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    ものみの塔 1970 | 2月1日
    • 親しく神を知り平和を保ちなさい

      「どうか彼を親しく知り,平和を保ってください。そうすれば良いことがあなたにおよぶでしょう」― ヨブ 22:21,新。

      1 上記の聖句はテマン人エリパズがヨブに語ったことばですが,彼がこのように語ったいきさつを述べなさい。

      エホバ神を親しく知るようにと,テマン人エリパズから勧められたとき,その友ヨブは神との平和を保つどころか,神との平和を失っているかに見えました。ヨブには何一つ良いことがおよんでいませんでした。彼は繁栄の絶頂から貧困のどん底に転落していたのです。彼はばくだいな所有物を失い,10人のりっぱな子供をなくし,そのうえ,いまわしい病にとりつかれ,頭から足の先まで全身腫物でおおわれていました。絶望したその妻は,愚かにも,神をのろって死んでほしいとヨブに語りました。ヨブの陥ったこの前例のない災いを耳にした3人の友はヨブを慰めるためにやってきました。そのひとりが,南の地から来たこのエリパズです。これら3人のいわゆる慰安者は,七日のあいだ,黙ってヨブを見守ったのち,彼が自分の生まれた日をのろうのを聞くや,神に対するヨブの忠誠を非難しはじめました。(ヨブ 1:1から4:1)エリパズがヨブに対して,「どうか彼を親しく知り,平和を保ってください。そうすれば良いことがあなたにおよぶでしょう」と語ったのはこの論争のさなかでした。―ヨブ 22:21,新。

      2 エリパズのことばに示されていますが,今日の人間は,自分たちのあいだに平和をもたらすどんな肝要な事柄を見落としていますか。

      2 事情を見誤ったエリパズがヨブに語ったそのことばは見当はずれではありましたが,それ自体は正しいことばです。人間はまず第一に神を知り,そのみこころを理解し,その道に従って神との平和な関係をもたなければ,自分たちのあいだの平和も,また繁栄も享受できません。20世紀の今日,人々はこのことを認めていません。しかし地上の人間は,目に見えない霊者であられる神をどうして知ることができるのですか。最近,学生の騒ぎが世界中に広がっていますが,一大学生はこう言いました。「どうすれば神をほんとうに知ることができるのだろうか」。

      3 (イ)どうすれば神を親しく知ることができますか。(ロ)神は一国民をご自分との親しい関係にどのように導き入れられましたか。その国民のうちの幾人かの者はどんな恵みを受けましたか。

      3 聖書に親しむ人は,その著者であられる神を知ることができます。聖書は,神を親しく知りながら生活した人々について述べているからです。聖書は,神とともに歩んだと言われているエノクやノアなど昔の人々のことをしるしています。(創世 5:22; 6:9)この神が一国民全体をご自分との親しい関係に導き入れ,またその国民のある者たちに奇跡的な幻を与えて,その幻の中でご自分を彼らにお見せになったことをあなたはご存じですか。また,この国民のある者たちが地上で神とともに飲食をしたことをご存じですか。聖書の最初の五つの本とヨブ記を著わした記述者は神がこの国民と結ばれた約定について述べています。その記述者は神とこの国民の仲介者となった預言者モーセです。この約定すなわち契約はアラビアのシナイ半島のある山で結ばれました。それは紀元前1513年の春,神がモーセの民をエジプトから救い出して,その地に導かれた時のことでした。こうして神はご自分の御名エホバを彼らに知らされました。彼らの先祖はそれほど深くは理解していなかったのです。―出エジプト 6:3。

      4 イスラエルの70人余の人々は地上でどのようにして神とともに飲み食いしましたか。

      4 動物の犠牲がささげられてエホバ神との契約が結ばれたのち,モーセとその兄およびふたりのおいと,その民のうちの70人の男子がシナイ山に登りました。出エジプト記 24章9-11節にこうしるされています。「モーセ,アロン,ナダブ,アビウおよびイスラエルの七十人の長老のぼりゆきて イスラエルの神を見るにその足の下には透明れる青玉をもて作れるごとき物ありて輝ける天空にさも似たり 神はイスラエルのこのかしらたちにその手をかけたまはざりき 彼らは神〔の幻〕を見 また食飲をなせり」。〔新世界訳聖書の字義訳〕

      5 恵みを受けたこれらの人は神の姿を見ましたか。彼らが「その足の下に」いたということはなぜ適切でしたか。

      5 実際のところこれら74人の男子は神の姿も形も見ませんでした。彼らが幻の中で見たのは,「イスラエルの神」のきわめて荘厳な栄光の現われでした。これら恵まれた人々が,「その足の下に」,すなわち神の輝かしい顕現の下方に見たのは,「透明れる青玉をもて作れるごとき物」で,「輝ける天空にさも似た」もの,つまり一点の雲もなく澄みきった青空のようなものでした。地上の彼らが,「その足の下に」いたということは,「天はわが位 地はわが足台なり」と言われた神ご自身のことばと合致します。では,目もくらむほどの栄光に輝くこのような神が,人間の建てた神殿や教会堂にどうして宿れるでしょうか。それは不可能です。―イザヤ 66:1。使行 7:48,49。

      6 神の幻を見たそれら74人の人々は危険な立場にありましたか。彼らが神とともに食べたのはどんな食事でしたか。

      6 生ける唯一のまことの神の幻を見る人はきわめて危険な立場にあると言わねばなりません。神ご自身の栄光の現われに接するには,血肉の人間はあまりにももろくて滅びやすい存在です。人間は目に見えない神の輝かしい顕現を見ることまではできても,それ以上のものを見ることはできません。出エジプト記 24章11節〔新〕が,シナイ山に登ったそれら74人の人々について次のように述べているのはもっともです。「神はイスラエルのこのかしらたちにその手をかけたまはざりき 彼ら神〔の幻〕を見 また食飲をなせり」。彼らがだらしのない不敬な態度で飲み食いしたのでないことは確かです。彼らは犠牲にささげられたものを食べる時のようにふるまいました。彼らが食べたのはおそらく,シナイ山のふもとで神にささげられた酬恩祭の犠牲のうち,犠牲を供えた者に食べ物として割り当てられた動物の犠牲の一部でした。また彼らが飲んだのはおそらく,神人の灌祭として用いられたぶどう酒だったでしょう。これら敬虔な人々はこうして酬恩祭の食事に神とともにあずかり,また神の目にふさわしい者とされ,死を免れることができました。―出エジプト 24:1-11。

