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  • 誉れある用途のための器となりなさい
    ものみの塔 1973 | 7月1日
    • あるいは麻薬に酔ってもうろうとしているときではありません。現在は,この世に対して最後の審判がくだされる時です。自制力を弱めるもの,つまり他人の暗示にかかりやすくさせるものは何でも,人から意志力を全部奪い去ります。その人は極めて危険な状態に置かれるのです。この世の霊はますます悪魔的になってきています。もし麻薬をもてあそぶなら,その人は自分の忠実さを弱める大きな危険があります。一度だけでもこの世の霊に屈することは,悪霊の手に,そして死の手に落ち入ることを意味するかもしれません。

      21 麻薬を使うとどんな悪事にさらされますか。

      21 アルコールの飲みすぎのみならず,マリファナやそれに類する他の麻薬も確かに抑制力や自制力を弱めます。それらは人の徳性を低下させます。そうなると人は,悪い仲間の勧めを受けやすくなります。それは悪魔のわななのです。『おのれの心を制えざる人は石垣なき壊れたる城のごとし』と聖書は述べています。(箴 25:28)古代の都市においては,石垣が押し破られたなら町は無防備となり,敵の侵入を受けやすい状態になりました。悪霊たちが存在すること,そしてわたしたちの最大の敵であることを忘れないようにしましょう。

      真の自己分析と霊性

      22 わたしたちは,自分の思いと心にあるものを知るために麻薬を使う必要がありますか。

      22 麻薬を使うと自己分析ができるという主張についていえば,救いをもたらすのは,わたしたち人間の思いや心の中にあるものではなく,神の思いと心の中にあるものです。使徒パウロは述べています。『われはわが中,すなわち我が肉のうちに善の宿らぬを知る,善を欲すること我にあれど,これを行なうことなければなり』。(ロマ 7:18)人間の創造者である神がすでにそのみことば聖書の中でわたしたちに告げておられるのに,麻薬がつくり出す非現実の世界に「旅行」して,このことを知るためのいわゆる自己分析をする必要がありますか。

      23,24 わたしたちはどこに行けば,正しい指導を受けながら,信頼できる自己分析を行なうことができますか。

      23 自己を吟味し,自分の思いと心を正しい道に保つことはむろん必要です。しかし,わたしたちになすべきことを告げ得るのは,わたしたちが自分を知っている以上にわたしたちのことをよくご存じの創造者です。聖書は,『神の言は生命あり,能力あり両刃の剣よりも利くして,精神とたましい,関節と骨髄を透してこれを割ち,心の念と志望とをためすなり』と述べています。ですから,わたしたちは信頼できる分析を行なう手だてをそこに見いだすことができます。―ヘブル 4:12。

      24 麻薬にはできませんが,神はわたしたちが霊的な生活を送るようわたしたちを導くことができます。コリント前書 2章9節から13節には次のように書かれています。『「神のおのれを愛する者のために備え給いしことは,眼いまだ見ず,耳いまだ聞かず,人の心いまだ思はざりし所なり」とあるがごとし。されど我らには神これを御霊によりてあらわしたまえり。御霊はすべてのことを究め,神の深き所まで究むればなり』。

      25,26 (イ)どうすれば深い洞察力を得ることができますか。(ロ)クリスチャンがもし麻薬を使うなら,使徒パウロのどんなことばを否定していることになりますか。

      25 それで,もしわたしたちが深い洞察力を持つことを望むなら,わたしたちは,祈りと神のみことばの研究とを通して,神の霊を受けることを真剣に求めるでしょう。使徒はさらにこうことばをつづけています。『それ人のことは己がうちにある霊のほかにたれか知る人あらん,かくのごとく神のことは神の御霊のほかに知る者なし』。神の霊は,わたしたちに神の事を教え得る唯一のものです。

      26 多くの若者に麻薬を使わせているのは確かにこの世の霊です。彼らは同輩を喜ばせること,あるいは同輩の間で人気を得ることを望むのです。そこでパウロは宣言します。『我らの受けし霊は世の霊にあらず,神より出ずる霊なり,これわれらに神の賜いしものを知らんためなり。またわれらこれを語るに人の知恵の教うる言を用いず,御霊の教うることばを用う,すなわち霊のことに霊のことばを当つるなり』。

