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    ものみの塔 1964 | 3月15日
    • です。滅びに定められたこの世の諸国家は,超人間的な悪鬼に導かれて行進しています。しかしそれを見る私たちの決意は,すでに設立された,メシヤによるエホバ神の御国の側に立ち,その立場を固く守ることです。同時に私たちの祈りは,神がますます豊かに御霊を与えて下さることです。神の御霊をつちかうことに努め,汚れのない清い崇拝を神にささげてゆくとき,私たちは神の武具で何時も身を固め,血肉に対してではなく,「天上にある悪の霊」に対して戦いつづけます。この戦いは,「この世の支配者」であるサタンとその悪鬼が,キリストの治める千年のあいだ底のない穴につながれるまで,つづけられるのです。イエス・キリストの下にある神の天使は,私たちのために働いています。私たちはこの事をエホバ神に感謝します。天使たちの助けと神の聖霊およびみことばの助けによって,私たちは差別なくすべての人に対して,メシヤによる神の国と神の裁きに関する「永遠の福音」を宣べ伝えつづけます。神に敵対する者にとり災となっても,神の裁きはかならず執行され,霊と真をもって創造主なる神に正しい崇拝をささげたいと願うすべての人々を解放します。(この決議は24のの大会において,合計45万4977人の出席者により可決されました)。

  • 偽りの宗教に対する神の裁きの執行
    ものみの塔 1964 | 3月15日
    • 偽りの宗教に対する神の裁きの執行

      「さあ,きなさい。多くの水の上にすわっている大淫婦に対するさばきを,見せよう」― 黙示 17:1,新口。

      1 各人にはどんな権利がありますか。この点において他の人にはどんな義務がありますか。

      自分の選ぶ宗教を実践する権利はだれにでもあります。極端に不道徳とかわいせつ,あるいは社会の良識に反する宗教を持つというのでなければ,この事は今なお真実です。自分の宗教を選んで実践する各人の権利を,すべての人が尊重しなければなりません。すなわち宗教に関しては寛容を示すことが必要です。

      2 (イ)宗教上の寛容は何を意味しませんか。(ロ)ヒンズー教の一著者は,多くの神々の名前についてどんな見解を述べていますか。どんな疑問が生じますか。

      2 すべての人が持つ宗教上の権利を認め,各人の宗教上の行為に干渉しないといっても,それは私たちが他の人の宗教を是認するとか,あるいは他のすべての宗教をよいものと認めるという意味ではありません。宗教的に寛容であっても,私たちはすべての宗教が正しく,有益であるとは考えません。すべての宗教が永遠の幸福な将来に通ずる道とはならず,どんな崇拝をしてもその神を永遠に楽しめるわけではないのです。またいろいろな名の神があるにしても結局は同じひとつの神を崇拝しているのであって,神に近づく道あるいは宗教的な儀式が違うだけなのだ,とよく言われますが,私たちはその考えにも同意できません。最近ヒンズー教に関する本の中に次のことが出ていました,「人の名前が人格とは無関係なように,神の名前は宗教に必須なものではない。……エホバ,バグワン,イシワール,アラー,ハリ,シバ,ラマその他何と呼んでも,人はおのおの育てられた環境に従って,宇宙の神秘および崇拝の観念をそれぞれ神に結びつけているだけで,名前は違っても神の本体は同じである」。a しかしこれは正しいですか。異なる神々

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