      7 モーセは神との親密な交わりを持った場所をどのようにみなしましたか。

      7 後日,預言者モーセはその山で神とともにいたとき,四十日四十夜,飲食をしませんでした。そして彼は神と親密な交わりを持った場所を神聖な土地とみなしました。これより何か月か前,モーセがその民を救い出すべくエジプトに派遣された時,神からの天使がシナイ山のふもとの,とある燃えるやぶの中に現われて,モーセにこう命じました。「汝の足よりくつを脱ぐべし 汝が立つところは聖き地なればなり」― 出エジプト 3:1-5。

      モーセが神について見たもの

      8 アロンとミリアムをとがめた神のことばは,モーセが神とのあいだに恵まれた立場を得ていたことをどのように示していますか。

      8 エホバ神とその選民の仲介者としてモーセはこの国民のうちのだれよりも直接に神を見ましたか。それ以上直接に神を見ることができましたか。神はモーセがこの点でいかに恵まれていたかについて,その兄アロンと姉ミリアムに次のように指摘されました。それはこのふたりがモーセに不平を述べた時のことでした。「汝らわがことばをきけ 汝らのうちにもし預言者あらば我エホバまぼろしにおいて我をこれに知しめ また夢においてこれと語らん わがしもべモーセにおいてはしからず 彼はわが家に忠実なる者なり 彼とは我口をもて相語り明かにものいひて隠語を用ひず 彼はまたエホバの形を見るなり しかるを汝らなんぞわがしもべモーセをそしることをおそれざるや」。(民数 12:1-8)モーセに関してこのすべてはまさにふさわしいことでした。彼は神の御子すなわちモーセよりも偉大な約束の預言者イエス・キリストを予表する人物だったからです。―申命 18:15-18。使行 3:19-23; 7:37,38。

      9,10 (イ)「口をもて相語り」という表現は何を意味していますか。この点でモーセに関してどんな疑問が生じますか。(ロ)イスラエルがシナイ山で偶像崇拝の罪に陥ったのち,モーセはエホバからどんな約束を得ましたか。

      9 特にモーセはある時,「エホバの形」を確かに見ました。その時,彼は神の姿を直接見ましたか。「口をもて相語り」という表現はふたりが面と向かって話すことを意味します。ではモーセはシナイ山で文字どおり神の顔を見ましたか。それはまだ紀元前1513年のことでした。その国民は十戒があったにもかかわらず,偶像崇拝の罪に陥っていました。そこでモーセはシナイ山で神に特別のとりなしをしなければならないと考えました。その結果モーセは,その民を約束の地に導くまでエホバがともにいてくださるという約束をエホバ神から得ました。モーセはこう語ります。

      10 「エホバ,モーセにいひたまひけるは 汝がいへるこのことをも我なさん 汝はわが目の前にめぐみを得たればなり われ名をもて汝を知るべし」。

      11,12 モーセは何を見せていただきたいと神に願いましたか。神はどのように答えられましたか。

      11 「モーセ ねがはくは汝の栄光を我に示したまへとい(ふ)」。

      12 「エホバいひたまはく 我わがもろもろの善を汝の前に通らしめエホバの名を汝の前に宣ん 我は恵んとする者を恵み あはれまんとする者をあはれむなり またいひたまはく汝はわが面を見ることあたはず 我を見て生る人あらざればなり しかしてエホバいひたまひけるは みよ我がかたはらにひとつのところあり なんぢ岩の上に立つべし わが栄光そこを過る時に我なんぢを岩の穴にいれ 我が過る時にわが手をもて汝をおほはんしかしてわが手を除る時に汝わが背後を見るべし わが面は見るべきにあらず」― 出エジプト 33:17-23。

      13 このような顕現は神が化肉されたことを意味しますか。モーセを危険から守る特別な手段を講じなければならなかったのはなぜですか。

      13 これは目に見えない神が,ギリシア神話の神々が人間に現われたと言われているような仕方で化肉して,人間の姿になられるという意味ではありません。(使行 14:11-13)肉眼で見,実際に経験しても,失明したり死んだりして無に帰することがない程度に神の栄光が現われるという意味です。エホバは恵み深いことに,モーセを危険から守る特別な手段を講ずることを約束されました。翌日,約束の栄光の顕現が生じました。それはモーセ以外だれもかつて見たことのないほどの事柄でした。モーセは神のさしずに従い,石の板2枚を携えてシナイ山に現われました。その石の板には神が十戒を刻まれることになっていました。さてどんなことが起きましたか。

      14,15 神はモーセの前を通過された時,何を行なわれましたか。その時,モーセはどうしましたか。

      14 「エホバ雲のうちにありて降り彼とともにそこに立ちてエホバの名を宣べたまふ エホバすなはち彼の前をすぎて宣たまはく エホバ,エホバ あはれみあり恩恵あり怒ることの遅く恩恵とまことの大なる神 めぐみを千代までも施し悪と過と罪とをゆるす者 また罰すべき者をば必ずゆるすことをせず 父の罪を子に報い 子の子に報いて三四代におよぼす者」。

      15 「モーセ急ぎ地に身をかゞめて拝(せり)」― 出エジプト 34:1-8。

      16 モーセが見たものは彼の容ぼうにどんな影響をもたらしましたか。彼はこの経験を通してどのように神をよりよく知ることができましたか。

      16 モーセは神の姿を直接見たとは語っていません。彼が見たのは,神の栄光の顕現が通り過ぎたあとの残光だけでした。それでも,山を降りて民の前に現われたモーセの顔は光り輝いていました。(出エジプト 34:29,30)モーセはまた,エホバ神をなんとよく知ることができたのでしょう! それはモーセにとって神性に関するなんとすばらしい宣言だったでしょう! 神と唱えられているもので,エホバに比べ得るものがありますか。

      17 エホバはご自分のことをどんな神と述べておられますか。どんな方法でそうした神性を連想させるのはふさわしいことですか。

      17 エホバはご自分が愛と公正の神であり,自制の力をもって罪深い人間を扱うかたであることを保証しておられます。また不完全な人間をそのように取り扱う際,神は人間に対する愛ある処置に公正を加味して,常に完全な平衡を保ち,それぞれ異なるあらゆる状況また状態の下で,驚くべき知恵を表わしておられます。なんと比類のない神でしょう! 愛と公正,力と知恵の完全な神です。もろい血肉の人間が接したり,肉眼で見たりするにはあまりにも強烈な栄光の輝きをもって,尊厳をきわめるこうした神性を連想させるのはまさにふさわしいことでした。

