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神はなぜこのような迫害を許しておられるのですか目ざめよ! 1973 | 2月22日
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迫害者の中には,キリストの弟子たちに対して『おびやかしと殺害との気をみたし』た,タルソのサウロのような人がいるかもしれません。事実,サウロは,ある人たちを殺すことに賛成し,またそれに加担する一方,パレスチナの各地で他の人びとを追跡しました。(使行 9:1; 7:58–8:3)ところが,サウロはそれらの人たちの真実の見方に照らして物事を考えるようになったのち,彼はキリストの非常に熱心な使徒たちのひとりになり,次いで,迫害のもとでみずからの忠実さを実証しました。そして,彼は,神が大いなる忍耐と過分の親切を示してくださったゆえに誤った道から離れられたことを神に深く感謝しました。―コリント前 15:9,10。
ですから,今日,苦しみに会うクリスチャンも,神の忍耐ゆえに,迫害者の中には身を転じて神の新秩序で永遠の命を得られるような人が出ることを大いに喜べます。また,今起きている事がらを見たり,あるいはそれに関する報告を読んだりする他の大勢の人びとが,真の論争をはっきりと認め,神の側に立てるようになるかもしれません。
もちろん,ほかにも成し遂げられる事がらがあります。神が迫害を許しておられるため,神に敵対し,みずからを改めようとしない,ほんとうに強情な者たちはやがて暴露されます。クリスチャンが潔白であることを示す証拠を前にしながらも,執ようにそうしたクリスチャンを攻撃する人びとは,自分自身を故意に,また意識的に神に逆らう反対者として罪に定めることになるでしょう。そうなれば,神は,この全地にまたがる不義の凶悪な事物の体制にまもなく終わりをもたらす時,それらの人たちを滅びにふさわしい者として裁く十分の理由を持つことになります。―テサロニケ後 1:6-9。
昔,使徒ペテロは仲間のクリスチャンにあてて,『愛する者たちよ。あなたがたを試みるために降りかかって来る火のような試練を,何か思いがけないことが起こったかのように驚きあやしむ』ことがないようにしなさい,と書きました。(ペテロ前 4:12,口語)今日,マラウィでも,また世界のどこでもエホバの証人は,起きている事がらを驚きあやしんではいません。証人たちは,神が迫害を許しておられる理由を知っていますし,最終結果は神に誉れをもたらし,自分たちにとっては永遠の祝福となることを確信しています。
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エホバの証人が行なう事がらと,あなたが行なえる事がら目ざめよ! 1973 | 2月22日
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エホバの証人が行なう事がらと,あなたが行なえる事がら
マラウィのエホバの証人は他の土地の証人たちと同様,清い良心を持っています。彼らは人びとや政府に逆らうようなことは何もしていません。また,神の律法に忠実に従う自分たちの歩みによって神の不興を買っているわけでもありません。彼らは使徒パウロとともに次のように言うことができます。「わたしはまた,神に対しまた人に対して,良心に責められることのないように,常に努めています」― 使行 24:16,口語。
エホバの証人は神に対する自分たちの忠節を差し控えるつもりは少しもありません。彼らは,神のみことば聖書が教える事がらをあくまでも行ない続けます。また,キリスト・イエスの真の追随者として,どんな土地に住んでいようとも,「上にある権威」に引き続き従ってゆきます。(ロマ 13:1)彼らは勝手に制裁を加えたりして,自分たちを迫害する人びとに報復しようなどとはしません。神のみ子はそういうことをしませんでした。使徒ペテロは神のみ子についてこう書きました。『キリストも汝らのために苦しみをうけ,汝らをその足跡にしたがわしめんとて模範をのこし給えるなり。彼は罪を犯さず,その口に偽りなく,またののしられてののしらず,苦しめられて脅かさず,正しくさばきたもう者に己を委ね(給えり)』― ペテロ前 2:21-23。
脅迫手段に訴えたり,政治的あるいは経済的圧力を加えるとか,反対者に対抗して暴力行為を扇動するなどの手段に訴えたりしたのでは,エホバの証人は逆にみずからを自分たちの敵対者のかたちに合わせて形作ってゆくことになるだけです。そうなったのでは,その代償として神の是認を失いかねません。彼らはそうするどころか,使徒が霊感を受けて述べた次のような助言に従います。『悪をもて悪に報いず……愛する者よ,自ら復しゅうすな,ただ神の怒りにまかせまつれ。しるして,「〔エホバ〕いい給う,復しゅうするは我にあり我これを報いん」……悪に勝たるることなく,善をもて悪に勝て』。(ロマ 12:17-21〔新〕)したがって,エホバの証人は,永続する真の救済をもたらすエホバの公正な手だてを待ち望んでいます。
人をささえる神の力に対する全幅の信頼
エホバの証人は,神の約束を信頼しているからこそ,こうした道を取ることができるのです。神は,ある期間彼らが試みられるままにすることがあっても,決して彼らを見捨てるようなことはなさいません。反対は証人たちの生計の手段となるものをさえ奪い去ってしまうかもしれませんが,それでも,『われさらに汝を去らず,汝を捨てじ』という神の約束は依然として真実です。ですから,証人たちは勇敢にふるまい,『〔エホバ〕わが助け主なり,我おそれじ。人われに何をかなさん』と言うことができるのです。(ヘブル 13:5,6)彼らは,いざという時には物質的にも,また他の面でも神が力を貸して支えてくださること,またたとえ死ぬようなことがあっても,神は新秩序で自分たちを命によみがえらせてくださることを知っています。―使行 24:15。
彼らは問題に耐える力や問題に対処する知恵を神から与えられて神の助けを受けるという個人的な経験をするゆえに励みを得ます。パウロや仲間のクリスチャンのように,マラウィあるいは難民収容所にいるエホバの証人は次のように言うことができます。『われら四方より患難を受くれども窮せず,せん方つくれども希望を失わず,責めらるれども捨てられず,倒さるれども滅びず,常にイエスの死を我らの身に負う』― コリント後 4:8-10。
彼らはこのこと,つまりエホバ神はご自分の民が解体され,滅ぼされるままには決してなさらないことをよく知っており,そのことから真の慰めを得ています。財産や所有物を失う場合があるのは事実です。中には殺される人さえいるかもしれません。もっとも,普通,そのような人はごく少数です。しかし,神はご自分の任命した天的な審判者イエス・キリストを通してご自分の民を支持しておられるので,その民が絶滅されるままには決してなさらないことを彼らは知っています。
彼らはこの世の政治体制の法律に引き続き従順に従い,法に対する不敬な行ないをしたりはしません。同時に,エホバの証人は世から離れた自分たちの立場を堅持します。そして,自分たちの真の希望と信頼を置くものとしての神の王国政府の側にしっかりと立ち続けます。彼らが神の是認を得るかどうかはそのことにかかっているのです。―ヨハネ 18:36。
迫害されている人たちを助けるための努力
マラウィのエホバの証人は,自分たちの面している危機の時を首尾よく,また忠実を保って切り抜けるのに必要な助けを神に祈り求めてきました。同様に,世界中の彼らの霊的な兄弟たちも,使徒ペテロが投獄されて死の危険に面した時,初期のクリスチャンが行なったように,彼らのために祈っています。(使行 12:5)使徒パウロは自分がユダヤの不信者たちの手から救い出されるよう祈ってもらいたいと仲間の兄弟たちに願い求めました。(ロマ 15:30,31)ですから,あなた
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