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  • 「忠実の道をわたしは選びました」
    ものみの塔 1980 | 6月1日
    • 週中私は公開聖書講演の会場として学校の一室を借り,また,エホバの証人を一人残らず訪問することができました。その証人たちは日曜日に,講演の招待ビラを配布する業に参加しました。私たち皆が驚いたことに,日曜日の午後その部屋に56人の人が集まって講演を熱心に聴きました。それ以来,その会衆は発展し,間もなく自分たちの王国会館を持つまでになりました。

      もう一つ,1950年代にパデルボルンにおいて開かれた,ものみの塔協会主催の巡回大会に関連した,次のような経験もあります。市当局は会場として使える会館も土地も貸してくれませんでした。しかし,2㌔ほど離れたナウハウスという小さな村にある,ライフル銃隊のクラブハウスをある料理店の店主から借りることができました。ライフル銃隊の隊長でもあった村の司祭は,契約を破棄しないなら破門すると脅してその店主に圧力をかけようとしました。しかし店主は,自分は事業家であること,また,カトリック教会はクリスマスの祝いの支払いを2回分納めていないが,エホバの証人はすでに使用料を前納していることを話しました。

      大会中に司祭はエホバの証人と証人に食料品を売った事業家や宿舎を提供した人々および料理店の店主をのろいました。司祭のその行為を見て,多くの人は教会を去りました。料理店の店主は破門されましたが,町の人たちからは同情されました。今日パデルボルンでは幾度も巡回大会が開かれており,そこには100名余りの証人からなる活発な会衆があります。

      体は弱くなったが,あいかわらず忙しい

      1966年10月私は肺炎にかかりました。それは,ドイツ支部で開かれていた監督たちのための王国宣教学校に出席していたときのことです。ベテルの家族は,私が家に帰ることができるようになるまで手厚く看護してくださいました。内臓の一部が機能を果たさなくなって体が非常に衰弱したので,私は地上での奉仕を終えるのも遠くはないと思いました。ところがしばらくして,回復し,普通に生活できるようになりました。体力は少なくとも以前の半分はありましたから,満足できました。私は全時間の伝道の業を続けられたのです。

      これまで何年かの間,私は最初に交わったブッフムランゲントレール会衆の監督として奉仕し,王国の関心事を促進するうえでクリスチャン兄弟たちとの温かい交わりを楽しみ,親切な支持を受ける特権を得ました。

      エホバに献身的に仕えたほぼ48年間を振り返ると,私が忠実の道を歩むのをエホバが助けてくださったこと,エホバがご自分の民に示される親切を私にも示してくださったことが分かります。力と救いの源であられる方に頼りつつ,私はあくまでも次のように決意しています。「忠実の道をわたしは選びました」。『エホバはゆたかに我をあしらいたまいたれば われエホバに向かいてうたわん』。―詩 119:30,新; 13:6。

  • 啓示の書の神秘的な野獣
    ものみの塔 1980 | 6月1日
    • 啓示の書の神秘的な野獣

      聖書の啓示の書に出てくる象徴的な野獣は,あなたと人類の世全体に影響を及ぼします。その意味を学んでください。「『その時,神の秘義は終了する』」と題する本をお読みください。心を捕らえるこの本は,啓示の書の1章から13章までを一節ずつ説明しています。384ページ,堅表紙。すぐにお求めください。「神の千年王国は近づいた」と題する本と共に400円のご寄付でお求めになれます。108 東京都港区三田5丁目5番8号 ものみの塔聖書冊子協会に,切手400円分を同封してお申し込みください。郵送料は発行者が負担いたします。

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