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愛の神が復しゅうを遂げられるのはなぜかものみの塔 1981 | 4月15日
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愛の神が復しゅうを遂げられるのはなぜか
『神は愛です』― ヨハネ第一 4:8。
1 この記事の主題の矛盾のように思える事柄を理解する助けになるものは何ですか。
復しゅうする? 愛の神がですか。どうしてそんな事があり得ますか。愛の神が復しゅうのようなことをなさるという考えは矛盾してはいませんか。そう思えるかもしれません。しかし,創造者が示しておられる愛の特質について考えてみれば,愛がどのように復しゅうと関連しているかがはっきりと分かります。
2 神の愛が至高のものであると言えるのはなぜですか。わたしたちが感謝を示すべき,神の愛ある備えにはどんなものがありますか。(詩 136:1-6)
2 神の愛といえば,それは至高のもの,つまり最高度のものであると言うことができます。そしてその愛は様々な方法でわたしたちに示されてきました。例えば,わたしたちが住んでいる地球のことを考えてみましょう。聖書は,地球が人間に対する『神の贈り物』であると述べています。(詩 115:16,新)しかもなんとすばらしい贈り物なのでしょう。神がどれほどの愛をこめてこの地球を造ってくださったかを考えてみてください。エホバは,太陽からの熱と光をちょうどほどよく吸収できる空間に地球を置き,美しい緑のじゅうたんと,変化に富むきれいな色の花とで地球を装ってくださいました。また,哺乳動物や鳥や魚がたくさんすむようにし,穀物や他の食物を豊富に与えてくださったのも,神の愛の表われです。―詩 104:1,13-15。
3 神はわたしたち人間を創造するにあたってどのように愛を示されましたか。
3 しかし,神の愛は,エホバがわたしたちのために造られた物の中にのみ表わされているのではありません。わたしたち人間の造りにも表われています。神は人間が創造物から喜びを得られるように人間を造られたのです。詩篇作者はその点を見事に言い表わしました。『ああエホバ,……わたしはあなたをほめたたえます。わたしは恐るべく,くすしく造られているからです』。(詩 139:1,14,新)神はその寛大さと愛ゆえに,周囲の世界の美しさを見る目と,音楽や人間の声の様々な響きに喜びを感ずる耳と,食物のにおいやかぐわしい花の香りをかぐ鼻を与えてくださいました。そのうち最も際立っているのは人間の脳です。脳は,推論し,記憶し,体の動きを調整する働きをします。確かに,人体という神の豊かな贈り物には驚嘆せずにはいられません。本当に『神は愛です』。―ヨハネ第一 4:8。
神の愛によって救助される
4 エデンの楽園で,神の愛はどのように表明されましたか。
4 最初の人間アダムを創造された時,神はアダムをエデンの美しい楽園に置かれました。アダムは,周囲に見られる神の愛ある豊かな備えに大きな喜びを感じたに違いありません。それから神はエバを造られ,アダムの所に連れて来られました。人生の最初の日に,自分を愛し,導いてくれる頭である夫と結ばれることは,エバにとってどんなに喜ばしいことだったでしょう。地球を美しくし,そこに人々を殖やし,創造物である動物を愛情をもって管理するという神のご意志を行なうことを二人は楽しみにすることができました。神は二人の前に何と壮大な将来を置かれたのでしょう。
5 (イ)わたしたちの最初の先祖はどのように神の愛に値しない者となりましたか。(ロ)しかし神の愛はその子孫に対しどのように差し伸べられましたか。
5 ところが悲しいことに,その見込みは,少なくとも二人にとっては実現しませんでした。反逆的な霊者が神の愛を振り捨て,自ら悪魔サタンになるという利己的なことをしたのです。この悪魔はエバを,またエバを通してアダムを説得し“自分のしたいことをする”ようにさせました。こうして二人は,創造者から独立した利己的な道を歩むことになりました。しかしそうすることによって,創造者の愛を全く受けるに値しないことを示しました。ですから,神がこれら故意に罪を犯した者たちに死の宣告を下されたのは正しいことです。しかし,人類に対する愛ゆえに,神はアダムとエバに子供が生まれるまで二人が生き続けることを許されました。もしそうされなかったなら,わたしたちは今,生きていなかったでしょう。それだけではありません。人類は最初の親から罪と死を受け継ぐようになりましたが,愛ある神は希望の根拠を与えてくださいました。―創世 3:16-23。ローマ 8:20,21。
6 エデンにおけるどんな宣告が神の愛をはっきりと示していますか。どのように。
