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  • あなたはいずれの神の証者ですか
    ものみの塔 1964 | 6月1日
    • たちの神であることをそれほど十分に,また明白に認識していませんでした。この点で彼らは霊的に盲目であり,つんぼであって,三位一体の神すなわち同等にして等しく永遠の三つの神から成るひとつの神を崇拝するキリスト教国と似ていました。見ることと聞くことにうとかったのは,彼らが長い間交わり,その中で圧迫され,捕われていたキリスト教国の影響のためでした。残れる者は「エホバの僕」として行動しなかったのです。イザヤ書の前の章(42:18-25)において,エホバはこの事に注意をひき,それが悲しむべき結果になることを彼らに告げられていました。

      23 「みゝしひよ きけ めしひよ眼をそゝぎてみよ めしひはたれぞ,わが僕にあらずや,誰かわがつかはせる使者のごとき みゝしひ あらんや,誰かエホバの僕のごとき めしひ あらんや 汝おほくのことを見れども顧みず,耳をひらけども聞かざるなり エホバおのれ義なるがゆえに大にしてたふとき律法をたまふをよろこび給へり 然るにこの民は掠められ奪はれて,みな穴中にとらはれ獄のなかに閉こめらる,斯てその掠めらるゝを助くる者なく,その奪はれたるを償へといふ者なし なんぢのうち誰かこのことに耳をかたぶけん,たれか心をもちいて後のために之をきかん,ヤコブを奪はせし者は誰ぞ,かすむる者にイスラエルをわたしゝ者はたれぞ,是エホバにあらずや,われらエホバに罪をおかし,その道をあゆまず,その律法にしたがふことを好まざりき この故にエホバ烈しき怒を〔ヤコブに〕かたぶけ,猛きいくさをきたらせ,その烈しきこと火のごとく〔ヤコブの〕まはりにもゆれども彼しらず,その身に焚けせまれども心におかざりき」(文語)

      証人を求める

      24 (イ)エホバの民が奪われたことを,ある人はどのように見ますか。(ロ)従って何が必要ですか。

      24 見ることと聞くことをせず,自分たちの神に従わなかった民がかすめられ,奪われるのを許したエホバは,彼らの神が神でないかあるいは弱い神であって,彼らを迫害し,かすめ,奪う者の神々のほうがエホバよりも強いかの印象を与えました。神の許しによって生じたこの間違った印象を正すときがきたのです。真の神はどの神かという論争を解決して,偽りの神々を沈黙させる時が来ました。法廷を開き,証人を喚問し,全宇宙わけても世界中の国々に傍聴させなさい。あらゆる神々の統一とすべての宗教を包括した崇拝の樹立を求めるかわりに,エホバは神として諸国家の崇拝を受けているすべての神が神であることを自ら証明せよと挑みます。

      25,26 そこでエホバはご自身の民のために何をなさいましたか。この事はどのように預言的に述べられましたか。

      25 献身した神の民がこの宇宙的な法廷において神の代表者となるため,エホバは1919年,バビロン的な宗教組織の捕われから彼らを解放し,霊的な意味で彼らの目と耳を開きました。その年は第一次世界大戦後はじめて,国際的なクリスチャン聖書研究生の大会が開かれた画期的な年です。地上においてエホバを代表する人々が解放されたいま,エホバ神は全地の諸国家を法廷に召喚します。かつて盲目であり,つんぼであったエホバの民は神々の論争において全世界の諸国家と直面しなければなりません。

      26 20世紀のいま,この法廷を開くエホバのご命令は,2700年前の預言者イザヤによって預言的に述べられていました。「目があっても目しいのような民,耳があっても耳しいのような民を連れ出せ。国々はみな相つどい,もろもろの民は集まれ。彼らのうち,だれがこの事を告げ,さきの事どもを,われわれに聞かせることができるか。その証人を出して,おのれの正しい事を証明させ,それを聞いて『これは真実だ』と言わせよ」― イザヤ 43:8,9。

  • その2
    ものみの塔 1964 | 6月1日
    • その2

      1 エホバの挑戦のことばはだれに向けられていますか。

      諸国家に対して次のように言われるエホバはだれのことを意味しておられるのですか。「彼らのうち,だれがこの事を告げ,さきの事どもを,われわれに聞かせることができるか。その証人を出しておのれの正しい事を証明させよ」。エホバのこの挑戦の言葉は諸国家の神々に向けられているのです。これらの神々は証人すなわち彼らの神が預言の神であり,崇拝を受けるべき正しい神であって,偽りの神であるとの非難を自ら一掃できることを証言する証人を求められています。エホバに対する自らの立場をこのような神々に弁明させなさい。

