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古きを倒し,新しきを建てるものみの塔 1959 | 5月1日
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古きを倒し,新しきを建てる
『見よ,わたしはきよう,あなたを万民の上と,万国の上に立て,あなたに,あるいは抜き,あるいはこわし,あるいは滅ぼし,あるいは倒し,あるいは建て,あるいは植えさせる。』―エレミヤ 1:10,新口。
1 イエスの名のために,すべての国民から憎まれると預言されている人々は誰ですか。
『そのとき人々は,あなたがたを苦しみにあわせ,また殺すであろう。またあなたがたは,わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう。……そしてこの御国の福音は,すべての民に対してあかしをするために,全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。』(マタイ 24:9-14,新口)これらの言葉を発した者,彼らがすべての民に憎まれる原因となる名をもつ者は,イエス・キリストでした。すべての民に憎まれた者は,彼の名前に関係をもち,彼の名において伝道をしたイエスの使徒および弟子たちでした。彼らは,イエスの名の故に憎しみをなげかけられても,耐えしのぶことを少しも恐れない,真の種類のクリスチャンたちでした。では,彼らはいつこの憎しみを,受けることになつていましたか。
2 いつこの憎しみは彼らになげかけられますか。
2 時を表わす副詞「そのとき」は,それがイエスのつぎの預言の成就した時であつたことを示しています,『民は民に,国は国に敵対して立ち上るであろう。またあちこちに,ききんが起り,地震があるであろう。しかし,すべてこれらは産みの苦しみの初めである。』将来には,もつと多くの,もつと激しい苦しみが来ますが,しかしそのはじまりであつたこの苦しみは,組織制度の終りのはじまりをしるしづけることになつていました。―マタイ 24:7,8,3,新口。
3 国際間の苦しみはいつから始まりましたか。どんな事態が生じはじめましたか。
3 世人によく知られている現代史は,その苦しみの始まり,その組織制度の終りの始まりが,44年の昔,つまり1914年であつた証拠を提出してくれます。その年の7月28日,オートリアはセルビアに宣戦を布告しました。第一次世界大戦が始まりました。それにともなつて,イエスの預言された他の多くの事がらが起きました。その重大な時に当つて,あるものが衰えはじめ,ある別のものが台頭しはじめました。
4 イエスの追随者が諸国民と関係をもつというのはどういう意味ですか。
4 前に引用したイエスの言葉によると,イエスの誠実な真の追随者たちは,諸国民と何か関係があるに違いありません。彼らが国の政治と関係をもつていないことは言うまでもありませんが,しかし地球上のあらゆる国々に住んでいることは確かです。彼らはそこで,すべての民にきらわれています。そして御国の良い音信を,すべての民に対してあかしをするため,ヨーロッパ諸国,北,中央,南アメリカは言うに及ばずあらゆる場所で伝道しています。
5 イエスの追随者がすべての国民に憎まれる理由は何ですか。ただイエスの名を負つているからですかそれともほかにありますか。