6 どのようにでしょうか。反逆が生じた初めの段階で,神は「胤」つまり一人の子孫を起こすことを明らかにされました。神はこの方をご自分の忠節な天的組織から送り出して,悪魔およびアダムとエバによって引き起こされたすべての災いを取り除くのです。しかし,この時エデンで,愛の神エホバは,サタンに対し,また神の愛に背を向けてサタンの子孫の一部になる人々に対し復しゅうすると宣言されました。―創世 3:15,新。啓示 12:9。
愛の神,そして復しゅうの神
7 申命記 32章43節と一致して,わたしたちには喜ぶべきどんな理由がありますか。
7 ですから,愛の神はご自分が復しゅうの神でもあることを宣言されたのです。神がご自分の敵に復しゅうをなさるのは正しいことです。なぜでしょうか。それは,神を愛する人すべてが喜び,歓喜するための道を開くものとなるからです。確かに,人間が永遠の命という神の備えにあずかれる道を神が開いてくださることに,わたしたちは今,歓喜することができます。神がモーセに霊感を与えて語らせた次の言葉に注意してください。「国々の民よ,彼の民と共に喜べ。[神は]その僕たちの血のために復しゅうなさるからである。その敵対者たちに復しゅうされる」― 申命 32:43,新。
8,9 (イ)神は愛の気持ちから,どんな二つの事柄を行なう意図をお持ちですか。(ロ)愛の表現として,神はどんなすばらしい贈り物をお与えになりましたか。
8 そうです,わたしたちの愛ある神はご自分の支配の正しさを立証し,ご自分の愛する者たちを敵対者から救い出すことを意図しておられるのです。神は,最初の父親アダムからの遺伝で生活に入り込んできた大敵,つまり死からさえわたしたちを救い出されます。(ローマ 5:12)では神はこれをどのように行なわれるのでしょうか。聖書の示すところによると,それは神のみ子という贈り物を通して行なわれます。「神は愛[です]。わたしたちの場合,これによって神の愛が明らかにされました。すなわち,神はご自分の独り子を世に遣わし,彼によってわたしたちが命を得られるようにしてくださったからです。愛はこの点,わたしたちが神を愛してきたというよりは,神がわたしたちを愛し,ご自分のみ子をわたしたちの罪のためのなだめの犠牲として遣わしてくださった,ということです」― ヨハネ第一 4:8-10。コリント第一 15:25,26。
9 それで神は,アダムから受け継いだ罪ゆえに入ってきた死からわたしたちを解放するためにみ子イエス・キリストを備えられました。そうです,聖書がテモテ第一 2章6節で述べる通り,キリストは,ご自分に信仰を働かせる「すべての人のための対応する贖いとしてご自身を与えてくださったのです」。ですからイエスは,ご自分の羊のような追随者たちについて,「わたしは,彼らが命を得,しかも満ちあふれるほど豊かに」,つまり永遠の命を「得るために来ました」と言うことができました。―ヨハネ 10:10。
10 (イ)『愛の神』が「復しゅう」の神でもあるのはなぜですか。(ロ)わたしたちが神を知り神に従うのが今日重要なのはなぜですか。
10 それでも,聖書は『愛の神』が『復しゅうの神』でもあることを再三述べています。なぜですか。神の愛は悪を永久に許容することはできないからです。(ナホム 1:2。申命 32:35,41)使徒パウロが『神を知らない者と,わたしたちの主イエスについての良いたよりに従わない者に報復をするため,主イエスがその強力な使いたちを伴い,燃える火のうちに天から表わし示される時』のことを書いたのはそれが理由です。(テサロニケ第二 1:6-9)それで,わたしたちが神を知るようになるのは本当に重要なことです。宗教の乱立する混乱したこの世界にあって,聖書が述べるように,『真の神を模索してほんとうに見いだす』のは何と重要なことなのでしょう。―使徒 17:27。
復しゅうと愛のつり合いを保つ
11,12 (イ)人類史の初期にどんな状況が発展しましたか。そのために神の側にどんな行動が必要でしたか。(ロ)その時に神が果たされた復しゅうは,神の愛とどのようにつり合いが取れていましたか。
11 では,人類史の出発点に戻ってみましょう。その部分は,神の愛と復しゅうの関係をよりよく理解する上で助けになります。神はご親切にも,アダムの子孫が殖え広がることを許されましたが,道を踏みはずした人間はその愛にこたえ応じませんでした。それで500年ほどあとに,エホバは預言者エノクを遣わして,邪悪な人々の不敬虔な行ないと神に敵対して語った忌むべきことゆえに彼らに臨む神の裁きを宣告させておられます。(ユダ 14,15)それから1,000年がたち,古代世界は不道徳と暴力の極に達しました。それで神の言葉はこう述べています。「地は真の神の前に損なわれるようになり,地は暴虐で満たされるようになった。それで神が地をご覧になると,見よ,それは損なわれるようになった」― 創世 6:11,12,新。
