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    ものみの塔 1960 | 9月15日
    • があなたがたのためにこの岩から水を出さなければならないのであろうか」。モーセとアロンは激怒のあまり,奇跡的に水を備え給うたエホバに誉を与えず,会衆の前でエホバをあがめるよりも自分自身に誉を帰したのです。

      8 (イ)ハマンは,激怒でいつぱいになつたとき,何を達成しようと努力しましたか。(ロ)その結果,彼には何が生じましたか。

      8 アマレク人ハマンは,狡猾に振舞つて,すべての人は彼に敬礼しなければならぬ,という王の命令を出させました。しかし,神の真の僕なるモルデカイは,神の処罰をうけている敵に対して,そのような誉を与えようとはしませんでした(出エジプト 17:14-16)ユダヤ人のモルデカイがひざまずかず,また敬礼もしないのをハマンが見たとき,記録は次のように述べています,「ハマンは……怒りに満たされた……ハマンはアハシュエロスの国のうちにいるすべてのユダヤ人……をことごとく滅ぼそうと図つた」。ハマンの心は,なおもかたくなりつづけ,モルデカイを木にかけて殺し,そして神の民を滅ぼそうと決意しました。もちろん,神の御言葉から私たちは次のことを知つています,すなわちハマンにとつて形勢は逆転し,彼は死刑をうけました。そしてモルデカイ,エステルおよびユダヤ人は,自分たちの生命のために立てと告げられたので,王の布告による影響をうけずにすみました。―エステル 3:5,6; 8:10-12。

      9 あるユダヤ人たちは,会堂内で語られたイエスの言葉にすなおに答え応じようとはせず,むしろどのように答え応じましたか。

      9 イエスが会堂内の群衆に話をされ,特にイザヤの巻物を読んで,聖句はその日に成就したと告げたとき,耳を傾けて聞いていた多くの人々はメシヤの言葉に注意を払つてメシヤを認めると,いうような態度を示しませんでした。むしろ,ルカ伝 4章28,29節(新口)には,こう書かれています,「会堂にいた者たちはこれを聞いて,みな憤りに満ち,立ち上がつてイエスを町の外へ追い出し,その町が立つている丘のがけまでひつぱつて行つて,突き落そうとした」。ここでもまた,エホバと契約関係をむすんでいたと自称した者たちは,発作的な敵意に駈られて,エホバの御子を捨てただけでなく,彼を殺そうとしました。

      10 ステパノがユダヤ人の歴史的な記録を述べるのを聞いて後に,群衆はどのように答え応じましたか。

      10 サンヘドリンの前に引き出されたステパノは,メシヤの来る時までのユダヤ人の歴史と記録を語りました。彼の話を学ぶ際に,私たちの心はひきつけられます。ステパノは,彼らが正義の者を告げ知らせた者たちをも迫害し,かつ律法を守らなかつたと大胆に告げました。その結果,ステパノに対してひき起された怒りは,使徒行伝 7章54-58節(新口)に述べられています,「人々はこれを聞いて,心の底から激しく怒り,ステパノにむかつて,歯ぎしりをした。……人々は大声で叫びながら,耳をおおい,ステパノを目がけて,いつせいに殺到し,彼を市外に引き出して,石で打つた」。悪魔のごとき怒りにくるつた彼らはステパノを殺しました。

      義憤

      11 エホバの怒りは,なぜ不適当なものではありませんか。

      11 しかし,次のことを留意すべきです。すなわち,怒りと義憤はちがうものである,ということです。私たちは,エホバの怒りが悪い敵共の上に注がれる,ということを知つています。エホバは,そのことをしばしば御言葉の中で述べられました。エホバは怒るにおそい御方です。しかし,不正な行動に対して彼の怒りが起きない,という意味ではありません。予言者ナホムは,次のように述べています(ナホム 1:6),「誰かその憤恨にあたることを得ん誰かその燃るいかりに堪うることを得ん其いかりのそそぐこと火のごとし巌もこれがために裂く」。エホバの保護の御手は,忠実な僕たちやエホバへの専心の愛に満ちている者の上にあります。それと同じく,エホバの怒りと破壊の力は,悪しき者たちに対して行使され,彼らはのがれることができません。

      12 (イ)エホバの怒りに対してダビデは何と言いましたか。いつ,それは最高の表われに達しますか。(ロ)クリスチャンは義憤を示すことができますか。

      12 エホバの怒りの表われは,詩篇 69篇24,25節(新口)のところでダビデにより指摘されています,「あなたの憤りを彼らの上にそそぎ,あなたの激しい怒りを彼らに追いつかせて下さい。彼らの宿営を荒し,ひとりもその天幕に住まわせないでください」。それで,エホバ御自身の御言葉とエホバの忠実な僕の語つた言葉から分かるとおり,神の敵に対して正義の憤りを表わすことは全く正しいことです。エホバが悪を憎まれていることは,ハルマゲドンで悪が絶滅されることにより最高潮に達します。私たちクリスチャンも,エバホに反対しているこの世のものに対して侮べつを示すことができます。私たちが不正をゆるさねばならない,ということはありません。全くのところ,その反対のことが真実です ― 私たちは正義を愛して不正を憎まねばなりません。それぞれに対しての適当な時があります。聖書にこう書かれている通りです,「すべての事には季節があり……愛するに時があり,憎むに時があり,戦うに時があり,和らぐに時がある」。―伝道の書 3:1,8,新口。

