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諸国民の王 ― わたしたち人間の唯一の助けものみの塔 1979 | 11月15日
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諸国民の王 ― わたしたち人間の唯一の助け
「諸国民の王よ,だれがあなたを恐れないことがあるでしょうか。あなたにとって,それはふさわしいことだからです。諸国民のすべての知者の中で,また彼らのすべての王権の中で,どんな点でもあなたのような方はいないからです」― エレミヤ 10:7,新。
1 世界中でどんな人々から助けを求める叫びが上がっていますか。なぜですか。
「助けてくれ! 助けてくれ!」 地球上の至る所でこの叫びがあがっています。それは,世界がとりつづける進路と,その道がまもなくたどり着く災厄的な結果とを見通す人々からあがる叫びです。前途の見通しに彼らは恐怖し,大きな悲しみを覚えます。彼らはエルサレムの破滅を預言したエレミヤが,エルサレムの滅びの少し前に言ったと同じことを言いたげです。「ああわたしの頭が水であったなら,わたしの目が涙の源であったなら! そうすれば,わたしはわたしの民[イスラエル]の娘の打ち殺された者たちのために昼も夜も泣けるだろうに」― エレミヤ 9:1,新。
2 前途の見通しがどのようなものであるために,同情心に富む人は今日涙を流さずにいられないのでしょうか。
2 同情心に富む人が今涙を流すのは当然ではないでしょうか。ずっと昔にエレミヤが述べた国家的災厄によって予表されていたものが,今や人類に起ころうとしているのです。エレミヤは,その国家的災厄についてこのように話しなさいと言われました。「あなたがたの娘に嘆きの歌を,女は各々その友に哀歌を教えよ。死がわたしたちの窓を通って上って来[てわたしたちのまさに家庭に入り込み],わたしたちの居住の塔に入り,ちまたから子供を,公共の広場から若者たちを絶やそうとしているからだ。……『人間の死体はまた,畑の面に肥やしのように[肥やしのようにまき散らされて],刈り取る者の後ろの,拾い集める者のいない,新しく切られた穀物の列のように必ず倒れる」― エレミヤ 9:20-22,新。
3 世の苦難がはっきり予見できるので,人々は何に,またはだれに導きを求めますか。
3 人類史上最悪の世界的苦難が前途に控えているのを見てとれない人がいるでしょうか。そのことは,昔のエレミヤが持っていたような預言者の先見がなくともわかることです。霊感を受けていない人々ですら,今日の世界の動向を観察して将来起こることを予言していますが,ではどうすればそれが起きる時にわたしたちみんなが生き残れるのでしょうか。この危険な雲行きを見て,無宗教の人々でさえ,心ならずも,何かもっと高いもの,人間以上のものが介入して,人間家族を救ってくれないものかと考えざるを得なくなっています。政治指導者といえばキリスト教世界の政治指導者たちまで,不安な気持ちで霊媒や千里眼に相談をもちかけます。重要な行動一つを起こすにも確信がなく,占星術者に十二宮図を調べさせて天の前兆を読んでもらおうとします。かと思うと,自分たちの神々に訴える人たちもいます。その神々は木像で,金銀で覆われ,手または機械で作った豪華な衣装で飾り立てられています。世界情勢がますます不穏になり,近い将来に世界的破局が臨むことを予示している現在,一般的風習の一部となっているそのようなものに助けを求めてよいものでしょうか。それがよくないことは,言うまでもありません!―エレミヤ 10:1-5。
4 現在は,盲目で理性のない「自然の摂理」が唯一の助けでないのはなぜですか。真の助けはどこにありますか。
4 では真の助けはどこにありますか。唯一の助けは何またはだれでしょうか。それは盲目で理性のない「自然の摂理」のようなものではありません。それは,政治上の事柄を予測する賢明な人々と同じほど,いやそういう極めて聡明な人々以上に,わたしたち人間が置かれている事態の危険を見抜く実在者でなければなりません。知性のないものは確かに,わたしたち人間のような知性のあるものに的確な助けを与えることはできません。わたしたちの唯一の助けは,知性を持つ人間を含め全宇宙を造るほどの英知を持ち,その事態に「十分通じて」いる方です。その方こそ,預言者が「諸国民の王」と呼んでいる方です。
5 エレミヤ 10章6-8節で,預言者はわたしたちの唯一の助けについてどのように述べていますか。
5 それは一体だれでしょうか。その方は全く比類のない方で,エレミヤは次のように述べています。「エホバよ,どんな点でも,あなたのような方はいません。あなたは偉大です,あなたの御名は力強さの点で偉大です。諸国民の王よ,だれがあなたを恐れないことがあるでしょうか。あなたにとってそれ[そういう恐れを示されること]はふさわしいことだからです。諸国民のすべての知者の中で,また彼らのすべての王権の中で,どんな点でも,あなたのような方はいないからです。それに,彼ら[諸国民と彼らの王権]は道理をわきまえることがなく,それと共に愚鈍である。空なるものの単なる勧告は,[金銀をかぶせ,衣装を着せて神であるかのように飾り立てた]木にすぎない」― エレミヤ 10:6-8,新。
6 ノアの日の大洪水後に最初に述べられている二つの国はなんという国ですか。エホバがそれらの国の王であったかどうかについて聖書は何を示していますか。
6 エレミヤの時代に,エホバ神はどんな点で「諸国民の王」だったのでしょうか。非ユダヤ人すなわち異邦諸国民は,エホバ神を彼らの王と認めていたのでしょうか。エホバ神が彼らの王国もしくは王権,また王族を立てられたのでしょうか。彼らが有していた政治形態と法律はエホバから与えられたものですか。あるいはエホバは,ご自分と固い関係を結ぶように彼らと契約を交わすようなことをされたでしょうか。ノアの日の大洪水のあと,聖書に最初に出てくる国はバビロン(バベル)とアッシリアです。それらの国の王がエホバであったとわたしたちは理解すべきですか。どうしてそのようなことがあり得たでしょうか。創世記 10章8-12節(新)には次のように記されています。