12 では神は何をされますか。復しゅうをなさいますか。確かになさいます。しかしこの点でも,愛という特質が前面に表われます。なぜそう言えるのですか。当時の地上には,神のご意志を熱心に行なっていた家族が一家族だけありました。それは聖書の中で「義の宣明者」と呼ばれている人,ノアの家族です。エホバは親切を示され,ノアに「自分の家の者たちを救うため」の箱船を造らせました。それから全地球的な洪水がやって来て,ノアのよこしまな隣人たちを除き去ってしまいました。(ペテロ第二 2:5。ヘブライ 11:7)全地は,破壊的な暴力と不道徳が除かれて清められ,人類が再び殖え広がるのにふさわしい所となりました。―創世 6:9,22; 7:21-23; 8:15-17。
13 ソドムとゴモラに対するエホバの裁きは愛の欠けたものでしたか。あなたがそう答える理由を述べてください。
13 ところが,アダムから受け継いだ罪深い傾向はそのまま残りました。そして神を信じない人間はやがて以前と同じような悪い特質を示し始めました。(詩 51:5)例えば,ソドムとゴモラの人々のことを考えてみましょう。彼らの住んでいた地域は,かつて「エホバの園のよう」でした。聖書の記述によると,『ソドムの人々は悪くてエホバに対してはなはだしい罪人でした』。彼らは同性愛者であり,自分たちの欲望を満たすためには暴力まで用いました。(創世 13:10,13,新; 19:4-11)愛の神エホバは,これらの都市を滅ぼすことを決意されました。こうして義人アブラハムとそのおいロトは,これらよこしまな隣人たちのことを耐え忍ぶ必要がなくなりました。創世記 18章25節(新)が述べる通り,「全地を裁く方」であられるエホバは,「正しいこと」を行なわれました。エホバはロトと二人の娘を救い出されましたが,ソドムとゴモラには火を降らせて滅ぼし,その全域の汚れを除かれたのです。―ルカ 17:29。ユダ 7。
14,15 (イ)カナン人には罪がなかったと言えますか。(ロ)彼らに復しゅうを遂げられた神は正しかったと言えますか。
14 幾年かが経過し,エホバはご自分の民イスラエルにもう一度「正しいこと」を行なわれました。どのようにですか。それは,約束の地からカナン人を追い払うよう取り決められた時のことです。(申命 18:9-12)『しかしこれは,罪のないカナン人に対して公正を欠いたことではないか』と言う人もいるかもしれません。カナン人には罪がなかったでしょうか。罪がないどころではありませんでした。これらのカナン人は,近親相姦,性的な汚れ,姦淫,子供の人身御供,同性愛,残忍な行為といった習慣によって嫌悪すべき状態に陥っていました。例えば,偽りの神々を崇拝するにあたって自分の子供たちを犠牲に捧げ,子供たちを生きながら火の中に投げ込みました。それだけでなく,神殿娼婦と神殿男娼も存在していました。a そのためエホバは,次のような指示をご自分の民にお与えになりました。「これらの事のいずれによってもあなた方の身を汚してはいけない。わたしがあなた方の前から去らせる諸国民はこれらのすべての事によってその身を汚したのである。そのためにその地は汚れており,わたしはそのとがのゆえにこれに処罰を加え,その土地もそこに住む民を吐き出すのである」― レビ 18:1-25,新。
15 エホバはこれらの悪行者たちを一掃するようイスラエルに命じられましたが,これもご自分の民に対する愛から出たことでした。彼らの不潔な生活様式は神の民を脅かすものでした。それは聖書にあるように「エホバにあって嫌悪すべきもの」でした。ですから彼らに対して神の復しゅうの炎が燃え上がったのも当然です。―詩 106:34-40。申命 18:12,新。
16 神の愛と辛抱強さは,イスラエルに対しどのように表明されましたか。
16 それとは逆に,神はどのようにイスラエルの民を扱われましたか。エホバは彼らに対してこの上なく優しい愛情を示されました。モーセはそれを申命記 32章11,12節(新)で次のような美しい言葉を用いて描写しています。「鷲がその巣をかき立て,その巣立ちしたばかりのひなの上に舞いかけり,その翼を広げてこれを乗せ,その翼端にこれを負うように,エホバだけが彼を導き続けられ,彼と共に異国の神はいなかった」。しかし何ということでしょう! やがて異教の神々がイスラエルの崇拝に入り込み,その結果,敵に復しゅうすると言明しておられた神は,まずご自分の民に復しゅうすることを余儀なくされたのです。しかしイスラエルに対してエホバは本当に辛抱強さを示されました。900年間,エホバは正道をはずれたイスラエルの行為を忍ばれました。その間ずっと,エホバは憐れみのみ手を彼らに伸ばされました。エホバは次のように宣言されました。「わたしは,邪悪な者の死ではなく,邪悪な者が自分の道から立ち返って実際に生き続けることを喜ぶ。立ち返れ,あなたがたの悪の道から立ち返れ。ああイスラエルの家よ,どうしてあなたがたが死んでよいであろうか」― エゼキエル 33:11,新。
