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他の人々と物を分ち合うものみの塔 1957 | 4月15日
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時間は損のものにはなりません。『善を行うことと施しをすることとを,忘れてはいけない。神はこのようないけにえを喜ばれる。』― ヘブル 13:16,新口。
27 他の者にものを分け与えることについて,私たちはどんな質問を自問すべきですか。
27 いま,次の事柄を自問してごらんなさい,私は他の人々と物を分ち合うだろうか。私は,そうすることができるか。私は,努力をして兄弟たちに親切を示すだろうか。それらの質問を良く考えなさい。あなたには自動車があり,そして集会の終つた後に雨が降つているなら,自分一人だけで自動車に乗つて行く前に,誰か一緒に乗る方はいませんか,と特別に尋ねるだけの親切を示しますか。食事をして,食物の余りが出るとき,開拓者にそれを差し上げようと考えますか。余分の衣服があるなら,困つている兄弟に,使用して頂けますかと尋ねますか。あるいは,他の人々に物を分ち合うことを忘れますか。キリストの使徒は,『忘れてはいけない。』と言いました。
28 会衆の僕は,何に気を配るべきですか。
28 もし,あなたが会衆の僕で,隣の会衆の兄弟を招待して講演してもらうなら,その兄弟のもてなしについては,何の考慮も払いませんか。それとも,兄弟たちにもてなしをなす特権を告げますか。たとえ貧乏であつても,マケドニヤの兄弟たちが,訪問した奉仕者を,お腹の空いたままで帰らせる,などと想像できますか。
すべてのことは良いたよりのため
29 (イ)兄弟たちは,良いたよりのために私たちと物を分け合いますが,私たちのどんな義務は,無くなりませんか。(ロ)愛と同じように,感謝を,どのように言葉と行の両方で表わすことができますか。
29 兄弟たちが,私たちの必要物に応じて,私たちにもてなしを示すとき,それは高尚な意味で,良いたよりのためにするのです。私たちは,そのことを知つています。このことを知つているからとて,感謝の念を持たなくても済むというわけではありません。実際のところ,私たちはますます感謝の念を持つように気をつけるべきです。兄弟たちがあなたと物を分けるとき,感謝の言葉を言うのを忘れてはなりません。この『終の日』には,人々は『恩を知らぬ者』になる,と予言されていました。そして,人々は実際にそうです。(テモテ後 3:1,2,新口)しかし,新しい世の社会に入つている人々は,感謝の念を失つてはなりません。時々,私たちは言葉だけでなく行でもつて感謝を示すことができます。それですから,開拓者のように収入のごく僅かな人の自動車に同乗するときは,ガソリンと油代に適当な額の寄附をすることは,感謝の気持を表わし示すものです。小さな,ごく僅かな恩恵に対して感謝を示すなら,それは人の心を測るのであつて,品物を測つているのではない,つまりその人を重んずるのであつて,その人の持物を重んずるのでない,ということを表わし示すのです。どうぞ,そのことを忘れないで下さい。それで,感謝の念を持つことによつて,私たちは心を見られる天の父のようになることができるのです。
30 良いたよりのために他の者と物を分ち合うことから,どんな祝福が得られますか。
30 本当に,良いたよりのためになされるもてなしは,豊かな祝福を生じます。人間にたいする感謝の気持を起させるだけでなく,先ず神にたいする感謝の気持を起させるからです。神にたいする感謝の念が多くなればなる程,私たちの心は広くなり,霊的な識別は富んできます。パウロはこう語りました,『あなた方はすべてのことに豊かになつて,惜しみなく施し,その施しは私たちの手によつて行われ,神に感謝するに至るのである。なぜなら,この援助の働きは,聖徒たちの欠乏を補うだけではなく,神にたいする多くの感謝によつてますます豊かになるからである。』与えるときも,受けるときも,もてなしは,かくして,もてなしの気持を兄弟たちの心に入れられた御方,すなわち恵の神なるヱホバに対する私たちの愛を深めます。―コリント後 9:11,12,新口。
31 なぜ,物質を分け合うことは,真のクリスチャンの主要な目的でありませんか。真のクリスチャンの主なる関心は何ですか。
31 良いたよりのために物質をよろこんで分け合うなら,その良いたよりそのものを分け合ことをなおざりにするなどということは,考えられないことです! ところが,神の求めて居られることは,私たちが親切であつて,物質の面で善行をすることだ,と考える人は多くいるのです。しかし,実際には,神の御国の良いたよりを他の者に分ち合うことによつて,『自分自身とあなたの教を聞く者たち』とを救うのです。物質ならよろこんで分け合うが,霊的なものを分け与えることを渋る人の愛は,どこか欠点があるもので,充分なものではありません。なぜなら,それらの人々は真実にキリストに従つていないからです。(マタイ 19:21)それで,体の欠乏を補うだけでは,充分でありません。『たといまた,私が自分の全財産を人に施しても……もし(生命を与える霊的な事柄を分け合ことによつてキリストに従う程の)愛がなければ,いつさいは無益である。』もし真実に神と私たちの隣人を愛するなら,良いたよりをひろめるために,他の者に物質を分け合うことをも含めて,あらゆる事をなすでしよう。そして,使徒と共になつて次の言葉を確証づけるでしよう,『福音のために,私はどんな事でもする。私も共に福音にあずかるためである。』― テモテ前 4:16。コリント前 13:3; 9:23,新口。
