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新世社会内のあなたの立場を見出しなさいものみの塔 1958 | 11月15日
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新世社会内のあなたの立場を見出しなさい
『そこで神は御旨のままに,肢体をそれぞれ,からだに備えられたのである。』― コリント前 12:18,新口。
1,2 (イ)どんな自然の事実は,ヱホバが創造の神であることを証明しますか。(ロ)それでは,私たちは新世社会内にどんな取り極めを見出すと期待すべきですか。
月の照らない晴れた夜に,空を見上げて,できるものなら,星の数をかぞえてごらんなさい。幾千という数の星は肉眼に映ります。実際には幾十億という星があるのです。強力な望遠鏡や特別な写真装備で遙か彼方の外界を観察するとき,幾百万という星が見えます。この測り知れない非常な大きさというものから見ると,単なる人間は実に小さいものに過ぎません。ところが,ここには素晴らしい事柄があるのであつて,それを考えるとき,畏怖の念を感じさせます。すなわち数えることのできない程多くある天の星は,考えも理性もなしにいい加滅な,めちやめちやな状態に置かれているのではありません。むしろ最高の理知者の最も入念な構想に従い,それぞれ果てしない天界において定められた場所を持つているのです。かたいコンクリート内の砂は動くことができずに定着していますが,天の星はそのような砂とはちがつて動いており,もの凄い速度で進行しているのです。どの星もそれぞれの軌道を持つており,1分1秒も違わぬ正確さで定められた道を進行します。それぞれは創造者の定め給うた法則で制御されています。
2 天と地の創造者であるヱホバは,御自分の構想と取り極めによりすべての星をそれぞれの場所に置かれました。それですから,すべての星は神から与えられた地位,神から割り当てられたところ,それぞれ正しい場所を持つていると言うことができます。(創世 1:1; 2:1。ネヘミヤ 9:6。詩 8:3。イザヤ 45:12)ヱホバの創造の業すべてもそのようです。ヱホバは秩序ある取り極めを設ける神です。『神は無秩序の神ではなく』この故に彼の制度内にあるすべてのものは神からの割り当てを受けて『すべてのことを適宜に,かつ秩序を正して行う』それで次のことを期待するのはまつたく理に合うことです,すなわちヱホバの特別創造である新世社会内でも,それぞれの各成員の居るべき所が定められているということです。聖書と事実を調べるとき,まつたくその通りであると分ります。―コリント前 14:33,40,新口。
3 1918年以来,残れる者はどんな立場を占めていますか。
3 あるときキリストの『花嫁』の地上の残れる者たちは,バビロンの捕われの下にいました。しかし,それがキリストの足跡に従う清い処女級の弟子たちに対する正しい場所でなかつたことは確かです。それで1918年にヱホバが裁きを行う為に霊的な宮に来たとき,この忠実な残れる者の級はサタンの汚いバビロンの制度から出るようにと命ぜられました。彼らはその命令に従いました。すると神は復興した残れる者たちをその正しい立場,すなわち新世社会の中心に置き,主の所有全部を管理する『忠実にして慧い奴隷』に任命しました。(黙示 18:4。マタイ 24:45-47)残れる者たちは,神の霊的な宮にかんしては,地上の目に見える残れる部分となつています。そして他の聖句は,神の霊的な宮について次のように述べています,『あなた方も,それぞれ生ける石となつて,霊の家に築き上げられ,聖なる祭司となつて,イエス・キリストにより,神によろこばれる霊のいけにえを,ささげなさい。』『あなた方は使徒たちや預言者たちの基礎にもとづいて建てられた。しかしキリスト・イエス御自身は基礎の隅石である。彼にあつて建物全部は調和の中に組み合わせられ,ヱホバの聖なる宮に成長する。』― ペテロ前 2:5,新口。エペソ 2:19-21,新世。
4,5 (イ)イザヤとミカの預言によると,どんな他の級の民は新世社会内に立場を見出していますか。(ロ)この『大いなる群衆』は責任を持たない怠惰な級ですか。
4 今日,他の民の大群衆はこの神の家なる宮に来て,新世社会の中核である目に見える宮級のまわりに集まつています。預言者イザヤとミカが,この終りの日に起るであろうと預言した通りです,『末の日にヱホバの家の山はもろもろの山の頂きにかたく立ち,もろもろの嶺よりもたかくあがり,すべての国は流れのごとくこれにつかん。多くの民行きて相語り言わん,いざわれらヱホバの山に登り,ヤコブの神の家に行かん,神われらにその道を教え給わん,我らその道を歩むべしと。そは法律はシオンより出でヱホバの言葉はエルサレムより出べければなり。』― イザヤ 2:2,3。ミカ 4:1,2。
5 その数はすでに71万6000人以上で100以上の言語を話し,そして160以上の国々や海の島々から集まつています。そのすべては正しい羊飼なる小羊キリスト・イエスを中心に新しい世の社会として集合して居り,各人は制度内の自分の正しい立場を認め,自分が霊的イスラエルの残れる者であるか,又は残れる者と交わつている『大いなる群衆』の者であるかを認めることは最も大切なのです。(黙示 7:4-10。ヨハネ 10:16)『大いなる群衆』の者たちも重い責任の荷を負わねばならぬとイザヤの預言は示しています。イザヤの預言は復興した残れる者の状態を述べて後に,『大いる群衆』は群を飼う異国人,あるいは畑を耕し葡萄をつくる外人である,と述べているからです。それで,残れる者級に属する者であろうと,或はこの『大いなる群衆』に属する者であろうと,各人はこの肥沃で実を結ぶ制度内で自分の立場を取る責任を主に負うています。そして課せられた義務を遂行しなければなりません。王の奉仕が免除されている人はひとりもいません。『人はそれぞれ,自分自身の重荷を負うべきである。』― イザヤ 61:4,5。ロマ 14:4。ガラテヤ 6:5,新口。
6 ヱホバはその制度内において,非常に卓越したどんな立場,およびどんな権威の立場を持つていますか。