17 (イ)神はイスラエルにどんな警告を与えましたか。(ロ)イスラエルに対する神の復しゅうは,どのように愛によって和らげられましたか。
17 偶像礼拝,不道徳,罪のない者の血を流すことの結末について,エホバは彼らに再三警告をお与えになりました。しかしついにエホバは,バビロンのネブカデネザル王がエルサレムとその神殿を破壊することをお許しになり,やむなくまずイスラエルに復しゅうを遂げられました。生存者たちはバビロンへと連れ去られました。しかし70年後,神はバビロンの倒壊を巧みに誘導し,感謝の念の厚いイスラエル人の残りの者が故国に帰り,そこで清い崇拝を再開できるように取り計らわれました。―列王下 24:3,4。歴代下 36:12-21。エズラ 1:1-3。ヘブライ 12:6。
イエスは愛と復しゅうについて語られる
18 イエスは,(イ)神の愛,(ロ)神の復しゅうについて何を述べられましたか。
18 では神のみ子イエス・キリストは,神の愛と復しゅうについてどんな考えを持っておられましたか。その一つとして,イエスはみ父の愛について温かく語られ,次のように述べられました。「神は[人類の]世を深く愛してご自分の独り子を与え,だれでも彼に信仰を働かせる者が滅ぼされないで,永遠の命を持つようにされ[ました]」。(ヨハネ 3:16)しかしイエスは神の復しゅうについて話すことをためらったでしょうか。そのようなことはありませんでした。聖書によれば,イエスはみ父と同じく,「義を愛し,不法を憎(まれた)」のです。イエスは特に,宗教指導者の不法と流血の罪を嫌悪されました。(ヘブライ 1:9。詩 11:5,7)イエスは当時のユダヤ人の僧職者たちに対し,また彼らについて語る際,手心を加えることは決してありませんでした。山上の垂訓の中で,イエスは彼らを3度「偽善者たち」と呼んでおられます。(マタイ 6:2,5,16)これらの僧職者に対してイエスは,『あなたがたは,あなたがたの父,悪魔からの者』と述べ,彼らを『へびの胤』と結び付けられました。(ヨハネ 8:44。創世 3:15,新)それから,殺されるわずか三日前には,これらのユダヤ人の宗教指導者を公の場で非難し,「へびよ,まむしらの子孫よ,どうしてあなたがたはゲヘナの裁きを逃れられるでしょうか」と述べられました。―マタイ 23:13-33。
19 (イ)イエスの態度や警告の音信が非常に愛に富んでいると言えるのはなぜですか。(ロ)しかしエホバがどんなことをされたのは当然のことでしたか。
19 そうすると,イエスは冷淡な方だったのでしょうか。そのようなことは決してありません。イエスはユダヤ人が間もなく自分を殺して流血の罪を重ねることを知っておられましたが,マタイ 23章の中で続けてこう述べておられます。「エルサレム,エルサレム,預言者たちを殺し,自分に遣わされた人びとに石を投げつける者よ ― わたしは幾たびあなたの子どもたちを集めたいと思ったことでしょう。めんどりがそのひなを翼の下に集めるがごとくに。しかし,あなたがたはそれを望みませんでした。見よ,あなたがたの家はあなたがたのもとに見捨てられています」。(マタイ 23:37,38。使徒 3:13-15)それから37年後,ローマ軍がエルサレムを略奪し,その神殿を破壊しましたが,それは反逆的な民110万人が死亡するという惨事となりました。ですからこの時になって,イエスの預言的な言葉の意味が余すところなく明らかになりました。間違いなくエホバは復しゅうを遂げられたのです。
20 愛と復しゅうに関し,どんな興味深い面がイザヤ書 61章1,2節に見られますか。
20 古代エルサレムで殺害されたと伝えられる預言者の中にイザヤがいます。イザヤは幾世紀も前に次の言葉を語りました。『主権者なる主エホバの霊がわたしの上にある。それはエホバがわたしに油そそぎ,温和な者たちに良いたよりを告げるようにされたためである。それはエホバの側の善意の年と,わたしたちの神の側の復しゅうの日をふれ告げ,すべて嘆き悲しむ者を慰めるためである』― イザヤ 61:1,2,新。
21 (イ)イエスがイザヤ書 61章1,2節の一部分しか引用されなかった理由としてどんなことが考えられますか。(ロ)イザヤ書 2章2-5節に関してどんな質問が生じますか。
21 イエスは地上における宣教を始めた時,この預言の一部分をお読みになり,エホバの主要な油そそがれた者としてのご自身にその預言を当てはめられました。(ルカ 4:18-21)しかしイエスは,これらのイザヤの言葉を引用された際,神の復しゅうの日に言及することまではなさいませんでした。なぜでしょうか。神の復しゅうの日をふれ告げることに重点が置かれるのは,イザヤ書 2章にある「末の日」になってからのようです。その時はもう到来しているのでしょうか。
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神の復しゅうの日は近づいていますかものみの塔 1981 | 4月15日