      18 (イ)神の臨在の栄光の現われが通り過ぎた時,モーセは何から身を守られましたか。(ロ)このことから考えて,わたしたちはこのようなエホバ神をどのようにしていっそう親しく知ることができますか。

      18 エホバの栄光が通り過ぎ,エホバがご自分の無比の御名を宣言されたとき,モーセは岩の穴の中でそれを聞きましたが,そのとき害を受けたり滅んだりしないように,十分の予防策を講じなければならなかったのは当然です。モーセあるいは他のどんな人間でも神の顔を見てなお生きることはできません。神の「面」,つまり神の栄光の全き顕現に接するとき,弱小な人間はたちどころに死んでしまうでしょう。モーセは神の臨在の栄光の現われが通り過ぎたとき,思わず身を伏して神を拝しました。ですから,ソ連の宇宙飛行士がかつて地球の周回飛行をした時,神に会わなかったので神はいないと語ったのはいかにも愚かなことです。しかし今日,モーセの見た神の栄光の幻を信じ,それを受け入れる人は,この驚嘆すべき神エホバをいっそう親しく知ることができるのです。

      幻の中で神を見たイザヤ

      19,20 (イ)預言者イザヤは神の幻をどこで得ましたか。それは神の宮がどのように汚されたのちのことですか。(ロ)この幻はいつイザヤに与えられましたか。彼はその幻をどのように説明していますか。

      19 エホバ神の幻を与えられてエホバをいっそう知るようになったのは,ひとりモーセだけではありません。その後,736年を経て,場所はアラビアのシナイ山から昔のエルサレムの立つ山に移ります。この町のモリア山には輝かしい宮がありました。しかしその国民は恐るべき災いにおののいていました。繁栄を誇ったウジヤ王,別名アザリヤは,宮の前方の聖所に無理に押し入り,祭司が行なうように香をささげたため,ついに廃人同様になって死にました。ウジヤがいまわしい災いに陥っていたあいだ,忠実なその子ヨタムがエルサレムで王位につき,国を治めました。ウジヤが悲惨な死を遂げた年(紀元前777年),そしておそらくウジヤの死後,預言者イザヤは神の幻を与えられました。それはモーセの見た幻と異なるもので,イザヤは自らこう語っています。

      20 「ウジヤ王のしにたる年 われ高くあがれる御座にエホバの坐し給ふを見しに そのもすそは殿にみちたり セラピムその上にたつ おのおの六の翼あり そのふたつをもて面をおほひ そのふたつをもて足をおほひ そのふたつをもて飛かけり たがひに呼いひけるは聖なるかな聖なるかな聖なるかな万軍のエホバ その栄光は全地にみつ かくよばはる者の声によりて しきみのもとゐ揺うごき家のうちに煙みちたり」― イザヤ 6:1-4。歴代下 26:1-23。

      21 この幻はエホバがその民の王であることをどのように示していますか。

      21 ここで神の姿は描写されていません。神をその創造物である人間になぞらえることはできないからです。その壮大なころものすそは宮に満ちていました。その宮は王宮であり,神はご自分の民を治める天の見えない王です。したがってその王座は地に据えられておらず,高くあげられています。

      22 セラピムは神の御前とその場所の神聖さに対し,どのように敬意を表わしましたか。

      22 きらめく焔のように見えるセラピムはエホバの御前にざしているのではなく,いつでも行動できるように立ってエホバに仕えています。その時イザヤは顔をおおわずに神の幻を見ていましたが,それら天のセラピムは上方の翼で自分たちの顔をおおい,神を見ようとはしませんでした。そして,神聖な場所に立っているかのように,下方の翼で足をおおい,天の王なる「万軍のエホバ」に敬意を表わしました。セラピムはからだの中ほどにある翼をもって鳥のように飛びました。

      23 セラピムはエホバの神聖さをどのように強調し,かつ,その栄光に関するどんな預言的なことばを述べましたか。

      23 宮に関するこの幻の中で神の神聖さと栄光を宣明したのはこれらセラピムでした。彼らは「万軍のエホバ」のこのうえない神聖さを強調して,「聖なるかな」を3回述べ,交互に3度宣明しました。有生無生を問わず,神の比類のない創造のわざすべてに,わたしたちはすでにエホバ神の栄光を見ることができます。しかし,地上の人々すべてがわたしたちに加わって,神の創造された事物にエホバの栄光を認め,もはやこの地をはずかしめたり,汚したりして不浄な所としない時代が近づいています。次の預言のことばがむなしくなることはありません。エホバの栄光を認むるの知識地上にみちて あたかも海を水のおほふがごとくならん」。(ハバクク 2:14)セラピムがエホバの宮で唱えたことばは預言的な意味をもっていました。

      24 イザヤが叫んだことばからすれば,幻を見た彼はなぜ恐れたのですか。

      24 その宮で王座につかれたエホバのこの幻を見た預言者イザヤは恐れを感じました。セラピムが互いに呼び合う声に,宮の入口のしきいが揺り動きはじめたのですから,鋭敏な宗教感情を持っていたイザヤがどうしておののかないでいられたでしょうか。当時,彼はエホバ神の預言者でしたが,その聖なる光景を見るや,自分が汚れた者であることを感じました。彼は命を失うのではないかとさえ恐れ,「禍ひなるかな我ほろびなん 我はけがれたる唇の民のなかにすみて けがれたるくちびるの者なるに わが眼 ばんぐんのエホバにまします王を見まつればなり」と叫びました。―イザヤ 6:5。

      25 イザヤはセラピムのどんな助けを得て生き残り,このいきさつを語れたのですか。

      25 イザヤはどのようにして生き残り,このいきさつを語れたのですか。それはこうです。つまりそれら翼を持つセラピムのひとりが,奇跡的な煙に満ちる宮から出てきてイザヤを助けたのです。イザヤはこう述べています。「こゝにかのセラピムのひとり ひばしをもて壇の上よりとりたる熱炭を手にたづさへて我にとびきたり わが口にふれていひけるは みよこの火なんぢの唇にふれたれば すでになんぢの悪はのぞかれ なんぢの罪はきよめられたりと」。

