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    ものみの塔 1985 | 7月15日
    • “花の島”で開花する王国の真理

      カリブ海の暖かく青い水に浸され,涼しく穏やかな貿易風に吹かれるマルチニク島は,楽園のような所が今あるとすれば,そのどの場所にも劣りません。カリブ原住民は,西インド諸島のこの1,100平方㌔の島のことを適切にもマディニナ,つまり“花の島”と呼びました。この島では,ブーゲンビリアの鮮やかな紫や赤がアオギリの真紅やクロトンの玉虫色と入り交じっています。島全体に様々な色の織り成す見事な調和が見られ,目もくらむほど壮観です。

      王国の真理の開花

      その色とりどりの花のように,現在エホバの証人の24の会衆がこの島の至るところで栄えています。人口10万人の首都フォールドフランスにはそのうちの八つの会衆があります。しかし,このような繁栄がもたらされたのも35年以上前に植えられた王国の真理の種を神が祝福してくださったおかげです。

      1949年に,ものみの塔ギレアデ聖書学校の卒業生4人が初めて王国の真理の種をまきました。土地の当局者はわずか2年間の滞在許可しか出しませんでしたが,4人はその間ずっと,「島々もわたしを待ち望み,わたしの腕を待つであろう」というエホバの約束に信頼を置いて,ひたすら種をまき,水を注ぎました。―イザヤ 51:5。

      そのようにしてエホバに信頼を寄せたことは報われました。エホバの腕が短過ぎるようなことはないのです。1954年に一組の夫婦がフランスからマルチニク島にやって来ました。全時間奉仕者のザビア・ノルとサラ・ノルです。熱心な働きとエホバの祝福により,王国宣明者の数は増加して,1963年には138人になっていました。1976年には1,055人の人がこの“花の島”で良いたよりを忙しく宣べ伝えるようになりました。

      1984年には王国宣明者の数が7か月連続して増え続けました。正規開拓者の数は19人から44人へと増加し,4月には491人の人が補助開拓奉仕を行ないました。その年にはそれまでで最高の1,635人が良いたよりをふれ告げる業に携わりましたが,この数は島民約200人に一人の割合になります。確かに,イザヤが予告したとおり,『海の島々の中で必ずエホバがたたえられる』のです。―イザヤ 24:15。

      支部の献堂

      マルチニク島における王国の真理の開花は1984年の8月22日に一つの頂点に達しました。フランス,カナダ,フランス領ギアナ,グアドループ島,米国から招待された2,000名ほどの人々が,マルチニク島のものみの塔協会の新しい支部事務所およびベテル・ホームとなる4階建ての美しい建物の献堂式のために集まりました。

      午前中に沢山の霊的なプログラムが組まれていました。初めにノル兄弟がこの島における宣べ伝える業の小さな始まりを振り返る話をしました。聴衆は最初の宣教者たちがそのときそこに出席していることを知って感動しました。

      その次のプログラムは建設に関する報告で,宣教者であるフォースティニ兄弟によって扱われました。2年半にわたって40人の兄弟が専従でその建設計画のために働きましたが,週末にはいつも100人から200人の自発奉仕者が地元の諸会衆から手伝いにやって来ました。専従奉仕者の中には,カナダ,フランス領ギアナ,グアドループ島,フランスから,しばらくの間仕事や家や友人や親族を離れてやって来て建設を助けた兄弟たちもいます。そのうちの数人の兄弟には,この分野で王国の拡大にあずかれた特権に対して感謝の言葉を述べる機会が与えられました。

      午前のプログラムの最高潮は,「エホバの組織と共に前進する」と題する力強い話でした。その話はエホバの証人の統治体の成員であるJ・E・バーによるもので,神のご意志を成し遂げるために一致して働き,前途にある事柄に向かって進む必要性が強調されました。マルチニク島において王国の真理が広まり,開花していることから分かるとおり,この島のエホバの証人たちは確かにそうしてきました。

      報道機関は熱意をもって取材し報じました。テレビ放送は当日の出来事を一般の人々に知らせました。フランス・アンティル紙は,その建造物の見事な出来栄えは「立派に仕事を成し遂げたいという情熱」を反映していると述べ,その建物のことをその分野の専門家たちが綿密に調べて学ぶ価値のある「建築の傑作」と呼びました。