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神の復しゅうの日は近づいていますか
『エホバは復しゅうの日を持っておられる』― イザヤ 34:8,新。
1 ルカ 21章25,26節は現代に適用されますか。
イエス・キリストの予告によると,神が復しゅうを遂げられる時は,人間社会を揺り動かす問題ゆえに生じる「逃げ道を知らない諸国民の苦もん」によって見分けられます。イエスは,人々が『人の住む地に臨もうとする事がらへの恐れと予想から気を失う』とも話されました。(ルカ 21:25,26)1981年に入ったわたしたちは,こうした状況を見ているでしょうか。
そうです,確かに見ています
2 (イ)啓示 11章15,18節が1914年から成就していることを何が示していますか。(ロ)これらの出来事は何の準備段階ですか。
2 現在の世界危機は,諸国家が初めて全面戦争に巻き込まれた1914年以来,人類の上に積み重ねられてきた数々の苦難の当然の結果です。啓示 11章にある預言によれば,『諸国民が憤った』その年1914年は,「世の王国はわたしたちの主[エホバ]とそのキリストの王国となった」と正当に言い得る年でもありました。(啓示 11:15,18)このように,支配する権威をもってキリストが即位されたことは,神の復しゅうのための道を整える準備段階です。
3 キリスト教世界の教会は,復しゅうと慰めに関する神の音信に関してどんな立場にありますか。
3 今日,エホバの復しゅうの日をふれ告げ,嘆き悲しむ人すべてを慰める使命を神の霊によって与えられている人がだれかいるでしょうか。確かにいますが,それはキリスト教世界の教会ではありません。教会は真の慰めとなる音信を持っておらず,エホバを自分たちの神とすることも願っていません。エホバのみ名を避けて使わずにいるだけでなくエホバのみ名に敬意を払う真のクリスチャンを迫害します。
4 わたしたちには喜ぶべきどんな理由がありますか。
4 しかし,エホバの証人は,宇宙で最も偉大な神のみ名を担うことを喜びとしています。エホバの証人と呼ばれることに喜びを感じています。多難な年1914年に王国が設立されて以来,全地にわたって「エホバの復しゅうの日」を宣明する特権にあずかっていることを,心から喜んでいます。ミカ書 4章5節(新)にあるように,「わたしたちは,定めなく正に永久に,わたしたちの神エホバの名によって歩む」という決意を確かに抱いています。そして,幾百万もの嘆き悲しむ人々がその音信に耳を傾け,慰めを得,来たるべき神の王国の側に集められていることに喜びを感じています。
神の復しゅう ― それ相当の理由はあるか
5 (イ)この「危機の時代」は何が最終的に結んだ実ですか。(ロ)「終わりの日」に関するパウロの預言を成就するものとしてどんな状態がキリスト教世界に見られますか。
5 しかし,今の世界は神に復しゅうされなければならないほど本当に悪くなっているのでしょうか。使徒パウロの言葉に耳を傾けてみましょう。パウロは,「このことを知っておきなさい。すなわち,終わりの日には,対処しにくい危機の時代が来ます」と述べました。この危機の時代は,真理を宣べ伝える業に人々がこたえ応じなかったことの最終的な結末,究極の実なのです。(テモテ第二 2:23-26)キリスト教世界の領域においてさえ,今は,犯罪と暴力,破綻をきたした家庭,権威に対する不敬な態度,道徳心の欠如などが驚くほど増加している様子が見られます。それらすべての根底にあるのは,利己主義,貪欲,純粋な愛の欠如です。パウロは続けて,「人びとは自分を愛する者,金を愛する者,……善良さを愛さない者……神を愛するより快楽を愛する者……となる」と述べています。(テモテ第二 3:1-5)では,わたしたちはこの預言が今日世界中で成就しているのを見ていますか。確かに見ています。それは詳細な点に至るまで成就しています。
6 マタイ 24章12節の成就としてどんな状況が進展しましたか。
6 イエスご自身も「事物の体制の終結のしるし」を預言した時,「不法が増すために,大半の者の愛が冷えるでしょう」とおっしゃいました。(マタイ 24:3,12)これは今日の世界全体について言えるだけでなく,キリスト教世界についてさえ言えることです。毎年クリスマスの時期になると,キリスト教世界では愛や平和や人間の善意について多くのことが語られますが,諸国家はそれを実践するでしょうか。英国の首相が1979年のクリスマスのちょうど1週間前に語った言葉は意味深長です。この女性首相はこう述べました。「我々は新たな10年間に直面している。この期間を私は“危機の10年”と呼んだが,この期間に我々の安全と生活様式を脅かすものは,どちらかと言えば1970年代より深刻なものとなろう」。
