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「彼のおきてを守りつづけ」なさいものみの塔 1974 | 12月15日
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兄弟たちを愛することによって『光の中を歩み』つづける
12 他のどんな形のやみを避けなければなりませんか。なぜ?
12 真理の実践という面で同じように重要な別の点に移り,ヨハネ第一の書をもう一度読むことにしましょう。「光の中にいると言いながら自分の兄弟を憎む者は,今この時に至るまでやみの中にいます。自分の兄弟を愛する者は光の中にとどまっており,その者につまずきのもととなるものはありません。しかし,自分の兄弟を憎む者はやみの中におり,やみの中を歩んでいます。そして自分がどこへ行くのか知りません。やみがその者の目をくらましているからです」。(ヨハネ第一 2:9-11)神のおきてを守って真理を実践することは,自分の兄弟を愛することと密接に結び付いています。すべての面で方正に行動し,神の民と集まることにも宣べ伝えて教える活動にも定期的に参加していながら,他の時間には仲間のクリスチャン兄弟とほとんどあるいは全く関係を持たず,彼らを避け,その福祉に無関心でいるとすれば,それはいかにも愚かなことではありませんか。
13 (イ)ここでどんな問いが当然発せられるかもしれませんか。(ロ)マラウィやニカラグアの兄弟たちに関する例は,神のしもべたちが互いに愛を示して真理を実践しようとしていることをどのように示していますか。
13 『どうしてそのようなことがあるだろうか』と尋ねるかたがおられるかもしれません。また,『わたしは兄弟たちを愛している。わたしは兄弟たちのためにどんな事でも喜んでしたい。しかし,何をしたらよいだろうか。何を必要としているのだろうか』と言われるかたもおられるでしょう。その点について次のような見方をしましょう。近年,エホバのしもべたちが多くの苦しみに遭うような出来事が地上の多くの場所で起きました。例えば,マラウィにおいて,エホバの民は非常な迫害を受け,その大多数はついには自分の家と国から逃げ,別の国に居住しなければなりませんでした。彼らのクリスチャンとしての行動に対する反対のためです。ニカラグアでは,破壊的な地震がその首都マナグアを襲い,忠実なクリスチャンの中にも,家・仕事・集会場所など,自分の持つものをすべて失った人が多くいました。全世界のエホバのしもべたちの反応はどうでしたか。これらの霊的な兄弟たちの福祉に対して深い配慮が示されました。それは,そうしたクリスチャンたちのために送られた援助の形で示されました。それは,クリスチャンとしての配慮,兄弟たちに対する心づかいのすばらしい表現でした。
14 兄弟たちへの関心を示して真理を実践するにあたって会衆内のどのような人たちについて銘記しているのがよいですか。どのような点でその人たちを助けることができますか。
14 しかし,この問題をさらに地方的なレベルで見ることにしましょう。わたしたちは,自分の会衆で定期的に会い,それゆえに自分がよく知る人々の間で真理を実践することにも関心を払っていますか。もちろん,そうしている人は多くいます。しかし,わたしたちは今自己吟味をしていることを忘れないでください。今は,生活費の高騰のために人々が非常な圧迫を感じている時代です。一家の働き手が不況のために仕事から一時帰休になったりすると,この圧迫は大いに増し加わります。定まった収入で生活している人の多くは生活上の必要物を得るだけでも非常に難しくなっており,しかもそうした状態は今後いっそう悪化するものと思われます。(ハバクク 3:17)わたしたちのまん中にいるだれかまたはある家族が,なんら自らの落ち度によらずして困窮に陥っていることがわかった場合,わたしたち一人一人はどうするでしょうか。弟子ヤコブはこう書きました。「兄弟か姉妹が裸の状態でいて,その日の食物にも事欠くのに,あなたがたのうちのだれかが,『安らかに行きなさい。暖かくして,じゅうぶん食べなさい』と言うだけで,体に必要な物を与えないなら,それはなんの益になりますか」。(ヤコブ 2:15,16)これは,真理を実践する人が考えるべき点です。
15 ほかのどんな人たちがわたしたちの配慮を必要としていますか。どのような点で助けることができますか。
15 会衆内にいる老齢の兄弟や姉妹についてはどうですか。その人たちはどのように暮らしていますか。わたしたちは,そうした人たちに対する配慮や思いやりによって,自分が『光の中を歩んで』いることを示していますか。そうした人々に関するエホバのおきてを守りつづけていますか。そうした人たちが集会や野外奉仕に行くためには,だれかが迎えに行って助けてあげることが時に必要かもしれません。また,物質面での生活上の必要物を入手したり,家の中を整えたりする面でも援助が必要かもしれません。これらも真理を実践する方法です。年老いた人々は,だれかが立ち寄って,神のことばの真理について語ってくれたり,自分に関心を示してくれたりするだけで感謝する場合もあります。聖書はこう命じています。「義の道に見られるしらがはうるわしい冠である」。(箴 16:31,新)エホバにとって,そのご意志を多年忠実に行なってきたご自分のしもべが,真理を実践し,光の中を歩む他の人々から親切な世話を受けるのを見ることは,どんなにか喜ばしいことでしょう。
16 会衆内の長老たちに敬意を払うことも真理を実践する道であることを述べなさい。