      26 (イ)今や清められたイザヤは,どんな仕事にすすんで携わりましたか。(ロ)イザヤはどのようにメシヤを予表し,また,わたしたちに対する教訓を残しましたか。

      26 今やイザヤは神の御前にあって自分が清いこと,そしてエホバから今後差し伸べられる預言的な意味をもつ奉仕に進んで携われるほどに清められたとさえ感じました。彼はこう述べています。「我またエホバの声をきく いはく われたれをつかはさん たれかわれらのために往べきかと そのとき我いひけるは われこゝにあり我をつかはしたまへ エホバいひたまはく 往てこの民にかくのごとく告げよ」。イザヤは直ちに預言的な使命を帯びてつかわされました。その仕事は800年余の後代に到来するメシヤの成すわざを予表するものでした。イザヤはエホバの栄光にかかわる宮のこの幻を決して忘れませんでした。メシヤを正確に予表する者としてイザヤはエホバから受けた使命に忠実でした。(イザヤ 6:6-13。マタイ 13:10-15)しかしわたしたちはどうですか。エホバ神をいっそうよく知ったなら,イザヤが行なったように,エホバの奉仕に快く自らをささげますか。そうです,神を十分に知るとき,わたしたちは,「われこゝにあり我をつかはしたまへ」と神に言わずにおれません。

      預言者エゼキエルの見た幻

      27 預言者エゼキエルは最初,いつ幻を与えられましたか。

      27 メシヤすなわち油そそがれた者が到来する前に,生けるまことの神の奇跡的な幻を見た人はほかにもいます。そのひとりはイザヤの次の時代の預言者エゼキエルです。エゼキエルが最初,壮大な幻を見たのは,イザヤの予告した滅びがその民の上に生じる6年前のことでした。当時,エゼキエルは捕われの身として異教の地バビロニアにいました。彼はこう述べています。「我ケバル河のほとりにて かのとらへうつされたる者のうちにをりしに 天ひらけて我神の異象を見たり」。そしてこのことが起きた日付を,ユダヤ暦のその年のタンムズの五日,すなわち紀元前613年,「エコニヤ王のとらへゆかれしより第五年の」「四月の五日」としています。―エゼキエル 1:1-4。

      28 エゼキエルは最初の幻の中で,何が動いているのを見ましたか。それを動かしていたものはなんですか。

      28 当時,天地の創造者はユダの国のご自分の不忠実な民とその首都エルサレムに対するさばきを執行しておられました。したがってエゼキエルが見たのは,何ものかが動いているありさまでした。それはエゼキエルに自分をありのように感じさせるほどの巨大な古代の戦車のようでした。ガソリンや電気または原子力を用いたエンジンなど何も装備していませんが,それはきわめて速く,また行く手の何物にも妨げられずに回転しながら進みました。操縦装置もブレーキも見あたりませんが,車の惰性に打ち勝つため速度をおとすこともなしに,一直線の進行方向を一瞬に変えることができました。この壮大な戦車を動かした力はなんですか。それは明らかに,その戦車に乗っておられるかたの活動力すなわち霊でした。

      29 この天の戦車の車輪はなぜ特異なものでしたか。

      29 これは二つの車輪のある古代の戦車ではなく,四つの車輪から成る車のようなものです。車輪は不思議な作りでできており,その輪はいたるところ目で満ちており,行く手を見ることができます。そのうえ,回転しながら進むそれぞれの車輪にはその内側に,もう一つの車輪が直角をなして垂直についています。それでこの車は横に向かう場合でも,角を曲がる時のように車輪の方向を変えずに進むことができます。エゼキエルがこの戦車の動くありさまを描いた次のことばに注目してください。

      30 エゼキエルの説明によれば,この戦車の車輪はどのように動きましたか。

      30 「その輪の形とつくりは黄金色の玉のごとし その四箇の形はみな同じ その形とつくりは輪のうちに輪のあるがごとくなり その行く時は四方に行く 行くにまはることなしその輪ぶちはたかくしておそろしかり 輪ぶちは四箇ともにみなあまねく目あり」― エゼキエル 1:16-18。

      31 この戦車に走者として伴ったのはだれですか。

      31 昔,王族の乗った戦車が進む時には,多数の走者がその前後左右につき,乗り手に偉観を添えました。(列王上 1:5; 18:44-46)預言者エゼキエルが幻で見たその天の戦車に伴ったのは4人のケルビムでした。これらのケルビムは昔の走者に相当しました。エゼキエルは最初,それらケルビムを「生物」と呼んでいますが,彼らはある点で人間の姿に似ているものの,人間でないことは確かです。(エゼキエル 1:5,15; 10:9-13)預言者エゼキエルは,それら四つの生き物とその戦車の光景が突如,言語に絶するほどの栄光を伴って眼前に展開してゆくさまを次のように描写しています。

      32 エゼキエルの描写によれば,ケルビムはどんな姿に見えましたか。

      32 「我見しに みよ烈き風 大なる雲および燃る火の団塊 北よりいできたる また雲のまはりに輝光あり その中よりして火のうちより熱たる金族のごときもの出づ その火の中に四箇の生物にてなれる一箇の形あり そのさまはかくのごとし すなはち人のかたちあり おのおの四の面あり おのおの四の翼あり その足は直なる足 その足のうらは犢牛の足のうらのごとくにして磨けるあかゞねのごとくに光れり その生物の四方に翼の下に人の手あり この四箇のものみな面と翼あり その翼はたがひに相つらなれり その往ときにまはらずしておのおのその面の向ふところに行く」。

      33 ケルビムのような生き物はどんな顔を持っていましたか。

      33 これより3,400年前,罪を犯したアダムとエバが追い出されたエデンの園の入口に現われたケルビムについて,預言者モーセは,なんの描写も残しませんでした。(創世 3:24)しかし預言者エゼキエルはケルビムと思われる生き物について前述のように描写し,さらにこうつけ加えています。「その面の形は人の面のごとし 四箇のもの右には獅子の面あり 四箇のもの左には牛の面あり また四箇の者わしの面あり その面とその翼は上にて分る そのおのおのの翼ふたつは彼とこれと相つらなり二箇はその身をおほふ」― エゼキエル 1:4-11。

      34 車輪はケルビムの動きとどのように合致していましたか。

      34 天の戦車の車輪は,走者にも似たこれらケルビムの動きとどのように合っていますか。預言者エゼキエルはこう述べています。「生物の行く時は輪そのかたはらに行き 生物地をはなれて上る時は輪もまた上る すべて霊のゆかんとする所には生物その霊のゆかんとするかたにゆく 輪またそのかたはらに上る これ生物の霊 輪のうちにあればなり」― エゼキエル 1:19-21。