「そして,クシュ[ノアの孫]はニムロデの父となった。彼は地上で最初に力ある者となった。彼はエホバに対立する力ある狩人となって現われた。そのような訳で,『エホバに対立する力ある狩人ニムロデのようだ』ということわざがある。彼の王国のはじまりはシナルの地のバベル[バビロン],エレク,アッカド,カルネであった。その地から彼はアッシリアに出て,ニネベ,レホバト・イル,カラ,そしてニネベとカラとの間のレセンを建てることに取り掛かった。これは大きな都市である」。―創世 2:14,歴代上 1:10も参照してください。
7 エホバがエレミヤの時代の新バビロニア帝国の王であったかどうかについて,古代の背景は何を示していますか。
7 バビロン(バベル)建設の作業に携わる者たちが,宗教的崇拝を行なうための“バベルの塔”つまりジッグラトの建築に従事していたとき,その完成を妨げるどんな事が生じたでしょうか。なんとエホバは,仰せになった通り,「彼らの言語を混乱させ,彼らが互いの言語を聴き分けられないように」しはじめられたのです。どんな結果になったでしょうか。異なる言語を話す民族がたくさん生じました。というのは,次のように書かれているからです。「そこでエホバは彼らをそこ[バベル]から地の全面に散らされたので,彼らはやがてその都市を建てるのをやめた。ゆえに,その名はバベル[混乱]と呼ばれた。そこでエホバは全地の言語を混乱させ……たからである」。(創世 11:7-9,新)ですから明らかにエホバは,エレミヤの時代の新バビロニア帝国の王でなかったのと同じく,その最初のバビロニア帝国の王でもありませんでした。その新バビロニア帝国の神はベルすなわちメロダク(マルドゥク)で,皇帝ネブカデネザルが崇拝していたのはその神でした。(エレミヤ 50:1,2)エホバはバビロニアの神などではありませんでした。
8,9 (イ)他の異邦人諸国はだれを自分たちの超人間的支配者として崇拝しましたか。(ロ)サタンは自分がイエスから呼ばれた通り「この世の支配者」であることを,イエスにどのように示しましたか。
8 他の異教国民も自国の神を有し,その神を自分たちの支配者と考え,その神を表わすものとして偶像を作りました。例えばアモリ人の国ではモロクという名の偽りの神が崇拝されていました。その名前には,「統治する者」すなわち「王」という意味があります。(レビ 18:21; 20:2-5。列王上 11:7。使徒 7:43)それらの国民は実際に悪霊たち,つまり小悪魔たちを崇拝していたのです。(コリント第一 10:20)目に見えないその多くの悪霊の頭が悪魔サタンです。コリント第二 4章4節では悪魔サタンは,「この事物の体制の神」と呼ばれています。
9 悪魔サタンは,世の国々すべてに対する王権を主張し,次のように言ってイエス・キリストを誘惑しようとしました。「この権威すべてとこれら[人の住む地の王国全部]の栄光をあなたにあげましょう。それはわたしに渡されているからであり,だれでもわたしの望む者に,わたしはそれを与えるのです。それで,あなたが,わたしの前で崇拝の行為をするなら,それはみなあなたのものになるのです」。(ルカ 4:5-7)しかしイエスは,神の大敵対者の支配下で,人間の王となることを拒否されました。ですからイエスは死ぬ少し前に悪魔サタンのことを,「この世の支配者」と言われました。(ヨハネ 12:31; 14:30; 16:11)聖書の巻末の書はエレミヤの時代から七世紀後に書かれたものですが,それによると,「全地」は,悪魔サタンおよびサタンに属する目に見える政治組織を崇拝しています。そしてその組織は七つの頭を持つ野獣として表わされています。―啓示 13:3,4。
10 (イ)どんな根拠があって,エホバはイスラエルがメシアを退ける時までイスラエルだけの王だったと言えますか。(ロ)「世の王国」は1914年にエホバとそのキリストの王国となりましたが,諸国民は何をしようとしませんでしたか。
10 昔,イスラエル人はエホバ神を自分たちの主また王と認めていました。そのことと調和して,霊感を受けた詩篇作者は次のように述べました。「彼は御言葉をヤコブに告げておられる。その定めと司法上の決定をイスラエルに。彼は外のどの国民にもそのようにはなさらなかった。そしてその司法上の決定に関しては,彼らはこれを知らなかった。ヤハをたたえよ[あるいは,ハレルヤ]!」(詩 147:5,19,20; 145:1,12,13,新)したがって世の異邦人諸国は,エホバ神の王国ではありませんでした。預言者モーセの時代に,エホバ神が古代イスラエルを治めるべくお立てになった神権政府は,神から遣わされたメシアとしての神のみ子イエス・キリストをイスラエル国民が退けた時まで,地上における唯一の神の王国でした。(出エジプト 15:18-21。申命 33:2-5。歴代上 29:11,12,23。マタイ 21:43)西暦1914年における異邦人の時の終了以後初めて,「世の王国はわたしたちの主とそのキリストの王国となった」のです。しかし世の諸国民は依然として,エホバを自分たちの王とすることを拒否しています。―啓示 11:15-18。
なぜ「諸国民の王」か
11 エレミヤはどんな見地からエホバを「諸国民の王」と呼びましたか。
11 ではエレミヤはどんな見地からエホバを「諸国民の王」と呼んだのでしょうか。諸国民の王たち,したがって王権を持つ者たちすべての中でエホバは傑出しておられる,という見地からエレミヤはそう呼びました。エホバは王たちの王,最高の王,他の王すべてを支配する王として統治されたのです。西暦前1473年当時,モーセはイスラエルに対して,「あなた方の神エホバは,神々の神,主の主,偉大で力があり,畏怖の念を起こさせる神」である,と語りました。(申命 10:17,新)その後また,霊感を受けた詩篇作者は,神の民に次のように述べました。「神々の神に感謝を捧げよ。その愛ある親切は定めない時にまで及ぶからだ。主の主に感謝を捧げよ。……大いなる王たちを打ち倒される方に。……尊い王たちを殺して行かれた方。……実にアモリ人の王シホンを。……またバシャンの王オグを。……そして彼らの地を相続財産としてお与えになった方。その僕イスラエルに相続財産として」。(詩 136:2,3,17-22,新)諸国民は彼らの悪霊と人間による王政を有してはいますが,エホバはこのような方法で,『すべての国の民』を支配されるのです。―エレミヤ 9:25,26。
