-
あなたの熱心は兄弟たちを奮い立たせますかものみの塔 1968 | 11月1日
-
-
をよく教えなかったことを思うと,胸が刺されます」と語りました。ひとりの男は,黒人の一女性と一諸に歩いていた司祭に向かって叫びました。「ヤー,神父さん,あんたは彼女と一緒に寝ているのか」。暴徒で悩まされている一地域に住む考え深い一司祭は述べました。「我々のたいていの教区で幾年にもわたって説かれてきたものと言えば,無意味な儀式,戒律,禁忌などである。我々はみずから求めたものを得たのだ」。言いかえれば,空虚な儀式をまいて暴動や暴行を刈り取ったのです。パナマでは一群の人々が集まって,もし賭博やダンスが禁じられるなら,修道女あるい司祭の別なくリンチを加わえると言っておどしました。ローマ・カトリックの恒例の黒いキリストの祭典を祝うためにポートベーロに来たこれらの人々は,口々にこう唱えました。「我らは司祭の血がほしい」。彼らは熱心です。しかしその熱心は第1世紀のクリスチャンのそれとは明らかに異なっています。それは,カルバリの地で神の御子を刑柱につけた者たちの熱心には似ていても,神の御子に従った人々の熱心とはほど遠いものです。
熱心なクリスチャンを見分ける
13,14 色々の著述家は,熱心なキリスト教が今日存在することをどのように明示していますか。またどんなグループがそれに相当しますか。
13 では,今日この地上にキリスト教の熱心な信奉者がひとりもいないのですか。決してそうではありません。今日,地上でキリスト教を大いにかつ熱心に奉じている人々がいます。現在,全地にわたり100万余のクリスチャンは,時代の急を悟って熱心に答え応じ,神の奉仕者としてみずからを喜んでささげているのです。それらの人々は,この事物の制度の終わる前に,神の国の福音をあらゆる国に対する証言として宣明しています。(マタイ 24:14)チャールズ・S・ブレイドンは自著,「これらの人々も信じている」の中で,それらの人々がだれであるかを次のように明らかにしています。「御国の福音を広めようとする試みにおいてエホバの証人ほどの熱心さと不屈の精神を示した宗教団体は世界中で一つもなかったと断言できよう」。彼らが熱心に携わっているのは,「わたしは信じています」と言うだけのものではなく,宣教なのです。
14 宗教関係のニュース編集者ルイス・カッセルズはエホバの証人についてこう述べました。「彼らの驚異的な増加は,既成の諸教会を赤面させずにはおかない,福音主義に対する熱心さの賜物である。証人は各人,任命された奉仕者と見なされており,それぞれが家々の玄関のベルを押し,また,町角で通行人に文書を配り,できるかぎり多くの人々に [御国の]音信を伝えるために派遣される……改宗者を得ようとする証人たちのこの情熱の背後には,人類の歴史の終わりが差し迫っているとの確固たる信仰がある。彼らは,その時がいつ訪れてもよいほどの覚悟をしているだけでなく,今後10年以内に訪れることを確信している」。
15,16 宗教問題の評論家はエホバの証人の熱心をどのように評していますか。
15 宗教問題の評論家は,クリスチャンの原則のために戦い,かつ生活そのものの中で聖書の原則を支持する熱心な一群の人々の存在することを認めています。ローマ・カトリックの一出版物さえ,願いをこめた次のような見解を表明しています。「我々は,エホバの証人の熱心さをうらやましく思う。カトリック教会の信者にも,同様な使徒的精神が吹き込まれたなら,どんなに幸いかとしばしば願わざるを得ない」。しかし,ローマ・カトリックの指導者も知るとおり,願うだけで熱心なクリスチャンになるものではありません。
