふのほか何をも人に負ふな。人を愛する者は,律法を全うするなり。それ『姦淫する勿れ,殺すなかれ,盗むなかれ,貪るなかれ』と言へるの他なほ誡命ありとも『おのれの如く隣を愛すべし』という言の中にみな籠るなり。愛は隣を害は(ざるなり)」― ロマ 13:8-10。

      17 理性のある人はだれも人間がどこにいようと真の隣人愛を示すなら自分に益が及ぶことを否定しえないはずです。そうです,人間は神の律法に服することによってはじめて,幸福と平和そして安全を得られるのです。法律を深く研究した,英国の法律学者ウイリアム・ブラックストーンは,次のように結論せざるをえませんでした。「[神]は,不変の公正の律法を個人の幸福と極めて密接に結びつけ,両者を不可分の関係に織り込まれた故に,前者を守らない限り,後者を得ることは不可能である。また,前者に厳密に従うならば,後者は必然的に生み出される」。神の律法はわたしたちの益のためにあることを知って,わたしたちは詩篇作者と同じく,感謝を言い表わすよう動かされるべきです。「われ汝のたゞしき審判のゆえをもて一日に七次なんぢを讃稱ふ なんぢの法をあいするものには大なる平安あり かれらにはつまづきあたふる者なし」― 詩 119:164,165。

      神に服しつづける

      18 神に喜ばれたいと思う人にとって,聖書の徹底的な知識を得ることが肝要なのはなぜですか。

      18 善悪に関する神の規準に忠実に従うことによってもたらされる祝福を享受したいのであれば,言うまでもなく,聖書に啓示されているその規準について徹底的な知識を得なければなりません。神の規準を一度も調べたことのない人,あるいはそれについての他の人のことばを受け入れただけの人が,神の目から見て自分が正しく行動しているかどうか確信が持てないのは明らかなことです。箴言はこうのべています。「人のみずから見て正しとする途にして その終はつひに死にいたる途となるものあり」― 箴 14:12。

      19 (イ)エホバに是認されたしもべとしてとどまるには知識だけでは不十分です。なぜですか。(ロ)知識に加えて何が必要ですか。

      19 しかし,人が創造者に服しつづけるためには,知識だけでは不十分です。たとえば,アダムは禁じられた果を食べることが自分にとって死を意味することを知っていました。彼は『惑はされませんでした』。(テモテ前 2:14)それにもかかわらず,アダムは故意に神の律法に違犯しました。なぜですか。なぜなら,彼は,自分の創造者との関係よりも罪を犯した妻との関係を重視したからです。これは創造者に対して破れることのない愛,他のすべての関係を超越する愛を持つことによってのみ,人は神の是認されたしもべでありうる,また引き続きしもべでありうることを例証するものです。これは,外部からの圧力によって神に対する従順を守ることが困難になった場合,従順を守り抜くためにすべてのものを,自分の命をさえもすすんで犠牲にすることを意味しています。あなたにはそうした愛がありますか。あなたが永続する福祉にあずかれるかどうかは,そうした愛をいだき,保ちつづけることに依存しています。キリスト・イエスの言われたとおりです。「己が生命を愛する者は,これを失ひ,この世にてその生命を憎む者は,之を保ちて永遠の生命に至るべし」― ヨハネ 12:25。

      「われエホバの憐憫をとこしへにうたはん われ口もてエホバの真実をよろづ代につげしらせん よろこびの音をしる民はさいはひなり エホバよかれらはみかほの光のなかをあゆめり かれらは名によりて終日よろこび 汝の義によりて高くあげられたり かれらの力の栄光はなんぢなり 汝の恵によりてわれらの角はたかくあげられん」― 詩 89:1,15-17。

  • 独立の道を捨てる
    ものみの塔 1972 | 10月15日
    • 独立の道を捨てる

      「汝ら我に帰れ万軍のエホバいう我も汝らに帰らん」― ゼカリヤ 1:3。

      1 エホバは知性を備えたご自分の創造物にどんな種類の従順を望まれますか。

      エホバ神は,ご自分に仕えることをだれにも強制したことはありません。彼は,知性を備えたご自分の創造物から,自発的な従順,神に対する愛と神が自分のためにしてくださったことに対する感謝に基づく従順を望んでおられます。(申命 30:11-16。ヨハネ第一 4:8-10; 5:2,3)モーセがモアブの荒野にいたイスラエル人に語ったとおりです。「我今日天と地を呼て証となす我は生命と死および祝福と呪詛を汝らの前に置り汝生命をえらぶべし 然せば汝と汝の子孫生存らふることを得ん 即ち汝の神エホバを愛してその言を聴き且これに附従がふべし斯する時は汝生命を得かつその日を永うすることを得エホバが汝の先祖アブラハム,イサク,ヤコブに与へんと誓ひたまひし地に住ことを得ん」― 申命 30:19,20。

      2 人が自らエホバ神にすすんで服するとき,み使いたちはどのように応じますか。なぜですか。

      2 人間の創造されるはるか以前に,幾百万ものみ使いはエホバに仕えることに喜びを見いだしましたし,現在もそうです。(ヨブ 38:4-7。ダニエル 7:10。ヘブル 12:22)彼らがいだいている気持ちは,使徒ヨハネが見た幻の中での24人の長老が言い表わしたそれと似ています。「我らの主なる神

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