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  • エホバはどんな神ですか
    ものみの塔 1972 | 5月1日
    • あられることを思い知らされました。こうしてエホバは真の神としてのご自身のみ名を大いなるものとするだけでなく,ご自分の被造物を保護しておられます。それは被造物が平和と安全と幸福のうちに生きるためです。

      そのかたのことを思い知らされた十支族の王国

      19,20 (イ)十支族のイスラエル王国はどのようにしてエホバを知る機会を持ちましたか。(ロ)その王国はついにはどうなりましたか。なぜですか。

      19 約束の地にはいって何世紀かの後,十支族が,神によって立てられた,ダビデの家系の王朝を離れて独自の王国を建て,子牛の像を作って崇拝しました。サマリヤを首都としたこの王国は,エルサレムを首都としたユダと区別してイスラエルと呼ばれました。その時でさえ,神はイスラエルの敵シリヤを破って,偶像崇拝に陥ったイスラエルにご自分を知らしめる機会をお与えになりました。しかしイスラエルは,自分たちの神としてのエホバを以前知っていたのに,エホバが神であられることに対する認識を表わしませんでした。

      20 依然偶像崇拝を続けたイスラエルは,救いの神がエホバであることを学びながらも,宗教面では益を受けそこない,257年存続したのち,西暦前740年,首都サマリヤはアッシリヤ人により破壊され,国民は捕囚として連れ去られてしまいました。預言者エレミヤはその理由をこう述べています。「是は彼等そのエホバの言に遵はずその契約を破りエホバの僕モーセが凡て命じたる事をやぶりこれを聴ことも行ふこともせざるによりてなり」― 列王下 18:11,12。

      21 今日,これらの例にはどんな意味がありますか。

      21 こうした例には今日なんらかの意味がありますか。確かにあります。それはいわゆる“キリスト教”の国々に対する重大な警告となっています。キリスト教国はエホバを知る十分の機会に恵まれてきました。そして,ご自分の記念の名はエホバであると述べておられる聖書の神に仕えていると主張するゆえに申し開きをしなければなりません。―出エジプト 3:13-15。

      22-24 キリスト教世界以外の諸国民もエホバとはだれかを知るようになるとどうしていえますか。

      22 しかし,聖書の神エホバに仕えているとは唱えない他の諸国民もやはり,エホバとはだれかを知らなければならなくなることを考えるべきではありませんか。神の古代のユダ王国周辺の諸国民に生じた事がらはこのことを予表しています。西暦前607年,神はご自分に不忠実になったユダがバビロンによってくつがえされるのを許しました。その時,バビロンはユダの敵とともに喜びました。

      23 エホバはバビロンに捕囚となったユダヤ人に預言者エゼキエルをとおして語り,彼らを慰め,その復帰を預言してこう仰せられました。「『わたしは,諸国民の間で彼らの中で汚したわたしの大いなる名を必ず神聖にする。諸国民はわたしが彼らの目の前であなたがたの間で神聖にされるとき,わたしがエホバであることを知らなければならなくなるであろう』。―主権者なる主エホバのお告げである ―」。―エゼキエル 36:23,新。

      24 西暦前539年,バビロンはメデヤ・ペルシアによってくつがえされ,西暦前537年には,70年間の捕囚ののち,ユダヤ人はエルサレムに帰国して神殿を再興することを許されました。エルサレムの敵は,神がそれらユダヤ人のために行なわれた事がらに注目せざるをえませんでした。

      その神は今日知らされることになっている

      25 今日,エホバに関する知識が大いに広められなければならないのは重要なことですか。

      25 今日,その神がエホバであることを広く一般の人びとに知らさなければならないのは重要なことですか。そのとおりです。エゼキエルの預言の中だけで,主権者なる主エホバはそのことの重要性を示すものとして,諸国民・諸民族・個々の人間は「わたしがエホバであることを知ら」なければならない,と繰り返し宣言し,こうした宣言を62回行なっておられます。エゼキエルの預言の中では,「主権者なる主エホバ」という表現は215回出てきます。

      26 エゼキエルの預言は,「諸国民はわたしがエホバであることを知るであろう」ということばの成就する時が今や非常に近いことをどのように示していますか。

      26 20世紀最後の30年間の時期の今,エゼキエルの預言の中でなされている「諸国民はわたしがエホバであることを知るであろう」という神の目的の宣言にかんして見過ごしてはならないことが一つあります。それはなんですか。この預言は「末の年」つまり「終末の日」に適中しなければならないということです。(エゼキエル 39:7; 38:8,16。アメリカ標準訳,新世界訳)今から57年余の昔,西暦1914年に勃発した第一次世界大戦以来生じてきた事がらからすれば,予告された末の年また日,つまり終末の年また日は今やまもなく臨むはずです。今日の諸国民すべては,この生ける唯一の真の神エホバを,かつて一度も知ったことのない仕方で知るに至る瀬戸ぎわに立たされています。わたしたちはだれもそれを免れることができません。わたしたちはみな,それら諸国民の一部です。エホバに関するそのきわめて重大な知識が授けられる時,わたしたちは得をしますか,損害をこうむりますか。

      27 エゼキエルの預言の書を研究することは今なぜ重要ですか。

      27 エゼキエルの預言の中で神は,どんな国民や民族が必ず神を知るようになるかについて多くの宣言を行なわれました。したがって,今エホバとその名を好んでいようといまいと,その預言の書をつぶさに調べてみるのは確かに価値があります。そうすれば,その顕著な部分が現代においてどのように成就してきたかがわかるでしょう。今日,至上者なる全能の神に関する考えの依然混乱している正直な心の持ち主は少なくありません。それらの人びとはこの時代のための賢明で時宜を得た助言を見いだして,みずからを益する以外に道はありません。古代エジプトの支配者パロの場合のように,全能の神がエホバであることをどうしていやおうなく知らなければならないのでしょうか。命と幸福の愛好者としてわたしたちは,今穏やかで友好的な仕方で神を知るに至るようにとの,神の情深い招待を受け入れるほうがはるかにまさっています。

  • 人生の歩みを容易にする,人を建て起こす交わり
    ものみの塔 1972 | 5月1日
    • 人生の歩みを容易にする,人を建て起こす交わり

      ジェニー・クルコフスキーの経験

      それは1941年8月10日のことでした。その日は,ミズリー州のセントルイスにおけるクリスチャンの大会で「子どもの日」になることが前もって発表されていました。ものみの塔協会の会長,J・F・ルサフォードは着席している1万5,000人の子どもたちを前にして,こう語りかけました。『神の意志を行なうことに同意し,キリスト・イエスによる神権政府の側に立場を取り,神と神の王に従うことに同意した子どもはすべて,起立してください』。

      わたしは起立しました。13歳だったわたしは,その幸福な子どもたちの群れと交わるのをほんとうにうれしく思いました。その大会はわたしにとって初めて

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