16 真のクリスチャンを見分ける証拠の一つは,伝道における熱心のゆえに遭遇する迫害です。新教の一出版物,「アラバマ・バプテスト」誌はその論説の中で述べました。「この派の者[エホバの証人]が世界の各地で迫害されていることを我々は耳にしている……彼らが襲われる唯一の理由は,確かに,聖書の教理に対するその熱烈な信仰にある。我々は少なくとも次のように言うことができる。我が国で彼らは自分の信仰とその実践にかんしてあまりにも熱心であるゆえに,迫害に耐えている唯一のグループである」。聖書の多くの筆者は,キリスト教の特徴の一つが熱心にあることを示していますが,この資質がエホバの証人の生活に反映していることには一点の疑いもありません。
熱心を表わし,また保つ
17 エホバの証人の熱心はクリスチャンの純粋な熱心であるとどうして言えますか。
17 しかしエホバの証人の熱心がクリスチャンの純粋な熱心であるとどうして言えますか。クリスチャンの使徒パウロは,熱心は神の御霊の実として表われると述べました。(ガラテヤ 5:22,23)また,それはクリスチャンのキリストに似た人格のうちにおのずから表われます。熱心なクリスチャンは,「この世にならふ」ことをしません。むしろ自分の思いを変えて,「神の御意の善にして悦ぶべく,かつ全きこと」が何かを悟ります。クリスチャンの純粋な熱心の思いは,『悪をにくみ』ます。そのような人は,『愛には虚偽なく』,「兄弟の愛をもて互に愛しみ」,「心を熱くし,主につかへ」,「望みて喜び」,「患難にたへ」,「祈をつねにし」,そしてクリスチャンの責任に心を配ります。また,道徳的にゆるがないまじめさはその特徴の一つです。―ロマ 12:1,2,9-12。ガラテヤ 2:20。
18 クリスチャンの熱心はどのように保てますか
18 純粋な熱心は,自然に持続させようという方法では決して保てません。この種の熱心は,エホバ神とそのみことばおよび御目的に対する衰えることのない信仰に基づいています。神と隣人に対する愛はこの熱心を燃えたたせます。そして神の聖霊に接するとき,それは保たれるのです。人の霊は,神の霊によって燃えたち,すべてのエネルギーの源であられるエホバに近づけば近づくほど盛んに燃え上がります。(イザヤ 40:26)箴言の筆者はこの点を次のように見事に述べました。「人の霊魂[霊]はエホバのともしび(なり)」。(箴言 20:27)このともしびは,真の神エホバとの接触を失わないかぎり決して消え去りません。
19 (イ)どんな事柄は,クリスチャンの熱心がまわりの人々を奮い立たせる力であることを示していますか。(ロ)エホバの証人の熱心は第1世紀のキリスト教をどのように確かに反映させていますか。
19 ゆえにクリスチャンの純粋な熱心は,その生活における神の霊の表われです。神の奉仕にわたしたちを奮い立たせるのは,ほかならぬエホバの活動力です。この力の助けのゆえに人格を変え,神に献身できるのです。わたしたちを神の栄光のために,忠実を守る人間とするのもこの力です。それは,絶えることのない熱心をわたしたちの中に宿します。そしてその熱心の力はエホバの奉仕から得られます。熱心は,りっぱなわざを行なうように,まわりの人々を奮い立たせる力となります。(テトス 2:11-14)コリント人の熱心は,マケドニヤ南部のギリシャ全土を含むローマ領,アカヤの大多数の兄弟たちの心を動かして,惜しみなく与えることを促しました。兄弟たちは自分自身を,つまり自分の体力やエネルギーを費やしただけでなく,他の人々に仕えるために金銭をも与えました。(コリント後 9:2)今日のエホバの証人の生活にも同じことが見られます。彼らは神の奉仕に自らをささげています。そのことは,1967年クリスチャンの野外宣教に1億8399万5180時間を費やし,86万7009の無料の家庭聖書研究を司会し,また,神と神のみことばに関心を示す人々に6670万3000回余の再訪問を行なったことに表われています。しかしそれだけではありません。他の人々に仕えるために自分の金銭をも与えました。