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真のクリスチャンは迫害を打ち負かすものみの塔 1955 | 4月15日
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使徒パウロは,なんとひどい迫害を打ち負かしたのでしよう! 彼はしばしば牢獄に入れられ,そして『ユダヤ人より四十に一つ足りない鞭打ちを五度うけ,三度笞刑をうけ,石打ちの刑を一度うけた。』そして死にさらされました。このすべてのことにもかかわらず,彼は伝道し続けました。(コリント後 11:23-25,新世)年月が経つにしても,迫害を打ち負かす真のクリスチャンの模範は不足しません。異教徒の皇帝やローマ教会の『クリスチャン』の剣のために地下に潜らねばならないときでも,彼らは妥協を拒絶し,「御言葉を宣べ伝え」つつ,忠実をかたく守りました。―テモテ後 4:2。
イエスの言われた警告に『あなた方はこの世で苦難をうけるであろう。』そしてパウロは,若い伝道者テモテに送つた第2番目の手紙の中でこう書きました。『キリスト・イエスにあつて敬虔な献身の生活をしようと思う人は,みな迫害をうけるであろう。』(テモテ後 2:12,新世)現在いまではどうですか? 20世紀も半ばすぎたいまのクリスチャンたちは,同じような迫害をうけていますか? もしそうならば彼らはその迫害を打ち負かしていますか? どのように? これらの質問の答えを知るために,次の記事を見て下さい。
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今日「赤」の迫害を打ち負かすものみの塔 1955 | 4月15日
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今日「赤」の迫害を打ち負かす
アベルの時よりいまにいたるまで,ヱホバはなぜ御自分の僕たちが暴力に苦しむのを許していますか? 自称クリスチャンたちになされた迫害のために,多くの人は余儀なくどんな妥協の状態に追いやられましたか? 鉄のカーテンの後で,忠実を保つことは可能ですか? 迫害を打ち負かすためには,何が必要ですか?
いまの20世紀においてクリスチャンが迫害のくるしみをうけているのを知つても驚くにあたりません。なぜ? なぜならば,キリスト教文明というあらゆる主張にもかかわらず,事実は依然としてサタンが『この世の組織制度の神』だからです。サタンは今でも『吠える獅子のように歩き廻つており,誰かを貪り食おうと求めて』います。サタンは激怒しており,『神のいましめを守り,イエスについて証の業をする人々』に対し戦争をします。―コリント後 4:4。ペテロ前 5:8。黙示 12:17,新世。
光は宗教指導者の教えることの間違いと,その利己的な行を曝露するために,光を憎み,そしてヱホバの僕の繁栄に羨みの心を持ち,公正な崇拝の自由ということについては盲目になつている宗教指導者たちは今でもいるではありませんか? クリスチャンが忠誠をヱホバ神に捧げること,そして自分たちは神の御国によつて亡ぼされると言われることに立腹を感ずる圧迫の政治権力,全体主義的政府はいまでも存在してはいませんか? そうです,それらの者は確かに存在しております。そして,これらのものや,類似の利己的な気持を持つ他のものは互いに結集し,エレミヤ,キリスト・イエス,そして使徒の時代に,その酷似者がヱホバの僕になしたと同じく,今日のヱホバの僕に迫害を加えています。
妥協によつて,もちろん迫害を避けることができます。第二次世界大戦の後間もなく,アメリカ合衆国の役人は,ヒトラーとナチスへの協力を正当化しようと努めたドイツの多くの牧師と会見しました。牧師たちの言い訳に答えて,その役人はキリスト・イエスの取つた恐れを知らぬ道を牧師たちに思い起させましたが,一人の司祭はそれに答えて,『ああ,でも人々がイエスに何を為したかを見てごらんなさい。』と言いました。
日本の組織化された宗教も同じく,天皇崇拝については,便宜上から妥協をいたしました。神道は国の宗教であつたにも拘らず,天皇崇拝は純粋に政治的な事と彼らは気楽に信じ,クリスチャンでもその儀式に参加できると信じました。天皇の政治的職務は,その宗教的な主張に基いていたために,天皇に平伏することは,天皇を神々の子孫と認めて平伏することでした。しかし,彼らの宗教的な良心は,そのことについて苦しまなかつたようです。
ロシヤで,1942年,無神論を提唱する政府が教会人をある職務に任命し,制度化された宗教に好意を少しく示すとすぐに,『教会人は互いに争つて,スターリンに懇篤な伝言を送つた。』― 1954年9月11日,サターデイ・イーブニング・ポスト。
東ドイツの制度化された宗教は,『その運動は,政治的また全くこの世的の性格を取つたにしても』共産主義者の平和宣伝を強く支持したことから,その運動に関係するのを拒絶したヱホバの証者を識別することは容易でした。
ポーランドで約2000人のカトリックの牧師は,ミサ集会で全牧師を促し,共産主義者の国家前線に参加するようすすめました。ポーランドの司祭たちは,1953年の5月8日附けの覚え書きの中で,教会の福祉に反対になるにしても,共産主義者の政策を支持することに,力をゆるめたと認め,こう言いました『我々は教会と国家の両方を益する積極的な解決を求めている。不和を導入するなどということは,我々の念頭に全くないものである。』
妥協して迫害を避けようとすることは,生温いことであつて,生温いものはみな御口から吐き出すとキリストは警告しています。―黙示 3:16,新世。
迫害は打ち負かし得る!