6 新世社会はその構成において神権的であり,また当然に神権的なものでなければなりません。つまり上から下にいたるまで神の支配を受けるということです。その制度の一番の頭には,最も妥当な場所に忠実に住まわれているヱホバ神が居られます。彼は最高至上者で,宇宙で最も栄光に輝く主権者です。『ヱホバという名を持ち給う汝のみ全地をしろしめす至上者なる』ヱホバだけが政府の3部門である司法,立法,行政のことごとくを持つておられます。『ヱホバは我らを裁きたもうもの,ヱホバは我らに律法を立て給いし者,ヱホバは我らの王にまします』『ヱホバはその宝座をもろもろの天にかたく置え給えり。そのまつりごとはよろずの物の上にあり。』― 詩 83:18。イザヤ 33:22。詩 103:19。
7 キリスト・イエスにゆだねられている特別な奉仕の特権のいくらかを述べなさい。
7 『神の独子』なるキリスト・イエスもこの新しい世の構成において全く正しい立場を持つています。彼はあがない者,贖罪者であつて,『私たちは,この御子によつてあがない,すなわち,罪のゆるしを受けているのである。』また『彼は体なる会衆の頭であられる。彼はすべてのもののうちで最初のものとなる為,死から最初に生まれた方である。』さらに『キリストもまた,大祭司の栄誉を自分で得たのではなく,「あなたこそは,永遠にメルキゼデクに等しい祭司である」と言われたかた(ヱホバ)から,お受けになつたのである。』この王なる祭司は,いまや『王の王,主の主』として天で支配しています。そしてヱホバの大いなる立証者として彼は天の全軍の頭に立ち,ハルマゲドンの戦いにむかつて指揮を取つています。このハルマゲドンの戦いのときに彼はサタンの悪しき制度をまつたく亡しつくしてしまうでしよう。古くから約束されているヱホバの新しい世の政府は「彼の肩にあり,その名は平和の君ととなえられる。その平和な政治は増し加わつて終りがない。」彼は千年間統治して,栄光に輝く完全な状態にまで楽園を復興されるからです。(コロサイ 1:14,18。ヘブル 5:5,6。黙示 19:11-16。イザヤ 9:6,7)これは神よりキリスト・イエスに委ねられた聖なる奉仕の宝です。それですから,悪魔でもまた外の暗きにいる悪鬼たち全部も,まつたく彼の敵はひとりとしてヱホバの新しい組織制度内のイエスの立場を取り除くことはできません!
多くの成員を持つひとつの体
8 人間の体はその構成において,どのように新世社会に似ていますか。
8 『キリストの頭は神である』ごとく,キリストはまた『会衆のかしら』であります。(コリント前 11:3。エペソ 5:23)中心となつているこのかしらの下にあつて,多くの制度はない,まつたくのところ二つの制度もないということは論理的に言えることです。この一つの構成の中には多くの奉仕部門や働きの部門があり,それぞれの地位は人々によつて満たされ,各人はそれぞれの責任を果して行きますが,しかし只一つの神権制度しかないのです。エペソ書 4章4-12節は次のように述べています,『体は一つ,御霊も一つである。あなた方が召されたのは,一つの希望に召されたのと同じである。主は一つ,信仰は一つ,洗礼は一つ。すべてのものの上にあり,すべてのものを貫き,すべての中におられるすべてのものの父なる神は一つである。』たしかに只一つの制度しかありません,しかし11節はこう述べています,『そして彼はある人を使徒とし,ある人を預言者とし,ある人を宣教者とし,ある人を牧者および教える者としてお立てになった。』なぜですか。『それはキリストの体を建てて,奉仕の業のために聖徒たちの訓練を目的とされた。』それは一つの体すなわち制度です。このことは次のことをも示しています。すなわち初期のクリスチャン制度内では多くの任命がなされたこと,そしてその任命は神権的になされたのであつて,民主的になされたのではないということです。―使行 10:44,45,48; 14:23; 20:28。
9 初期クリスチャンの制度は,どのようにかたく結ばれていましたか。そして,どんな結果を得ましたか。
9 第1世紀にキリスト教のひろまるにつれてローマ帝国内のいろいろの場所で多くの会衆が設立されました。あちこちに散在していたこれらの群は,孤立した独立の群にならず,手紙とか定期的に訪問する旅行代表者たちによつて,エルサレムにあつた中央の統治体にまつたく服属していました。『それから彼らは(旅行する代表者たち)通る町々で,エルサレムの使徒たちや古い人々(中央の統治体)の取り決めた事項を守るようにと,人々(地方の会衆)にそれを渡した。』つくられて間もないその制度,そして成長しつつあつたその制度内でそれぞれ自分の立場を守つた結果は何でしたか。次の節はこう答えています,『こうして会衆は信仰をかたくし,その数は日ごとに増していつた。』― 使行 16:4,5。
10 今日のヱホバの証者の基礎的な制度の構成が,第1世紀に設立された構成にどのように一致するかを示しなさい。
10 キリスト教初期の時代から現在までは約1900年の年月が経つていますが,しかしヱホバ神とキリスト・イエスという同じ上なる権威を頭とする一つの神権制度が存在しています。それは今日神の指示する制度,神の支配する制度,ヱホバの証者の新しい世の社会として地上に代表されています。この真実の初期クリスチャン協会は20世紀に驚くべき拡大をいたしました。しかしその基礎的な構成においては第1世紀に神の定められた型に従つているのです。その時と同じように現在のヱホバのクリスチャン証者の協会においても『神は御旨のままに,肢体をそれぞれ,からだに備えられたのである。』(コリント前 12:18,新口)昔の場合と同じく,現在でも中央の統治体を設立することは頭なる神の御旨であります。その統治体は全地にいるヱホバの証者に仕えると共に,ヱホバの証者を統治いたします。この中央の統治体を代表する者として多数の支部の僕や,地帯,地域そして巡回の僕といういろいろの資格で奉仕をする幾千人という旅行をする奉仕者がいます。これらの代表者たちは孤立している良い便りの伝道者たちを訪問するだけでなく,1万6883の組織された会衆に定期的に奉仕しています。これらの設立された会衆内では中央の統治体によつて任命されたいろいろの僕たちや特別な代表者がいます。彼らはヱホバの証者の各地での活動を監督いたします。