1967奉仕年度中,全世界で献身的に働く宣教者,特別開拓者,巡回および地域のしもべなど9528人の奉仕者をささえるために455万1014ドル87セント(16億3836万5353円)支払われました。これらすべての全時間の働き人に加えて,世界中の96の支部にあるベテルの家で働く1717人の兄弟姉妹たちの生活も維持されました。兄弟たちの熱心のこのような表われは,確かに第1世紀のキリスト教の反映と言えます。より深い霊の思いを培い,より多くのわざに携わるよう兄弟たちを奮い立たせているのはこの熱心なのです。あなたはどれほど熱心ですか。あなたの熱心は兄弟たちを奮起させるものですか。
20,21 クリスチャンの熱心は,老若を問わず人々にどんな影響を及ぼしますか。
20 クリスチャンの純粋な熱心には,老若を問わず人の心をさわやかにし,行動を促し,鼓舞する働きがあります。エホバの証人でギレアデ卒の一宣教者は,23歳の一女性が神の国の福音を初めて聞いたときに,どのように心を動かされたかをこう述べています。「彼女は一フランス人避難民としてスイスのジュネーブに着き,若い女子を収容するカトリック系のホームにはいりました。そして休暇の際に,その友人である一女性から神と聖書について聞きました。その友人とは2回会っただけでしたが,それだけで心を動かされ,聖書研究をしたいと願うようになり,研究が始められました。その後まもなくカトリックのホームを去った彼女は,御国会館でわたしたちととにも集会に出席しはじめたのです。彼女は今や熱心に燃えて,喜びのことばをほとばしらせ,真理を語るとき,彼女の目はまさにきらきらと輝くほどです。しかし彼女とはまだ4回しか研究していないのです」。
21 熱心を奮い起こされた別の例として,70歳になるひとりの男の人は,読み書きを学んで,家々の戸口で福音をより良く伝えたいと願って学校にはいりました。浸礼を受けた時,彼は3年生でした。人はこのような熱心に動かされて,エホバのためにさらに多くを行ないたいと願います。兄弟たちを奮い立たせるのはこの種の熱心なのです。
22 熱心が欠如すれば,何が生じますか。
22 純粋な熱心に欠けるとき,宗教的な努力はことごとくむなしくなり,やがて無気力な愚行と化してしまいます。その結果は,なまぬるい不熱心,つまり,なまぬるい宗教です。そしてキリスト教国に明らかに見られるのは,このような宗教の結ぶ実です。そこには信仰も喜びもなく,神の奉仕のための熱意もありません。ゆえに大切なのは,わたしたちがエホバへの奉仕を心をこめて行ない,神の霊に燃え,また,エホバ神の賛美者になりたいとの願いをいだくように他の人を奮い立たせる熱心にあふれることです。
どうすればエホバのために熱心になれるか
23,24 (イ)クリスチャンの熱心は,どのように,宣教を続けさせる力となりますか。(ロ)ゆえに,特に必要なのは何ですか。
23 クリスチャンの純粋な熱心は相当のエネルギーを必要とします。このきわめて大切なエネルギーあるいは力は,クリスチャンが神のみことば聖書から真理を取り入れることによって補充できます。「神のことばは生命あり,能力あり」と書かれているとおりです。(ヘルブ 4:12)クリスチャンの熱心を保つには力が必要です。預言者エレミヤは,神の預言者としての自分の務めを放棄しようと考えたとき,次のように述べました。「エホバのことばわが心にありて火のわが骨のうちに閉こもりて燃るがごとくなれば忍耐につかれて堪がたし」。(エレミヤ 20:9)神のみことばは,信ずる人が内に保ち得ぬほどの大きな力をその人の心に及ぼします。アグリッパ王は,面前に立つ使徒パウロの人を説得させずにおかぬ証言を聞き,心を動かされて語りました。「なんぢ説くことわづかにして我を〔クリスチャン〕たらしめんとするか」。(使行 26:28〔新世訳〕)今日でも同様です。ある寒い冬の日のこと,ひとりのエホバの証人が道すがら一新聞記者を車に乗せてそのホテルに連れて行ってあげたところ,心を動かされたその記者は,この経験について一文を書き,次のように結びました。「このような思いやりのあるやさしいりっぱな人 ― このような思いやりのあるエホバの証人のような人にはあまり会えまい」。
