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  • 神の目的とエホバの証者(その44)
    ものみの塔 1962 | 8月15日
    • の証者の子供を放校する権利も,教育を否定する権利もないと裁定しました。その件において裁判所は次のように述べました。

      強制的な国旗敬礼を支持するなら,次のことを言わざるを得ない,すなわち人は人権宣言によって自分の考えを発表できる権利を持っているが,官憲の強制の下に自分の考えでないものを言わざるを得なくなる。……

      人権宣言の目的そのものは,特定な論題を政治的な論争の変動から撤回させ,それらを多数者と官吏の手の届かぬところに置き,そして法廷で適用される法律の原則として確立することである。生命,自由,および資産に対する人間の権利,言論の自由,出版の自由,崇拝と集会の自由に対する人間の権利と他の基本的な権利は票に依存すべきものではない。それらは選挙の結果に依存していないものである。……

      我々の憲法星座において固定した星があるとするなら,それは次のようなものである,階級の高い官史であろうと,階級の低い官吏であろうと,政治や,国家主義や,宗教や,他の意見に関する事柄において,何が正統であるかを規定することができず,また市民をして,言葉や行いにより,彼らの信仰を告白するように強制することができない……

      国旗敬礼と宣誓を強制する地方官憲の行為は,憲法上の彼らの権限を越えて破るものであり,知能と精神の領域を侵害するものである。我々の憲法修正第1条の目的は,一切の官憲の制御を中止させることである。f

      この裁定は,ゴバイティスの件の裁定を全くくつがえしました。すると,一時的な御国学校はもはや必要でなくなり,8年来はじめてエホバの証者の子供たちは自由に公立学校に戻ることができました。

      トム: この問題におけるその状況や結果をお聞きすると,有名な現代の歴史家アーノルド・ジョイ・トインビーの言葉を思い出します。

      われわれの時代が危険にさらされている理由のひとつは,われわれがみな,国家や,国旗や,われわれの過去の歴史を崇拝するように教えられたからだ。人間は神だけを崇拝するなら安全である。g

      ジョン: 1944年,裁判所はジョンズとマードック判定における裁定を再確認して,次のように述べました,すなわち憲法は家から家の伝道をして,文書を配布する巡歴の奉仕者を,その地の牧師と同じくらいに保護するというのです。また,宣教によって生計を立てても,認下税の法律を適用する正当な理由にならないとも付言しました。h

      憲法をつくり上げる者たち

      これらの訴訟事件はみなすべての人の読める記念の記録になりました。アメリカ合衆国の最高裁判所のマーフィ判事も次のように述べました。

      むかしから現在にいたるまで,正統派でない宗教的な信念を述べたり行なったりする者たちに対して,人は際限なく圧迫の手段を講じてきた。そして,エホバの証者は次の事実を生きながらに証明するものである,すなわち自由の理想国と考えられるこの国でさえ,従来の方法と異なる仕方で宗教を実践する権利は,いまでも不安なものであるということである。彼らの信仰は,勇敢な信仰,不人気な信仰であり,熱烈な熱心さが伴う。彼らは残酷に鞭打たれ,資産は破壊された。彼らはほとんど応用されぬ条令や規定の復活および施行でさんざんに苦しめられた………現在の他の少数の宗教人と共に,彼らのおかげで我々は宗教の自由という理想および憲法上の保証が得られたのである。i

      この期間中のエホバの証者の法廷における戦いについて,多数の法律分析者や現代の歴史家たちも多くのことを述べています。

      ぼう大な憲法において,一期間以上をかけて,そのコースをかたちづくることのできた人あるいは群れは,過去においてほとんどなかった。ところが,それは起こり得るのであり,それはここに起こったのである。その群れはエホバの証者である。この制度は絶えず訴訟を起こすことにより,言論と宗教の自由に関する憲法修正第14条の適用について,大きな判決例をつくったのである……

      …ごく最近のことであるが憲法修正第14条の下に同じ試験が州法に適用された。その結果,州の侵害限度に関する規則を明確にする判決例ができ上がってきている。

      この発展については,エホバの証者はその量および重要性の両方において,いちばん貢献した。j

      …証者たちについてはいろいろのことが言えよう。しかし,なんといっても,彼らには殉教者の勇気がある。彼らはまた弁護士をやとって,法廷で戦うだけの金をも持っている。その結果,最近には彼らは他のいかなる宗派あるいは群れよりも,宗教の自由に関する憲法の発展に大きく寄与したのである。彼らは急速に事を行なっている。ある時に彼らは勝ち,ある時に彼らは負ける。k

      いまでこそ明白に分かることだが,アメリカ合衆国の最高裁判所が権威を以って解釈したごとく,個人の自由に関する現在の憲法上の保証は,1938年の春よりも,はるかに広いものである。そして,この拡大の大部分は,31のエホバの証者の訴訟(16の判決意見)の中にある。ロベル対グリヒン市の件は,その最初であった。もし「殉教者の血が教会のたね」であるなら,憲法上の法律が,この不思議な群れの闘争的なしつようさ ― 多分献身と言うべきであろう ― に負うところは何であろうか。l

      エホバの証者は,その証言で文字通り地をおおった。……証者ほど聖句をたえず使用し,たくさん記憶するクリスチャンは現代いない。聖書的な根拠について証者と論じて成功をおさめるには,今日の正統派キリスト教会の多数の成員以上に聖句を良く知っていなければならぬ……

