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りっぱな行状 ― 強力な証言を行なうものものみの塔 1973 | 6月15日
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でした。勉強の機会をとおしてその証人をいっそうよく知るようになった時,生活に対する彼女の見方全体が他の人と異なっていることがわかりました。彼女は非常にしっかりしており,幸せで,満ち足りているようでした。道徳的に清い生活をし,学校の課外活動には加わりませんでした。
「しばらくして,わたしのふたごの姉妹は勉強をやめましたが,わたしは続けました。その姉妹はいつもわたしの意気込みをくじこうとしました。わたしにとってそれはとてもいやなことでした。兄も,特にわたしの服装の変化の傾向に気づいた時,それに反対してわたしをがっかりさせました。父でさえ,わたしが深いりしないように絶えず気を配っていました。
「時を経るにつれて,エホバの証人と世とのあいだの違いがさらによくわかるようになりました。たとえば,初めて出席した地域大会で,わたしは証人たちの着ているスカートや服の慎しみのある長さと,一般の世の中の人が着ている服と同じ,わたしの服の長さの違いにほんとうに気づき始めました。事実,そのことで非常に当惑したわたしは,大会の最終日には一日中,自分の服を隠すためにエプロンをつけていました」。
今では,その少女は学校で会った証人といっしょに,開拓者として全時間の奉仕に携わっています。また,学校で他の人と異なっている人,すなわちすべての面にキリスト教の精神を反映している人を見いだしたことに感謝しています。
明らかに,クリスチャンのりっぱな行状は強力な証言となり,聖書の真理の公の宣布に重みを添えます。このことは,真のクリスチャンに,神と隣人への愛に動かされていつでもりっぱな行状を保つよう,いっそうの励みを与えるものではないでしょうか。
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アルゼンチンにおける巡回活動ものみの塔 1973 | 6月15日
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アルゼンチンにおける巡回活動
● 「アルゼンチンのミシオネス地方は巡回監督にとってひとつの挑戦となりました。妻のドラとわたしがそこを訪問した時,ほとんど道路がなく,輸送機関もほとんどありませんでした。わたしたちはしばしば,この地方で走っている小型ながらスピードの出るバスを利用して旅行しました。手前の丘を下り,それから,うなり音をたてながら次の丘を登り,また下ります。わたしたちは,突然の吹き降りによくみまわれたものです。視界はきかなくなり,バスは道路で横すべりをします。ただ運転手の経験だけが,大きな事故をふせいでいました。突然バスは,みぞのきわで止まり,はっきりとした口調で命令が聞こえました。『男の人は全員,外に出て押してください!』。作業衣を着ているかどうかは尋ねられません。すぐに乗客は,くつを脱ぎ,ズボンをまくり上げて,女性と子どもまた荷物を乗せたまま,みんなで力いっぱい押しました。そうです,巡回監督も押すことに加わりました。目的地に到着した時,彼はあまり身ぎれいとは言えませんでした。しかしこの地方では赤い泥はなじみ深いものです。それは彼らの生活の一部であり,そうした汚れをあまり気にかけていません。わたしたち自身,同じ物質,つまり土でできているということを考えるとなぐさめが得られます」。―「1972年のエホバの証人の年鑑」から。
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