24 それで必要なのは,神のみことばを毎日勉強し,「火の[わたしたちの]骨のうちに閉こもりて燃るがごとく」なるほどに,神のみことばを思いめぐらすことです。神のみことばは,神の霊感を受けているゆえに,人の心を感動させます。パウロは書きました。「聖書は神の感動によるものにして…益あり」。(テモテ後 3:16,17)イエス・キリストはこう言明されました。「人の生くるはパンのみによるにあらず,神の口より出づるすべてのことばによる」。(マタイ 4:4)人は神のみことばなしで生きられないゆえに,神のみことばを知るわたしたちは幸いです。
25 熱心を保つには,他のどんな要素を心にとめねばなりませんか。
25 また,熱心でありたいと願う人は,エホバの日の迫っていることをしっかりと心にとめねばなりません。その事実を理解するとき,正しいわざや,りっぱなふるまいをするように促されます。使徒ペテロは勧めています。「かくこれらのものはみな崩るべければ,汝らいかに潔き行状と敬虔とをもて,〔エホバ〕の日の来るを待ち……汝らこれを待てば,神の前に汚点なくきずなく安然にあらんことをつとめよ」。(ペテロ後 3:11-14,〔新世訳〕)ハルマゲドンの切迫していることをこのように感じて,クリスチャンの熱心をいだく人々は,警鐘の鳴らされているのを悟り,キリストを伝道するのみでなく,この時代の緊急さを反映させる生き方をしなければならないことをも悟ります。そして,その模範的な生活は兄弟たちを奮い立たせるのです。
26,27 (イ)熱心であるためには,なぜ霊的な洞察力が要求されますか。(ロ)霊的な洞察は,感傷とか,宗教的な形式や語句にとらわれた偏見とは,なぜ全く異なったものでなければなりませんか。
26 したがって,熱心であるためには,霊的な洞察力,つまり真実と偽り,正しいことと悪いこととを識別する力が必要です。霊的に貴重な事柄をそれに代わる何か見せかけだけの事柄と混同せずに,その真価を認めることができなければなりません。(マタイ 16:5-12)また,本当に大切な事柄が何かを認識し,かつ,大切そうに見えても実際には二次的な事柄と混同することを避けなければなりません。人間的な見地からすれば,唯物主義的な生き方つまり飲み食いや結婚などはきわめて重要な事柄と思えるかもしれませんが,イエス・キリストはそれらの事柄について不必要に思いわずらうべきではないと警告し,むしろ,「まづ,[天の父なる]神の国と神の義とを求めよ,さらばすべてこれらの物は汝らに加へらるべし」と言われました。(マタイ 6:25-33; 24:38,39)エホバは熱心な人々を顧みておられます。
27 また純粋の霊的な洞察は,眠りを誘ふ感傷とか,たいした意味のない宗教的な形式や語句にとらわれた偏見とは全く異なっています。イエスが,「我に従え」と言って人々を招いたとき,ある人々の答えは,霊的な洞察力に欠け,自分たちに差し伸べられた特権に対する認識に欠けていることを示しました。ひとりの男は言いました。「主よ,我なんぢに従はん,されどまづ家の者に別を告ぐることを許し給へ」。イエスはこう答えられました。「手を鋤につけてのち,うしろを顧みる者は,神の国に適ふ者にあらず」。(ルカ 9:59-62)使徒パウロは,「言争す(な)言争は益なくして聞く者を滅亡に至らしむ」と兄弟たちに助言することが必要でした。(テモテ後 2:14)ことばを争いの種にしたり,感傷に陥ったりする人は,きわめて大切なエネルギーの一部を失います。エホバへの熱心な奉仕を行なうためそのエネルギーを保つには洞察力が必要です。