11 全地にわたるヱホバの証者のあいだの一致を述べなさい。これはどのように可能ですか。
11 上から下にいたるまで神権的な型に従つて組織されているために,ヱホバの民のあいだには一致が得られています。そのことは地上の他の群には決して見られないものです。考え,信仰,教理,教え,活動,行為,そして生活の習慣と実践においてヱホバの証者のあいだには,地理上の境界,言語上の障壁,そして国家的な習慣とか,種族の習慣を跳び越える一致があるのです。それぞれの忠実を保つて歩んでいる各人が,この社会内で自分の正しい立場を見出し,そして神より与えられた責任を正しく遂行しているからこそ,そのような一致と調和が可能なのです。
12 コリント前書 12章20-30節は,監督でない会衆の伝道者にたいして,どのように新世社会内の立場を設けていますか。
12 この新しい世の社会の各会衆内にあつて,あなたは任命を受けている監督ですか。もしそのような立場にいるなら,使徒ペテロは次のように言つています。あなたは『あなたがたにゆだねられている神の羊の群れを牧しなさい。しいられてするのではなく,神に従つて自ら進んでなし,恥ずべき利得のためではなく,本心から,それをしなさい。また,ゆだねられた者たちの上に権力をふるうことをしないで,むしろ,群れの模範となるべきである。』(ペテロ前 5:2,3,新口)あるいは又,あなたは特定な監督の責任を持たない会衆内の名誉ある伝道者ですか。もしそうなら,あなたも又神の取り極めた事柄の中で正しい重要な立場を持つているのです。『ところが実際,肢体は多くあるが,体は一つなのである。目は手にむかつて「お前はいらない」とは言えず,また頭は足にむかつて「お前はいらない」とも言えない。そうではなく,むしろ,からだのうちで他よりも弱く見える肢体が,かえつて必要なのであり,からだのうちで,他よりも見劣りがすると思えるところに,ものを着せていつそう見よくする……神は劣つている部分をいつそう見よくして,からだに調和をお与えになつたのである。それは,からだの中に分裂がなく,それぞれの肢体が互にいたわり合うためなのである。……みんなが使徒だろうか。みんなが預言者だろうか。みんなが教師だろうか。みんなが力あるわざを行う者だろうか。みんながいやしの賜物を持つているのだろうか。みんなが異言を語るのだろうか。みんなが異言を解くのだろうか。』― コリント前 12:20-30,新口。
13 ヱホバの証者のあいだに設けられている青少年に対する健全にして良い立場を取るとき,彼らは又どんな責任を取らねばなりませんか。
13 全世界に拡大しているこの新世社会内には,私たちの子供や青少年の為の場所もたくさんあります。それですから,あなた方年若い者たちよ,自分の立場を知つて,その立場を取りなさい。過去にこのことを行つた或る子供たちは,聖書に述べられています。その二,三の名前を挙げればサムエル,エレミヤ,エフタの娘,テモテ,イエスなどですが,そのような少年少女の残した良い模範に従いなさい。大きな特権に対して準備をいたしなさい。それはあなたが重い責任を遂行し得るときに課せられるでしよう。この目的の為には,個人的な研究および組織された群の研究によつて聖書の知識を採り入れなさい。その知識はあなたを賢明な者となし,救いに至らしむるものです。あなたに割り当てられた役割は,ずつと前から研究しておきなさい。そして会衆の集会には積極的な参加ができるよう準備して来なさい。熱心な研究をしたり,いろいろの種類の奉仕活動に参加することにより,霊的な知恵や理解において円熟に成長しなさい。家から家の伝道の業や毎週になされる雑誌配布に定期的に参加しなさい。興味を持つ人のところに良い再訪問をする方法や,それらの人々と家庭聖書研究を司会する方法を学びなさい。自分の両親や会衆内の監督に対して正当な尊敬を示しなさい。『なんじの若き日になんじの造り主を記えよ。』たしかにこれこそヱホバの証者内の青少年に対する立場であります。それは良い健全な立場であります。そして,ヱホバを賛えなさい! この幸福な立場を見出して,その立場を保つ賢明な青少年は,現在の悪い組織制度内の不良青少年の中にいません。―伝道之書 12:1。
あなたの立場は開拓者奉仕?
14,15 (イ)新世社会はまた開拓者や宣教者に対して場所を設けていますか。(ロ)開拓奉仕をした宣教者として,使徒パウロはどんな祝福と特権を楽しみましたか。
14 全時間開拓者や宣教者が地方の会衆と交わつている場合は沢山あります。彼らもこのクリスチャン奉仕者の社会内で立場を持つています。全時間奉仕に差しつかえとなる聖書的な責務というものがありませんから,彼らは利己的な事柄を求めるよりも先ず神の御国を求めます。そして,使徒パウロのように,この世的な地位とか物質上のぜいたく品を失おうとも,それらを屑か芥あくたのように見なします。―マタイ 6:25-34。ピリピ 3:8。
15 使徒パウロがどれ程特権に恵まれた人であつたか,一寸考えてごらんなさい。彼は異邦の諸国民につかわされた『第一番の使徒』でした。彼はローマ帝国内の広範囲にわたる地域を訪問して多くの会衆を設立しました。パウロは又他の人以上にクリスチャン・ギリシャ語聖書を多く書くという特権を持つていました。アテネでは彼は当時の最も著名な哲学者や教育家の前で証言しました。彼は又エルサレムの最高法廷,すなわちユダヤ人のサンヘドリンの前で証言しました。総督フェリックスやヘスタス,そしてアグリッパ王のような古い支配者の前において,そして遂にはローマ皇帝ネロの宮廷の前にあつて,パウロは新しい世の支配者なるキリスト・イエスについての良いたよりを伝道するという特権を持つていました。パウロは開拓者になつて部分時間奉仕から全時間奉仕に入つたとき,これらの特権や更に多くの特権と祝福を楽しんだのです。
16 (イ)すべての人は開拓奉仕に入ることができますか。(ロ)個人的な事柄に専念して開拓奉仕の特権を失う危険について,イエスのたとえ話はどのように示していますか。