      2 エホバのことばの真実は十分の時間をかけて証明されていますが,キリスト教国の三位一体の神をも含め他のすべての神々について,的をついたどんな質問をできますか。

      2 文字に書かれたエホバのことば聖書は,西暦1世紀の末までに書き終えられました。以来18世紀以上にわたる長いあいだ,み名によって聖書に書かれていたエホバの預言は成就をみてきました。しかしキリスト教国の三位一体の神をも含めて,諸国家の神々はどうですか。この世のあらゆる国の神々の中に,「この事」すなわちエホバが聖書の中で告げられた事を告げ得る神がいましたか。あるいは今いますか。これら諸国家の神は「さきの事どもを,われわれに聞かせる」つまり前以て事柄を告げることができますか。これらの神々は過去において預言し,預言は成就しましたか。これらの神々は現在の困難な時代について預言しましたか。西暦1914年以来の世界の出来事また状態は,これらの神々が真実を語ったこと,また真実の預言の神であって預言を成就させる力を持つことを証明していますか。

      3 これらの神々は何をするように求められていますか。

      3 これらの神々に諸国民の中から証人を出させなさい。30億に余る世界の人々の中から,必要とする二,三人の証人を出して,これらの神々が真の神であることを証明するのは,たしかに可能でなければなりません。これらの証人をして,神々の聖典の述べることに耳を傾けさせなさい。それは彼らの神の預言を指して,「『これは真実だ』。我々の神の真実は証明された」と言うためです。

      4,5 (イ)諸国民の神々のうち,その神なることを証明する証人を出せる神は,いくつありますか。(ロ)エホバはいま何と言われますか。

      4 しかし問題の多いこの世界のただ中にあって,これらの神々に関し「これは真実だ」と証言する証人がどこにいますか。どの神が諸国民の現在の悩みを少しでも前以て預言し,また説明し,その成行きを告げましたか。この事の証人を出せる神はありません。地上の証人の提出する証拠によって義と宣言される神は,これらの神々の中にありません。しかし神であることを証明するこれらの事柄をすでに行なったひとりの神があります。神々を裁く法廷のご自身の証人にむかって,この神は言われます。

      5 「エホバ宣給はく,なんぢらはわが証人わがえらみし僕なり,さればなんぢら知りて我を信じわが主なるを悟りうべし,我よりまへにつくられし神なく我よりのちにもあることなからん ただ我のみ我はエホバなり,われの外にすくふ者あることなしわれ前につげ,また救をほどこし,また此事をきかせたり,汝等の中には他神なかりき,なんぢらはわが証人なり,われは神なり,これエホバ宣へるなり」― イザヤ 43:10-12,文語。

      6 真の神の証者となっているのはだれですか。またどのように証者とされましたか。

      6 この霊的な裁きの場所でこのように証人となっているのがエホバの証者であることは全く明白であり,そのことに疑問の余地はありません。単にエホバの証者の名を使い,その一人であると公言したところで,人は正真正銘のエホバの証者になるわけではありません。1931年,オハイオ州コロンバスに集まった,献身したクリスチャン聖書研究生は正式の決議によってこの名を採用し,以後,全世界のクリスチャン会衆は同じ決議を採決してこの名で呼ばれることを公に表明しました。今日エホバの証者として知られている人々の会衆は194カ国にあり,その数は2万2761に上ります。この名に関する決議を採決したからといって,それだけの理由でエホバの証者になったわけではありません。エホバはご自身の証者を選びます。そして選ばれるために,人は神の要求にかなうことが必要です。

      7 人が真の神の証人であることは,どのように証明されますか。

      7 証者は新しい契約の仲保者イエス・キリストを通してエホバ神に全く献身していなければなりません。それは霊的イスラエルの一人になるためです。そのことのためにエホバの証者となる責務が生じます。彼らはエホバの名で呼ばれ,その名を負う人々だからです。しかしみ名を証言し,信仰のわざを行なって真実にエホバの証者であることを証明しなければなりません。1931年以前に,これを証明し人々がありましたか。

      8,9 (イ)これに疑いのある人は何をすることができますか。(ロ)エホバの証者がイザヤ書 43章10節を勝手に解釈して自分たちに適用したという非難は,なぜ間違っていますか。

      8 疑いを抱く人があれば,1919年以降とくに1926年から,この名の採用された1931年7月26日に至るまでのエホバの証者の歴史をしらべてごらんなさい。献身してバプテスマを受けたこれらのクリスチャンは,証者となるためのエホバのご要求にかなっていたことがわかるでしょう。政治問題に関する本を書いた有名なジャーナリスト,ウォルター・コラーツは「ソ連の宗教」と題する本の338頁から344頁に,エホバの証者を根絶やしにしようとする共産主義ソ連の企てを書いており,まず初めに次のことを書いています。

      エホバの証者という名は1931年から用いられている。この派の者はこの名の由来を,勝手に解釈したさまざまの聖書の句とくにイザヤ書(43:10)の句「主のたまはく,なんぢらはわが証人わがえらみし僕なり」に求める。これが「エホバのたまはく,なんぢらはわが証人なり」に変えられている。イエス自身,「エホバのおもな証者」であった。1931年までこの派の人々は,聖書研究生,ラッセル派など,いろいろな名前で呼ばれていた……

