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  • その31 御国活動の40年終りてその50年目に入る
    ものみの塔 1956 | 11月1日
    • れています。つづいて1954年10月1日,金曜日,この会館を用いて,協会の総会がひらかれ,会長がその司会をしました。大講堂には500名を収容できますが,この日の出席者は820名であつたので,建物の地階の小講堂にも人々は坐りました。

      神の御国が建設されて,敵の真只中で統治を開始してから,50年目の最初の年は,1955年です。この年の初期の頃に,有名な法律事件が起きています。それは,1月7日,スコットランドのエデンバークにおいて,ロード判事による判決でした。この裁判所の見解によると,ヱホバの証者は宗教団体であるが,協会の開拓者や会衆の僕たちは,1948年制定のイギリス兵役法の適用をうけ得る宗教の『正規の宣教者』ではないというのです。この判決のうちの不当なる部分の再審を上訴しましたが,エデンバークの高等刑事法規の3名の判事は,下院と同様,証者に不利な判決を下しました。それは,1955年7月21日のことです。ここにおいて,協会は,イギリス帝国の最高裁判所である,ロンドンの議院に,この上訴をしております。しかしながら,アメリカのワシントン地区の最高裁判所は,1955年3月14日,ヱホバの証者の3件に有利な判決を下しました。それによると,ヱホバの証者は,この世の実際の武器を取る戦争には,良心的理由から反対するが,この世の戦とは異る『神権の戦』すなわち,神の命ずる戦には,進んで参加するものであることが認められました。これらの理由をもつて,兵役を拒んだが故に有罪を問われていた3名の証者は,無罪になりました。ニュースの電報とかラジオによると,ポーランドにおいて5名のヱホバの証者は,アメリカからのスパイとの嫌疑をかけられ,1955年3月には,幾年もの刑を宣告され,投獄されました。まことに,マルコ伝 13章9節とルカ伝 21章12節とは,この『終りの時』に成就しています。

      御国伝道者の野外活動上の規範として,64頁の新しい冊子,『親密一致の伝道』は,1955年1月1日に発表されました。文書の出版を促進するため,とくに雑誌の印刷増加を図つて,ものみの塔協会は,同年の春,新しい工場の建設を開始しました。ブルックリンのこの13階建の工場は,現在の9階建の工場の道路向いに建てられています。この世の全宗教制度への審判として,『キリスト教国それともキリスト教 ―「世の光」はどちらですか?』という題のもとに,厳しい音信が発せられました。1955年4月3日,日曜日,この音信は,せきを切つた水のように,世界にひろがつて行きました。全世界の各地の講演者は,一齊に同じ題の講演をしました。実に30の国語でなされております。講演の終りにあたつて,講演と同じ題の32頁の新冊子が講演者により発表され,出席者全部に1冊ずつ無料で配布されました。1955年2月10日附の会長の手紙によると,この冊子は,10ヵ国語で1000万冊も出版する準備がされましたが,協会の支部は,この音信をひろめることに熱心に働いた為,30ヵ国語で,2100万冊以上も印刷されました。

      公やけに新冊子を配布することは,講演終了直後から開始され,幾千人という新しい人々は,初めて,伝道を始めました。このため4月中に,62万5256名という伝道者の新最高数をもち得ることができました。沢山の人々は音信をきき,励まされ,親切な招待をうけて,4月7日,木曜日の晩には,前例のない大多数の人々は,主の晩餐の式に出席しました。全出席者数は87万8303名でしたが,天的御国級の残れる人々である1万6815名のみが,パンとぶどう酒にあずかりました。4月及び5月に,新しい冊子は88の国々で配布されつづけ,僅かの2ヵ月のあいだに天文学的数字の冊子は人々の手に渡りました。ヱホバの証者の証言が禁止されている国々 ― たとえば,ドミニカ共和国,アルゼンチン,スペイン,ポルトガル,東ドイツでさえも,この冊子は配布されました。この『電撃的』配布をなしていた4月は,1月以来の『ものみの塔』予約運動の終る月でした。この1月から4月までの特別運動中には,40の国語の56万2228の新予約は得られています。