32,33 どんなことから,もてなしの気持と,よろこんで分け合おうとする心は生じますか。しかし,それはどんな結果になりますか。それで,私たちは誰のようでなければなりませんか。
32 もてなしと,分け合う気持は,なんと富ましめるものでしよう! 見知らぬ人々にもてなしを示すことにより,『私たちは,……親切によつて,神の奉仕者として自分をすすめる。』兄弟たちと物を分ち合うことにより,私たちは愛と感謝を示し,良いたよりをひろめることに働きます。まつたく,『あなた方はすべてのことに豊かになつて,惜しみなく施し。』そのひとつに,あなたは,より大きな幸を得ます,『受けるよりは与える方が,さいわいである。』あなたは言葉で言いつくせない心の中のよろこびを得ます。あなたは,自分自身にたいする他の人の愛を豊まします。なかんずく,「神に対する多くの感謝」を起させることにより,ヱホバにたいする愛を豊まします。ほんとうに,与えることは,それを行う者たちを豊まします。ソロモンは,次のように述べました。『ほどこし散らして反りて増すものあり,与うべきを吝みて反りて貧しきに至る者あり。施しを好むものは肥え。』それで,もてなしと分け合うことは,他の人々の欠乏に気づくことからなされるのですが,しかしその結果はそれをなす人々の生活を豊ますことになります。―コリント後 6:4-6; 9:11。使行 20:35,新口。シンゲン 11:24,25。
33 欠如にくるしむわけがありますか。すべてのことに豊んでは如何ですか。『惜しみなく施し,人に分け与えることをよろこび』『不平を言わずに,互にもてなし合いなさい。』(テモテ前 6:18。ペテロ前 4:9,新口)見知らぬ人を歓待して,御使をもてなしたアブラハムのようでありなさい。もてなしを大きな特権と見なしたルデヤのようでありなさい。親切であつたため使徒の心を広く開いたオネシポロのようでありなさい。もてなしをわざわざして,そのおかげで息子を授かつたシュネムの婦人のようでありなさい。極度の貧乏でありながらも,気を配つて考え深く,他の人に物を分け合つたマケドニヤの人のようでありなさい。ほんとうに,あなた方の天の父のようでありなさい。もてなしの道に従いなさい!
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病人からの健康な言葉ものみの塔 1957 | 4月15日
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病人からの健康な言葉
体の健康は良くないため,あなたは制束を受けていますか。『私のこの状態では,ヱホバに何をすることができるか。ヱホバを公けに讃える,などはどうしてでき得ようか。』と言いたい誘惑を感じますか。身体が悪いことは『肉体のトゲ』になつて,真の崇拝者たちの集会に出られなくなりますか。もしそうなら,自分の『肉体のトゲ』に対するパウロの態度を憶い起して下さい。『私が弱い時にこそ,私は強いからである。』どのように? ヱホバはパウロにこう告げています『私の力は,弱いところに完全にあらわれる。』― コリント後 12:7-10,新口。
体が病気でも,霊的に病気であるわけでなく,また体が束縛されていても,心が束縛されるわけではありません。体が病気でも,その心は光り輝く冬の雪のように輝いている人は多いのです。そして,それらの人々は,『キリスト・イエスに対する信仰と愛とをもつて』自分たちの聞いた『健全な言葉を模範にし』ています。―テモテ後 1:13,新口,
しかし,病人は,どうすることによつて他のクリスチャンと心を交流して学ぶことができますか。また善意者たちの心と交流して教えたり,讚美を与えたりすることができますか。
33年以上ものあいだ,関節炎のため病床に臥し,体の自由が利かず,身体上では役に立たない者で,しかも全くの盲である人の答を考えてごらんなさい。
その人は,こう言つています,『私は定期的な伝道者であるのによろこんでいます。時折りの偶然の伝道をするだけでなく,他の人の援助により,私は口で言つて手紙を書かせています。そして,手紙といつしよに冊子や,雑誌やパンフレットを送つています。それだけでなく,約1年のあいだ私は,家から一つ通り向うの奉仕中心地における聖書研究に出席する,というよろこびの特権を頂いています。4年前に,私の家と私の姉および義理の兄の家とのあいだに私の必要を充たすために家族通信設備がつくられたことによつて,そのことができるようになつたのです。この設備を用いるおかげで,私は研究に『出席する』ことができます。いつも全部のことを聞くわけではありませんが,十分の事を聞き,それは豊かな祝福になります。また,私に言われる質問を答える,といううれしい特権もあります。』
さて,あなたについては如何ですか。恐らくあなたの場合は,これと同じではないでしよう。考えを表わすと,あなたのよろこびは増します。
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