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人種差別の考え方を変えるものみの塔 1972 | 5月15日
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た。職場の同僚であるエホバの証人は,いっしょに聖書研究することを勧めてくれましたがわたしは決めかねていました。
『ある日,その黒人の証人と,彼の仲間の白人の証人がわたしを家に尋ねてくれました。わたしの家はふたりにとってちょっとした見ものだったにちがいありません。居間の二つの壁には十字に組んだライフルや銃剣が掛けてあり,宗教画とか十字架,像も飾ってあったのです。
『聖書を定期的に学びはじめて3か月後,わたしは生活を変えはじめました。かつての友人たちは,わたしが銃を処分したので,気が狂ったのだと考え武器を持っていないわたしと交際するのをやめました。宗教関係の飾り物は居間から取り除かれました。1年たたないうちにわたしは王国会館で開かれているエホバの証人の集会に出席し,証人たちとともに野外奉仕に参加することさえしはじめました。そしてついにバプテスマを受け,わたし自身が任命された奉仕者になりました。
『現在,わたしは自分の家族との聖書研究を司会しており,そのうえ,他の家族にも聖書を教えていますが,わたしはそのことをたいへんうれしく思っています。わたしはもはやひそかな人種差別論者ではなく,あらゆる人種の霊的な兄弟たちとほんとうに気持ちよくやってゆけると断言できます。とくにエホバおよび自分の家族との良い関係を維持できるようになるまで多大の時間を費やしてわたしを援助してくださった,ふたりの兄弟を深く愛しています』。
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エホバは他のあらゆる神々とどのように異なっておられるかものみの塔 1972 | 5月15日
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エホバは他のあらゆる神々とどのように異なっておられるか
1 諸国民の神々はその像においてどのように描かれていますか。
諸国民の神々はどんな神ですか。世界の各地にあるさまざまな神々の像を幾つか見てごらんなさい。たとえそれらの像は,そうした神々のものとみなされている特質あるいは性向を単に表現したものとして崇拝者に受け入れられているにすぎないとはいえ,それらの像はどのようなものとして描かれていますか。たいていは,無情で冷淡な,恐ろしくて意地の悪い,気まぐれで,こわくて近寄りがたい,容易にはなだめられない,憫れみのない神として描写されています。
2 人間はエホバの姿を見ることができますか。なぜそういえますか。
2 真の神は人間の目には見えません。神のみ子は地上におられたとき,「神は霊です」といわれました。み子はご存じでした。エホバを実際にご覧になったことがあったからです。(ヨハネ 4:24,新)エホバは親切にもご自分の姿を人間の目にあらわさないようにしておられます。エホバの力と荘厳さと光輝はあまりにも偉大で,人間の目はそれを見るには堪えません。「我を見て生る人あらざればなり」とエホバは仰せになります。―出エジプト 33:20。
3 エホバを崇拝するのに,エホバを見ることはなぜ肝要ではありませんか。
3 単に人の外見を見るよりも,人の個性や特質を知るほうが重要であるということに気づくなら,神がご自身を人に見させないようにしておられる理由を理解することができます。というのは,エホバは,ご自分の崇拝者から霊と真理とをもって崇拝されることを欲しておられるからです。(ヨハネ 4:23)荘厳この上ない偉大な神で,霊であられるかたがご自分を人間に信じさせるため,人間の視界内に現われなければならないとどうして言えるのでしょうか。エホバに仕えるのは,像あるいは何らかの姿のゆえでもなければ,それによって仕えるわけでもありません。それら崇拝者たちは義を愛するゆえに,またエホバの義・愛・知恵・公正などの特質のゆえに仕えるのです。
描画的な黙示
4 どうすれば,神にかんする描画的な黙示を理解できるようになりますか。
4 したがってエホバは,その真理のことばを通して,また描画的な表象によってご自身を,つまりご自分の性質を啓示しておられます。その預言者たちの見た幻の中で与えられたそれらの黙示のあるものは,畏怖の念を起こさせるものではあっても,最初は奇妙で理解しがたいもののように思えるかもしれません。しかし,それが与えられた時の状況や聖書中の他の陳述を考慮すると,はっきり理解できるようになります。それら預言的な幻はエホバの崇拝者たちの信仰にとって重大な意味を持っています。それは真の神とその行動をいかなる像よりもはるかに効果的に描写しています。
5 エゼキエルはどこで,またいつ彼の最初の幻を与えられましたか。
5 そうした幻の中でも非常に顕著なものの一つは預言者エゼキエルが見た幻です。その当時,エゼキエルは他のユダヤ人とともに流刑の身としてバビロニアに捕われていました。それは,ネブカデネザル王がユダのエコニヤ王をはじめ君たちや勇士たち,また技術者たちを捕虜として連れ去ってから5年目,西暦前613年の春の終わりごろのことでした。―エゼキエル 1:1-3。
6 当時エホバがエゼキエルに現われたのは,どんな理由からでしたか。
6 当時,エホバは,エゼキエルがいた場所の西方800余㌔の所に位置するエルサレムに対して怒りをいだいておられました。西暦前617年,ネブカデネザルがエコニヤ王を廃してゼデキヤ(マツタニヤ)を王にしたさい,神はその都市を存続させて憫れみを示されました。にもかかわらず,その都市の住民は偶像崇拝を続け,相変わらず神に反抗し,エホバよりもむしろエジプトに助けを求めました。(列王下 24:11,14-20。エゼキエル 17:15)そこで神はエゼキエルを通して,きたるべきエルサレムの滅びにかんする警告をバビロンにいたユダヤ人に与えました。また,その都の住民の一部に対しては憫れみを示すことをも予告して,慰めをお与えになりました。同時に神は畏怖の念を起こさせずにはおかないご自身の荘厳さと比類のないすぐれた特質を一見させました。
7,8 エゼキエルは自分の見た事がらをどのように描写しましたか。
7 エホバがその幻を示した目的,すなわちエルサレムを滅ぼすために軍勢を指揮するのはご自分であることを示すという目的を考えると,エホバは壮大な戦車以上にすぐれたどんな例をお用いになれたでしょうか。祭司エゼキエルは自分の見た事がらを描写して,次のように書きました。
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