28 エホバのために熱心になりたいと願う人は,なぜ交わりにも注意しなければなりませんか。
28 エホバのために熱心になりたいと願う人は交わりに注意しなければなりません。悪い交わりは,良い習慣を台なしにするだけでなく,わたしたちの熱心をさまし,熱心の火を奪うこともあります。(コリント前 15:33)疑いの念をいだく人と交わると,心が弱められるにとどまらず,信仰の心まで打ち砕かれます。“良い天気”の時だけのクリスチャンは,寒い日や暑い日あるいは雨の日にスチャンの集会や神への奉仕に参加しようとする,誠実な人々の心をなんとくじくのでしょう! しかし,生気にあふれた熱心な神のしもべは,そのような天候の時でもたゆまず努力するだけでなく,より大きな信仰を持つように,疑う人々を奮い立たせ,より熱心な思いをいだくように不活発な人々を奮い起こさせます。あなたの熱心は,このようにして,兄弟たちを奮い立たせますか。そうでなければなりません。
29 今日の最も危急な時にあって,私たちはどんなわざに携わっている者でありたいと願いますか。
29 わたしたちは人類史上きわめて危急な時代に住んでいます。この事を悟るのは絶対に必要です。キリスト教国の諸宗教は,みずから認めているごとく,死んでいるか,死につつあるかいずれかです。しかしわたしたちに関しては,大いなるバビロンの滅びとハルマゲドンの戦いの前の今,なし得る最もすぐれたわざに熱心に携わることが要求されています。そのわざとは,正直な心の持ち主に神の国を人類の唯一の希望としてさし示すわざです。わたしたちの救いの主が検閲を行なわれる日に,わたしたちはそのわざに携わっている者でありますように。
-
-
『すべての国の民への証言』ものみの塔 1968 | 11月1日
-
-
『すべての国の民への証言』
エホバの証人の1968年度年鑑より
ビルマ
人口: 25,000,000人
伝道者最高数: 306人
比率: 81,699人に1人
あなたはパウロが行なったように,区域を徹底的に伝道しますか。(使行 20:20,21)次の経験は,徹底的な伝道がいかに大切かを示しています。二人の特別開拓者は,ある日,家から家の宣教を終えたとき,1軒の家を見すごしたことに気づき,その家の家族に証言するため,区域に戻ったのです。驚いたことに,その家の婦人は大変よろこんで「ものみの塔」誌を求めました。というのは,その婦人は約3年前に「ものみの塔」誌を読んだものの,エホバの証人には一度も会えなかったからです。そして無料の家庭聖書研究のことを聞くと,自分の家ですることにすぐ同意しました。その後,バプテスト教会の牧師をしているおじが尋ねてきたので,彼女は聖書に関する質問をいくつかしてみました。答えに窮したおじは,それらの質問に答えるのは,豚に真珠を与えるようなものだと暴言を吐きました。その失礼な態度により,おじは偽りの羊飼いであることをあらわにしたため,彼女はなお一層真理を深く認識できました。彼女は急速に進歩したので,6か月後の最近の巡回大会で,水のバプテスマにより献身を表わしました。開拓者は区域を徹底的に伝道したために「羊」を見いだすことができました。
人々が聖書の音信にすぐ答え応じないからといって失望してはなりません。伝道の書 11章1節の次のことばどおり,忍耐してください。「汝の糧食を水の上に投げよ 多くの日ののちに汝ふたゝび これを得ん」。一人の特別開拓者は,家から家の宣教の際,教会の有名な指導者の一人に会いました。この指導者はその地方で,大酒を飲み,ばくちを打つことで悪名高い人でした。特別開拓者は彼に何冊かの本を配布し,定期的に話し合いましたが,彼は,教会内のその地位が妨げとなって真理を認めることができず,何の反応も示しませんでした。しかし「多く
-