16 今日,新世社会に入つている者たちの前には同じ機会の戸が開かれています。しかし或る人々は,子供がいるとか,扶養しなければならない者がいるとか,あるいは健康状態が弱いという理由でもつて開拓奉仕をすることはできないと感じています。別の人は,どうしても果さねばならぬ経済的な責務が重いから,開拓奉仕することは不可能であると感じます。一方,ヱホバの証者と交わつている大ぜいの人々は,神の奉仕に全く献身していると言い,そして聖書的な責務はすこしも無いにもかかわらず,いろいろな口実をかまえて開拓奉仕に伴う責任を逃れようとします。これらの人々は新世社会内の正しい立場からはずれていると言えないでしようか。それらの人々は軌道からはずれており,定まつた道から自由勝手に離れ出て,全時間開拓奉仕の制限や規則にとらわれたくないと努めているのではないでしようか。これはまつたく愚かな道,そして危険な道を採ることです。それは,イエスのたとえ話の中に出てくる人々のとつた態度に酷似しています。その人々は畠を買つたばかりだとか,牛を買つたところだとか,又は妻をめとつたばかりだからというような理由をたてにして特別な宴会に出席するのを断りました。宴会の席に招待された客にとつて,いまは正しい時ではありませんでしたか。彼らの言いわけはきわめて小さいもの,微々たるものではありませんか。言いわけを申し立てて利己的な事柄に専念していた人々に対して家人が怒りを発したのも当然です。彼らは生涯に只一度の機会を逸しました! たしかに,その特別な招待を受けるためには,個人的な事柄を止めたり,延期したり,または再び取り極めたりしてすこしの不便はまぬかれないでしよう。しかし,差しのべられた非常な特権を受け入れたならば,なんとすばらしいよろこびと祝福を持つたことでしよう!―ルカ 14:16-24。
17 自分の宣教に対する開拓者パウロの態度は何でしたか。
17 全時間奉仕の機会についても同じことが言えます。今日この機会は,全時間奉仕を受け入れることのできる立場の人々にさし伸べられています。開拓奉仕をすることは易しいことではありません。全時間の開拓者奉仕をする為には,個人の計画,たとえば大学教育とか特定な生涯を止めることは必要でしよう。多くの障碍や多くの反対に打ち勝たねばなりません。パウロも,開拓者としての大きな活動分野に入る為に,同様な障碍を踏みこえねばならなかつたのです。『有力な働きの門が私の為に大きく開かれているし,また敵対する者も多いからである。』とパウロは言つています。主なる神に仕えたこの全時間奉仕の僕は,次のようにも書きました,『だれが,キリストの愛から私たちを離れさせるのか。患難か,苦悩か,迫害か,飢えか,裸か,危難か,剣か。』今日パウロが地上にいるとすれば,彼は次のような言葉をつけ加えるかも知れません,「この時代の物質主義やぜいたくは,全時間奉仕を行つて神に捧げる私たちの愛の妨げとなるか」彼は積極的にまた力づよく,そのような質問全部に対して次のように答えています,『私は確信する。死も生も,天使も支配者も,現在のものも将来のものも,力あるものも,高いものも深いものも,その他どんな被造物も,私たちの主キリスト・イエスにおける神の愛から,私たちを引き離すことはできないのである。』他の『被造物』の中には,生物のことだけでなく,この現代文明にある無生のぜいたく品や無必要なものも入つているのです。パウロと同じ心構えを持つ人々は,全力をつくして神への愛を立証しようとしますから,それらのものの介入を許して神に捧げる愛が妨げられるというようなことをいたしません。―コリント前 16:9。コリント後 4:7-11。ロマ 8:35-39,新口。
18 今日の人も,パウロの持つていたのと同じ心の平和や満足を持つことができますか。
18 パウロはいろいろ辛いことを経験しましたが,生活における心の平和とか,満足,よろこび,そして幸福はすこしも害われなかつたのです。生活を楽にするものが多く無くても,彼の火と熱心を消したり,弱めたりしませんでした。パウロの書いたものは,熱心と楽観的な見方で溢れており,彼がキリストのごとく生活したように他の人々も彼に従えと強くすすめています。使徒としての宣教を行いつづけて行く為に,この世の仕事をすこしの時間しなければならない時でも,彼は一度たりとも不平を述べたことはありません。あなたも,パウロや他の者の楽しんだのと同様な祝福を持つことができます。しかし,それには彼らのなしたと同じように同じ奉仕の特権に入ることが条件です。
19 新世社会内で正しい立場を見出したことをたしかめる為に,私たちは自分自身に対してどのように尋ねるべきですか。
19 新世社会内で自分は正しい奉仕の立場を見出しているかどうかを自問いたしなさい。開拓奉仕をするのに差しつかえとなる家族の責任がありますか。もしそうなら,あなたはそのような責任を是非果さねばならぬと聖書は述べています。(テモテ前 5:8)あなたは,正しい聖書的な責務を持つておらず,開拓者奉仕の活動にみちびく大きな門を通つて中に入ることができますか。あなたは宣教者になつて外国の地に旅行し,そして伝道者の援助を必要とするところで奉仕したいと心から願い希望していますか。あなたにはその気持があり,希望はしていますが,外国の地に行つて奉仕するだけの健康に恵まれていないかも知れません。キリスト教国のどの国でも全時間奉仕者は非常に必要です。いわゆるキリスト教と言う国々も,他の世界の国々と同様にクリスチャン宣教者を必要としています。あなたと同じ言語を語る国民の中に孤立した区域はたくさんあり,その場所で開拓者を絶対に必要としているのです。あなたの属している会衆も,新世社会に群らがり入る『他の羊』を養い,訓練し,そして世話をする為に,更に多くの全時間奉仕者を必要としていることは疑いありません。種々の割り当ての働きを持つこの制度内で,あなたの正しい立場が全時間開拓者か或いは宣教者であるなら,この古い世の組織制度の心づかいとか心配を持つために,あなたの正しい立場をしめることができない,というのは全く悪いことでもあり又愚かなことでもあります。