12 エホバはどんな例えを用いてご自分が「諸国民の王」であることをエレミヤに説明されましたか。
12 したがってエホバはエレミヤに,「見よ,わたしは今日,あなたを諸国民ともろもろの王国の上に任命した」と言うことがおできになりました。(エレミヤ 1:10,新)エレミヤがエホバを正しく「諸国民の王」と呼んだので,エホバは彼に例えを示されました。エホバはエレミヤに,陶器師の家に下って行きなさい,とお命じになりました。陶器師がある器を作り,それがだめになったので,その粘土を自分の気に入った別の器に作り替えたあと,エホバは次のように言われました。
「イスラエルの家よ,この陶器師のようにわたしはあなたがたにすることができないであろうか。……見よ,イスラエルの家よ,陶器師の手の中の粘土のように,あなたがたはわたしの手の中にある。わたしが一国民または一つの王国に向かって,これを根こぎにし,これを引き倒し,これを滅ぼすと語り,また,わたしの語ったその国民がその悪から実際に立ち返るなら,これに加えようと考えた災難を悔やもう。しかし,わたしが一国民と,ひとつの王国に関し,これを築き上げ,これを植えると語る時はいつでも,それがわたしの声に従わないで,わたしの目に悪いことをするなら,わたしもその益のためにすると自分に言った良いことを悔やもう」― エレミヤ 18:1-10,新。エレミヤ 1:10もご覧ください。
13 偉大な陶器師であるエホバは,明示されたその同じ行動規準に従って古代エジプトとイスラエルに対し何を行なわれましたか。
13 この声明が出される幾世紀か前になりますが,ヤコブの息子ヨセフがエジプトの食糧管理者にされた時代に,エホバはエジプトの地に恵みを施されたことがありました。しかし,ヨセフの死後少したって,エジプトのファラオたちが,ヤコブ(すなわちイスラエル)の子孫であるヨセフの民を抑圧しはじめ,その根絶を謀ったとき,エホバは介入されました。エジプトの地を災難で苦しめ,ファラオとその軍勢を滅ぼし,ご自分の選ばれた民イスラエルを解放されました。(詩 136:10-16。ローマ 9:17,18,21-24)その同じ行動規準に従い,偉大な陶器師エホバは,ユダ王国がその契約の神に背き,悪い道を離れようとしなかったとき,そのイスラエル人の王国を覆すことを意図されました。(エレミヤ 18:11-17)反逆者たちは,彼らのため良いことをしようとしていたエホバの預言者エレミヤに悪をもって報いることさえしました。彼らはエレミヤを殺すことすらたくらみました。(エレミヤ 18:18-20,23)それでエレミヤもついに,エホバの不利の裁きが反逆者たちに対して執行されるのは妥当だと感じるようになりました。―エレミヤ 18:21,22。
14 今日,わたしたちはなぜ,その偉大な陶器師の物事の扱い方の歴史的実例を個人として心に銘記すべきですか。
14 これらの歴史的実例は,あらゆる国,とりわけキリスト教世界の国々が心に銘記すべきものです。少なくともわたしたち一般大衆は,個人的にそうすべきです。偉大な陶器師エホバは依然として最高の方であられ,ご自分が今も「諸国民の王」であることを,まもなく全人類に示そうとしておられます。エレミヤの次の言葉は,いつの時代にも増して今日にあてはまるのです。
「しかし[このすぐ前に描写されている偽りの神々と対照的に]エホバは真に神であられる。生ける神,定めのない時に至るまで王であられる。その憤りのゆえに,地は振動し,どんな国民もその告発の下では耐えることはできない。あなたがたは彼ら[諸国民]にこのように言うであろう。『天と地を造らなかった神々は,地からも,これらの天の下からも滅びうせる者である』。a 主はその御力によって地を造った方,その知恵によって産出的な地を固く立てた方,その悟りによって天を張り伸ばした方である」― エレミヤ 10:10-12,新。
15 エホバが諸国民に対して憤りを表明されても不思議でないのはなぜですか。そしてそれをどのように表わされますか。
15 今日,創造者エホバ神が憤りを抱かれる原因が実際にあるのでしょうか。広く見られるエホバの律法を無視する傾向,神のみ名を軽べつする態度,犯罪,神を愛するよりも快楽を愛する風潮,不道徳,宗教的偽善,現代のエレミヤ級を形成する人々に対する迫害,キリストによるエホバの王国に服そうとしない諸国民の態度などを考えてみましょう。こうした多くの事柄を考えるなら確かに,偉大な陶器師であるエホバ神が憤りをお感じになってなんの不思議もありません。間もなくエホバは,エレミヤの時代にエルサレムとユダ王国を滅ぼすことによって憤りを示されたように,その憤りを表明されるでしょう。
16 邪悪な諸国民は,エホバの糾弾が実際に表明されるとき,なぜ「持ちこたえる」ことができないのでしょうか。
16 エホバは,文字に書かれたご自分の言葉である聖書の中で,すべての悪を糾弾しておられます。間もなくエホバはその対象となっている事柄を滅ぼされます。エホバの糾弾が実際に表明されるとき,「どんな国民も持ちこたえることはできないでしょう」。そして彼らの「神々」,つまり諸国民が神にまつり上げ偶像化したものは無力であることが明らかになり,滅び去るでしょう。その神々の崇拝者たちも神々と共に滅びるでしょう。
17 助けを求めるだれの叫びがわたしたちの唯一の助け手のもとに上っていますか。なぜですか。