16 もう一つ銘記すべき点として,真理を実践することの中には,りっぱに主宰の任に当たる長老たちに敬意を払うことも含まれます。使徒パウロはこう忠告しています。「さて,兄弟たち,あなたがたにお願いします。あなたがたの間でほねおって働き,主にあってあなたがたの間で主宰の任に当たり,あなたがたを訓戒している人たちを重んじなさい。そして,その働きのゆえに,ひときわ深い考慮を愛のうちに払いなさい。互いに対して平和な態度を保ちなさい」。(テサロニケ第一 5:12,13。ヘブライ 13:17)わたしたちは,会衆内の年長者たちをこのように見なしていますか。
17 一方,長老たちはどうしたら真理を実践していることを示せますか。
17 言うまでもなく,主宰の任に当たる人々が真理を実践し,「羊」の福祉に熱心な関心を抱いているべきことも明らかです。その人々は兄弟たちに対していばってはなりません。それは,光の神であるエホバの道を反映するものではないからです。彼らは次の命令を神から直接に受けています。「神の羊の群れを牧しなさい。強いられてではなく,自らすすんで行ない,不正な利得を愛する気持ちからではなく,真剣な態度で牧しなさい。また神の相続財産である人びとに対していばる者のようにではなく,かえって群れの模範となりなさい」― ペテロ第一 5:2,3。
18 神の民に対するパウロの権威ある忠告に含まれる知恵について述べなさい。
18 最後に,真理を実践し,光の中を歩み,エホバのおきてを守り,この邪悪な事物の体制のやみから離れているためには,コロサイ会衆にあてられた使徒パウロの知恵のことばにある次の権威ある忠告に従うことがわたしたちすべてに求められます。「したがって,神の選ばれた者,また聖にして愛される者として,優しい同情心,親切,へりくだった思い,柔和,そして辛抱強さを身に着けなさい。だれかに対して不満の理由がある場合でも,引き続き互いに忍び,互いに惜しみなくゆるし合いなさい。エホバが惜しみなくゆるしてくださったように,あなたがたもそのようにしなさい。しかし,これらすべてに加えて,愛を身に着けなさい。それは結合の完全なきずななのです」― コロサイ 3:12-14。
19,20 モーセ時代のどんな出来事は,わたしたちの住む今日の世界と似ていますか。わたしたち一人一人は,エホバのおきてを守って真理を実践することによってどのような祝福を受けますか。
19 サタンが人々の思いをくらまして,キリストに関する栄光ある良いたよりが輝きわたらないようにしている結果人々の上に全くのやみがのしかかっているこの時代ですが,そうした時代にあって真理を実践し,神のおきてを守るための道がここにあります。世のやみはひときわ濃くなっていますが,神のことばからの真理の光はその明るさを増しています。それは,イスラエル人がエジプトで奴隷となっていたモーセの時代のことを思い出させます。心のかたくななエジプトのファラオに加えられた九番めの災いもしくは打撃は,その地を襲った濃い暗やみでした。それについて次のように記されています。「モーセすなはち天にむかひて手をのべければ あつき黒暗三日のあひだエジプト全国にありて 三日の間は人々たがひに相見るあたはず またおのれのところよりたつものなかりき されどイスラエルのひとびとのすまひにはみな光ありき」― 出エジプト 10:22,23。
20 わたしたちは重大な時代に生きています。そして,世は行く手を知らずにやみの中を摸索していますが,光の神,また神が遣わした世の光である主イエス・キリストからの真理の光は目ざましいまでに照り輝いています。真理を実践し,神のおきてを守りつづけ,光の中を歩むということがわたしたちすべてに何を意味するかをいつも忘れずに考えることは,本当に適切なことではありませんか。それが今後の来たる日々に何を意味するかは,使徒ヨハネの次のことばの中に述べられています。「神ご自身が光の中におられるのと同じように光の中を歩んでいるなら,たしかにわたしたちは互いに分け合う者となっているのであり,み子イエスの血がわたしたちをすべての罪から清めるのです」。(ヨハネ第一 1:7)わたしたちは,光の神と結ばれた関係にあることを感謝しましょう。神にはいかなるやみも存在しないのです。
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エホバの道に喜びを見いだすものみの塔 1974 | 12月15日
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エホバの道に喜びを見いだす
1 エホバの霊的な光はこの世のよくない習わしに関して人にどんな益を与えますか。
光は人を活気づけます。暗い夜が過ぎてだんだん明るくなるのを見るのはうれしいものです。霊的な意味で言う場合,エホバの道に従う人々は光を楽しみ,またそれを他の人々に反映しています。(エフェソス 5:8。テサロニケ第一 5:5)この種の光は,実を結ばないやみの業を明らかにし,それらよくない事がら,つまり,この世のやみに隠れるつまずきのもとを,それ自身が光っているかのごとくにはっきり映し出します。こうして,正しい事を願う人々はそれを避けることができます。―エフェソス 5:13。
2 (イ)光は邪悪な人々に対してどんな働きをしますか。(ロ)ヨブ 38章14節の意味を説明しなさい。
2 光は地上の邪悪な人々を暴き出し,そうした人々が地の表から振り払われるようにします。(ヨブ 38:12,13)一方それは,やみに隠れて秘密の業をするようなことのない人々に大きな喜びとなるものを明示します。エホバは,夜明けが東から西へと地表を徐々に移行する時の様をこう述べておられます。『地は変はりて土に印したるごとくに成りもろもろの物は美はしき衣服のごとくにあらはる』。(ヨブ 38:14)古代の印章は粘土板の上を転がして,そこに鮮やかな印影を残すものでしたが,ちょうどそれと同じように,朝の光も地上の
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