      35,36 (イ)ケルビムの容ぼうは何を表わしていますか。(ロ)エゼキエルはケルビムと車輪のまえに何を見ましたか。また,何を聞きましたか。

      35 もとより,ここでケルビムのような生き物として描写されている生き物が天に,すなわち目に見えない霊的領域にいるわけではありません。ゆえに,一見異様なその容ぼうは,人間,ライオン,雄牛,また,わしその他の鳥にきわだって備わっているすぐれた特性を表わすものでした。これらの特性も興味深いものですが,ここではしばらくのあいだ,ケルビムのようなそれらの生き物および,そのかたわらにある車輪の上方にあるものに,もっと注意を向けましょう。預言者エゼキエルはその上方に何を見ましたか。彼はこう述べています。

      36 「生物の首の上におそろしき水晶のごとき空ありて その首の上にひろがる 空の下にその翼直く開きて これと彼とあひつらなる またおのおの二箇の翼あり そのおのおのの二箇の翼 こなた彼方にありて身をおほふ 我その行く時の羽声を聞に大水のおとのごとく全能者の声のごとし そのおとのひゞきは軍勢の声のごとし その立どまる時は翼を垂る」― エゼキエル 1:22-24。

      37 その「空」は天の戦車にとってどんな役割をはたすものですか。他の響きすべてを圧したのはなんでしたか。

      37 そうです,「空」です! それはこの天の戦車の基地で,半透明の氷のように見え,きわめて壮厳なものでした。こうしてその戦車に乗っておられるかたは,凍った水に似た堅固な基地に立ち,ご自分のさばきを執行するために前進する者として表わされています。この壮大な基地の下で聞こえるのは,全能者の用いられたその戦車の動く音です。それは野営する一団の軍隊が,全能者の敵を滅ぼすために,ときの声をあげて戦闘に参加する時のようでした。しかし氷に似たその基地,すなわち「空」の下で聞こえるそれらの響きすべてを圧するような別の声がありました。預言者エゼキエルはその壮厳な空の上から鳴り響く声を聞きます。それは天の戦車の基地に立たれる全能者の声でした。全能者はどんな姿をしていましたか。エゼキエルは次のように述べています。

      天の戦車の乗り手

      38 エゼキエルはその戦車の乗り手と,そのかたの周囲に見られる輝きとをどのように描写していますか。

      38 「その首の上なる空の上より声あり そのたちどまる時は翼を垂る 首の上なる空の上に青玉のごとき宝位のかたちあり その宝位のかたちの上に人のごとき者います またわれそのうちと周囲に磨きたるあかゞねのごとく火のごとくなる者を見る その人の腰より上も腰より下も火のごとくに見ゆ そのまはりの輝光は雨の日に雲にあらはるゝ虹のごとし エホバの栄光かくのごとく見ゆ 我これを見てひれふしたるに 語る者の声あるを聞く」― エゼキエル 1:25-28。

      39 (イ)そのさん然とした光輝はどんな一語で要約されていますか。(ロ)その戦車の乗り手についてはどの程度詳しく述べられていますか。その王座は何に似ていますか。

      39 あかがね ― 新世界訳聖書の字義訳では,こはく金(金と銀の合金)― に似た輝き,また戦車の乗り手を完全に囲み,その輪郭を描いて四方に照り輝く火,そして七色のにじのようにはえる光輝 ― このすべては「栄光」というただ一語にまとめられています。それはまさに「エホバの栄光」です!「その人の腰」とありますから,人間のそれを思わせるような形がありましたが,その顔や姿についてはそれ以外になんの形も示されていません。この全能者エホバのざしておられる王座は,みごとに削られ,かつ研磨された青玉,つまりサファイアに似ています。そのしみいるような青さは,ほかならぬエホバの王座のある天を暗示するものです。このサファイアのような王座からエホバはご自分の預言者エゼキエルに話されたのです。

      40 翌年,エゼキエルが見た幻の中では,その天の戦車はどこにありましたか。

      40 翌年,ケルビムのような生き物を車輪のそばに伴った,エホバの天の戦車が今度はソロモン王の建てたエルサレムの宮の前にある別の幻を預言者エゼキエルは見ました。エゼキエルはこう語っています。「こゝにわれ見しにケルビムの首の上なる空に青玉のごとき者ありて 宝位の形に見ゆ……その人の入る時ケルビムは家の右に立をり雲その内庭にみてり こゝにエホバの栄光ケルビムの上よりのぼりて家のしきみにいたる また家には雲みちその庭にはエホバの栄光の輝光みてり 時にケルビムの羽音外庭にきこゆ全能の神のものいひ給ふ声のごとし」― エゼキエル 10:1-5; 8:1。

      41 (イ)その戦車はどこから進んできましたか。その戦車が新たな場所に移ったことは何を示していますか。(ロ)エゼキエルはあたかも自らエルサレムを滅ぼしていたと,どうして言えますか。

      41 こうしてエホバの天の戦車は,エゼキエルが最初に幻を見た場所,すなわちバビロンのケバル川をあとに,西方エルサレムとその宮をさして轟音をたてて進んだのです。このことは不忠実なエルサレムとその汚された宮に対するエホバの火のようなさばきの執行される時が迫ったことをあらかじめ示すものでした。その町は宮もろとも滅びようとしていました。(エゼキエル 10:6-22)象徴的な意味でエゼキエルは不忠実な町エルサレムを自ら滅ぼしていたのです。どのようにしてですか。預言者としての務めをエホバから受け,また,差し迫った滅びに関する音信を宣明することによってです。エゼキエルは,ケバル川のほとりで,エホバの戦車を幻で見てから20年後,すなわちエルサレムが実際に滅びてから14年後,破滅を知らせた自分の使命を思い起こさせられました。つまり,バビロンに捕われて25年目に,完成したエホバの新しい宮の幻を与えられたのです。エゼキエルは人の形をしたひとりの天使に導かれて,その宮を見学しました。こうしるされています。

      42 エルサレムの滅びた14年後,エゼキエルは新しい宮に関するエホバのどんな幻を見ましたか。

      42 「彼われを携へて門にいたる その門は東に向ふ 時にイスラエルの神の栄光 東よりきたりしが その声大水の音のごとくにして地その栄光に照さる そのかたちを見るに我がこの町をほろぼしに来りし時に見たるところのかたちのごとくに見ゆ またケバル河のほとりにて我が見しところの形のごとき形の者あり我すなはちひれ伏す」― エゼキエル 43:1-4; 40:1-4。