      13 エホバはどんなものを憎みますか。

      13 エホバの憎み給ういくらかの事が何であるかを知ることは,最も興味深いものです。そのことは,次の言葉のうちに示されています,「エホバの憎み給うもの六つあり否その心に嫌ひ給うもの七つあり,即ちたかぶる目いつはりをいう舌,罪なき人の血を流す手 悪しきはかりごとをめぐらす心すみやかに悪にはしる足 いつはりをのぶる証人および兄弟のうちにあらそいをおこす者なり」それよりすこし先のところでは,次のような助言の言葉が述べられています,「エホバをおそるるとは悪をにくむことなり,我はたかぶりとおごり悪しき道といつはりの口とを憎む」それで,私たちはエホバの憎まるるものを当然にくむ正当な理由をもつています。―箴言 6:16-19; 8:13。

      14 ダビデは何を憎みましたか。そして,彼は何を愛しましたか。

      14 全能の神のひとりの僕は,別の時にこう述べました,「我なんじのさとしによりて知慧をえたり,このゆえにいつはりのすべてのみちをにくむ……この故にもろもろのことにかかるなんじのすべてのさとしを正しとおもう,我すべてのいつはりのみちをにくむ,われ二心のものをにくみ汝のおきてをいつくしむ,われいつはりをにくみこれをいみきらへども,汝ののりを愛す」― 詩 119:104,128,113,163。

      15 クリスチャン奉仕者たちは,今日エホバの正しい原則を破る者たちをどのように見なしますか。

      15 このことから判断するとき,会衆内のある人々がエホバの律法を破つて,姦淫,淫行をなし,ののしりの言葉を語り,あるいは泥酔者であるためエホバの原則を無視するなら,会衆の人々は当然そのような行ないをする者たちをいみきらいます。全くのところ,そのわけで会衆の委員はそれらの者たちを排斥して交りから除外することが重要になつているのです。彼らはそのような行ないを憎みます。従つて,そのような行ないをする者たちはエホバの誉ある清い制度内にいることができません。

      16 新しい世の社会の者は,どのように怒りと義憤を見なしますか。

      16 それで神の考えと思いを正しく評価し,完全なもの不変のものと認めることは,なんと重要なことでしよう。彼は,不完全な人間の怒りと怒りにみちる罪を憎みます。このことを知るクリスチャンは,エホバの道と考えに従う歩みをするよう自分の道をいつでも合わせる努力をします。たしかに,どのクリスチャンもいかるにおそく,激怒を避けます。それでは義憤についてはどうですか,エホバの義憤が表われるようにしなさい。なぜなら,エホバは正義のうちに義憤を表わし,御自分の原則を破る憎むべきものを永久に滅ぼします。

  • 神の目的とエホバの証者(その2)
    ものみの塔 1960 | 9月15日
    • 神の目的とエホバの証者(その2)

      「『あなたがたは私の証者です』とエホバは言われる。」― イザヤ 43:10,新世訳

      第2章 宗教的な混乱からの転換は始まる

      ロイス: ローマ・カトリック教会が中世時代の千年間,神の御国として支配したと主張したなら,キリストの再臨を待つ必要がなぜあるのでしようか。

      ジョン: ローマ・カトリック教会は待たなかつたのです。しかし,ローマ・カトリック教会の力が1800年頃に衰え始めたとき,幾人かの聖書研究者たちが主の再臨に注意を向け始めたのは当然です。

      ロイス: しかし,宗教改革についてはどうですか。新教徒がローマ・カトリック教会から離れたとき,彼らはエホバの証者にならなかつた,とあなたは仰言いましたね。なぜそう仰言るのですか。

      ジョン: そうですね,宗教改革は実際にはローマ・カトリック教会の権威に対する反逆として始まりました。そして,間もない中に強力な政治論争に発展しました。多数の新教徒の指導者は,カトリック教会の異教徒審問所と同じくらいに,宗教的な反対者たちをひどく迫害しました。たとえば,ジョン・カルビンは,三位一体説に反対したマイケル・サーヴイタスを文字通りに火焙りにしました。それは非常におそろしい栲問で,約5時間の後にサーヴイタスは死にました。その間,カルビンは窓からその光景を見ていたのです。a さらに,新教徒の教会は,法王が支配していた世紀中に信ぜられていた背教の教えを,そのまま引きつぎました。これらの事実だけからも,それは真の宗教改革でなく,またこれらの「宗教改革者」たちは,イエスやイエス以前の人々のごときエホバの証者ではなかつたことが分かります。

      しかし,世の終りが来る前に神の御国の良いたよりは,全国民へのあかしとして世界中に伝道される,とイエス御自身は予めに告げられました。暗黒時代中では,このことは不可能でしよう。政治的な支配と宗教的な支配は,きわめてかたいものであつたため,ローマ・カトリック教職者制度の束縛を全く破ることは必要

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