      もてなしの精神に富む人々

      マルチニク島に人々を引き付けるのは,“花の島”というその評判だけではありません。友好的で,もてなしの精神に富んだこの島の人々の間では,訪問者を家に上げ,話に耳を傾け,帰る前に必ず何かを与えるのが習慣のようになっているのです。今日,人々は昔よりも忙しく生活してはいますが,それでも話をしたり聴いたりする時間を取ります。ですから,宣べ伝える業は本当に楽しいものとなります。ノル夫妻はマルチニク島で宣べ伝える活動を始めた最初の日に,正にそのような経験をしました。

      ノル兄弟は思い出をこう語っています。「もちろん私たちは人々からどのように迎えられるのかを是非知りたいと思いました。でも実際に経験した事柄は期待をはるかに上回っていました。その日の午前中,妻と私はかばんに聖書文書を補充するために二度も家に戻らなければなりませんでした。それが神について書かれた文書だと知ってすぐに受け取る人もいれば,私たちが訪ねて来たというだけの理由で文書を求める人もいました。そのようなもてなしの精神に触れると人は大いに鼓舞されます。他の場所では人々が忙しくしているため長居はできないというのに,ここではできるだけ多くの人を訪問するためにあまり長く引き留められないようにしなければならないのです」。

      ある旅行する監督の経験したことは,この島の人たちがどれほどもてなしの精神に富み,寛大であるかを示しています。その旅行する監督はこう語りました。「兄弟たちは自分の持っているものを分け合うことにためらいを感じるようなことはありません。ある日,あるご夫婦が私たちを夕食に招待してくださいました。水道も電気もない一部屋だけのその小さな家に入った私たちは,目にしたものに驚きました。そこには一つの小さなテーブルが置かれていて,その上にはお皿が2枚しかありませんでした。『どうして二つだけなのですか』と尋ねてみました。その人たちのわずかな収入では2枚の皿と2本のフォークと2本のスプーンしか持つことができなかったのです。そのご夫婦は,私たちが終わったらすぐ自分たちも食事をするつもりだと言いました。このご夫婦のことを思い起こすといつも目頭が熱くなります」。

      神の言葉に対する愛

      マルチニク島に住む人々の多くは聖書に対して深い敬意を抱いています。詩編のところを開いたかっこうで聖書が目立つようにテーブルの上に飾ってあることがよくあります。人々は自分の外出中に聖書が家を守ってくれると信じているのです。もちろん,真理を知るようになった人はもはや聖書をお守りとみなしたりせず,人類に対する神からの音信とみなします。

      地元の学校の校長をしていた女性の場合がそうでした。その人は偶像崇拝について聖書が述べている事柄を知ったとき,持っていた宗教的な像をみな壊しました。(詩編 115:4-8。コリント第一 10:14)その人が自分の“聖人たち”を処分したことが近所の人たちに知られるや,そのニュースはたちまちその小さな町の至る所に広まりました。騒ぎは大きくなり,地元の司祭が説教壇から怒って述べた言葉がそれに拍車をかけました。しかし,それでもその人は真理を擁護することをやめませんでした。75歳になるこのエホバの証人は今でも島の自分の区域で熱心に真の崇拝の花を咲かせています。

      孤立した区域に住むある若い男の人は,手紙でエホバの証人と聖書研究を始めました。それからすぐに巡回大会に出席したその人は,聞いた事柄に大変感銘を受け,自分の町に戻ってから友達全員にそのことを話しました。その人はその町の教会の鐘を鳴らす人でした。友達の一人は,その人がごく短い時間で聖書の知識を得たことに驚き,司祭のところへ行って,エホバの証人のことをどう思うかと尋ねました。司祭は,「ここだけの話だがね,エホバの証人は真理を教えているよ」と言いました。その後間もなく,研究司会者のエホバの証人はその若い男の人から,「たばこと鐘を鳴らす仕事はやめることにしました」という知らせを受け取りました。今この人は人々に聞こえるように真理を鳴り響かせることに忙しくしており,フォールドフランスにある会衆の一つで長老として奉仕しています。

      子供でも神の言葉に鋭い関心を示します。例えばこのようなことがありました。教師をしているエホバの証人の一女性はクラスの子供たちに,「あなたの若い時代,それから最善のものを得る」という本を見せました。すると4人の生徒が1冊欲しいと言いました。翌日その本を4冊携えて学校へ行ったところ,ほかの生徒たちからの注文が殺到したため,その本を求めるために自分の家に来てもらう取り決めを作らなければならないほどでした。その姉妹の話によると,「その後二,三日して,一人の婦人が面会に来られて,あの本を2冊分けてほしいと言われた」ということです。その婦人は娘が手に入れて来たその本に大変感心し,子供たちと一緒にそれを研究したいと考えたのです。「若い人向けのこの本の105冊目をその婦人に配布しました」と姉妹は語りました。