      43 その幻がエゼキエルに与えた影響は,まことの神の栄光について何を物語るものですか。

      43 幻に見る全能の神エホバの栄光はあまりにも強烈で,もろい肉の人間は思わず地に伏して神を拝さないではいられませんでした。エホバ神の栄光は,慎しみもなく,みだりに,かつ,こう然と見るべきものではありません。エゼキエルが見た「エホバの栄光」の奇跡的な幻は恐るべきものであり,人をおののかせ,神を拝させずにはおかないほどのものでした。しかしエゼキエルはそれらきわめて異常な経験をしたにもかかわらず,彼自身にかかわる神のお目的のゆえに生き残れました。

      44 エゼキエルの見た幻からすれば,人間は今,神を親しく知って,神との平和を得なければなりません。なぜですか。

      44 ケルビムのような生き物に仕えられ,ご自分の天の戦車に乗り,勝利を収めて進むエホバ神はまさに栄光に輝いておられます。同様に今日,神はご自分の審判を執行すべくその車を進めておられるのです。今や人間はこのような神を親しく知って,神との平和を得,その平和を保たねばなりません。

  • 神を知ることはとこしえの平和をもたらす
    ものみの塔 1970 | 2月1日
    • 神を知ることはとこしえの平和をもたらす

      1 ダニエルはいつエホバの幻を見ましたか。その幻の中で彼は最初に何を見ましたか。

      エゼキエルが天の戦車に乗られた栄光に輝くエホバの幻を初めて見てからおよそ60年後,エゼキエルとともにバビロンにとらわれていた仲間のひとりが,宇宙の主権者であられる神の幻を与えられました。そのことがダニエル書 7章1-3節にこうしるされています。「バビロンの王ベルシャザルの元年にダニエルその床にありて夢を見 脳中にまぼろしを得たりしが すなはちその夢をしるしてその事の大意を述ぶ ダニエル述べていはく 我夜のまぼろしのうちに見てありしに 四方の天風大海にむかひて烈しく吹きたり 四箇の大なる獣海より上りきたれりその形はおのおの異な(れ)り」― ダニエル 7:1-7。

      2 四つの獣は何を表わしていますか。至上の審判者は何に基づいて象徴的な獣をさばきますか。

      2 それは預言的な意味をもつ幻でした。この幻の中でダニエルにその意味を説き明かした者のことばによれば,四つの大いなる獣は世界の政治場裏に順次興亡する世界強国を表わし,紀元前607年,エルサレムを滅ぼした,ベルシャザルの祖父ネブカデネザルの日以来,全地はそれら諸強国の支配を受けることになりました。その支配は,神が約束の御国を建てて,地上の獣のような諸国家を滅ぼす時まで続き,それら世界強国はそれぞれの記録,特にエホバ神の忠実な民に対してとった態度に応じてさばかれます。エホバは全宇宙の主権者ですから,至上の審判者であられます。ダニエルの幻の中では,それら獣のような世界強国に審判が下され,神のさばきが執行される神のご予定の時が来ました。そこで神は至上の審判者として姿を現わされたのです。ダニエルの幻の中で神はご自分の姿をどのように現わされましたか。ダニエルはこう語っています。

      3 その幻の中で,至上の審判者はダニエルにどのように現われましたか。

      3 「我みつゝありしに つひに宝座を置列ぶるありて 日の老たる者 座を占めたりしが その衣は雪のごとくに白く その髪毛はさらしきよめたる羊の毛のごとし またその宝座は火の焔にして その車輪は燃る火なり しかして彼の前より一道の火の流わきいづ 彼に仕ふる者は千々 彼の前にはべる者は万々 審判すなはちはじまりて書を開けり」― ダニエル 7:9,10。

      4 さばきを受けるそれらのものは,今日,何を表わしていますか。審判者の髪と衣の白は何を意味していますか。

      4 この幻は,「日の老たる者」すなわちエホバ神が,天の戦車にかかわるエゼキエルの幻の場合のように,特にユダとエルサレムに対してではなく,世界の諸強国に審判を下すために,さばきの座につかれたありさまを示しています。現代について言えば,それら世界の諸強国は第七世界強国および,それ以前の六つの世界強国の残存勢力をさしています。海から上がってきた四つの象徴的な大いなる獣で表わされた世界強国は,引き出されて審判を受けねばなりません。この最高法廷の審判者の「きよめたる羊の毛」のような髪は,その知恵を表わしています。このことは,彼が「日の老たる者」と呼ばれ,かつ,その知恵は永遠の過去からのものであるという事実と合致します。預言者モーセはこのかたに向かって詩篇 90篇2節でこう述べました。「永遠よりとこしへまでなんぢは神なり」。「その衣は雪のごとくに白く」とありますが,この事実は神がさばきを下す際の神の輝かしい義を表わしています。この衣はまた,その王座が「火の焔」であるにもかかわらず,火がついて燃えることはありません。その王座は,エゼキエルの幻に出てくる戦車の基地の上に置かれてはいませんが,車輪をもっています。しかし王座の車輪そのものも「燃る火」です。確かにこれは栄光に輝くエホバ神の幻でした。

      5 審判者の王座とその車輪は焔のようであり,また,その前からは一筋の火の流れが出ています。このことは何を示していますか。

      5 王座とその車輪が燃える火のようであるということは,火のような審判が迫っていることを示しています。このことを警告するものとして,「彼の前より一道の火の流わきいづ」としるされています。聖書はこの幻にそうした意味があることを裏づけて,詩篇 97篇1-3節でこう述べています。「エホバはすべをさめたまふ……義と公平とはその宝座のもといなり 火あり そのみまへにすゝみ そのまはりの敵をやきつくす」。

      6 膨大な数の従者が法廷に伴われているということは何を意味していますか。ゆえに地上の諸国家に関してどんな質問が生じますか。

      6 日の老いたる者であられる至上の審判者はまた,数多くの従者を法廷に伴っておられます。その数は幾億にも達します。それら膨大な数の従者を伴うということは,至上の審判者が全天全地のきわめて多くの事柄を処置しなければならないことを示しています。矛盾した判決を下すことなく,すべてを正しく処理できるのは,あらゆるものにまさる知恵をもたれる至上の審判者だけです。この審判者がそれほど大ぜいの天使を従者として法廷に伴っておられる以上,地の諸国家すべては,たとえ国際連合の下に団結したところで,神のさばきがことごとく執行される時,どれほど抵抗できますか。間近に迫った彼らの滅びは必至です! そうです。第4の象徴的な獣の頭からは1本の小さな,しかし好戦的な角が出ていました。しかしそれが何を行なえるのですか。何も行なえません。それはダニエルの語る次のことばどおりです。

