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神のみたまと言葉 ― 生命を得させるための神の備えものみの塔 1967 | 12月15日
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19 エホバは「霊をはかられる」ゆえに,私たちは注意深く何をすべきですか。
19 パウロのことばは大きな慰めとなります。「わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても,内なる人は日ごとに新しくされていく」。(コリント第二 4:16)常に新しくし,守らなければならないのは「内なる人」です。忍耐する時,私たちはエホバが「〔霊〕をはかられる」ことを心にとめます。(箴言 16:2,〔新世訳〕)私たちがこの世の霊と知恵に動かされているか,それとも神のことばに従い,神の霊に導びかれているかは,エホバに見守られています。「神の聖霊を悲しませてはいけない……〔エホバ〕の御旨がなんであるか悟りなさい…御霊に満たされ」― エペソ 4:30; 5:17,18,〔新世訳〕。ガラテヤ 5:16-26。
20 エホバはなんのためにみたまと言を与えられましたか。次の記事では何がとりあげられますか。
20 神が人類のために建てる事物の新しい秩序にはいるには,生命を得させるためのエホバの備えをすべて用いなければなりません。神のみたまと言がなくてならぬものであることは,この記事の中で検討しました。欠くことのできない第3の備えがあります。それも生命を求める人々のためにエホバが設けられた愛の備えです。次の記事でそのことをとりあげましょう。
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エホバの組織がはたす役割を認めるものみの塔 1967 | 12月15日
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エホバの組織がはたす役割を認める
「人と交わりをしない者は口実を捜し,すべてのよい考えに激しく反対する」― 箴言 18:1。
1 エホバは人間にどんな欲求を与えられましたか。それが正しく満たされないとどうなりますか。
男そして男の助け手として女を創造した時,エホバ神は,彼らが地の上にふえて地を満たすことを目的とされました。時を経て地は完全な人間で満ちるはずでした。しかし,人口過剰になることはありません。他の人と無関係な生活を送る人がいることは,神のみこころではありません。人間は神の幸福な大家族として各国が周囲の人々を顧み,たがいに思いやりを示して生活することになっていました。交わることは人間の本性です。だれでも他の人との交わりを好みます。独房に監禁することは重い刑罰です。神のしもべの中にはそのような仕打ちを受けた者もいます。彼らは霊的また精神的な平衡を保つため,利用できるものをすべて役だたせることが必要でした。彼らは他の人間との関係を絶たれ,ひとりぼっちでしたが,その苦境の中にあってエホバの霊により強められました。それで,以前に神のことばから学んだことがらや以前に神の民と交わって得た助言や励みを思い起こしたのです。それらの事柄を心の中で絶えず思い返すことによって,信仰を強く保ち,他の人と交わる必要をみたしました。こうして霊的な平衡を保つことができたのです。
2 他の人と交わるように定められたエホバは,ご自分のしもべのどんな必要を認められましたか。
2 しかし他の人との接触を長期的にわたって絶たれると,精神の平衡を保つことが困難になるということは依然として事実です。人は交わり,良い仲間を渇望します。組織をとおしてのエホバの備えの重要さはこれによっても明らかです。新しい秩序の下に生命をかち得るには,神のみたまと言に加えて神の組織の益を受けることが必要です。エホバは愛をもって私たちを集め,一体とならせ,協力させ,すべての者が互いに益を受けるように図られています。それのみならず,私たちはエホバ,御子イエス・キリストそして無数の天使たちとの交わりに導き入れられました。これら天の被造物はエホバのお目的を遂行することにおいてエホバと密接に交わっています。彼らは象徴的に神の妻と呼ばれている天の組織です。私たち人間はそれを受ける立場に身をおくならば,神の妻である組織から母のような世話を受けられます。私たちは天使の存在を知覚せず,また聖書時代におけるごとく化体した天使の助けを受けることもありません。それでも天使はわたくしたちの必要をみたすために仕えています。―ヘブル 1:7,14。詩 34:7。マタイ 18:10。
3 (イ)エホバの見える組織の中核は当然にだれから成っていますか。(ロ)地上において主の関心事を一切管理することには何が含まれていますか。