17 ですからわたしたちの唯一の助けは当然,「諸国民の王」である唯一の生ける真の神です。助けを求める叫びはあらゆるところから,邪悪な状態を嘆くエレミヤのような人々から,特に,偽善的なキリスト教世界の中で「行なわれているあらゆる忌むべき事柄のために嘆息し,うめいている」人々すべてから,エホバのもとに上っています。(エゼキエル 9:4,新)彼らの支配者たちがわたしたち人間の唯一の助けとしてエホバを探し求めなかったために,エレミヤが述べたような「衰弱」がすべての国民に今にも臨もうとしているので,彼らは胸の張り裂ける思いです。(エレミヤ 10:19-22)彼らの国際連合機構は,世界平和と安全のための機関として成功することはないでしょう。歴史の流れを導き,偉大な陶器師の手による破滅を回避しようとする人間のくわだてはすべてむだであることが明らかになるでしょう。
18,19 政治支配者たちは公人としてどのように歩もうとしますか。その歩みが彼らに属さないことはどのように明らかになりますか。
18 警告となる歴史的実例を調べた今,わたしたちはエレミヤの次の言葉に同感しないわけにはいきません。「エホバよ,私はよく知っています。地に住む人間に,その道が属していないことを。その歩みを導くことさえ,歩んでいる人に属してはいません」― エレミヤ 10:23,新。
19 人は歩むことができるので,自分の望むままにどのようにでも歩め,しかも目的地に到着できると考えるかもしれません。そしてエホバ神はこのことと何の関係もないと思うかもしれません。ですから政治支配者たちは,聖書が示す歴史の教訓を無視して国事をつかさどろうとします。そして「大患難」における世界的災厄を予告する現代のエレミヤ級を嘲笑します。(マタイ 24:3,21,22)聖書の預言には少しも注意せずに,永続的平和と繁栄の方向に進んで,事の帰すうを決することができると思っています。しかし「諸国民の王」であるエホバは,政治支配者たちが政治,経済,宗教の面で自分の意のままに歩んでも,回避不可能な「大患難」の時に,予告されていた滅びに彼らをよろめき行かせるでしょう。
20 わたしたちはエレミヤのように,どの程度正していただくことをエホバに祈り求めますか。なぜですか。
20 神に正していただくことは,わたしたちだれもが必要としていることです。ですからわたしたちは,世の人と共に無に帰せしめられないことを願いつつ,エレミヤがささげたような祈りを神にささげたいものです。「ああエホバよ,それにしても,裁きをもって[すなわちわたしの必要に合わせた裁きをもって]私を正してください。[大患難中の]御怒りをもってしないでください。あなたがわたしを無に帰させることのないためです。あなたを無視した諸国民[あるいは,あなたを知ろうとしなかった人々]の上に,あなたの御名をさえ呼ばなかった諸氏族の上に,あなたの激しい怒りを注いでください。彼ら[バビロニア人とその同盟者]はヤコブを食い尽くしたからです。そうです,彼を食い尽くしたのです。そして彼を滅ぼし尽くします。その住まう所を彼らは荒廃させました」― エレミヤ 10:24,25,欄外に示されている読み方,新。詩 79:6,7。
21 わたしたちが行なっている事柄ゆえにわたしたちを抹殺しようとする者たちに対する義の裁きの執行に関する問題は,だれに任せることができますか。
21 これは「諸国民の王」にささげられた祈りです。「諸国民の王」を無視する者,またその宇宙主権を認めてそれを忠節に支持する人々を抹殺しようと執念深く試みる者たちに対する義の裁きの執行に関する問題は,「諸国民の王」にお任せすることができます。わたしたちは,わたしたち人間の唯一の助けである「諸国民の王」に,助けを求める叫びを上げるのです。
「しかし,神の約束によってわたしたちの待ち望んでいる新しい天と新しい地があります」― ペテロ第二 3:13。
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エホバ,新秩序に入るためのわたしたちの望みものみの塔 1979 | 11月15日
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エホバ,新秩序に入るためのわたしたちの望み
1 新秩序が来るかもしれないという希望を多くの人がほとんど失ってしまったのはなぜですか。
この地上に物事の新しい秩序がつくられることを望まない人がいるでしょうか。多くの人は,正しい,より健康的な物事の秩序を望んではいますが,今のところそれが可能だとはほとんど考えていません。人類の道徳状態が悪化の一途をたどっている以上,物事の進歩・改善を期待できる根拠は何もありません。真実で確かな希望が知らされていないために,人々は希望をほとんど失ってしまっています。望みどおりのその新秩序が,十分の資格を持つある方によって約束されていることや,それが今にも実現しようとしていることを,人々はまだ知りません。この資格を持つ方こそわたしたちの望みなのです。この方は,義の新秩序に入ることを願う人々すべての望みです。
2 エレミヤ記 14章8,9節によると,エホバはイスラエル国民にとって何でしたか。しかし,事態はどのように見えましたか。
2 世界中に暗雲がたれこめてゆく今こそ,ちょうど預言者エレミヤが自国の状態の思わしくなかったときに行なったように,この唯一の望みに心を向けるべき時です。エレミヤは助けを求めて叫びました。「イスラエルの望みであられる方,苦難の時のその救い主よ,なぜあなたは地の外人居留者のように,一夜を過ごすためにそれて行った旅人のようになられるのですか。なぜあなたはあわてふためく者のように,救うこともできない力ある者のようになられるのですか。それでもエホバよ,あなたはわたしたちの中におられますし,わたしたちに,実にあなたの御名が付されているのです。わたしたちを置き去りにしないでください」― エレミヤ 14:8,9,新。
3 エレミヤ記 14章22節によると,わたしたちが唯一の望みとしてエホバに心を向ける確かな理由があるのはなぜですか。
3 わたしたちには,今日この同じ神を自分たちの望みとする確かな理由があります。なぜほかのものではなくこの神を望みとするのでしょうか。なぜならこの神は創造者であられ,この地球上とその周辺の自然の力や作用をすべて支配しておられるからです。エレミヤが神に語りかけて指摘している通りです。「諸国民のむなしい偶像のうちに,雨を降らせ得る者があるでしょうか。あるいは,[占星術者たちが頼りとする]天が,夕立を与え得るでしょうか。わたしたちの神エホバよ,あなたがその方ではないのですか。ですからわたしたちはあなたに望みを置きます。あなたがこれらすべてのことを行なわれたからです」― エレミヤ 14:22,新。
