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  • 将来に備えて建てる ― オランダにおいて
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1978
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  • 献堂式のプログラム
  • 拡張された設備
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1978
塔78 7/15 29–31ページ

将来に備えて建てる ― オランダにおいて

1977年11月5日,この日は,アムステルダムにあるエホバの証人本部のベテル家族にとって,すばらしい日でした。オランダ各地から,エホバの証人の珍しいグループがやって来ました。アムステルダムのベテル・ホームに隣接した王国会館や発送部門に集まった幾百人もの白髪の兄弟姉妹たちを見るのはなんと壮観なことでしょう。それらの兄弟姉妹たちはなぜここにやって来たのでしょうか。

その集いは,ベテル・ホーム新館の献堂式でした。1941年以前にバプテスマを受けた人々すべてが招待されました。これら老齢の人たちは,オランダにおけるクリスチャン組織の中核として,初期のころ王国宣明の業に率先した人たちでした。周囲を見回し,これら老齢の兄弟姉妹たち全員の喜びに輝く顔を見るのは,なんとすばらしいことでしょう。手足の不自由な人,車いすに乗った人も幾人かおり,他の人々は老齢で体が曲がり,つえを持って歩く人々も多くいました。それでも皆ここに集まって来たのです。

その人たちの言葉を聞いてみましょう。「兄弟たち,今日は私にとってすばらしい日です。1940年に私は,レイルサム[オランダ]の最初の開拓者ホームの家族の一人でしたが,当時幾らかの文書を配布するまで,食物を買うお金もなかったということをご存じでしょうか」。「私は,古い取決め[会衆の長老たちが投票によって選ばれていた]の下で長老でした。そうした“選出された長老”制が廃止になった時,私も取り除かれました。そして私は会<カンパニー>のしもべ[主宰監督]になりました。ずい分年を取りましたが,私は今霊的な長老です。そして,生き長らえてこの日を見ることができたことをエホバに感謝しています」。これらが,親愛なる年長の兄弟たちから聞かれた典型的な言葉です。もちろん,熱心に働いた建設関係の人たちも大勢出席し,喜びに満ちた人々の数は,789名に達しました。

献堂式のプログラム

献堂式のプログラムの最初の部分は,文字通りの建設計画が,幾千人もの人々の生活における霊的な建築,つまり「神とともに働く者」としてクリスチャンのあずかる業の結果である,というふさわしい主題で始められました。(コリント第一 3:5-9)1891年にものみの塔聖書冊子協会の初代会長C・T・ラッセルがオランダを訪問した時,当地の霊的建築の業に対する見通しはあまり明るいものではありませんでした。ラッセルは,オランダ人は霊的な事柄より,物質の追求にもっと深い関心を持っていると述べました。しかし,どんなことが起きたでしょうか。幾人かの四散した人々によってまかれた種の発芽は,当時働いていた強い宗教的分子によって妨げられることはありませんでした。「良いたより」を宣明する業は,成長し始めました。

1924年には,わずか50名の人々がオランダにおけるエホバのしもべたちの全国大会に出席していました。1927年中に,フランスから来た二人の兄弟がオランダ南部で弟子を作る業に着手しました。しかし1932年に,数人のドイツ人の開拓者たち,つまり全時間の王国宣明者たちが,オランダとの国境を越え多くの種をまき始めたため,この業は勢いを増しました。オランダ人の最初の開拓者たちや他の初期の働き人たちが,そうした人々に加わりました。もちろん1930年代の経済危機は,生活を非常に苦しいものにしました。献堂式のプログラムの一部として数人の開拓者は,自分たちの経験を楽しそうに語り,そうした窮乏時代には,“乾いたパンの上に乾いたパンをのせた”だけのサンドイッチを食べたこともあると述べました。

しかしエホバは,そうした熱心な努力を確かに祝福されました。成長を抑えることはできませんでした。第二次世界大戦のけんそうが鎮まり,ナチ強制収容所の残忍な圧制が終わった時,2,184名のエホバの証人が身を起こしました。勇敢にもそれらの人々は,忠実を保ちながら前進しました。10年後には,この国に9,000人以上の証人がいました。それから20年後の1975年には,2万9,000人が「王国のこの良いたより」を喜んで宣明しています。―マタイ 24:14。

拡張された設備

文字通りの建物の拡張は,こうした霊的建築の業において立派な,また必要な役割を果たしました。エホバの証人の統治体の成員である,献堂式の講演者ロイド・バリーは,この建物は,建てる者たちとオランダにおける霊的土台を据えた人々の業をエホバが祝福されたゆえに建っていると指摘しました。バリーは,乾いたパンの“サンドイッチ”を食べた忠実な人々に言及し,世界中のエホバの証人の中にあるこの同じ自己犠牲の精神が,すばらしい増加をもたらしたことを指摘しました。建築に携わった人たちがみな専門家だったわけではありませんが,だれもが喜んでする心を抱いていました。―詩 110:3。

ここアムステルダムの工場見学に皆さんをご案内するとすれば,この新しい工場から始めるでしょう。広くて新しい増設場所には,二台の印刷機と小型ライノタイプが見えます。この新工場に雑誌を印刷する輪転機が設置されることを知って,私たちはどんなにかうれしかったことでしょう。

次の行き先は,文書その他の品物を保管するための広い地下室です。新館は底土に深く打ち込まれた190本の鉄柱に固定されています。地下室の床は,実際には地下水面より数メートル下にあり,一定の高さで“浮く”のに丁度良い重量となっています。明らかに,こうした建築工事には熟練した腕まえが求められました。元の建物の小さい方の地下室には,人の出入りできる大冷蔵室や,近代的な肉類加工室が設置されました。建物の各階には新しい寝室が増築されました。これで寝室の数は37となり,現在のベテル家族と訪問客のために十分な部屋数となりました。新しい部屋や事務所や廊下に敷きつめたカーペットは,周囲をいっそう快適なものにしています。このような建物に住めることは,本当に喜びです。皆さんがこの建物を見学なさるよう心からご招待いたします。

新しい設備に対する深い感謝と,さらになすべき業への期待を抱いて,アムステルダムのベテル家族は,次のように述べた献堂式の講演者の言葉に同意します。「この建物と新館は,エホバの祝福のしるしであり,エホバのみ名にほまれとなるよう,さらに多くの業がなされねばならないことを示すものです」。

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