そのような妥協と全く反対の対照をなすものは,全世界のヱホバの証者の取る行為です。1万人のヱホバの証者が収容所に入り,その8000人が戻つて来たというナチ・ドイツでつくつたその恐れを知らぬ記録は,すべての人の良く知るところです。彼らは生き存らえて,その苦しみを与えた者たちの終りを見ました。また第二次世界大戦の大部分のあいだ業の禁ぜられていたカナダでは,その禁止の終つたときに,禁止が初めて課せられたときよりも2倍の証者たちがいました。それは確かに迫害を打ち負かしました!
フランス領赤道アフリカで,其の地生まれの二人の人が御国の音信に接し,それからヱホバについて他の人に伝道し始めました。政府は,宣教者でも印刷した文書にしても,その国に入る許可を拒絶しました。しかし,この禁止や多くの迫害にもかかわらず,この二人の伝道者は6年のあいだ1954年の春には666名に増加しました。人種と言語の障害を考えるとき,この増加はますますもつて素晴らしく際立つたものです。
1949年にドミニカ共和国がヱホバの証者の業を禁じた時,証者の最高数は274人でした。多くの証者は牢獄に入れられても,決して妥協せず,地下に潜んでも恐れを持たずに伝道し続けました。その結果1954年に,371人の最高数の証者が伝道の業に参加しましたが,これは毎年平均7パーセントの増加に相当します。彼らが迫害を打ち破つたということについては疑いありません。
1950年に2万人以上の証者たちは東ドイツで良いたよりを定期的に伝道していました。その時,共産主義者は業を禁じ,マグデベルグの本部事務所で奉仕していた兄弟たち,旅行する代表者,そして地方の監督者たちを逮捕しました。全部で2000人以上が逮捕され,現在では1283人が牢獄にいます。禁止下の増し加わつた伝道の困難や,投獄の脅威が常に存在するにもかかわらず,証者の隊伍は再び充たされ,今日東ドイツでは,2万人以上の証者が活動しています。牢獄の中にいるも,外にいるものも,東ドイツの多くの証者たちはよろこびを表わし示しています。
東ドイツの恐れを知らぬヱホバの証者の道に,多くの人は感心しています。例えば,1953年の新世社会の大会の後に,家から家の活動は東ドイツで強調されました。ある会衆で20人がこの業に参加し,町を全部伝道しました。この運動に加つていた二人の証者は,図らずも市長を訪問しました。ヱホバの証者かどうかと尋ねられて,二人は市長にヱホバの証者をどういう者と考えるのか,逆に尋ねました。市長は包まずにこう言いました。『あなた方がヱホバの証者であることは知つている。しかしびくびくする必要はない。あなた方の熱心と勇気には感心させられる。』二人の証者は,自分たちの信仰と業について良い証言をすることができ,さらに再訪問する取り極めをいたしました。東ドイツのヱホバの証者たちが,どのように迫害を打ち負かしているかを示すそのような経験は数多くあります。
ヱホバの証者の業が幾年間に亘つて禁ぜられているチェッコソロバキア,ハンガリー,ローマニア,ポーランド,そしてユーゴスラビアでは,同じように迫害を打ち負かしています。1946年,それらの国々で1万1131人のヱホバのクリスチャン証者たちが活動していました。1950年にその数は2万8183人に増加し,そして1954年には何人いましたか? 1946年よりも殆ど4
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