7,8 (イ)世の終わりの日のどんな状態が現在見られますか。(ロ)エホバはどんな保証を与えておられますか。またこれらの事柄にはどのように「愛」と「復しゅう」が関係していますか。
7 このような脅威に諸国家はどのように反応しているでしょうか。その軍備を増強することによってです。考えてみてください。愛の欠けたこの世界は毎分100万㌦(約2億4,000万円)を軍事のために投じており,それは,1年にすると5,000億㌦(約120兆円)を上回ります。こうしたことはすべて,世の終わりの日の状態をますます深刻なものにしていますが,世界はその解決策を見いだすことができません。医師や科学者などから成る団体が1980年3月2日付のニューヨーク・タイムズ紙上で公表した情報によると,もし明日にでも核戦争が勃発したとすると,わずか1時間で地上の生命のほとんどが,つまり幾十億もの人類が死滅するとのことです。それにもかかわらず,諸国家はよりすさまじい超高性能兵器の製造に余念がありません。
8 ではわたしたちの愛の神,この美しい地球の創造者は,よこしまな諸国家が地球を燃えかすにしてしまうことを許されるでしょうか。断じて許されません! 神はそのみ言葉の中で次のことを率直に述べておられるからです。「エホバは天を創造したまえる者にしてすなわち神なり また地をもつくり成してこれを堅くしいたずらにこれを創造したまわず これを人の住みかにつくりたまえり エホバかくのたもう我はエホバなり我のほかに神あることなし」。エホバというその比類のないみ名は,この方が愛ある創造者また宇宙の主権者なる主として,わたしたちの地球を荒廃させることをお許しにならない保証となっています。神の愛は,この地球をないがしろにして人間という創造物を絶滅させようとする人々に復しゅうを遂げることを要求するのです。―イザヤ 45:18。エレミヤ 10:10-12。
9 諸国家が武器を捨てることを拒んだので,エホバは何を行なうことを意図しておられますか。なぜですか。
9 第一次世界大戦が始まった1914年以来,この地球は幾千万という罪のない人々の血で浸されてきました。第二次世界大戦だけでも5,500万の人命が奪われたのです。今や,核による大虐殺の可能性は一層の恐れをかき立てるものとなっています。したがって,諸国家が武器を捨てようとしないので,わたしたちの愛の神は,効果的でしかもその効果が永続する独自の方法によって,ほどなく彼らの武器を捨てさせると宣言しておられるのです。エホバはこう述べておられます。「あなた方は来て,エホバのみ業を見よ。神が地に驚くべき出来事を置かれたのを。神は地の果てに至るまで戦いをやめさせる」。(詩 46:8,9,新)そうです,諸国家が決して行なわないこと,つまり彼らの戦争用の装備すべてを粉々に砕き,彼らの核ミサイルすべての信管さえ除去することが,エホバの愛ある目的です。それは,「復しゅうはわたしのもの,わたしが返報する」というエホバの言葉と一致します。(ローマ 12:19。ゼパニヤ 3:8,9)復しゅうを遂げられるというわたしたちの愛の神の目的は,わたしたちを喜ばせるものではないでしょうか。そうであるべきです。
増し加わる不幸な事態
10 今世紀の戦争は,どんな衝撃的な結果をもたらしましたか。
10 1914年以降の幾つかの戦争は,恐ろしい結果を置き土産にしました。その一つは,平気で性的な欲望を満足させるようになったことです。それは結局,性病や不本意な妊娠が増え広がる事態を招きました。このような不本意な妊娠に伴って,堕胎が時代の潮流となりました。今は世界中で,毎年3,000万から4,000万ほどの胎児が堕胎によって殺されているものと推定されています。罪のない人々の殺害がこれほど大規模に行なわれたことは,世界でも類のないことです。それに比べれば,歴史上のどの戦争であれ,それらの最悪の年に出た死者もものの数ではありません。
11 どんな点で,『邪悪な者はいよいよ悪に進んで』いますか。
11 それに加え近ごろでは,麻薬常用癖,離婚,少年非行,あらゆる種類の不法行為などが驚くほど大規模に見られるようになりました。今日,同性愛者の社会は,米国だけでも2,000万人の同志がいると誇っています。最近でも,一人の同性愛者が,性的な暴行を加えた33人の青年を殺すという前代未聞の衝撃的な事件が起こりました。しかし同性愛は,キリスト教世界で,また全世界で広く見られる不道徳行為のほんの一面にすぎません。この「終わりの日」に関してテモテ第二 3章には,『邪悪な者はいよいよ悪に進みます』とありますが,正にその通りです。―13節。
12 このよこしまな世界が終わりに至ったことを示すどんなしるしがありますか。