      7 その幻は,角を持つ獣とその角および他の獣に何が起きることを示していますか。

      7 「その角の大なる事を言ふ声によりて我みつゝありけるが 我が見る間にその獣は終に殺され からだをそこなはれて燃る火に投いれられたり またそのほかの獣はその権威を奪はれたりしが その生命は時と期の至るまで延されたり」― ダニエル 7:11,12。

      8 政治的な残存勢力に許された「時と期」とはいつ終わりますか。この体制の政治的要素の滅びは何を意味していますか。

      8 かつての世界強国のそれら残存勢力に許された「時と期」は,ハルマゲドンの「全能の神の大なる日の戦闘」で終わりを告げます。(黙示 16:14-16)現在の体制を構成する政治的要素すべてがハルマゲドンで滅びるとはどういう意味ですか。それは人類史の一時代の終結にほかなりません。人類の世の支配者が替わるのです。では,人類の新しい統治者はだれですか。ダニエルの見た幻はこの点を明らかにしていますか。自分の見たことを語ったダニエルの次のことばに耳を傾けてください。

      9 ダニエルは審判者の前にだれが導かれるのを見ましたか。その者には何が与えられますか。

      9 「我また夜のまぼろしのうちにみてありけるに人の子のごとき者 雲に乗てきたり 日の老たる者のもとにいたりたれば すなはちその前に導きけるに これに権と栄と国とを賜ひて諸民 諸族 諸音をしてこれにつかへしむ その権は永遠の権にして移りさらずまたその国はほろぶることなし」― ダニエル 7:13,14。

      10 幻の中で説き明かしを行なった者は,ここに表わされている支配権の移譲についてなんと述べましたか。

      10 幻の中に現われたひとりの者は,深い喜びをもたらすこの部分の意味をダニエルに説き明かしました。それはきわめて感動的なことばです。こうしるされています。「しかして国と権と天下の国々の勢力とはみな至高者の聖徒たる民に帰せん 至高者の国は永遠の国なり 諸国の者みな彼(ら)につかへ かつしたがはん」― ダニエル 7:27。

      11 (イ)至上の審判者が世界強国を狂暴な獣で表わし,かつそのようなものとして取り扱われることを非難できますか。(ロ)その審判者から新たに統治権を受けるのはだれですか。

      11 ダニエルに与えられたこの幻によってわたしたちは,「至高者」であられる神をなんと親しく知ることができるのでしょう! この神こそ天と地の全創造物を治める唯一の至上者です。また,天の最高法廷の裁判長であられます。諸国家すべてはこの神の前で申し開きをしなければなりません。多年支配してきた諸国家は今日でも支配していますが,それは神の許しがあるからにほかなりません。世界の諸強国を,荒れ狂う海から上がってきた大いなる獣で表わした審判者なる神を非難し得る人間がいますか。至上の審判者はご自分の定められた時におよんで,獣のような世界強国に火のような滅びをもたらして,人類の新しい統治者のために道を開かれます。その統治者は従来の地上の支配者すべてにまさっています。なぜならそれは,荒れ狂う海からではなく,神からのみ権威を受ける,天の完全な統治者だからです。まことの神は地に対するあらゆる正当な支配権の天的な源ですから,ご自分の意にかなう者にその統治権を新たにゆだねられるのです。すなわち神は,ご自分のメシヤつまりキリストと,そのメシヤの忠実な追随者たちに統治権をお与えになります。こうして彼らすべてはともに統治を行ない,神には栄光を,また人類には永遠の祝福をもたらすでしょう。

      メシヤの追随者のひとりが見た幻

      12 (イ)「人の子」は地上でいつ人々に紹介されましたか。使徒ヨハネはエルサレムでそのかたがご自身を何になぞらえるのを聞きましたか。(ロ)何年かのちに「人の子」はヨハネに何を送りましたか。

      12 今から19世紀前のこと,そのメシヤは「人の子」として,当時の人々に正式に紹介されました。(マタイ 16:13-16; 25:31)ゼベダイの子で漁師だったヨハネがメシヤの追随者になったのは西暦29年の秋でしたが,その結果,彼はのちにこのメシヤすなわち油そそがれた者の十二使徒のひとりになりました。使徒ヨハネはイエス・キリストの生涯を著わした記述の中にメシヤのことばを数多くしるしています。ヨハネ伝 14章9節によれば,エルサレムでのこと,イエスはヨハネの聞こえるところでこう言われました。「我を見し者は父を見しなり」。「人の子」として肉のからだで生活した時でさえ,イエスは天の御父エホバ神を完全に反映しておられました。ゆえにメシヤはその教えやわざ,また完全な人間としてのご自分の生き方により,人間がいっそう深く神を知ることができるようにされました。しかしメシヤであられるイエスは人類のために犠牲の死を遂げたのち,およそ63年を経て,使徒ヨハネに黙示を送られました。その黙示の中でエホバ神は,かつて神に仕えた人々が幻の中でもまだ見たことのない姿で現われました。いわば,ヨハネは自ら天にはいって神からこの幻を得たかのようでした。

      13,14 (イ)天の幻の中で神はどんな姿でヨハネに現われましたか。(ロ)神の王座のまわりで王の位についているのはだれですか。また神の王座のまわりにはどんな生き物がいますか。

      13 ヨハネは招かれるままに,その幻の中で天に見える「開けたる門」にはいってゆきます。彼は自分の見たことを人に告げないようにと命じられるどころか,無私の心でその幻をわたしたちに示して,次のようにしるしました。「こののちわれ見しに,みよ,天に開けたる門あり。はじめに我に語るを聞きしラッパのごとき声いふ『ここに登れ,我こののちおこるべき事を汝に示さん』直ちに,われみたまに感ぜしが,みよ,天に御座設けあり。その御座に坐したまふ者あり,その坐し給ふものの状は碧玉・赤めのうのごとく,かつ御座の周囲には緑玉のごとき虹ありき。また御座のまはりに二十四の座位ありて,二十四人の長老,白き衣をまとひ,首に金のかんむりをいたゞきて,その座位に坐せり。御座よりあまたのいなづまと声といかづちと出づ。また御座の前に燃えたる七つの灯火あり,これ神の七つの霊なり。御座のまへに水晶に似たる玻璃の海あり。