20 新世社会の群の中の立場を見出して保つことは,いまなぜ緊急に重要ですか。
20 ヱホバ神は,宇宙の幾百億幾千億という星のそれぞれに対して場所を与えておられるごとく,神の制度内にいる私たち各人に対しても立場を与えておられます。ヱホバとキリスト・イエスの下にあつて,残れる者も『他の羊』の者も,任命を受けている僕であつても会衆の伝道者であつても,年を取つている者も若い者も,部分時間の奉仕者も全時間の奉仕者も ― まつたく高度に組織された新世社会内には各人のすべてに対して正しく割り当てられている正しい立場があるのです。この交わりをしている各人が,正しい立場を早く見出すことは一番大切なことです。そして又,もしハルマゲドンを生き残り,永遠の平和と幸福の中に永久に住みたいと希望するなら,次の記事の示すごとく,新世社会の群の中における自分の立場を見出してからは,その中に忠実にとどまることも極めて大切なものです。
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自分の立場を失わぬよう気をつけなさいものみの塔 1958 | 11月15日
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自分の立場を失わぬよう気をつけなさい
『しつかりした立場を持つていると考える者は,倒れないように気をつけなさい。』コリント前 10:12,新世。
1 新世社会内で自分の立場を失う危険はありますか。
非常に高価な真珠を見出しても,それを失わないように保存することは全く別の事柄です。アダムとエバは完全なエデンの園にいましたが,その中に永久にとどまり得るにふさわしいかどうかを証明することは別の事柄でした。前の記事の指摘したごとく,ヱホバの証者の新世社会内で自分の正しい立場を遅れずに見出して取ることは大切です。しかし,ひとたびその中に入つてからは,その貴重な立場を忠節にまた忠実に保つことは更に重要なこととなります。別の言葉で言うと,誰が真理に入るかということよりも誰が真理の中にとどまるかという方が大切なのです。なぜなら,『一度救われるならもう大丈夫』ということはないからです。使徒パウロの場合がそうです。使徒のような人が自分の立場を失うなどということは,先ず先ず考えられないものですが,それでも彼は自分の立場を失う危険はいつもあると認めていました。そのような災の起るのを避けるため,彼は次のように言いました,『自分のからだを打ちたたいて服従させるのである。そうしないと,他の人に宣べ伝えておきながら,自分は失格者になるかも知れない。』私たちは彼の警告に注意を払うべきです。―コリント前 9:27,新口。
2 他の者の落ちこんだ陥穴のいくらかを指摘しなさい。
2 或る予防の手段を採るなら,新世社会内の特権の立場を失わないでしよう。その予防手段の一つは,他の者の落ち入つたあやまりとか陥穴を見て避けることです。『賢き者は災を見てみずから避け,拙者はすすみて罰を受く。』(シンゲン 22:3)それですから,あなたの立場を忠実に守りなさい。悪魔サタンの悪い道に従つてはなりません。悪魔サタンは,ヱホバの制度に対する無法と反逆という悪を自分の心にいだきました。コラや,ダタンや,アビラムのなしたごとく,ヱホバの伝達の経路に対して公然と挑戦したり,またはひそかに挑戦したりしてはいけません。そうするなら地はあなたを呑み込み,新しい世で生きる人々の中にあるあなたの立場は無くなるでしよう。ヱホバのいましめにさからい,物質の分捕品を取ろうとしたアカンの罪を秘密に犯してはなりません。(テモテ前 6:9)アカンは,品物といつしょに捕えられたときに告白いたしましたが,それは遅過ぎるもので彼は神の会衆から排斥されてしまいました。アナニヤとサッピラの為したごとく,ヱホバやヱホバの任命した僕たちに対して偽りを言つてはなりません。そうすれば,彼らがその場で死んだごとく,あなたも立場を直ぐに失うでしよう。イスカリオテのユダのしたごとく,偽善者の行をしてはなりません。そして,無神論の共産主義者とか悪魔の他の手先どもと内通して,神の制度に叛いてはなりません。これらの愚かな者たちはみな神の神権制度内における自分の立場を失いました。(エゼキエル 28:13-15。イザヤ 14:12-14。民数紀略 16:1-35。ヨシュア 7:1-26。使行 5:1-11。マタイ 27:3-5)歩みをおそくして,後ろを振り向くということをしてもなりません。『ロトの妻をおぼえなさい』彼女は歩みをゆるめてうしろを振り向いたとき,自分の立場と生命の両方を失いました。それですから,警戒をいたしなさい,そして周到の注意を払つて歩みなさい。それは,あなたが目に見えない障碍物につまづいて立場を失い,神の恵みからはずれ落ちることのないようにする為です。『しつかりした立場を持つていると考える者は,倒れないように気をつけなさい。』― ルカ 17:32。コリント前 10:12,新世。
3 自分の立場をしつかり保つた者たちについて,どんな励ましの例がありますか。
3 ヱホバの取り決めた機構内で自分の立場を失つた者の道に従うよりは,つらい試錬や魅惑的な誘惑を受けても不動の立場を採つた者の良い模範に従うことは遙かに良いことです。心を引き立てるすばらしい模範は,実に多くあり,私たちのまわりを取りまいています。そして使徒パウロはヘブル書 11章の中でそのいくらかを述べています。そのような忠実な証者たちの長はキリスト・イエスでした。そして自分の立場をしつかりと保つた者として彼はなんと完全な模範なのでしよう! 『信仰の指導者であり,完成者であるイエスをしつかりと見つめなさい。イエスは御自分の前に置かれていたよろこびのために,恥辱をもいとわないで刑柱を耐え忍ばれ,神の御座の右に坐られたのである。あなた方はつかれ果てて意気そそうしないために,罪人たちのこのような反対にも耐え忍ばれた方を深く考えるべきである。』― ヘブル 12:2,3,新世。
4 どんな聖句は,ヱホバが私たちのすべてに従順を要求していると示していますか。