      聖書の真理は生活を変化させる

      世界中の多くの場所で見られるように,マルチニク島でも麻薬の乱用の問題で犠牲者が出ています。しかし,かつてはひげをはやし,髪を伸ばし,麻薬に深くはまり込んでいた一人の若者は,エホバの証人の愛と温かさ,彼らが伝える聖書の明快な音信に非常な感銘を受けて,麻薬の習慣を断ち,生活の仕方を変え,エホバ神に命を献げました。

      ある日,この若者が街路で通行人に「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌を提供していたところへ一台の車が止まりました。運転していたのは警察官で,「おい,G ――― じゃないか! その変わりようはどうしたんだ」と呼び掛けてきました。以前その警察官は,麻薬を不法に所持していたこの若者をその同じ場所で逮捕したことがあったので,それと分かったのです。この若いエホバの証人はかばんから聖書と雑誌を取り出して,「これが私を変えたのです!」と答えました。その警官は驚きながらもうれしそうに,この若者に新しい生活を続けるようにと励ましましたが,2冊の雑誌を受け取らずにそこを立ち去ることはできませんでした。

      結婚に関する問題が霊的な進歩の妨げとなっていた人もいます。しかし,神の言葉は創造者を本当に愛する人が最も難しい事態をも切り抜けられるように助けることができます。ある女性は3人の異なった男性によってもうけた6人の子供を抱え,その3人目の男性と同棲していた時にエホバの証人との聖書研究が始まりました。その女性は自分の生活が神のご要求と調和していないことをすぐに悟りました。6人の子供を一人で養ってゆくという重い責任が生じるにもかかわらず,この女性は神に対する愛と神に仕えたいという願いに動かされて,一緒に生活していた男性に別れることを勇敢に告げました。別の女性も同じような境遇にありましたが,信仰をもって行動したため豊かな祝福を受けました。

      大会は証しとなる

      巡回大会や地域大会はマルチニク島における王国の真理の開花に大いに貢献してきました。最初の巡回大会は1955年にノル兄弟姉妹の家で行なわれました。地元の5人のエホバの証人は近くのグアドループ島から来た27人の人々に励まされました。出席者の合計は40人に達しませんでしたが,その大会は兄弟たちにとって非常に築き上げられる経験となりました。

      証人たちは大規模な大会のために集まり合えるような大きな会場を見つけることができなくなっています。それで,金属製の組立式の構築物を幾つも作りました。それはフットボール競技場で組み立てることができます。そのおかげで,この島にあるそれほど大きくない町で大会を開くことが可能になりました。地元の人々は,証人たちが群れをなして大会にやって来るその整然とした様子や,大会のための施設を建てたり解体したりする時の能率的なやり方にいつも感銘を受けます。1984年に2か所で開かれた地域大会に合計4,000人以上の人が出席し,立派な証しとなりました。

      今後の見込みは?

      支部事務所とベテル・ホームの建設を通して,マルチニク島の兄弟たちの愛は強まりました。愛は「結合の完全なきずな」です。(コロサイ 3:14)また,皆が寛大な精神を培う機会ともなりました。多くの人は食事を持って来たり,果物,野菜,材木,機械,家具など色々なものを寄贈したりしました。お金や高価な宝石を寄付した人もいました。そこには大きな利他的な愛が見られました!

      新しい支部施設はこの“花の島”における王国の真理のより一層の開花に重要な役割を果たすに違いありません。1985年4月4日に行なわれたイエス・キリストの死の記念式の出席者は4,848人でしたから,耕す業はまだまだ沢山あります。マルチニク島のエホバの証人は皆,神のメシア王国の義の支配下で全地が花園 ― パラダイス ― になる時を楽しみにしています。―ルカ 23:43。

      [26ページの地図/図版]

      (正式に組んだものについては出版物を参照)

      マルチニク

      フォールドフランス

      [地図]

      南アメリカ

      [28ページの図版]