3 当然にエホバの組織の見える部分は,霊によって生み出された弟子たちの残れる者を中心としています。残れる者はやがて天的政府の一部となり,天においてキリスト・イエスとともになる人々です。イエスはご自分のふたたび来られる時,彼らが時に応じて霊的な食物を供えるわざに励むことを預言されました。マタイの福音書 24章45節から47節のことばどおり,彼らは主の御国の,地上における関心事全部をいま委ねられています。それは神のことばに基づいた霊的食物を信仰の家の者に供えるだけでなく,世界的な伝道のわざを監督し,エホバに教えられるため彼らの中に来た正しい人の「大ぜいの群集」を世話するためです。(イザヤ 2:2-4)生命を受ける「羊」を一方に,死を受ける「やぎ」を他方に分ける大きなわざが行なわれています。キリストの「兄弟」すなわち忠実な「思慮深い僕」を構成する,霊に生み出された者たちの音信にどう応ずるかによって,各人はいずれかの側に分けられるのです。(マタイ 25:31-46)羊のような人々は,エホバがこれらの「兄弟」の残れる者を地上に残されたことを喜んでいます。恐れる者は崇拝に率先し,また多くの実質的な益をもたらす経路となっています。それは人々を助けて生命を得させるためです。
4 組織の一部になることに対して,世の中のたいていの人はどんな態度をとりますか。
4 今日この世の精神をとり入れた現代人の多くに見られる傾向は,組織の一部になるのを避けようとすることです。彼らにとってそれは規格化であり,自由を奪われることです。彼らは抗議し,反抗し,暴動をおこし,従うことを拒絶して挑戦し,社会一般の課す制限に対して反対を表明します。神そして合理的な規制に反抗する人は肉の弱さがさせる放縦にふけりながら罪をそれほど意識せず,他の人また組織に束縛されていないと思うかもしれません。しかしそれでも前の世代の人々と同じく年老いて死にます。人の哲学や行動の規範が変化しても,神の原則また生命を得るための要求は,変わりません。―箴言 19:20,21。ペテロ第一 2:16。ガラテヤ 6:7,8。
5 あらゆる束縛をはねのける人は何を悟っていませんか。賢明なむすこは何をしますか。
5 反抗的なむすこは必要な束縛や生活の条件をきらって,万事ととのった父の家をとび出し,親の教えを一切無視することによって“真の自由”を得たと考えるかもしれません。しかし反抗的なむすこが自分の未熟な行動を反省し,自由を得るどころか苦難と心痛の多い,そしておそらくは不面目な死にさえ至る道に迷い出たことを悟るように願うのが親の情です。どこかで立ち返らなければ,そのはてはみじめな死か,夢を破られての精神的な破綻に終わるでしょう。必要なしつけを受け入れ,愛ある両親の監督の下で円熟に成長し,やがていっそう大きな組織,すなわち会衆や社会の中で有用かつ幸福な人として場所を占める賢明なむすことは大変な相違です。―ルカ 15:11-32。
6 エホバの組織は何にたとえられますか。組織されていることによって,万事はどのように能率よく運ばれますか。
6 ゆえにエホバは,その民が家族すなわちエホバを父またかしらとする家族として組織的に一緒に働くための備えを賢明に設けられました。これは私たちの自由を不当に制限するためではなく,むしろ神から与えられた自由を正しく用いるのを助けるためです。私たちは互いに集まって神のことばについて語り,その説明を聞くことを楽しみます。周囲に住む人々に良いたよりを伝える使命をはたして一緒に働くとき,私たちは強められます。互いに一緒にいるので,各人がエホバにどのように奉仕しているかを知り合い,互いの荷を負うことができます。しかしこれは私的な事柄に不当に干渉することではありません。一つの組織として一緒に働くのでなければ,キリスト教の宣教に肝要なこれらすべての事柄を成し遂げられないでしょう。そのうえもしエホバが各人と個人的に交渉を持ち,この者には新しい真理,あの者には啓示,別の者には解釈,さらに他の者には働きの使命を互いに関係なく与えるならば,大きな混乱が生じます。むしろエホバはその組織をとおして働かれ,時にかなった食物をすべての人のために備えられています。すべての人が一緒に働いて福音を能率的に宣べ伝え,最大の成果を収めるために,一様な奉仕の教訓が与えられます。―コリント第一 14:26-33,40。ローマ 15:1,2。エペソ 4:16。
7 地上の組織にとって本部の所在地よりも大切なのはなんですか。
7 今日エホバの証人は全世界199の土地にいます。96の支部があってそのすべてはニューヨーク,ブルックリンの本部すなわちものみの塔聖書冊子協会と密接に結ばれています。残れる者の統治体の活動はこの本部を中心にして行なわれ,世界的な伝道の監督と,霊的食物をのせた出版物の準備がここで行なわれているのです。昔エホバがその民を試みつくして清め,霊を与えることをされなかったとすれば,そして神の民が神のことばと一致して働かなかったとすれば,彼らは事業の遂行のために法人化された他の宗教団体となんら異なるところがなかったでしょう。本部の所在地あるいは団体の名称さえも重要な問題ではありません。しかし福音を印刷して早く世界各地に送り出すうえで確かな利点があるために,中心の組織はニューヨーク市に位置しているのです。