4 自分の立場を完全に守つたこのイエスについては次のように書かれています,『彼は御子であられたにもかかわらず,さまざまの苦しみによつて従順を学び』ヱホバの全知の構成内にあつて,完全な独り子が苦難の下に自分の立場を従順に保つかどうかが確められたのならば,『以前には無分別で,不従順な,迷つていた者であつて,さまざまの情欲と快楽との奴隷になつて』いた私たちはなおいつそう試されるべきでしよう。(ヘブル 5:8。テトス 3:3)自分の立場を保つ者にとつては,ヱホバに従順であることが一番大切な要求です。高慢なサウロ王が不従順になつてその立場からはずれ出たとき忠実なサムエルはそれを強調しました,『それ従うことは犠牲にまさり,聴くことは牡羊の脂にまさるなり。』(サムエル前 15:22)ヱホバ御自身も次のように命じておられます,『なんじら我が声を聞かば,われ汝らの神となり,汝ら我が民とならん。かつ我が汝らに命ぜしすべての道を歩みて福祉をうべし。』それこそヱホバを神とする制度内にとどまるただ一つの道です。このわけで不従順なイスラエルの国民が外れ落ち,遂にはまつたく切りたたれた理由も分ります。悲しい歴史的な註解は次のように述べています,『されど彼ら(イスラエルの国民)は聞かず,その耳を傾けず,己の悪しき心のはかりごとと,かたくななることにしたがいて歩み,また後を我にそむけてその面を向けざりき。』― エレミヤ 7:23,24。
5 私たちは,昔のイスラエルに臨んだ災をどのように避けることができますか。
5 今日,残れる者で代表される霊的なイスラエルとそれに伴う善意者たちが昔のイスラエルに生じた災を避けようとするなら,『上なる権威』であるヱホバ神とキリスト・イエスに従順でなければなりません。そして又,中央の統治体や,その群の旅行する代表者たち,そしてそれぞれの会衆の監督たちに対して正しい敬意を表さねばなりません。『正しく指導している古い者たち,特に語ることと教えのために労している者たちは,二倍の尊敬を受けるにふさわしい者である。』『神の言葉をあなた方に語つた指導者たちのことをいつも思い起しなさい。彼らの生活の最後を見て,その信仰にならいなさい。あなた方の指導者の言うことを聞き入れて,従いなさい。彼らは,神に言い開きをすべき者として,あなた方のたましいの為に目を覚ましている。』『同じように,あなた方若い者たちよ,年上の人に従いなさい。』― テモテ前 5:17。ヘブル 13:7,17。ペテロ前 5:5,新世。
6 共産主義の国々にいる者たちは,新世社会内の立場を持つことができますか。
6 制定された権威に進んで服従し,正しく従うことは,新世社会内で自分の正しい立場を保つ者にとつてむずかしいものではありません。しかし,時折りヱホバの証者は不本意ながら不当な権威や『気むずかしい』者たち,例えば共産主義者の奴隷収容所を治める者たちに服従を強いられることがあります。しかし,『神に対する正しい良心』の故に非常な苦しみを受け,残酷な迫害に堪えるなら,彼らはたとえ世界の他の場所にいる兄弟姉妹たちとは連絡も取れずに離れて孤立しようとも,新世社会内の貴重な立場をしつかりと保ちつづけます。実際のところ,正しくて真のもののために苦しみを受ける彼らは,完全な模範者なるキリスト・イエスの足跡にしつかりと従つているのです。―ペテロ前 2:18-21,新口。
7 監督はどんな性質を示さねばなりませんか。そしてなぜ?
7 会衆を構成する人々は,監督や『指導者たち』に服従いたします。それらの者たちも,制度内における自分の立場を守らねばなりません。彼らは心持ちと態度の面で謙遜でなければならず,他の人にたいしては上から押しつけるとか,命令を下すということがあつてはなりません。また神の前に僭越であつてはならないのです。彼らは,神の民の指導者,そして指揮者が常に持つていた心構えと同じ心構えを持たねばなりません。使徒は次のように語つています,『あなた方はキリスト・イエスと同じ心を持ちなさい。彼は神の像であられたが,神と等しくなるとの考えをすこしも持たないで,かえつて自らを空しくし,僕の形をとられ,人間の様をなして生まれ給うた。そして自らを卑くして人の像をもつて現われ,死にいたるまで苦難の杭の死にいたるまで従順であられた。』― ピリピ 2:5-8,新世。
実を結んであなたの立場を保ちなさい
8 イエスはどんな顕著なたとえ話をされることにより,神の制度内の割り当てられた立場を保つ必要性を示しましたか。
8 忠実な従順と服従ということのすばらしい模範であるキリスト・イエスは,実を結ぶ協会に接がれる者たちがどのようにそれぞれの立場を保つべきかについて極めて適切なたとえ話を語られました。『私はまことのぶどうの木,私の父は農夫である。』と彼は言われています。さて,『私につながつている枝で実を結ばないものは,父がすべてこれを取りのぞき,実を結ぶものは,もつと豊かに実らせるために,手入れしてこれをきれいになさるのである。』イエスは,自分の立場を保つ必要さを更に裏書きをする言葉を次のようにつづけています,『私につながつていなさい。そうすれば,私はあなたがたとつながつていよう。枝がぶどうの木につながつていなければ,自分だけでは実を結ぶことができないように,あなた方も私につながつていなければ,実を結ぶことができない。私はぶどうの木,あなた方はその枝である。もし人が私につながつており,また私がその人とつながつておれば,その人は実を豊かに結ぶようになる。私から離れては,あなた方は何一つできないからである。』自分勝手な行いをして,頭や制度内の他の者と一致していない者には恐ろしい結果の生ずることに注意しなさい。『人が私につながつていないならば,枝のように外に投げすてられて枯れる。人々はそれをかき集め,火に投げ入れて,焼いてしまうのである。』― ヨハネ 15:1-6,新口。
9 (イ)人は矯正に対してどのように答え応ずるべきですか。(ロ)御国の実の代りにいばらやあさみだけを産出する人々には,神のどんなさばきが待つていますか。