      若者たちも喜んで王国の真理にこたえ応じている

  • 読者からの質問
    ものみの塔 1985 | 7月15日
    • 読者からの質問

      ■ ある人物を自分の家に迎え入れたりあいさつをしたりしないようにと述べるヨハネ第二 10節の言葉は,偽りの教理を広めようとした人々だけに当てはまるのですか。

      文脈に照らしてみると,この助言は世に出た『多くの欺く者』,すなわち「イエス・キリストが肉体で来られたことを告白しない者たち」に関するものでした。(ヨハネ第二 7)使徒ヨハネは,イエスが存在したことやイエスがキリストまた贖う者だったことを否定する者を,当時のクリスチャンたちがどのように扱うべきかについて導きを与えていました。ヨハネは次のような指示を与えています。「この教えを携えないであなた方のところにやって来る人がいれば,決して家に迎え入れてはなりませんし,あいさつのことばをかけてもなりません。その人にあいさつのことばをかける者は,その邪悪な業にあずかることになるからです」。(ヨハネ第二 10,11)しかし,聖書のほかの箇所を見ると,これが適用される範囲はもっと広いことが分かります。

      コリントのクリスチャンたちの間で,一人の男が不道徳を習わしにしていたことがありました。そこで,使徒パウロは,「兄弟と呼ばれる人で,淫行の者,貪欲な者,偶像を礼拝する者,ののしる者,大酒飲み,あるいはゆすり取る者がいれば,交友をやめ,そのような人とは共に食事をすることさえしないように」と,コリントのクリスチャンたちに書き送りました。(コリント第一 5:11)さて,このことは,かつての兄弟で,ここに挙げられたような甚だしい悪行のゆえに追放された人だけに当てはまるのでしょうか。

      いいえ,そうではありません。啓示 21章8節も,殺人をする者,心霊術を行なう者,偽り者などは悔い改めないなら,第二の死を受けるにふさわしい者の中に含まれることを示しています。確かに,コリント第一 5章11節の助言も,こうした事柄で有罪とされたかつてのクリスチャンたちにも,同じほどの効力をもって適用されていたことでしょう。さらにヨハネは,ある人々が「わたしたちから出て行きましたが,彼らはわたしたちの仲間ではありませんでした。わたしたちの仲間であったなら,わたしたちのもとにとどまっていたはずです。しかし彼らが出て行ったのは,すべての者がわたしたちの仲間なのではないことが明らかになるためです」と書きました。(ヨハネ第一 2:18,19)ヨハネは,それらの者たちが甚だしい罪で追放されたとは述べていません。中には,ある教理のことで意見を異にしたために,もはや会衆にいたくないと心に決め,やめてしまっただけの人もいたかもしれません。また,疲れてしまって,弱り果ててしまったような人もいたかもしれません。―コリント第一 15:12。テサロニケ第二 2:1-3。ヘブライ 12:3,5。

      言うまでもなく,ある兄弟が罪の道へとさまよい出てしまったなら,円熟したクリスチャンたちがその人を助けようと努めたはずです。(ガラテア 6:1。ヨハネ第一 5:16)その人が疑いを抱いていたのであれば,円熟したクリスチャンたちは『その人を火の中からつかみ出』そうとしていたはずです。(ユダ 23)たとえその人が集会や公の宣教に出かけて行かず,不活発になったとしても,霊的に強い人々はその人を元の状態に回復させようと努めたはずです。その人は自分の弱くなった信仰と低い霊性を反映して,会衆の中にいるために煩わしい思いをしたくないと告げたかもしれません。円熟した人々はその人にうるさく付きまとうことはしなかったでしょうが,時々友好的な訪問をしていたかもしれません。そのような愛のある,辛抱強くて憐れみ深い努力は,一人も失われることがないようにという神の関心を反映していたことでしょう。―ルカ 15:4-7。

      それとは対照的に,ヨハネの言葉は,ある人々が単に霊的に弱くなって不活発になる以上のところにまで進んだことを示唆しています。それらの人々は実際に神の会衆を放棄したのです。神の民に対してあからさまに反対の立場を取り,もはや会衆の中にいたくはないと宣言する人もいたことでしょう。その人はかつて自分が抱いていた信仰を,手紙などによって公式に否認したかもしれません。言うまでもなく,会衆は自らを断絶するという当人の決定を受け入れていたことでしょう。では,会衆はその人をその後どのように扱ったでしょうか。

      ヨハネはこう述べています。「先走って,キリストの教えにとどまらない者は,だれも神を持っていません。この教えにとどまっている者は,父も子も持っ

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