ユダヤ人をはじめサマリヤ人にとっても場所は重要な問題でした。それでサマリヤ人の女はイエスにこう語っています,「『わたしたちの先祖は,この山で礼拝をしたのですが,あなたがたは礼拝すべき場所は,エルサレムにあると言っています』。イエスは女に言われた,『女よ,わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが,この山でも,またエルサレムでもない所で,父を礼拝する時が来る……まことの礼拝をする者たちが,霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ,今きている。父は,このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。神は霊であるから,礼拝をする者も,霊とまこととをもって礼拝すべきである』」。(ヨハネ 4:20-24)それで場所は重要な問題ではありません。肝心なのは神のみたまを持つあなたです。
8 エホバの証人は末端においてどのように組織されていますか。
8 世界のどこにいてもそれは問題ではありません。また御父を崇拝するのに特定の方向にむいたり,特定の姿勢をとる必要はありません。必要なのは秩序です。形式的な儀式ではありません。問題は私たちの心です。私たちの霊すなわち行動を促す力は神の真理のことばと一致し,神の聖霊に従うものでなければなりません。心と思いと魂と力をつくしてエホバを愛することが求められています。しかし神に全く献身していても,自分のように隣人を愛し,また敵をさえ愛する責務がなくなるわけではありません。私たちと同じことをしている他の人々と無関係に神を崇拝し,神からの使命をはたすことはできないのです。ゆえにどこにいてもエホバの証人には,エホバの証人の統治体の監督下に組織された会衆とともに働く特権があります。二,三人のグループで会衆がまだ組織されていない場合も,グループの研究を行ない,他の人々をおとずれて福音を伝えているその群れは,本部から,また旅行する代表者の訪問から直接に益を受けます。鉄のカーテンの背後においても,兄弟たちは生命の冒険を冒してさえ,定期的にグループとして集まり,他の人々に組織的に伝道することの必要を認めています。
あなた個人に及ぶ益
9 はじめてエホバの証人と接する時,人は組織からどんな援助を受けますか。
9 典型的な会衆を例にとり,クリスチャンであるエホバの証人の他の大ぜいと同じようにしてあなたが会衆と交わるようになったと仮定しましょう。事物の新しい制度の下で生命を求めるあなたは,エホバの組織からどんな益をすでに受け,またこれから受けますか。まずあなたに永遠の生命の希望がもたらされたのは,おそらくその会衆のメンバーの一人があなたの家をおとずれ,短い聖書の話をして聖書に対する関心を呼びおこし,組織によって準備された聖書の手引きを置いていったからでありましょう。小さな区域の割当てが作成され,その中にあなたの家も含まれていて,それが会衆のそのメンバーに与えられたのです。世界中の他の奉仕者と同様,その人も組織から受けた教訓に従って割り当ての区域内で福音を伝道していました。その教訓はいろいろと実際的なことを述べていますが,中でも区域内のすべての人に神の国の福音を伝えるように努めること,関心を示した人をなんども訪問し,聖書研究をすることを教えています。その人はふたたびおとずれ,ある期間あなたと聖書を研究しました。
10 集会また会衆内の他の人々との交わりは,どのように助けとなりますか。
10 知識を得,理解が深まるにつれやがてあなたは会衆の集会の一つに出席するようにとのすすめに応じました。出席を重ねるうちに,集会はつりあいのとれた霊的な食物を供えるために準備されていることがわかます。一般的な励みや助言のほか,神のことばの深い事柄が教えられます。真理の新しい点を学び,また以前学んだ点を復習する喜びも味わいます。(マタイ 13:52)宣教を遂行する方法に関して教訓が与えられます。「時に応じて食物」をそなえる神の経路に対するあなたの認識は日毎に深まったことでしょう。あなたは演壇から他の人が話すのを聞き,また聴衆の参加の時には答えを述べました。のちにあなたは神権宣教学校にはいり,話し方,話を組みたてること,聖書の調べ方,反論の仕方などの訓練を受けたに違いありません。そこには違ったふんい気があり,あなたはクリスチャンの交わりを楽しみました。このすべてはあなたを霊的に強め,将来の奉仕の備えとなります。このような益はエホバの組織と交わり始めたからこそ,受けるようになったのです。―ヘブル 10:23-25。
11 すべての人が「口で告白して救われる」のを助けるため,組織は何を備えていますか。
11 エホバの求められることをますます知るにつれて,エホバのクリスチャン証人の会衆の成員であることは単に平信徒であること,つまり説教を聞いたり寄付盆に寄付を入れたり
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