4 イスラエル国民は神のみ名をもって呼ばれていたので,エレミヤは物事のどんな有様に疑問を抱きましたか。
4 古代イスラエルの民は,エホバご自身の名をもって呼ばれていましたから,神がその民と共におられたと考えられるのは当然です。それなのになぜ神は,「イスラエルの望み」となれない者のように,民の中に一時的に住む外人居留者のように,イスラエルの地を通過する途中の,今日はいても明日は去って行く旅人のようになられたのでしょうか。問題に直面して,それに対処できる立場にないために途方に暮れている者のように,あるいは,力ある者でありながら,身から出たさびで助けを求めるようになった人々を救出できない者のようになられたのでしょうか。エホバはエレミヤにどんな理由を述べられましたか。
5 エホバはイスラエルをはっきりと捨てた理由をどのように述べられましたか。なぜエホバはクシュ人やひょうを引き合いに出されましたか。
5 イスラエル人の苦難の原因は深い所にありました。雨を降らせる方エホバとの契約を軽んずる態度,またエホバのみ名を軽べつしてエホバに対する清い崇拝の方式と周囲の異教国民の宗教とを混合する習慣は根深いものになっていました。したがってイスラエル人が次のように告げられたのも不思議ではありません。「『クシュ人[エチオピア人またはヌビア人]はその皮膚を,ひょうはその斑点を変えるであろうか。もしそうなら,悪を行なうように教えられたあなたがたもまた善を行なえるであろう。それでわたしは,荒野からの風に過ぎ去って行く刈り株のように,彼らを散らすであろう。これがあなたのあずかる分け前,わたしが量り与えるあなたの分である』と,エホバは仰せられる。『あなたはわたしを忘れて,偽りに信頼を置き続けるからである。……あなたの姦淫の行為やあなたのいななき,あなたの売春における不品行も見られる。丘の上で,野原で,わたしはあなたの嫌悪すべき物事を見た。エルサレムよ,災いだ! あなたは清くなり得ない ― 後どれだけか』」― エレミヤ 13:23-27,新。
6 その事実記載書は,エホバとイスラエルおよびキリスト教世界の間の事柄について何を示していますか。
6 このような事実記載書があるということは,エホバがイスラエルに言い分をお持ちだったことを示していますか。また,聖書の神の民であると主張するキリスト教世界に対しても言い分があることを示すものでしょうか。そうであることは間違いありません。したがってエホバは,この事件にしかるべき決着をつけると述べられました。エホバは最高審判者であられるからです。
7 エレミヤ記 17章1-4節にある通り,キリスト教世界の背教と俗っぽさの記録は,どれほど深く刻み込まれましたか。これにはどんな結果が伴いますか。
7 キリスト教世界は,キリスト教徒であると主張しているのですから,全世界の良い模範であるべきです。しかしキリスト教世界は,背教と俗っぽさの消しがたい記録を作り上げました。その記録は,古代エルサレムとユダの地の記録に似ています。
「ユダの罪は鉄筆で書き記されている。金剛石のとがりで,彼らの心の書板と,その[偽りの崇拝の]祭壇の角に刻まれている。その子らは,生い茂る木の傍ら,高い丘,野の山々の上にある彼らの祭壇と[偶像崇拝の]聖木を思い出す。あなたの資産,あなたの全部の宝をわたしはただ強奪物として[わたしが用いる刑執行者に]与えるであろう ― あなたの全領地中の罪のゆえに,あなたの高い場所を。そしてあなたは,実に自ら,[約束の地で]わたしがあなたに与えた相続所有物を放棄する。わたしもまた,あなたを,あなたの知らない地[すなわちバビロン]であなたの敵に仕えさせる。あなたがたは,火のようにわたしの怒りで燃えだしたからである。定めのない時に至るまで,それは燃え立たせられるであろう」― エレミヤ 17:1-4,新。
偽善的なキリスト教世界のために執り成しは行なわれない
8,9 キリスト教世界はキリストの名を負っていますが,古代イスラエルの場合と同じく,キリストがキリスト教世界のために取り成しをすることができないのはなぜですか。
8 キリスト教世界はキリストの名を誇示します。しかしキリストは,16世紀余にわたり聖書の教えと異教を混ぜ合わせることをやめなかったような宗教制度のために,執り成しをされるでしょうか。そのようなことは決してされません。キリストは天の父エホバ神と完全に一致しておられるからです。「わたしは,自分からは何一つ行なえません。自分が聞くとおりに裁くのです。そして,わたしが行なう裁きは義にかなっています。わたしは,自分の意志ではなく,わたしを遣わしたかたのご意志を追い求めるからです」と,イエスは言われました。(ヨハネ 5:30)キリスト前6世紀,すなわちエレミヤの時代に,エホバはキリスト教世界の型について次のように言われました。
9 「たとえモーセとサムエルがわたしの前に立っていても,わたしは魂をこの民[イスラエル]に向けないであろう。わたしの顔の前から彼らを去らせ,彼らは出て行くことであろう」― エレミヤ 15:1,新。
10 モーセとサムエルの執り成しはなぜエホバに聞き届けられると考えられましたか。しかしそのときエホバは,悔い改めないイスラエルに対し,どんな態度をとられましたか。
10 イスラエルに十戒を与えるのに用いられたモーセは,イスラエルのために執り成しをして聞き届けられました。四世紀後のサムエルについて言えば,彼は,エレミヤを含む,そして預言者マラキまで続く,特別の預言者の系列の最初の者です。(使徒 3:22-24)サムエルもイスラエル国民のために執り成しをしました。イスラエル国民が目に見える人間の王を求めた後は特にそうでした。しかし,サムエルから四世紀余をへたこの時点では,サムエルやモーセの執り成しさえもエホバは聞き届けてくださいません。ですから,悔い改めないイスラエルは追い払われます!