9 この適切なたとえ話は,次のことを示しています。すなわち制度内にいる者が御国の実を結ぶことに怠慢になつたり不注意になるなら,それらの者はもつと多くを産出し得る為に真理でもつて「清められ」「切りつまれ」ます。(ヨハネ 15:2,3)それですから,矯正を受ける時には,制度に対して腹を立てたり,反抗するかわりに自分の立場を保ち,更に多くの実を結ぶ方がいつそう賢明です。不満を抱く者は外に投げ出されてしまうからです。ぶどうのようなヱホバの聖なる制度内で自分の立場からはずれ落ちる人には火の亡びが待つています。それを説明する言葉は次のように記されています,『かつては啓発をうけて天の自由の贈物を味い,そして聖霊をいただいて神の正しい言葉と将来の組織制度の力を味いながらも,しかも堕落していつた者たちが再び悔い改めに立ち返ることは不可能である。彼らは神の子をまたもや刑柱にかけて公けの恥にさらしている。例えば,土地がその上にたびたび降る雨を吸いこんで,……いばらやあざみを生えさせるなら,それは無用になり……ついには焼かれてしまう。』― ヘブル 6:4-8,新世。
10 (イ)私たちは私たちの不完全さという露出している部分を,どのようにおおうべきですか。(ロ)『謙遜』はなぜそのように大きな美徳ですか。
10 これらのたくさんの例やたとえ話の他にも,聖書の中には直接の助言がたくさんあります。それらの助言に従うことにより,新世社会内の各人は自分の立場を守る助けを得ます。私たちは罪の中に生まれ,よこしまの中に形づくられている故に,私たちの気質というものは生まれながらに,美しいものではありません。それですから,私たちは私たちの不完全さという露出している部分をおおうべきで,聖書はそれに使用する正しい衣服を述べています,『神に愛せられる神の聖い選民として,やさしいあわれみの心,親切,謙遜,柔和,忍耐を身につけなさい。たがいに忍び合い,もし互に責むべきことがあるならば,許し合いなさい。ヱホバもあなた方をおゆるしになつたのであるから,あなた方もゆるし合いなさい。』『謙遜』は大きな美徳です。謙遜な人は,高等教育を受けていようと,又は経済上の立場または社会的な立場にすぐれていようと,そして又制度内にあつてかなりに高い地位を持つていると思えても,威張る人になつたり,高慢な人になつたり,あるいは自分を高めるようなことをしません。私たちは次のことをおぼえるべきです,『人間的には,知恵のある者が多くはなく,権力のある者は多くはなく,身分の高い者も多くはいない。それだのに神は,知者をはずかしめるために,この世の愚かな者を選び,強い者をはずかしめるために,この世の弱い者を選び,有力な者を無力な者にするために,この世で身分の低い者や軽んじられている者,すなわち,無きに等しい者を,あえて選ばれたのである。』なぜですか。パウロは,謙遜の重要さを強調してこう答えています,『それは,どんな人間でも,神のみまえに誇ることがないためである。』― 詩 51:5。コロサイ 3:12,13。コリント前 1:26-29,新世。
愛のきずなで立場にかたくつけられる
11 どんな特別のきずなは,真実のクリスチャンを互にむすびつけますか。
11 なんと美しい衣服なのでしよう ― やさしいあわれみの心,親切,謙遜,柔和,忍耐! しかし私たちの不完全さをおおうためにはこれらのものは十分でありません。使徒はこれらの1組の他に衣服の別の部分をつけ加えています。それは,利己主義と貪欲に満ちる現在の組織制度とは全く異る新しい社会のすべての人が着なければならぬものです。『これらのものの他に愛を身につけなさい。愛は一致の完全な絆である。』たしかに,先ずヱホバとキリスト・イエスにたいする愛,そして次には互同志に対する愛は,私たちを神の制度内にかたくむすびつける接合のきずなであります。―コロサイ 3:14,新世。ヨハネ 13:34,35。
12 秩序正しく歩いて行く際,新世社会の者はどんな行いを避けねばなりませんか。
12 各人がこれらの敬虔な性質で身を飾るなら,お互をうらやむということはなく,また他の人の割り当てられている地位とか立場を羨望することもありません。新しい世の社会の人々の中に競争というものはありません。競争ではなく協力こそ神の制度の高い原則の一つです。また,ヱホバの証者のあいだには大きな我というものはなく,自己本位の行いもありません。もしそのような行いをしていくなら,その人は正道からはずれて歩んでおり,無秩序に歩いていることになります。その人は神権的な指示に一致していません。『もし私たちが御霊によつて生きるのなら,また御霊によつて進もうではないか。互にいどみ合い,互にねたみ合つて,虚栄に生きてはならない。』『どうか同じ思いとなり,同じ愛の心を持ち,心を合わせ,一つ思いになつて,私のよろこびを満たしてほしい。何事も党派心や虚栄からするのでなく,へりくだつた心をもつて互に人を自分よりすぐれた者としなさい。おのおの,自分のことばかりでなく,他人のことも考えなさい。』― ガラテヤ 5:25,26。ピリピ 2:2-4,新口。
13 そしる者やお節介をする者はこの神権制度内に居られますか。
13 新世社会内の者たちのあいだには,助け合いをなす協力がこの様にすいせんされています。しかし,それは他人の事柄にくちばしを入れるようにすすめているのでもなく,ゆるしているのでもありません。まつたくのところ,他人の個人的な事柄にのぞき込んで介入し,そして非聖書的にも心配憂慮するなら,そのような人は立場からはずれており,本当に無軌道に歩んでいるのです。同じ筆記者は,『遊び歩いている者たち』を『噂話をしたり,他人の事柄に干渉したりする者』と叱つてはいませんか。『つとめて落ち着いた生活をし,自分の仕事に身をいれ……そうすれば正しく歩めるであろう。』『或る人々はあなた方の中で秩序なく歩み,すこしも働かないばかりか,自分たちに関係しないことに介入しているとのことである。』(テモテ前 5:13。テサロニケ前 4:11,12。テサロニケ後 3:11,新世)使徒ペテロは,他人の事柄にお節介する者たちのことを盗人と殺人者と同じ級に入れているのです。聖書の言葉によれば,殺人者やその仲間に対する立場は全く新しい世の組織制度外のものです。―ペテロ前 4:15。黙示 22:15。
14 相互の協力は,どんな健全な益をもたらしますか。