5 彼らはなぜすべての民に憎まれるのでしようか。キリストの名のためだけではありえません。ヨーロッパとアメリカ諸国には,他のキリスト教国と同様に,クリスチャンと呼ばれている人々が何億もいますが,彼らは決して憎まれてはいません。むしろ彼らは,この世の諸国民に愛されています。そして誰でも名前を取ることができます。ですから,名前だけではなくて,外に何か,人およびすべての国民にこの憎しみを起させる理由があるに違いありません。この別の理由というのは,キリストの真に任命された追随者たちが,イエス自身の預言の成就として行つている事がらに違いありません。それは,『御国のこの良いたより』をあかしとして宣べ伝える,彼らの伝道に違いありません。どの国のことですか。今日この地上で,いつたいどの国が,良い音信の源であり得ますか。そんな国はひとつもありません。イエスが預言的に言及されたのは,これらの中のどの国でもありません。イエスがいつも話されていた国は,ただ一つだけでした。ただ一つだけでしたから間違いはありません。それは神の御国でした。これが今日の良い音信の唯一つの源です。今日のイエスの追随者たちは,ただこの御国だけを宣べ伝えることによつて,また自から進んでこの御国伝道のためにすべての国民に憎まれることによつて,自分が純粋のクリスチャンであることを示しています。
6 彼らに関するイエスの預言によると,彼の追随者たちは,誰によく似ていますか,そしてなぜですか。
6 ですから,イエス・キリストはすこぶる明確に,すべての国民に証言を行う彼の追随者が,驚くべきことを語つたり,古いものが終つて,新しいものが始まることを宣べ伝えるであろうと預言されました。この理由のために彼らは,国際的な反対の嵐を巻き起し,古い諸国民に憎まれて苦しむでしよう。この点,彼らは,イエス・キリストより600年余り昔に住んで伝道していた古代の預言者エレミヤによく似ています。イエスが地上におられた時,多くのユダヤ人は,彼を預言者エレミヤだと誤つて考えていました。(マタイ 16:13,14)イエスはエレミヤの預言から多くの事がらを引用し,またエレミヤは,イエス・キリストに関する多くの事がらを預言しました。エレミヤはまた,イエスの追随者に関する重要な事がらを預言しました。事実エレミヤは,イエスの聖別された残れる者もしくは残つている者,古いものが去つて新しいものがはいつて来る今の時代に地上にいる油そそがれた残れる者を預言的に予影していました。
7 エレミヤが伝道を始めた時は,宗教の領域に何が起ろうとしていた時ですか。それで今なぜ,エレミヤによつて予影されていた残れる者に耳を傾ける必要があるのですか。
7 エレミヤの住んでいた時代は,この予表と今日の成就に大きな決定力を持ちました。彼は,最も悲そうな事,とても信じられないようなことが,今にも起ろうとしていた時に預言しはじめました。それは,聖都エルサレムの滅びと,ヱホバ神の崇拝にささげられていたエルサレムの宮が略奪され焼き払われることでした。その大きな宗教上の打撃を受けたのは,エレミヤがヱホバの証者として預言しはじめてから40年の後でした。つまり良い王であつたヨシアのエレサレムにおける統治の12年目にあたるキリスト前647年から,征服者ネブカデネザル王のひきいるバビロンの軍隊が,賢者ソロモンの建てた宮を破壊した607年まででした。キリスト教国の組織された宗教に対して,恐怖は今日益々大きくなつています。それはいつたいどんなことになるのでしようか。この答をえるためには,人々は,エレミヤの予影した残れる者が伝道している事がらに耳を傾けねばなりません。彼らは,エレミヤの預言の今日における成就を人々に宣べ伝えているからです。
8,9 (イ)どのようにまた誰によつてエレミヤは預言者になりましたか。(ロ)エレミヤにとつて,神の仕事を取り上げる適切な時はいつでしたか。なぜ彼は年長者の面をおそれてはなりませんでしたか。
8 誰が彼らを彼らの主張する権威をもつて語る預言者としましたか。ところで,誰がエレミヤを預言者にしましたか。エレミヤは,エルサレムの北方にあつた町アナトテの祭司の息子でした。だからといつて,そのためにエレミヤが自動的に預言者になつたのではありません。またエレミヤが自分で勝手に預言者になつたのでもありません。特に彼は生れる前から預言者になるべく選ばれていたのですから,そのようなことはできませんでした。とはいつても,彼は,自分がなすべく選び出された使命を告げられた時,預言者として奉仕することに,自発的に同意し,それを受け入れることができました。