      27 エホバの証人は現実からの逃避を試みているのではなく,何をしようとしていますか。

      27 エホバの証人は現実からの逃避を試みているのではありません。彼らは今,ひとつの目的を持って生きているのです。彼らは「この事物の体制に合わせた」いきかたをやめて,『自分の思いをつくり直して』いるのです。(ロマ 12:2)麻薬の影響を受けて非現実的な生活をしていたある音楽家は,エホバの証人と聖書の勉強を始めました。彼の仲間はその音楽家をひやかし「きみは洗脳されているんだ」と嘲笑しました。すると彼はうまく答えました。「われわれの脳の状態を考えると,徹底的に洗脳される必要がある」。

      28 聖書の道に従う人びとには,麻薬を通して逃避を試みる人びとよりもはるかにすぐれた希望があります。なぜですか。

      28 そうです,エホバの証人は自分の考え方を清めました。彼らは,『敬けんは今の生命と後の生命との約束を保ちてすべてのことに益あり』という神のことばの真理を信じています。また,使徒が言ったように,自分たちの「労が主にあってむだでないこと」も知っています。―テモテ前 4:8。コリント前 15:58,新。

      29 (イ)ロマ書 14章17節は,麻薬のようなものが,神の祝福を得る助けにならないことをどのように示していますか。(ロ)神は,今神の霊の実を結ぶことに努めている者たちをどのように見,また用いられますか。

      29 そういうわけで,神に近づく道を開くのは,食べることでも飲むことでも,“ポット”(マリファナ)を吸うことでも,あるいは麻薬を使うことでもありません。それは聖書の知識であり,神のご意志を行なうことです。麻薬使用者たちが持ち出すような議論をしかけられた時はいつも,ロマ書 14章17節に書かれていることを思い出すのはよいことです。なぜなら,わたしたちを神のしもべとする,あるいはわたしたちに神の恵みをもたらすものは,食べるもの,飲むもの,吸うもの,つまりわたしたちが体内に入れるものではないということをわたしたちは知っているからです。使徒パウロは書いています。「神の王国は,食べることや飲むこと[麻薬を使うこともつけ加えられるでしょう]ではなく,義と平和と聖霊による喜びとを意味しているからです」。(ロマ 14:17,新)神の霊の実を追い求めるなら,エホバはわたしたちを誉れある用途のために用いてくださるでしょう。そして,新秩序の中にわたしたちの場所を設けてくださるでしょう。―テモテ後 2:21。

  • 愛の神は魂を責めさいなむでしょうか
    ものみの塔 1973 | 7月1日
    • 愛の神は魂を責めさいなむでしょうか

      人間の創造者の顕著な特質は愛です。創造者はほかならぬ愛を具現したかたです。聖書が,「神は愛なり」と述べているのはそのためです。(ヨハネ第一 4:16)この愛のある神について詩篇作者ダビデはこう述べました。『その怒りはただしばしにてその恵みはいのちとともにながし』― 詩 30:5。

      人類に対する神の愛がどれほど深いかは,その律法を犯す人を神がどう見ておられるかを考えるとよくわかります。そのような人の行為は神を「悲しませ」,『怒らせる』ものではあっても,神は直ちに彼らに対して憤りを爆発させることはなさいません。(詩 78:38-41,口語)神はあわれみ深いことに,そのような人びとに自分たちの態度を改める機会を差し伸べておられるのです。神はそうした人びとに対して不利な裁きを執行することに喜びを見いだすことはなさらないからです。神はご自分の預言者エゼキエルを通して,不従順なイスラエルに次のように語りました。『われ悪人の死ぬるを喜ばず 悪人のその道を離れて生くるを喜ぶなり 汝ら翻りてその悪しき道を離れよ イスラエルの家よ汝らなんぞ死ぬべけんや』。(エゼキエル 33:11)エホバ神は命を貴重なものとみなしておられるので,ご自分の義の律法を破る者に対して警告を伝えるよう取り計らわれます。

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