14 それでヱホバの証者の間に存在する助け合いの協力は,健全で互を向上せしめる強力な力であります。それは強い者と弱い者の両方を相互に助けるものです。それはちようど,人間の体の各器官が互になし合う援助と助けのようです。かくして,すべての器官は,人体内の器官としての場所を保つことができるのです,『愛にあつて……あらゆる点において成長し,かしらなるキリストに達するのである。また,キリストを基として,全身はすべての節々の助けにより,しつかりと組み合わされ結び合わされ,それぞれの部分は分に応じて働き,からだを成長させ,愛のうちに育てられていくのである。』― エペソ 4:15,16,新口。
15 (イ)教理と教える事柄においてどの程度まで一致がなければなりませんか。(ロ)ミリアムの場合は,どんな警告の例になつていますか。
15 からだのようなこの制度内の各人が協力し合うことは,会衆の集会における事柄とか,お互を助け合つて公共の伝道活動に参加するというものだけでもありせん。それは教理とか教える事柄のような霊的な事柄で制度のかしらと調和のある一致を為すことも含まれているのです。『さて兄弟たちよ。私たちの主イエス・キリストの名によつて,あなたがたにすすめる。みな語ることを一つにし,お互の間に分争がないようにし,同じ心,同じ思いになつて,堅くむすび合つていて欲しい。』信仰においても,また聖書の真理を教えることにおいても分裂があつてはなりません。制度内のある人が,啓示された聖書にもとづかぬ耳新しい教理を唱えるなら,そしてその教理は主なる神が神権制度を通して解明されるものに反対のものであるなら,その人はまつたく立場からはずれているものです。さながら昔の神権社会内に分裂を生ぜしめようとしたために,癩病にかかつたミリアムがイスラエルの天幕外に隔離されたのと同じように,立場からはずれているのです。―コリント前 1:10,新口。民数記略 12:1-16。
16 ヱホバとキリストの『奴隷』として馬具の下にとどまるため,私たちは何をすべきですか。
16 また『上なる権威』であるヱホバ神とその王キリストに従属して奉仕することは,自分の立場を守るすべての者に要求せられています。『ヱホバの奴隷になれ』と聖書は述べています『何をするにも,人にではなく,ヱホバに仕えるように心から働きなさい。あなた方は,ヱホバから正しい相続の報いを受けることを知つているからである。』ヱホバに心から進んで仕える奴隷は,また自発的に『主人であるキリストの奴隷』でもあります。(ロマ 12:11。コロサイ 3:23,24,新世)愛の御心を持たれるこの主人は,そのような者にたいして次の招待の言葉をさしのべています,『私のくびきを負うて,私に学びなさい。……私のくびきは負いやすく,私の荷は軽いからである。』あなた方,新世社会の者たちよ,ここにこそあなた方の正しい立場があるのです。― すなわちキリストの負いやすいくびきの下に入り,彼および彼の制度と共にいつしよになつて引くことです。この神権制度内には,ためらつて差しひかえる為に小突かねばならぬ者とか,いやいやに気の半分無い調子でのろのろついてくる者とか,また正道を飛び越えて自分の道を行く者に対する立場はありません。ヱホバの自発的な奴隷は,一生懸命に働く人,よろこんで働く人,熱心に働く人であり,またそうでなければなりません。彼らはキリスト・イエスやお互同志ともよろこんで組となり,御国の事柄を進歩させる為に自分の心や体,そして自分の才能や体力をことごとく用います。イエスはそういたしました。そして今日のヱホバの証者は「キリストの代り」になる特権を持つているのです。―マタイ 11:29,30。コリント後 5:20,新口。
17 忍耐をして契約を守り,自分の立場を保つすべての人々には何が要求せられていますか。
17 『手をすきにかけてから,うしろを見る者は,神の国にふさわしくないものである。』それで,イエスは重要な原則を語られました,すなわち忍耐こそ勝を得るものだということです。新世社会内に自分たちの立場を保とうと欲するすべての人々に,忍耐は要求せられています。『最後まで耐え忍ぶ者は救われる。』『死にいたるまで忠実であれ。そうすれば,いのちの冠を与えよう。』(ルカ 9:62。マタイ 24:13。黙示 2:10,新口)神権的な任命にともなう責任をひとたび受け入れてからは,その割り当てられた仕事を忠実に行い果すことが要求せられています。途中で止める人になつてはなりません。そのような人はヱホバの是認を受けず,その任命の地位を取りのぞかれます。デマスは『現在の組織制度を愛した』ために,自分の神権的な特権を失い,途中で止めました。イスカリオテのユダも途中で止めた別の人です。彼は生命の立場に戻るいつさいの希望を失いました。この不忠実な者が最後の過越の食事から出て行つた後になつて,イエスはとどまつていた忠実な11人にむかい次の言葉を告げられました,『あなた方は私の試練のあいだ私と共に耐え忍んだ者たちである。それで私の父が御国の契約を私と結んだように私もあなた方とその契約を結ぼう。』契約を破る者たちや,『約束したことに偽りなる』者たちは,途中で止める者と同様であり,『死に処せられるにふさわしい』のですから,契約を守ることは一番重大な事柄になります。―テモテ後 4:10。ルカ 22:28,29。ロマ 1:31,32,新世。
18 それで,新世社会内で私たちの正しい立場を守ると,どんな益のある結果が得られますか。
18 それですから,新世社会内のあなた方よ,みなさん忍耐を保ち,献身の誓に忠実でありなさい。『いのちの言葉をかたく持ち』つづけなさい。手をゆるめて離してはなりません。そうすればあなたは自分の立場を決して失わないでしょう。そして,新世社会に自分の立場を保つことにより,天界にあつてイエス・キリストと交わるにしても,又はこの地上でエデンの園のような完全な状態下にあろうとも,永遠に生きるのにふさわしいものと証明します。―それはみなあなたの永遠の祝福と繁栄であり,そしてあらゆるものにもまして,ヱホバの最もきよい御言葉と御名にほまれと栄光をもたらし,かつ立証をなすものです!―ピリピ 2:15。
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