11 悔い改めないイスラエル人は,エホバの顔の前から出て行って,死をもたらすどんなものに遭遇することになっていましたか。
11 どこへ?,とキリスト教世界に同情的な人は尋ねるかもしれません。その行く先については,エホバがエレミヤに言われたことの中に,預言的に示されています。「そして彼らがあなたに,『わたしたちはどこに出て行くのですか』と言うならば,あなたはまた彼らにこう言わねばならない。『エホバが言われたことはこうである。「死の災厄に定められた者は,死の災厄に! また,剣に定められた者は,剣に! また,飢きんに定められた者は飢きんに! また,捕囚に定められた者は捕らわれに向かう!」』と。『そして,わたしは彼らの上に四家族[すなわち,四つの種類のもの]を任命する』と,エホバは仰せられる,『[1]殺す剣と,[2]引きずって行くための犬と,[3]食べて滅ぼすための天の飛ぶ生き物と[4]地の獣である。そしてわたしは,ユダの王,ヒゼキヤの子マナセのゆえに,彼がエルサレムでしたことのために,彼らを,地のすべての王国にとって身震いさせるものとする。ああエルサレムよ,だれがあなたに同情を示そう。だれがあなたに同情しよう。だれが立ち寄って,あなたの安否を尋ねよう』。『あなたが,わたしを捨て去ってしまった』と,エホバは仰せられる。『あなたは[わたしに]背を向けて歩きつづける』」― エレミヤ 15:2-6,新。16:4もご覧ください。
12 いつ,そしてだれが,一世紀のエルサレムと現在の事物の体制に関し,死をもたらす同様の事柄に言及しましたか。
12 死の災厄(すなわち疫病),剣(すなわち戦争),飢きん(すなわち食糧不足),そして捕らわれ! エレミヤの時代に臨む終わりの時の間(西暦前647-607年)のエルサレムに関してエレミヤに語られたこれらの言葉は,イエス・キリストが,西暦紀元後一世紀におけるエルサレムの「終わりの時」に関する預言の中で用いられた言葉でもありました。(マタイ 24:3-7,21,22。ルカ 21:10,11,20-24)また,聖書巻末の書にあるイエスの預言も,野獣を含め様々な例えを用いて同様の事柄にわたしたちの注意を喚起しています。(啓示 6:1-8)その最後の預言にある災いの予告は,啓示が書かれた西暦96年よりも後のわたしたち自身の「終わりの時」,すなわち西暦1914年以降に成就します。(ダニエル 12:4,新)ですからその預言は,最終的成就においては,背教したキリスト教世界を含む,滅びに定められている現在の事物の体制にあてはまります。
13 わたしたちはいつから,同様の事柄が度はずれに大きな規模で起きているのを見ていますか。
13 異邦人の時が終わった1914年以来,戦争(剣),飢きん,疫病,度はずれに大きい地震などが起きた事実に,わたしたちは目をつぶるべきでしょうか。それは,予告されていた通りであり,エレミヤの時代のエルサレム,イエスの使徒の時代のエルサレムの場合に生じた実例に見られる通りです。
14 そういう災いに遭うことにおいてはキリスト教世界も例外ではありません。それはなぜですか。
14 背教したエルサレムとユダの現代の対型であるキリスト教世界は例外的に,そのような災いに遭わなかったというわけではありません。キリスト教世界の僧職者の祈りもキリスト教世界を利するものとはなっていません。その理由は,エレミヤの時代のイスラエル人の場合と同じです。「『わたしはこの民からわたしの平安を取り去ったからである』と,エホバは仰せられる,『愛ある親切と憐れみさえも』。イスラエルの神なる万軍のエホバが言われたことはこうだからである。『見よ,わたしはあなたがた民の目の前で,あなたがたの日に,歓喜の声と歓びの声,花婿の声と花嫁の声をこの場所から絶やす』」― エレミヤ 16:5,9,新。
平安を望んでもむだ
15 エレミヤの時代に,イスラエルに関して何が待ち望まれましたか。そして他の預言者たちはイスラエル人にどんな保証を与えていましたか。
15 この「終わりの時」の間のキリスト教世界の状態は,エレミヤがエホバの裁きの音信をイスラエル人に告げ知らせていた間のイスラエル人の場合と同じです。「平安を待ち望んでいたのに,何も良いことは来なかった。いやしの時を待ち望んでいたのに,見よ! 恐怖が!」(エレミヤ 14:19,新)それでもキリスト教世界の僧職者は,エレミヤ級,すなわち「忠実で思慮深い奴隷」級があらゆる人々に警告として告げ知らせてきた事柄を否定しつづけています。この油そそがれたエホバの証人たちは,エレミヤが述べ,エレミヤ自身が直面した,次のような事態に直面します。「至高の主なるエホバよ! ご覧ください,預言者たちは彼らに言っています,『あなたがたは[エホバの用いる刑執行者の手中の]剣を見ることはないし,あなたがたには飢きんが起こることもない。かえって真の平安こそ,わたしがこの場であなたがたに与えるものなのだ』」― エレミヤ 14:13。マタイ 24:45-47。
16 僧職者のどんな言動のために,キリスト教世界の教会員はエホバの証人が与える警告にますますむとんちゃくになっていきますか。
16 神が災厄を下される恐れはないというような預言は,人々の恐怖心を静めるためのものです。それはキリスト教世界の教会員の胸中に偽りの希望を抱かせます。突如始まる「大患難」に関して彼らに油断をさせます。したがって大患難は夜の盗人のように彼らに臨み,彼らは永遠の損失を被ります。僧職者がエレミヤ級を信頼できない者とし,彼らの時宜にかなった音信を無視するので,ひとりよがりの教会員は,エホバがご自分の証人たちを通して与えておられる警告にますますむとんちゃくになります。