12 周囲の不道徳な世界をながめる時,わたしたちは,ノアの時代やソドムとゴモラの時代に実によく似ている,堕落したカナン人や背教したイスラエル人にそっくりだ,と叫ばずにはいられません。今の世界が不道徳の泥沼にますます深く沈み込んでゆくにつれ,わたしたちの脳裏に浮かぶのは,「こうした事をならわしにする者は死に価する」という使徒パウロの警告の言葉です。(ローマ 1:18,26-32)そうです,愛の神はこの事物の体制の恐るべき悪をこれ以上許容されません。それどころか,ご自分の地球を汚している者たちに滅びをもたらされます。―啓示 11:18。
「名高い売春婦」を見分ける
13 『霊的な姦淫』とは何ですか。
13 一方,聖書は霊的な不道徳についても述べています。これにふけっているのは,清い崇拝を実践していると唱えながら地上のサタンの世の事柄に関係している人々です。聖書はこう述べています。「姦婦たちよ,あなたがたは世との交友が神との敵対であることを知らないのですか。したがって,だれでも世の友になろうとする者は,自分を神の敵としているのです」。(ヤコブ 4:4)神の僕であると唱える人々の側のこのような交友,霊的な姦淫は,エホバが復しゅうを遂げられる主要な理由の一つです。なぜそう言えるのでしょうか。
14 「名高い売春婦」,そして彼女が座っている「多くの水」とは何であるかを述べてください。
14 啓示 17章に述べられていることからそう言えるのです。そこには「多くの水の上に座る大娼婦」について書かれています。これはどういう意味でしょうか。この「多くの水」については,その15節から,「もろもろの民と群衆と国民と国語」を表わしていることがはっきりと分かります。では地上のもろもろの民に権力をふるうこの「大娼婦」とは何者ですか。カトリック訳であるエルサレム聖書ではこの女は「名高い売春婦」となっています。自分の名を高めるためにこの女は何をしたのでしょうか。啓示 17章5節は次のようなヒントを与えています。「そして,額には一つの名が書いてあった。それは秘義であって,『大いなるバビロン,娼婦たちと地の嫌悪すべきものとの母』というものであった」。
15 バビロンはどうなりましたか。しかしどんな遺産を彼女は残しましたか。
15 ですから「名高い売春婦」には,「大いなるバビロン」という名前があります。するとこの女はネブカデネザル王の時代の,古代史のバビロンと関係があることになります。歴史の示すところによると,このバビロンは堕落した性崇拝と腐敗で満ちていました。(ダニエル 4:28-30)現在ネブカデネザルのバビロンはもう存在していません。今のイラクにあるその場所は,「神に滅ぼされたソドム,ゴモラのように」荒地となっています。(イザヤ 13:19-22,口)しかし古代のバビロンは,確かに人類に遺産を残しました。それは何でしょうか。その国の偶像礼拝,つまり宗教です。
16 (イ)偽りの宗教の世界帝国はどのようにして形成されましたか。(ロ)神は大いなるバビロンにどんな判決を下されますか。なぜですか。
16 洪水後のごく早い時期から,バビロンは偽りの宗教と結び付いていました。人々がエホバに逆らって,頂が天に届くような宗教的な塔と町を建てたのもこの場所です。そしてエホバが彼らの言語を乱された時,このバビロンから人々は偽りの宗教を携えて全地に散って行きました。西暦4世紀には,背教したクリスチャンたちが自らの教理とバビロンの儀式上の習慣とを融合させ,一つの宗教組織を作り上げましたが,それは現代に至るまで,カトリックとプロテスタントの様々な教派の中に残っています。こうして,“クリスチャン”と非クリスチャンの宗教を包含する偽りの宗教の世界帝国,つまり「大いなるバビロン」が形成されてゆきました。「大いなるバビロン」は迫害や暴力行為,はては歴史上の世界戦争にまでかかわって来たため,神は彼女に判決を下し次のように述べておられます。「彼女の中には,預言者と聖なる者たちの血,そして地上でほふられたすべての者の血が見いだされた」― 啓示 17:5,6; 18:24。創世 10:8-10; 11:1-9。
17 「緋色の野獣」とは何ですか。それはどのように預言を成就しましたか。
17 大いなるバビロンと「世との[不義の]交友」はさらに深いところまで行きます。その交友には象徴的な「獣」を支配する関係も含まれています。彼女は啓示 17章3節で,『冒とく的な名で満ちた緋色の野獣の上に座っている』とも描かれているからです。聖書の中で「獣」はしばしば地上の政治国家を象徴するために用いられています。(ダニエル 7:2-8; 8:5-8,20,21。啓示 13:1-18)しかしこの預言に出てくるのは,「七つの頭と十本の角」を持つ異様な形をした複合的な「獣」です。現代史の示すところによると,「獣」は1920年に初めて登場しました。それは諸国家の連合体,つまり国際連盟でした。それは第二次世界大戦中に一時期無活動状態に陥りましたが,1945年に預言どおり国際連合として再登場しました。間もなくそれは,『去って滅びに至ります』。―啓示 17:8-11。
18 大いなるバビロンの,宗教と政治の親密な関係はどのように終わりを迎えますか。