      つぎに,13の都市で『勝利の御国大会』が世界の注視のうちに開催されていました。60ヵ国以上からの幾千幾万のヱホバの証者は,全部を自費で,それぞれ13の都市へ旅行していました。5日間の大会は,同一のプログラムにしたがつて進められ,大会の最高潮として,協会の会長又は副会長の話した公開講演がありました。その題は,『神の御国の世界支配は近し』です。この連続大会は,週毎に,都市から都市へと移つて行きました。一番最初に行われたのは,6月22日のイリノイ州シカゴ大会で次に,カナダのバンクーブァー,カリフォルニアのロス・アンゼルス,テキサスのデァラス(スペイン語と英語)ニューヨーク市のヤンキー野球場(今回は第3回目)でひらかれています。次に,大西洋を越えて,イギリス・ロンドンのツウイクケンハム,フランスのパリー,イタリのローマ(パリーの最後の3日間と重なる)ドイツのニューレンベルク,ドイツのベルリン(ニューレンベルクの最後の3日間と重なる)へと,大会はつきづきに開催されました。つぎの大会は,スエーデンのストックホルムとネーデルランドのヘーグの2ヵ所で同時にひらかれ,8月25日から28日には,フィンランドのヘルシンキで,連続大会の最後の大会は,開催されました。北アメリカから大西洋を越えて,ヨーロッパの国々へと大会が移つたとき,4500名以上の証者は旅行をし,アメリカの歴史上でもその例のない大移動を行いました。

      大会中,公開講演は,9ヶ国で9ヵ国語で行われ,聴衆の総合計は,40万3682名の多きに達しました。洗礼をうけた者の総計は,1万3016名です。大会のあいだ,新しい文書は流れのように世界へと流れ出て行きました。それらは,『ヘブル語聖書新世訳の第二巻』『奉仕者になる資格』『「死後の生存」の聖書的研究』『ハルマゲドンを生き残つて,神の新しい世へ』講演会の話『神の御国の世界支配は近し』などです。『キリスト教国それともキリスト教 ―「世の光」はどちらですか?』の冊子は,4月から,かつてない程に広範囲に配布されていましたが,大会の終了後,各国において,宗教界の牧師や宗教書を出版している編輯主任にあて,ヱホバの証者によつて,郵送されました。冊子をうけとつた人々の反応は,さまざまで,あるものは憤激し,または悲しみ,あるものは,ある程度の賛意を表わし,または,感謝しております。

      8月のおわりにおいて,1955年の奉仕年度は終りました。どのようにですか。新世社会とその活動の拡大とは,目ざましいものでした。伝道者数の月平均は158の国々で,57万694名へと上昇しており最高数は64万2929名にまでも達しています。合計6万3636名は洗礼されました。野外奉仕の時間合計は,8582万3250時間で,聖書,書籍,冊子,雑誌,パンフレットの配布も,それぞれよい増加を示しています。また,本奉仕年度中にヤンキー野球場では,ギレアデのものみの塔聖書学校の卒業式が行われました。ギレアデの学校は,1943年の2月1日に創設されていますが,今回の102名の卒業生は第25回生にあたります。ヤンキー野球場で卒業式が行われたのは,これで3回目です。1956年2月12日,日曜日ギレアデの第26回生,106名は,ギレアデの地で卒業式をしました。ギレアデ卒業の宣教者は,全地の100余の国々,島々に出かけて,伝道しています。これら宣教者に加えて,ものみの塔協会は,多くの国々で沢山の特別開拓者を増し,『他の羊』を集める業に拍車をかけています。

      1956年の奉仕年度では,制度のより円滑な運営を目指して,いろいろの進歩がすでに見られています。全世界を10の地帯に分割し,協会の77の支部は,この10の地帯のいずれかに属します。各10の地帯は,それぞれ『地帯の僕』が奉仕します。1956年の1月1日,最初の地帯の僕は,支部を検査する,この地帯の僕の仕事を始めました。2月29日,協会の会長は南太平洋と極東方面の協会支部事務所を訪問するため,10週間の旅程で,ブルックリンを出発しました。会長は,証者の大会や会衆やまた一般公衆に,『創造主の下に,すべての人類をひとつとなす』の講演をいたしました。