エレミヤは,どのようにまた誰によつて自分が預言者にされたかを次のように私たちに告げています。『ヱホバの言葉われにのぞみて言う。われ汝を腹につくらざりし先に汝をしり,汝が胎をいでざりし先に汝を聖め汝をたてて万国の預言者となせりと。われこたえけるは,ああ主ヱホバよ,見よわれ幼少により語ることを知らず。ヱホバ我に言い給いけるは,汝われはおさなしというなかれ,すべてわが汝をつかわすところに行き,我が汝に命ずるすべてのことを語るべし。なんじ彼らの面を畏るるなかれ,そはわれ汝とともにありて汝をすくうべければなりとヱホバいい給えり。』(エレミヤ 1:4-8)エレミヤがある仕事のために生れたのは明らかです。問題は果して彼がその仕事に自分を適合させるであろうかということでした。彼は,みずから進んでそれを引き受けましたか。この任命を果す力はとてもないというエレミヤの気持が事を決定したのではありません。
9 エレミヤは自分に仕事が前もつてあてがわれていたからといつて,反抗したり反逆するようなことはありませんでした。神がどのように彼を預言者にされたかを示してさらにこう述べています,『ヱホバ遂にその手をのべてわが口につけ,ヱホバ我にいい給いけるは,見よわれわが言葉を汝の口にいれたり。みよ我きよう汝を万民のうえ万国の上にたて,汝をして或るいは抜き,或るいはこぼち,或るいは倒し,或るいは建て,或るいは植えしめん。』(エレミヤ 1:9,10)エレミヤが年齢においてあるいは彼自身の考えにおいて少年であつたことは,真の障害ではありませんでした。若い時こそ,神に奉仕することを自分の目的と決定すべき時です。それに,エレミヤの場合は,短期間に済む仕事ではありませんでした。ですからそれを完全に果すには,彼の大部分の生涯がこれからはじまるという若い少年時代に,その仕事に着手することは当をえたことでした。それでヱホバは,若すぎるというエレミヤのおそれをぬぐい去つて,『汝われはおさなしと言うなかれ』と告げられたのです。若い者が年長者に対して尊敬を示すことは規則でしたから,一少年が年長者に仮借なく話すには,何か異例的なものを必要としたことでしよう。しかしヱホバは,イスラエルのどの古い者よりも古い方でした。ですから彼は,『少年』エレミヤにこう言われたのです,『なんじ彼らの面を畏るるなかれ,そはわれ汝とともにありて汝をすくうべければなりとヱホバ言い給えり。』それで唯一の問題はこれでした。つまり,エレミヤは自から進んでそれを行つたかということです。
10,11 (イ)組織制度の終りは,どんなわざをすべき時ですか。(ロ)1919年に,クリスチャンと称する者に直面した最も重要な質問は何でしたか。
10 1914年,イエスの預言は成就しはじめました。この世にとつては,『組織制度の終り』がはじまつたのです。イエスの弟子だと主張する人々は何億もいました。彼らの大多数はキリスト教国にいました。この組織制度の終りの時は,偉大なるわざがなしとげられるべき時でした。そのわざは,終りの時代のはじまりから,完全な終りに至るまで続行されるわざでした。それは,人の住むすべての場所で,またすべての国民に対してなされるわざ,それらすべての国民に対して神の御国の良いたよりに関する証者となるわざでした。第一次世界大戦は1918年の暮れ近くまで,4年以上にわたり30以上の国の人々の時間と注意をうばつていました。そしてキリスト教国の宗教組織は,おのおの自国に味方して戦争に参加しました。当時彼らは神の御国の良い音信を宣べ伝える時間など持つてはいませんでした。ヱホバの証者に関しては,キリスト教国の宗教組織は,政治,軍事および法律上の権力者たちをあおぎ立てて,ヱホバの証者がしようと努力していた公けの伝道を減少もしくは殆ど中止させました。ヱホバの証者は,世界の状態と時代および出来事の意味するところを宣べ伝えようとしていたのです。1919年がやつてきました。イエスの言葉を成就すべき諸国民に対する証言のわざは依然として残り,イエスの足跡に従い服従すると主張するすべての者の肩にかかつてきました。終戦第一年目の決意とわざをなすにおいてキリスト教国およびクリスチャンと自称する者すべてにとつて最も重要な問題となつたのは,あらゆる国が一つの平和同盟を結ぶべきかということではなくて,誰が諸国民に対してヱホバの預言者となり,ヱホバの命令されるすべての事を彼らに話すか,誰が現代のエレミヤになるかということでした。
