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こらしめを受け入れて固く立つものみの塔 1963 | 9月1日
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ません。どの家族も時間をきめて集会の準備をし,集会に出ては家族全員が討議に参加するようにすべきです。集会において兄弟たちと交わるならば,人を生命の道に歩ませる正しい交わりを何時もすることになります。(コリント前 15:33)この神の警告が間違っていると考え,それを証明しようとした人は,みじめにも失敗しました。ですから正しい交わりを続けて下さい。退歩する必要は少しもありません。
23 会衆と交わる時得られる祝福と益を説明しなさい。
23 新世社会との交わりをつちかう人々は,いま大きな祝福を得ます。新世社会においては,すべての人が励まし合うからです。だれかが弱くなれば,他の人々は聖書の次の戒めに従います,「なえた手と,弱くなっているひざとを,まっすぐにしなさい……気をつけて,神の恵みからもれることがないように……しなさい」。(ヘブル 12:12,15,新口)これこそ本当の隣人愛です。このように励ます者となって下さい。「だから,あなたがたは,今しているように,互に慰め合い,相互の徳を高めなさい」。―テサロニケ前 5:11,新口。
24 (イ)こらしめを受け入れて固く立つ人は,何を与えられますか。(ロ)生命の報いはどのように用いられますか。
24 こらしめを受け入れ,強くなって固く立つことは,エホバの永続する恵みと祝福を得る道です。耐え忍びましょう。時がたつと共に,あるいは当然に予想される困難にぶつかったからといって,確信を弱めるべきではありません。「わたしたちは,善を行なうことに,うみ疲れてはならない。たゆまないでいると,時が来れば刈り取るようになる」。(ガラテヤ 6:9,新口)耐え忍んで忠実を守る人は,その報いとして得るものを善用することでしょう。新しい世に関するエホバの次のことばは,それを説明しています,「エホバ宣はくわが造らんとする新しき天と新しき地と,わが前にながくとどまる如くなんぢの裔となんぢの名はながくとどまらん。エホバいひたまふ,新月ごとに安息日ごとによろづの人わが前にきたりて崇拝をなさん」。(イザヤ 66:22,23)クリスチャンの道に忠実を守ることによって,父なる神エホバを永遠に崇拝できます。あなたはこの事を望まれるに違いありません。正しいわざにうみ疲れてはなりません。こらしめを受け入れ,生命に至る道をしっかりと歩んで,エホバに誉を帰して下さい。
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招待ビラの裏側ものみの塔 1963 | 9月1日
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招待ビラの裏側
◇ アメリカ,イリノイ州の巡回大会で,エホバの証者が話した経験。「私はカトリックの家庭に生まれ,小さい頃から教会に通いましたが,なにか欠けているものがあるような気がして,結局はどこにも行かなくなりました。数年前,仕事から家にかえると,エホバの証者の公開講演を宣伝するビラがおいてありました。正直のところ,講演の題にも,エホバの証者という名前にもあまり興味を感じませんでした。
エホバの証者について聞いたこともなく,エホバとはだれのことかさえ知りませんでした。しかし,ビラの裏には『聖書をどのくらいごぞん知ですか』という質問があって,これが私の注意をひきました。私は以前から聖書を知りたいと思っていましたので,早速,『新世界訳聖書』を注文するために小切手と手紙を書き,夕飯の支度をする前に投函しました。聖書が届き,その後土曜日の朝にエホバの証者がたずねて来ました。話しているうちに,相手はかなり聖書を知っているなと感じました。自分が聖書を勉強したいと思っている事をのべ,すぐに聖書研究が始まりました。エホバの証者が帰った後,主人は肩をすくませて,『私をこの人たちと一緒にしないでくれよ』,と言いました。『この人たち』と言っても自分は何も知らないくせにと思いながら,その日一日かかって『神を真とすべし』の本をほとんど読みあげました。翌朝,主人に私が読んだ宗教に関する本の中で,なにかつかむところがあったのはこれだけですと言いました。まもなく主人も研究に加わるようになりました。その間に母の死がありました。『勉強するのをもう止めなさい。母が死んだり,聖書を勉強したりするから,このごろあなたは少し変よ。これから,私が来てはげましてあげるから』,と言ったのは姉でした。しかし,その晩,姉に『神を真とすべし』を配布し,翌週から姉の勉強を始めました。その研究はずっと続き,姉は私と共にエホバに献身し,同じ日にバプテスマを受けました。
『この人たち』と関わりを持ちたくないと言っていた主人も,その後15ヵ月ほどしてバプテスマを受けました。私のところへ生命の言葉を伝えるためにエホバが人を遣わし,留守中にもだれかがドアのすき間に招待ビラを入れていってくれた事に深く感謝しています」。
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