      今日に至るまで,ヱホバの証者は,近代歴史で,不滅の,永久につづく記録を樹立してきました。ヱホバの証者はハルマゲドンに至るまでも,その伝道を続けますから,この記録は,ますますつけ加えられることでしよう。またヱホバの証者は,すべての讃美と崇拝を,生ける真の神にのみ捧げており,全能の神に奉仕できることをこの上ない特権と考えております。

  • 良い業の富を示す
    ものみの塔 1956 | 11月1日
    • 良い業の富を示す

      いまだ曾つてない程に,この世の人は物質の富を自分の目標にしています。しかしそのようなことを求めるのは,二つの面で無益なものである。と聖書は示しています,『富むことを願い求める者は,誘惑と,わなとに陥り,また人を亡びと破壊とに沈ませる,無分別な恐ろしいさまざまの情欲に陥るのである。』まつたく物質の富を求めるなら現在においても平和と幸福が得られず,将来においても生命が得られません。―テモテ前 6:9,新口。a

      賢明な道は,それとは反対のことをすることです,つまり与えることに富むように努め,『良いわざに富む』ことです。そうするなら「真の生命を得るために,未来に備えて良い土台を自分のために築き上げる」ことができます。良い業の富は,私たちに真の生命を得させるだけでなく,現在でもたくさんの祝福を私たちに与えます。なぜなら,『施しを好む者は肥え,人を潤す者はまた利潤をうく。』― テモテ前 6:18,新口。シンゲン 11:25。

      それではどんな種類の業ですか。単に良い業というものではありません。イエスの言葉によると,裁きの日に或る人々は「イエスの名によつて大いなる業をなした」と主張しますが,イエスは「彼らを認めない」と言います。神に認められる業とは,イエスが主として為された業,すなわち御父に誉をもたらす業です。イエスは,御父の名を知らせると共に,善意者に御国の良いたよりを伝道することによつて,その業をいたしました。イエスの行つた奇跡は,真理の伝道に附随してなされたものである,とイエス御自身も示されています。―マタイ 7:23; 24:14。ヨハネ 6:26,27,新世。

      もちろん,この種類の正しい業の富を示す以前に,私たちはヱホバと御子の知識,すなわち神の目的と御国についての知識を得ねばなりません。それから訓練計画を利用することも必要です。それは,私たちが熟達した伝道者になるためです。その業に巧みなる者だけが王ヱホバとキリストの御前に立つことができるでしよう。私たちの目標は,神の言葉を正しく取扱い,また全き備えをなしてあらゆる良い業に十分の準備を整えることにより神の是認を頂くことでなければなりません。―ヨハネ 17:3。テモテ後 2:15; 3:16,17,新口。

      業の質の向上を努めるだけでなく,業の量をも増さなければなりません。仕事はたくさんですが,する人は少く,そしてする時間は僅かだからです。そのわけで,『御言葉を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもそれを励み』なさい。この業についての正しい理解を得ると,この業をすることが全く爽快に感ぜられます。そして,もう口をつぐむことができなくなります。エレミヤと,ヨブの真の友であるエリクの両人も,そのことを知りました。―テモテ後 4:2,新口。エレミヤ 20:9。ヨブ 32:20。

      肉のことを思えば,それは死を意味します。しかし霊のことを思うならば,それは平和と生命を意味します。それですから,物質主義の罠に陥ることは全く愚かなことです! 良い業の富を示しつづけて行きましよう。そうするならば,現在においても平和とよろこびが得られ,かつ神の新しい世では永遠の生命を楽しむことができるのです。―マタイ 6:24。ロマ 8:6。

      [脚注]

      a 詳細は1955年11月1日号の『ものみの塔』をみなさい。

  • 忠実な伝達
    ものみの塔 1956 | 11月1日
    • 忠実な伝達

      ミラー・ブロース著『死海の巻物』(英文)という新しい本は,これらの巻物によつて現在の聖書は変更されるであろうか,という疑問をとりあげています。著者は,強く『否』と答えています。ブロースの言葉によると,イザヤの写本もハバククの写本も,全く次のことを証明しています。すなわち『聖書に表われている神の重要な真理と意志は,……写本の伝達にいろいろの変遷がありながらも,変ることなく保存されてきた。』

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