18 偽りの宗教である「大いなるバビロン」は,国際連盟と国際連合の双方に指導の手を差し伸べようとしてきました。しかし神の言葉は,法王や他の宗教指導者によって作られた,宗教と政治のそのような親密な関係はすべて間もなく終わることを示しています。この「名高い売春婦」が万事うまくいっていると考えているその時に,神は「獣」である国際連合の象徴的な「十本の角」を動かし,その軍事力を彼女の方へ向けさせます。彼らは彼女を背中から落とし,荒れ廃れさせ,火によるかのように滅ぼし尽くしてしまいます。―啓示 17:16,17。
『わたしの民よ,彼女から出なさい』
19 神は今,信仰を持つあらゆる誠実な人々にどのように愛を示しておられますか。
19 そうした裁きの時が近づいているので,神はどのように愛を示しておられますか。次の方法によってです。つまり,カトリック教徒,プロテスタント信者,仏教徒,ヒンズー教徒などあらゆる偽りの宗教に属する誠実な人々で,神の民になることを願う人々に,神は啓示 18章4,5節に述べられている次のような緊急な招待を差し伸べておられるのです。「わたしの民よ,彼女の罪にあずかることを望まず,彼女の災厄をともに受けることを望まないなら,[大いなるバビロン]から出なさい。彼女の罪は重なり加わって天に達し,神は彼女の数々の不正な行為を思い出されたのである」。
20 今こそ,大いなるバビロンから首尾よく逃れるべき時であると言えるのはなぜですか。
20 神の裁きの執行は刻一刻と確実に迫っています。国連の内部ではすでに反宗教的な国々が強い力をふるっています。石油の必要な軍国主義的な国々は,イスラム世界や長い間キリスト教世界の宗教の防壁とみなされてきた国々を脅かしています。今こそ,真理と義を愛するすべての人が「名高い売春婦」から神の王国へと首尾よく逃れるべき時だ,と言えるのはそれが理由です。
21 ハルマゲドンとは何ですか。諸国民がハルマゲドンにいるのはいつですか。
21 偽りの宗教の世界帝国である「大いなるバビロン」の荒廃の後はどうなるでしょうか。聖書によれば,「獣」の十本の角は地上でエホバの証人が代表する真の宗教に攻撃の鉾先を向けます。しかしこの事が生じる時,これらの諸国家はハルマゲドンで神に敵対して戦うことになるのです。またハルマゲドンとはパレスチナの地の小区画のことではありません。ハルマゲドンとはむしろ「全能者なる神の大いなる日の戦争」,つまり全時代を通じて最大の戦いにおける,復しゅうを必要とする全世界的な情勢なのです。―啓示 16:14,16; 17:12-14。
22 聖書は,ハルマゲドンが義の戦いであることをどのように示していますか。
22 神は,「義をもって裁きまた戦う」べく天の軍勢を伴ったイエス・キリストを用いられる,と聖書には記されています。そうです,ハルマゲドンは義の戦いなのです。義ですか? なぜそう言えるのですか。あえて神を知ろうとせず,神の支配権に敵対する地上の国々や国民に当然の復しゅうをもたらすという意味においてハルマゲドンは義の戦いなのです。その滅びは無差別にもたらされるものではありません。邪悪な人々は滅ぼされるが,『わたしたちの主イエスについての良いたよりに従う』すべての人々には救いがもたらされる,と使徒パウロは述べています。こうしてハルマゲドンは,神の復しゅうと神の愛のつり合いを保つものとなります。―テサロニケ第二 1:8。詩 145:20。啓示 19:11-21。
23 (イ)詩篇 145篇17-21節にあるとおり,エホバはどんな神ですか。(ロ)では,『愛の神』が復しゅうを果たされるのはなぜですか。(ハ)近づきつつある「復しゅうの日」に関してどんな行動を取らなければなりませんか。
23 それで,『愛の神』が復しゅうの神でもなければならない理由が理解できるのではないでしょうか。それは,神が正義を愛し悪を憎んでおられるからです。それではわたしたちもそのようにしなければなりません。(詩 145:17-21)神の偉大なみ名と目的の正しさは,何としても立証される必要があります。過去幾千年にもわたって,神のこの美しい創造物を汚したあらゆる流血の罪・腐敗・不道徳からこの地球が清められることが本当に必要です。そうして初めてわたしたちの地球は,神が人類のためにもくろまれた全地球的な楽園へと変わってゆくのです。したがってまず最初に,比類のない『愛の神』は,神の敵に復しゅうを遂げられることによって,障害を除かなければなりません。神の復しゅうの日が今間近に迫っていることにわたしたちは喜びを感じないでしょうか。ではわたしたちも,エホバの愛ある次の招待を受け入れる人々の中に加わりましょう。「国々の民よ,彼の民と共に喜べ。[神は]その僕たちのために復しゅうなさるからである」― 申命 32:43,新。
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