11 エレミヤは,ユダの王国の終りの時代に40年間預言しました。それでこの世の諸国の終りの時代である今,誰が音信をもつて預言するでしようか。
12 この質問に対する答えをどのように知ることができますか。
12 今から40前のその当時,このことは疑問でした。しかし今日では,その疑問がどのように答えられたかを知ることができます。今は示すべき事実があります。私たちは宗教的誇りあるいは自慢あるいは自分でつくりあげた主張に訴えるべきではありません。私たちは事実に訴えるべきです。事実だけから説明させなさい。ユダヤ人の歴史はいうまでもなく,キリスト教国の宗教組織であるカトリックとプロテスタントの実際の歴史を調べてごらんなさい。さらにまたそれらの宗教組織が今日行つていることを調べてごらんなさい。次ぎに,キリスト教国のすべての宗教組織とユダヤ人が,第一次世界大戦中またそれ以後ずつと懸命に反対しつづけてきた一つの宗教制度の歴史を調べてごらんなさい。この反対されているクリスチャンの制度がヱホバの証者であることは誰もが知つています。彼ら自身の年次報告およびヱホバの証者の『年鑑』はさておき,新聞の報道や雑誌の記事,警察および裁判所の記録,そうです,これらのヱホバの証者が訪問した何百万という人々の家を調べてごらんなさい。これらの全部に,証者たちが1919年から今の今まで何をしてきたか尋ねてごらんなさい。彼らは人々に伝えうるあらゆる手段と経路によつて伝道して来たというのが総合的な答えでしよう。彼らはただ一つの事がらだけを伝道して来ました。それは神の御国の良いたよりです。彼らはこれを,イエスが命令された通り,鉄のカーテンの背後の国々をも含めて,『すべての民に対してあかしをするために』宣べ伝えてきました。
13,14 (イ)どんな事実がこの質問の答えを決定しますか。(ロ)この答えに関し,今日ヱホバの証者はなぜ感謝しますか。なぜ彼らは幸福になりましたか。
13 その質問の答を決定する事実は,ローマカトリックおよび新教の牧師すべてが,ヱホバの証者はずつと諸国民に対するヱホバの預言者であつたこと,また今でもそうであるということに同意するかということではなくて,誰が,世の終りの今,クリスチャンに対する神の御旨をわきまえて,それをなすべく自からをささげたかということです。諸国民の番判の時である今日のために,神が前もつて定めておかれた仕事をいつたい誰が引き受けましたか。誰がこの仕事のための召しに応じ,1959年の現在までそれを行いつづけてきましたか。実際に神は誰をご自身の預言者として用いて来られましたか。
14 この問題に関する歴史的事実によると,キリスト教国は引きさがるより外ありません。ヱホバの証者は今日,神が喜んで彼らを用いて来て下つたことを,事実が明らかに示しているのに感謝しています。彼らが175の国々や島々で今に至るまで,なしてきたすべての伝道と聖書教育のわざは,軍隊の援助によるものでもなく,人間の力によるのでもなく,神の霊,目に見えない神の活動力によるものであることを彼らは告白致します。(ゼカリヤ 4:6)それはヱホバが力ある御手を突き出して彼らのくちびるにさわり,彼らの口にご自身の御言葉を入れてこられたからです。それは明らかにヱホバが彼らを諸国民および諸国家の上に立つことを任命されて来たからです。現在に対するヱホバ神のみわざが何であるかを見て来た人々,また自発的にそれをなしてきたすべての人々は,ほんとうにさいわいです。
神の二種類のみわざ
15 (イ)前もつて任命された事は何でしたか。(ロ)ではクリスチャンはどのようにその主張にふさわしく生活しなければなりませんか。どの『クリスチャン』がそうしましたか。