17,18 (イ)キリスト教世界の僧職者が原因で,何がエレミヤ級の慢性的な,いやすことのできない状態のようになりましたか。(ロ)エレミヤ級は,僧職者と親しくすることに対して,どのような態度を保たざるを得ないでしょうか。
17 自分たちが与える平和の保証の言葉を浸透させようとして,宗教指導者たちはエレミヤ級とその支持者たちを迫害します。政治当局をそそのかして攻撃させます。エレミヤ級が耐えつづけている迫害と非難は,エホバが許しておられるために慢性的なもののように,いやすことのできない病気のようになり,エレミヤ級はあたかもエホバに捨てられたかのようです。彼らは,僧職者級と妥協してその親密なグループに入ることはできません。エレミヤ級が自分たちの言い分を述べる相手はエホバだけです。そして彼らは,エレミヤが述べたように,エホバの備えに歓びを抱いています。
18 「あなたは,ご存じです。エホバよ,わたしを思い出し,わたしに注意を向け,わたしを迫害する者に復しゅうしてください。あなたが怒るのに遅いことで,わたしを取り去らないでください。あなたご自身のためにわたしがそしりを忍んでいることを気に留めてください。あなたの言葉が見いだされ,わたしはそれを食べだしました。あなたの言葉はわたしにとって歓喜となり,歓びとなります。万軍の神エホバよ,あなたの御名がわたしに付されたからです。わたしは,戯れる者たちの親密な集まりの中に座して[平安は保証されていると考えて冗談を言う者たちと共に]歓喜しだしたことはありません。あなたの御手のゆえに,わたしは独りで座りました。告発[苦々しさ,セプトゥアギンタ; 憂うつな気持ち,ユダヤ人出版協会]で,あなたはわたしを満たされたからです」― エレミヤ 15:15-17,新; セプトゥアギンタ,バグスター版,チャールス・トムソン版; アメリカ・ユダヤ人出版協会出版の1973年版。
19 エレミヤ級に対する迫害にもかかわらず,迫害されている者たちはなぜ意気を高めかつ誇ることができますか。
19 慢性病のようにエレミヤ級につきまとう迫害そのものは,愉快なものではありません。(エレミヤ 15:18)しかし迫害される人たちは,わたしたちの慰めのために保存されているエホバの言葉聖書によって歓喜することができます。(ローマ 15:4)聖書の中に,この苦難の時代について説明した預言や,ハルマゲドン後の新秩序に対する明るい希望を与える預言を見いだせるので,歓ぶことができます。このためにわたしたちはエホバを誇ることができます。―エレミヤ 9:23,24。
20,21 (イ)人間の心が極めて「不信実」なもの,「治めにくいものであることが今日はっきり現れているのはなぜですか。(ロ)エレミヤ記 17章5-8節によると,どんな行ないは神ののろいに至り,どんな行ないは神の祝福に至りますか。
20 不法が増し,エホバがはびこる悪を罰するご自分の時を待っておられるこの「事物の体制の終結」の期間中に,人情は地に落ち,人の心が極めて「不信実」なもの,「治めにくい」ものであることが,はっきり現われています。もし神の助言や義の規準に反した方法で自分の心を満足させようとするなら,神から不利な裁きを受けます。(エレミヤ 17:9-11)間違った道を歩ませようとする今日の強い圧力の下にあって,自分の心に欺かれて非聖書的な,良識を欠いたことを行なう方向に動かされないようにしなければなりません。自分のたどる道によって,のろいを受けるか祝福を受けるかが決まるということを,忘れないようにしましょう。エホバは,のろいに至る道と,祝福に至る道とを次のように説明しておられます。
21 「地に住む人間に信頼を置き,肉を実際に自分の腕とし,その心がエホバご自身から離れて行く壮健な者は呪われる。そして,彼は必ず荒れ野の孤立した木のようになり,幸いが訪れても見ないであろう。かえって,荒野の乾ききった場所,人の住まない塩地に住むことを余儀なくされる。エホバに信頼を置き,エホバがその確信となってくださった壮健な者は祝福される。そして彼は必ず,水のほとりに植えられ,水の流れのほとりにその根を送り出す木のようになり,暑さが来ても見ず,その葉は実際,生い茂るであろう。また,日照りの年にも彼は思い煩うことなく,実を産み出すのをやめることもない」― エレミヤ 17:5-8,新。
22 エレミヤの時代のイスラエルは,『肉を自分の腕』としたことをどのように示しましたか。
22 自分自身壮健な人々は,地球に住む人間に信頼を置き,肉の腕に頼って自分たちを救出してもらおうとする傾向があります。そういう人々が,乾ききった,塩分の多い砂漠の中の孤立した木のようになることは少しも不思議ではありません。彼らはエレミヤの時代のイスラエル人のようなやり方をします。敵軍がほえるししのようにイスラエル人を威嚇したとき,彼らは至高の主エホバに訴えることをせず,激しく戦うことに巧みで腕の強い,地に住む人間に心を向け,軍事援助を求めました。したがってイスラエル人は,エホバに近づいて救いの源としてのエホバの救いの水を飲むことをしませんでした。その代わりに彼らは,ナイル川の救いの水を飲もうとして,エジプトにはせ下りました。あるいは,一時アッシリアに支配されていたユーフラテス川の救いの水を飲もうとして,アッシリアにはせ下りました。
23 イスラエル人はどのように,『水を入れることのできない水溜を自分たちのために切り開き』ましたか。その結果どうなりましたか。