      14 「御座の中央と御座の周囲とに四つの活物ありて,前もうしろも数々の目にて満ちたり。第一の活物はしゝのごとく,第二の活物は牛のごとく,第三の活物は面のかたち人のごとく,第四の活物は飛ぶわしのごとし。この四つの活物おのおの六つの翼あり,翼の内も外も数々の目にて満ちたり,日も夜もたえまなく言ふ『聖なるかな,聖なるかな,聖なるかな,昔いまし,今いまし,のちきたりたまふ主なる全能の神〔エホバ〕』」― 黙示 4:1-8〔新〕。

      15 (イ)後日,ヨハネが「神は光にして」と語ったのはなぜ適切なことですか。(ロ)それら生き物がたたえるこの神の神聖さを表わすのにそのような輝きはきわめてふさわしいものです。なぜですか。

      15 ヨハネの目にエホバ神は,古代の宝石の一つである碧玉のように,さん然と輝いて映りました。そしてその碧玉には「赤めのう」の輝きも加わっていたのです。神については文字どおりそのように言うことができました。ですからヨハネはその二,三年後こうしるしています。「神は光にして少しの暗きところなし」。(ヨハネ第一 1:5)このような神の,目もくらむほどの輝かしい栄光には,太陽黒点のようなものは一つもありません。永遠に生きておられるこの神の御前では,決してまどろむことのないケルビムのような生き物が絶えまなく,「聖なるかな,聖なるかな,聖なるかな,昔いまし,今いまし,のちきたりたまふ主なる全能の神[エホバ]」と語っています。このような神にとってふさわしいのは,そうした一点の曇りもない輝きだけです。神聖とはそのように汚れのない清い輝かしい状態を意味しており,エホバこそ三重の神聖さを体現された神です。汚れた生き物が神の聖なる御前を犯すことが決してあってはなりません。栄光に輝く神ご自身から発する光彩は,「御座の周囲」の緑玉つまりエメラルドのような虹で美しくふちどられています。

      16 天で王の位についている者たちでさえこの聖なる神の御前では身を伏して拝さずにはおれないことを,その幻はどのように示していますか。

      16 天で王の位につけられている者たちでさえこの最も神聖な神の御前では身を伏して拝さずにはいられません。ゆえに使徒ヨハネは語ります。「この活物ら 御座に坐し世々限りなく活きたまふ者に栄光と尊崇とを帰し,感謝する時,二十四人の長老,御座に坐したまふ者のまへに伏し,世々限りなく活きたまふ者を拝し,おのれのかんむりを御座のまへに投げ出して言ふ,『我らの〔神〕なる〔エホバ〕よ,栄光と尊崇と能力とを受け給ふはうべなり。汝は万物を造りたまひ,万物は御意によりて存し,かつ造られたり』」― 黙示 4:9-11,〔新〕。

      神をいよいよ深く知る

      17,18 (イ)ヨブの場合と同様,エホバの証人を批判する宗教家は証人たちに関して何を疑っていますか。わたしたちはそうした挑戦に関して何を行なえますか。(ロ)わたしたちは日毎の実生活においてまことの神をどのようにして深く知ることができますか。

      17 エホバの証人を批判する宗教家は,わたしたちがはたして神を親しく知ることができるかどうかを疑っています。彼らは,エリパズという名の,あらさがしをこととするテマン人が,苦脳のただ中にあったヨブに挑戦したとおりのことを行なっています。(ヨブ 22:1,21)わたしたちは現代のこうした挑戦をそのまま受けて立つことができます。エホバという名を持ち,永遠に生きておられる全能の神を親しく知るのに今は絶好の時です。わたしたちはすでにある程度この神を知っているかもしれません。ヨブもそうでした。しかしヨブは神に導かれて,いっそう親しく神を知ったとき,こう語らずにはおれませんでした。「われ汝のことを耳にて聞いたりしが 今は目をもて汝を見たてまつる ここをもて我みづから恨み 塵灰のなかにて悔ゆ」。(ヨブ 42:5,6)同様にわたしたちも今日,神をいよいよ深く知ることができるのです。

      18 今日,人間は文字にしるされた神のことばをかつてないほど深く理解できるようになりました。したがってわたしたちは,大いに増し加えられたその知識をいま取り入れることによって,神への感謝と認識を深めることができます。また,わたしたちは,さらに多くの正確な知識を神に祈り求めることができ,それとともに,目に見えない神をあたかも見ているがごとくに,いよいよ神を信頼することができます。こうしてわたしたちは,崇拝すべきこの唯一のまことの神を,日ごとの実生活において深く知ることができるのです。

      19 神を親しく知ることは,わたしたちにとって何を意味していますか。わたしたちにはどんなことが確かにおよびますか。

      19 このような神を親しく知ることは,わたしたちにとって確かに平和を意味します。しかもそれは世の人々の唱える見せかけの平和ではなく,戦争にさいなまれるこの事物の体制に差し迫った滅びにさえ砕かれることのない真の平和です。神に敵対している世にあって,わたしたちは神との平和な交わりを望み,神の善意を受ける民のひとりでありたいと願っています。(ルカ 2:14,新)わたしたちが今,神の「善意の人」となるならば,この世界がいよいよ悪に苦しむ今も,また,神の約束された新しい事物の秩序の下でも,わたしたちには確かに神から「良いことが……およぶでしょう」。そしてその新秩序の下では神が善良なかたであることを永遠に味わい知るでしょう。

  • 幸福なエホバの証人になったドラム奏者
    ものみの塔 1970 | 2月1日
    • 幸福なエホバの証人になったドラム奏者

      ● アフリカのひとりのエホバの証人はいつもあるドラム奏者の家の前を行き来していました。しばらくして,このドラム奏者はかけ事に敗れ一文なしになり,靴まで売り払ってしまいました。ところが例のエホバの証人はいつも笑顔で,きちんと靴をはき,彼の家の前を往き来していました。これを見たドラム奏者は真剣に考えはじめました。「信心深いカトリック教徒のわたしは問題ばかりかかえているのに,どうしてあのエホバの証人はいつも幸福なのだろう」。数日後,路上でその証人に会い,あなたとわたしの生活はなぜこうも違うのでしょうと尋ねました。証人は,聖書の原則がいかに身の守りとなるかを快く説明しました。今,この人は別人のようです。エホバの証人のひとりになったからです。自分の生活をすっかり改め,正式に結婚届けを出し,今ではきちんと靴をはいています。

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