      彼らはあらゆる種類の反対に直面しても前進しつづける。彼らはその民権を守るためにあらゆる合法的な手段を用いて戦う。彼らは公開集会の権利 ― 時には彼らに与えられない ―,文書配布の権利,他のすべての忠節よりも神を第一に置く良心の権利のために戦う。彼らはその民権を守るための戦いをすることにより,民主主義にすばらしい貢献をしたのである。彼らはその戦いにより,アメリカ内の少数者の群れのために,それらの権利を確保したのである。ある一つの群れの民権が侵害されると,他の群れの権利も安全でなくなる。したがって,彼らは,我々の民主主義において最も貴重なもののいくつかを保存するのにすばらしい貢献をしたのである。a

      ロイス: 私も,それに「アーメン」と言いたいと思うくらいです。それらの判決は,エホバの証者の神権的な目的に良く貢献したものですね。

  • 読者よりの質問
    ものみの塔 1962 | 8月15日
    • 読者よりの質問

      ● イエスと使徒が行なったいやしのわざは,いやされた者たちの信仰に左右されなかったと,ものみの塔の出版物にはありますが,「彼らの不信仰のゆえに,そこでは力あるわざを,あまりなさらなかった」と書かれているマタイ伝 13章58節を,どう理解すべきですか。―アメリカの一読者より

      今日の信仰治療者たちは,自分がある人を治せないという事実に直面すると,それは患者の信仰が不足しているためだと主張します。しかしこれは,彼らに治す能力がないことをうまく言抜けるための口実にすぎません。ところが,イエスや使徒たちの場合はそうではありませんでした。ナインのやもめが,自分のむすこがもう一度死からよみがえらされるという信仰を持っていたことを示す記録はまったくありません。イエスはただ悲しんでいる母親を見たので,むすこをよみがえらせてその母親をなぐさめただけでした。ペテロとヨハネも,宮の門のところで,不具者をいやしましたが,それはその不具者が信仰を表わしたからではありません。不具者は何か施物がもらえるのだろうと期待してふたりを見ていたのです。そして,全く驚いたことに,彼は健全なからだにされたのです。―ルカ 7:12-15。使行 3:18。

      聖書のマタイ 13章58節に述べられていることは,彼らに信仰がなかったためにイエスが多くの力あるわざを「しなかった」とか,そこでわざが「できなかった」という意味ではありません。察するところそこでは,イエスを見に出てきた者,いやしてもらうために出てきた者は多くいなかったようです。これは,つぎのように書かれている他の場所とは著しく対照的です。「すると大ぜいの群衆が,足なえ,不具者,盲人,おし,そのほか多くの人を連れてきて,イエスの足もとに置いたので,彼らをおいやしになった」。これらの人々をイエスのもとに連れてくること自体,すでに信仰を示す十分の行いでした。イエスが彼らの信仰について質問されたことを示す箇所はありません。―マタイ 15:30,新口。

      ● 「天と地にあるあらゆる家族の名の起るところの父」と述べられているエペソ書 3章14節(新世)は,どのように理解すればよいのですか。天にたくさんの家族があるのですか。また,どうして地上にあるあらゆる家族の名が神にゆらいしていると言えるのですか。―アメリカの一読者より

      ここであらゆる家族と訳されている表現は,「パサ パトリア」で,「全家」(欽定訳)または「あらゆる家族」のどちらかに訳されます。現代訳ではたいてい新世訳と同様に「あらゆる家族」となっています。

      もちろん天には,地上にあるような家族,つまり,父と母とが各家族の上にあって,他のメンバーはその両親の子どもであるような家族はありません。なぜなら,天ではめとることもとつぐこともないからです。(ルカ 20:34,35)しかしながら,エホバ神は,ご自身の制度と結婚しておられ,彼女による子どもたちをもっておられます。(イザヤ 54:5)イエス・キリストは,彼の会衆である花嫁と婚約しておられ,成員たちを天の領域に受入れつつあります。(コリント後 11:2)地上にいる油そそがれた成員の残れる者は,神の家族の成員に含められており,今日の「他の羊」は,その家族の将来の成員です。―ロマ 8:14-17。ヨハネ 10:16。

      「地にある…あらゆる家族の名」は,一緒に住んでいるあらゆる小さな家族というグループのことを言っているのではなく,名前を保存する家系に言及しているように思われます。モーセの律法によると,家系を保存することがエホバ神のみ旨だったので,逆縁のおきてにも見られるとおり,エホバはいつも,相続者が家族の名前を伝えるような対策を講じられました。(申命 25:5,6。ルツ 4:3-10)もしエホバの創造的力がなかったなら,それぞれ名を持って,その名を後世に伝えて行くような家族は決してなかったことでしょう。ですから,あらゆる家族が名前をもっているのはエホバのおかげです。それは,各家系にひとつひとつ名前を与えるというように直接的なものではなく。間接的なものです。なぜなら神は地上に名前を持った家族の存在を可能にされたからです。この意味であらゆる家族は,すなわち天にある一つの家族と,地上にある多くの家系は,その名をエホバに負っています。それらが,異なった名前をもつ機会と特権をもって存在しているのはエホバのお陰です。

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