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神には名前がありますかものみの塔 1980 | 5月1日
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や曲は他にも数え切れないほどあります。わずかな研究を行なうだけで,ヘブライ語聖書に示されているようにJHVH(またはYHWH)が至上者のみ名であることが一点の疑いもなく明らかになります。その聖なるみ名は聖書中にどれほど出ているのでしょうか。なんと,6,960回も出てくるのです! 神のみ名は本来省かれるようなものでないことは極めて明白ではありませんか。
ところが,翻訳聖書の中には,神のみ名を省いているものが少なくありません。それはなぜですか。それに答える前に,歴史の流れの中における神のみ名について考慮してみましょう。
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初期の歴史における神のみ名ものみの塔 1980 | 5月1日
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初期の歴史における神のみ名
神つまり宇宙の背後にある力は現実の人格的存在です。さらに,このかたはご自分にのみ属する固有のみ名エホバ(もしくはヤハウェ ― ヘブライ語のYHWHで表わされる)を有しておられることも知りました。
しかし,そのみ名の歴史的背景についてはどうでしょうか。歴史は神のみ名にどのような解明の光を投げかけますか。
初期の歴史的背景
西暦前16世紀にまでさかのぼることにしましょう。イスラエル人はエジプトでファラオの苛酷な支配に苦しんでいます。モーセはエホバから,イスラエルの解放を要請する任務を与えられます。だれの名において行動し,語るべきかを示して,神はモーセにこう言われます。「あなたはイスラエルの子らにこう言うように。『あなたがたの父祖の神エホバ……がわたしをあなたがたのもとに遣わした』と。これは定めなき時に至るまでわたしの名であ(る)」― 出エジプト 3:15,新。
しかし後に,ファラオ自ら,「エホバがだれであるというの(か)。わたしはエホバなど知らない」と語って,耳を貸すことを拒みます。(出エジプト 5:2,新)幾つかの災厄を下した後,エホバはファラオにこうお告げになります。「[わたしは]ただこのためにあなたを存在させておいた。すなわち,あなたにわたしの力を見させるため,またわたしの名を全地に宣明させるためである」― 出エジプト 9:16,新。
上記の記録を含む聖書の最初の五つの書には,神の固有のみ名が幾度も出てきます。そのみ名は申命記のヘブライ語本文の中だけで550回も出てきます。み名を使用するのは祭司やレビ人だけに限られてはいませんでした。モーセはこう書きました。「イスラエルよ,聴きなさい。わたしたちのエホバはただ一人のエホバです。ゆえにあなたは,心を尽くし,魂を尽くし,活力を尽くしてあなたの神エホバを愛さなければなりません。そして,わたしが今日命じているこれらの言葉はあなたの心にあらねばならず,あなたはそれを自分の子に教え込み,家に座する時も,道を歩く時も,寝る時も,起きる時もそれについて話さねばなりません」。(申命 6:4-7,新)その当時,神の高められたみ名が家族の崇拝に際して自由に用いられていたことに疑問の余地はありません。
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