23 不信仰なイスラエル人はこのように,ひゆ的に言って「自分たちのために水溜を,それも水を入れることのできない壊れた水溜を切り開こう」としたのです。彼らは「生ける水の源」であるエホバを捨てたのです。その結果,エホバから何の助けもありませんでした。高度に軍国化した世界強国のエジプトとアッシリアは,期待に反して,イスラエル人の「壊れた水溜」に,彼らの政治上の敵からの救いという水を満たしてはくれませんでした。したがってイスラエル人は,シホルすなわちナイル川からも,アッシリアの支配下にあったときのユーフラテス川からも,命を与える水を得ることはできませんでした。変節したイスラエル人は,救いの源としての彼らの神エホバを捨てたために,魂が干からびるほどののろいを受けました。―エレミヤ 2:13-18,新。
24 しかしエレミヤ級と「大群衆」は,どこに敬意を向けかつ希望を置きますか。またどこで生ける水の真の源を崇拝しますか。
24 今日のエレミヤ級は,それらのイスラエル人とは異なり,エホバを自分たちの望みとしています。彼らは宇宙主権者,エホバの王位に敬意を払います。霊的神殿すなわち聖所で,エホバを自分たちの神として崇拝し,地に住む人間や,核兵器を持つ人間の世界強国に望みを置くのではなく,エホバに望みを置いています。そして今日では,エホバに信頼と確信を置くように「大群衆」を導いています。背教したキリスト教世界がたどる道を避けて,彼らは賢明にも次のように言います。「始めから高い所に栄光の王座がある。それはわたしたちの聖所の場所である。エホバ,イスラエルの望みよ,あなたを捨てて行く者は恥をかかされる[失望する]でしょう。わたしを離れて背教する者は実に地に記されます。生ける水の源,エホバを捨てたからです」― エレミヤ 17:12,13,新。
25 では,どんな進路を取ることによってわたしたちはメシアなるイエスの支配下の新秩序に入りますか。
25 ですから,世界的災厄からの救いという水をいれることのできない,人間製の「壊れた水溜」を捨てましょう。そしてエホバに心を向けましょう。エホバは「大患難」の間わたしたちを守り,メシアなるイエスの支配下の新秩序にわたしたちを無事に携え入れることがおできになります。
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覚えていますかものみの塔 1979 | 11月15日
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覚えていますか
あなたは最近号の「ものみの塔」誌を注意深くお読みになりましたか。もしそうでしたら,きっと次の点を覚えておられるでしょう。
● エホバ神はどのように人をご自分に引き寄せられますか。
イエス・キリストを通して与えられる救いのためのご自分の取り決めを人々が聞けるようにすることによって,それを行なわれます。次いで至高者は,み子と結び付く結果得られるすばらしい益に対して,人が心の認識を深めることを可能にされます。―8月1日号,14ページ。
● 神の民の会衆が幸福であるためには,会衆の各成員はどうみなされるべきですか。
各成員は,自分の力の及ぶ範囲内でクリスチャンの活動に携わるとき,自分が会衆内で必要とされ,価値ある存在であると感じなければなりません。―8月1日号,27ページ。
● どのような場合に,詩篇 49篇20節(新)に記されているとおり,人間は「獣に比較され」ますか。
霊的な事柄を理解することも,認識することもせず,生活の中で創造者に先を譲ろうとしない人間は,神を崇拝する能力のない,理性を持たない獣に比較されます。―8月15日号,11ページ。
● 祈りによって神の意にかなった仕方で神に近づけるかどうかを左右するのは,どんな要素ですか。
誠意のこもった態度で,神に任命された大祭司イエス・キリストを通して神に近づき,神のご意志と調和した歩みをしていなければなりません。―9月1日号,14,15ページ。
● 詩篇 41篇の中で言及されている病気をダビデはどの時期に経験したものと思われますか。
息子アブサロムが王座を奪おうと企てていた時のことと思われます。信頼していた友にダビデが裏切られたことを,詩篇 41篇が述べている事実はこれを裏付けています。ダビデの個人的な助言者アヒトペルは,アブサロムと手を組んで謀反を起こしました。―9月15日号,30,31ページ。
● 幼児が復活することを何が証明していますか。
マタイ 2章17,18節によると,ヘロデがベツレヘムとその周辺の二歳以下の男の子すべてを殺すように指示した時,ラケルが自分の子供のために泣き悲しむという預言が成就しました。(エレミヤ 31:15)預言はさらにこう告げています。「『あなたの泣き声を,またあなたの目の涙をとどめよ。あなたの行為に対して報いがあるからである』と,エホバは告げられる,『そして彼らは必ず敵の地から帰って来る』」。(エレミヤ 31:16,新)死からよみがえらされることによって初めて,それらの殺害された幼児はシェオルから戻り,子供を亡くした母親に慰めを与えることになるでしょう。―10月1日号,18,19ページ。
● 今日,何によって真のクリスチャンを見分けることができますか。
互いに対する愛,廉潔な振る舞い,神のみ名のための民であること,神の王国を宣明していること,世の政治的な事柄や紛争に関して中立の立場を保っていることによります。―7月1日号,23,24ページ。
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