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マラウィのクリスチャンには何が起きているか目ざめよ! 1973 | 6月8日
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の是認を受けました。結果はどうなりましたか。ホワイト記者は次のように伝えています。
「この演説を正式な許可と見て,同党の青年同盟および青年開拓者の分隊が戸別捜索をはじめ,党員カードを示すことができない,あるいはそれを買うことを拒否したアフリカ人たちを追い立て,時には暴力を加えた。この暴力行為の全ぼうを正確につかむことは困難であり,おそらく不可能であろう…
「MCP[マラウィ会議党]の一部のメンバーを含め,当地の多くの人びとが驚いているのは,バンダ大統領が敵意をここまで完全に野放しにしていることである」。
その攻撃の野蛮さに世界中の多くの人の態度は急激に変化しました。多くの国の新聞も同様の反応を示しました。1972年12月15日のロンドン・タイムズの次の論評は,多くの新聞の報道の典型的なものでした。
「ヒトラーは彼らを強制収容所に入れた。彼らは鉄のカーテンの背後でも迫害されてきたし,アフリカの一党国家においても迫害を受けている。マラウィのバンダ博士は,1967年に同宗派を禁止し,同年に彼の青年開拓者 ― カムスの党の番人たち ― が野蛮な攻撃を加え,彼らを幾千人も隣接する国々へ追い出した」。
迫害をやめるようにとの訴えもなされました。が,効果はありませんでした。それで,タイムズ紙が指摘したように,エホバの証人は自分の命を守るため,マラウィから逃げざるをえなくなりました。
問題
サンフランシスコ・エグザミナー紙は,10月17日の社説で,エホバの証人につき次のように述べました。「彼らは模範的市民とみなしてよい。まじめに税金を払い,病人の世話をし,文盲と戦っている。しかし,宗教的信念から,マラウィ唯一の政党の党員カードを買おうとしない」。
そういうわけで,この迫害の直接の原因は,これらのクリスチャンたちが,マラウィを支配する政党,すなわちマラウィ会議党に入党しようとしないことにあります。彼らは,要求どおりに党員カードを買うことをしません。それは彼らが政治に対し,聖書にもとづく中立の立場を取るからです。
この点に関し,彼らは,イエス・キリストや一世紀のクリスチャンたちと同じ立場を取ります。ご自分に尋ねてみてください。ローマ人の政党にせよユダヤ人の政党にせよ,イエスはどの政党に加入されましたか。使徒たちはどの政党に加わりましたか。聖書はこの点をはっきり示しています。彼らはどの政党にも加わりませんでした。彼らはあくまでも中立を保ち,品位ある,そして法律を守る市民として穏かにクリスチャン活動をつづけました。
エホバの証人は,そうしたことを当局者に説明しようとしてあらゆる努力を払いました。電報,書簡,電話を通して話し,インタビューも行ないました。ニューヨーク市,ブルックリンのエホバの証人の統治体は,エホバの証人の統治体の代表との会談を電報でバンダ大統領に懇請しました。しかし,マラウィ政府は,いかなる情報も国連のマラウィ政府を通して送られるべきであると答えただけでした。
統治体はそれを実行しました。13ページにわたる覚書が国連代表に送られました。それはエホバの証人の立場を説明し,いかなる政府も彼らを恐れる必要のない理由を説明したものでした。同書簡の「エホバの証人が党員カードを買わない理由」という副見出しの部分は,一部次のように述べています。
「この問題におけるエホバの証人の立場は,聖書の教えと証人たちの良心に基づくものであります。エホバの証人は,いずれかの政党にくみすることも,あるいはいかなる政治活動に参加することもせず,世界のあらゆる国で中立の立場をとっております。こうして,エホバ神の天の王国を示す良いたよりの奉仕者として公平な,よりよい奉仕を行なっております」。
党員カードを買えばその結果政治に巻き込まれるという問題に触れて,その部分は次のように述べています。
「エホバの証人は,神の律法に反しない法律であるかぎり,自分の居住する国の法律を尊重し遵守いたします。しかしながら,政治への関与は,これには党員カードを買うことも含まれますが,主イエスがご自分の真の追随者について言われた,『我の世のものならぬごとく,彼らも世のものならず』ということばに反すると彼らの良心は感ずるのであります。(ヨハネ 17:16)またキリストは,ヨハネ伝 18章36節に記録されているように,『わが国はこの世のものならず,若し我が国この世のものならば,我がしもべら…戦いしならん』と言われました」。
これに加えて,マラウィの国連代表あての統治体の書簡はさらに次のように述べています。
「エホバの証人は初期のクリスチャンと同様の立場をとります。『キリスト教とローマ政府』という本は次のように述べております。『クリスチャンたちは彼らの周囲の世界においては他国者であり,さすらい人である。彼らの国籍は天にある。彼らが待つ王国はこの世のものではない。ゆえに,必然的結果として,公事に関心を持たぬことが,最初からキリスト教の注目に価する特色となった』。
「しかしながら,さらに言わせていただくならば,エホバの証人は,他の人びとの政治への参与に対する態度に干渉する意図も願望も持っておりません。エホバの証人は,マラウィ政府に逆らって行動しているのでも,また政党に逆らって行動しているのでもありません。彼ら自身が,大きな苦しみを受けているにもかかわらず,政治問題への関与,すなわち党員カードの購入を辞退しているのであります。なぜなら,それはエホバの証人にとって,聖書に基づく信仰および良心の問題だからであります」。
しかし,今に至るまで,マラウィ政府からは何の返事もありません。エホバの証人の代表が大統領に会うことも,同国の他の当局者に会うことも許されていません。
2万を超えるエホバの証人がマラウィから逃亡することを余儀なくされました。彼らの大多数は隣りのザンビアににげ,数千人はモザンビクにのがれました。
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スィンダ・ミサレの難民収容所目ざめよ! 1973 | 6月8日
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スィンダ・ミサレの難民収容所
マラウィからザンビアにのがれたエホバの証人たちは,両国の国境に近い難民収容所に集められました。この収容所はスィンダ・ミサレと呼ばれました。ザンビアの地方開発相ルベン・カマンガ氏の報告を含め,いくつかの報告の示すところによると,そこには約1万9,000人のエホバの証人が避難しています。
ザンビアがエホバの証人を自国に招き入れたのではありませんから,彼らは望まれない訪問者として扱われています。収容所は,だれも自由に近づけないように警察によって隔離されています。
いくらかの必要品は当局から支給されました。それに加えて,全世界のエホバの証人が寄付したお金や物資が支部事務所にぞくぞく送られてきました。たとえば,南アフリカだけでも1,000枚に近い帆布の防水布と,衣料品をつめた木わく157個を送りました。それらは難民のもとに届きました。
南アフリカのエホバの証人たちはその後また多くの物資を発送しました。それには,1万枚の毛布を購入するためのお金,医薬品その他の必需品などが含まれていました。自発的に奉仕を申し出た医師たちもいました。彼らは行くことができました。外国のエホバの証人たちからのこうした申し出や寄付は,ザンビアの難民の必要をすべてまかなってあまりあるものでした。
しかしながら,最初のうち救援物資の輸送は可能
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