      9 しかしこの点でエホバの証者はコラーツのいうように「さまざまの聖書の句」を「勝手に解釈」しているのではなく,また「主」という表現を「エホバ」に変えたわけでもありません。エホバの証者は300年以上前の1611年に出された欽定訳すなわちジェイム王訳のかわりに,アメリカ標準訳,ロバート・ヤングの直訳聖書などの現代訳を使っただけです。これらの現代訳は神のみ名を正しく訳しています。

      メシヤの証人

      10 真のクリスチャンは,他にどなたのためにも証人となりますか。

      10 今日のエホバの証者ように真実のクリスチャンがイエス・キリストの証人になるべきことは明らかです。昇天の直前,イエスは弟子たちにむかって,「あなたがたは,これらの事の証人である」と言われ(ルカ 24:48),また「あなたがたは……エルサレム,ユダヤとサマリヤの全土,さらに地のはてまで,わたしの証人となるであろう」と言われました。(使行 1:8)また聖書の最後の本の中でも,真のクリスチャンは「神の戒めを守り,イエスのあかしを持っている者たち」と呼ばれています。(黙示 12:17; 1:9; 19:10; 20:4)ゆえに1931年以後においてさえ,エホバの証者はイエスのことを証してきました。それは「神の戒めを守」ることです。

      11,12 (イ)エホバの証者はなぜエホバとイエスのおふたりについて証ししなければなりませんか。(ロ)イエスは何で油そそがれましたか。どなたによって?

      11 しかし聖書の最後の本の中で筆者の使徒ヨハネは,クリスチャンである自分について「ヨハネは,神の言とイエス・キリストのあかしと,すなわち自分が見たすべてのことをあかしした」と述べています。(黙示 1:1,2)真のクリスチャンは神とキリストすなわちメシヤの両方について証ししなければなりません。キリストあるいはメシヤの称号は「油そそがれた者」を意味するという事実を忘れないで下さい。だれかが油そそがれるには,油そそぐ者がいなければなりません。従ってイエス・キリストについて十分に証しするためには,油をそそいでイエスをキリストすなたちメシヤにしたかたについて証しすることが必要になります。油そそがれたものと,油そそいだものの両方を証ししなければなりません。ではイエスに油をそそいだのはどなたですか。また何によって油をそそぎましたか。油をそそいだかたについて,イエスご自身が述べています。ユダヤ人の会堂でイザヤ書を手渡されたとき,イエスは61章1,2節をヘブル語で次のように読みました。

      12 「主エホバの霊われに臨めり,こはエホバわれに膏をそそぎて貧しき者に福音をのべ伝ふることをゆだね,我を遣して……エホバのめぐみの年……を告しめ〔る〕なり」。(イザヤ 61:1,2,文語)ヘブル語で書かれたこの句の中には神のみ名がヘブル語でしるされています。〔יהוה〕この句を読んでのち,イエスはユダヤ人に語りかけ,「この聖書は今なんぢらの耳に成就したり」と言われました。(ルカ 4:16-21,文語)こうしてイエスは,主エホバから聖霊によって油そそがれたことを公に述べました。地上のイエスが天からの聖霊で自分自身に油をそそいだのではありません。3年半ののち,イエスは天からの聖霊によって弟子たちにバプテスマを施しました。しかしイエスは霊によってご自身に油をそそいだのではありません。その事を行なわれたのは主エホバです。またイエスの言われた通り,主エホバがイエスを遣わして宣べ伝えさせ,「エホバのめぐみの年を告」げさせました。ゆえにイエスとエホバは同じかたではありません。エホバは遣わし手,イエスは遣わされた者であり,エホバは油のそそぎ手,イエスは油そそがれた者すなわちメシヤです。

      13 イエスはどなたの証人でしたか。イエスはこの事をどのように証明されましたか。

      13 イエスはご自身に油をそそいだ主エホバのことを常に証ししました。イエスは生まれたときからエホバの証者となる責務を持っていました。ユダヤ人の処女マリヤから生まれたイエスは,神が預言者イザヤによって「エホバのたまはく,なんぢらはわが証人わがえらみし僕なり」と言われた国民の一員であったからです。(イザヤ 43:10,文語)ローマの総督ポンテオ・ピラトの前で生死を決する裁きを受けたとき,イエスは言われました,「わたしは真理についてあかしをするために生れ,また,そのためにこの世にきたのである」。(ヨハネ 18:37)だれの真理についてあかしをするのですか。使徒たちと共にした最後の祈りの中でイエスは天の神に祈り,「真理によって彼らを聖別して下さい。あなたの御言は真理であります」(ヨハネ 17:17)と言われました。それは主エホバの真理でした。

      14 証者であるイエスについて,ヨハネは何と述べていますか。

      14 聖書の最後の本の中で使徒ヨハネがイエス・キリストを指して次のように述べているのは全く理にかなったことでした。「忠実な証人,死人の中から最初に生れた者,地上の諸王の支配者であるイエス・キリスト……わたしたち

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