15 ヱレミヤの場合のように,各人が神のみわざをなすべく,前もつて任命されているのではありません。前もつて任命されたのはそのわざでした。キリスト教国はその前もつて任命されたわざをしないかも知れませんが,それでもこのわざは完了します。私たちはこのわざと一致を保たねばなりません。今の時代の神のみわざはこうあるべきだと自分で勝手に決めて,その自分の決めた事がらに神の祝福を祈るようなことをしてはなりません。いかに声を大にして執拗にクリスチャンであると主張しても,後者の道は神にそむいた不法のわざの一つです。神はクリスチャンたちに前もつて定められた仕事を与えられます。それは彼らが,神の御心を行うべくイエスを通して,自からをささげたと主張するからです。このようにして神は,クリスチャンたちに,もし彼らが望むならば,この時代のクリスチャンに前もつて任命しておいたわざをなすことによつて,その主張にふさわしく生活するようにさせられるのです。個人の名前に関係なく,聖別された残れる者,油そそがれたヱホバの証者は,第一次世界大戦中のとらわれから解放されて,前もつて任命されたいたわざを取りあげることにより彼らの献身を遂行しうることを心から喜びました。それ以後何万という人々がこのわざを行う機会をつかみ,喜びをもつて油そそがれたエレミヤの級に加わりそのわざを行いました。
16 少数にもかかわらずなぜヱホバの証者の仕事は世界的重要性をもつていますか。エレミヤが予影していたごとく,彼らは何をなすべき使命を与えられていますか。
16 ヱホバの証者は数においては比較的少ないかも知れません。彼らは政治とのつながり,そして政治に対する影響は少しももつていません。にもかかわらず,彼らの仕事は,世界的な重要性をもつています。なぜならそれは神が前もつて定められていたからです。その仕事は,世界的重要性をもつていたとエレミヤ自身の仕事によつて予影され,その輪郭が示されていたのです。ヱホバの証者は,この世の主義および軍事上の紛争に対しては全く中立です。にもかかわらず,彼らは,この世の諸国民と諸国家にかかわるヱホバ神の通告を伝達せよという命令を受けているのです。エレミヤが予影していたごとく,彼らは,『あるいは抜き,あるいはこわし,あるいは滅ぼし,あるいは倒し,あるいは建て,あるいは植える』べき使命を与えられているのです。
17 過去40年間に彼らは何をしましたか。ヱホバの証者はどのように,彼らの使命を果しましたか。
17 これこそヱホバの証者が過去40年間行つてきた仕事です。その間彼らが政治に手を出したことは一度もありません。またこの世界のある国の政府をくつがえしたり,その制度もしくは政治機構に敵対して暴力を振つたこともありません。ではいつたい,ヱホバから与えられたところの諸国家に対する使命を,彼らはどのように遂行してきましたか。これに対する正しい答は,私たちの模型であつたエレミヤが,そうしたことがらを行うべき彼の使命を,どのようにして果したかという質問に対する答から得られます。エレミヤは,ヱホバ神の裁き,ヱホバ神の判決および御目的を宣言することによつてその使命を果しました。ヱホバ神がご自身の御名によつて宣言されるならば,その事がらは成就したも同様です。このようにして神は,『なきものを有るものの如く呼ば』れます。(ロマ 4:17)ヱホバのさばきおよび目的の一つとして成就しないで,すぎ去つたものはありません。
18 ご自身と誰とを比較することによつてヱホバはご自身が挑戦をゆるさないものであることを示されますか。それで神は諸国民に関してどんな決断を下したりまた変えたりすることができますか。
18 ヱホバ神は地のちりをもつて人間を造られました。それでヱホバはご自分を,全く適切に,自分の手になる製品に対して絶対の制御力をもつ偉大な陶工または器を造る者になぞらえられています。そのような造り手ですからヱホバに挑戦はできません。ヱホバがなさつている事がらまたは彼がどのようにご自身の意志を表現されるかに関して挑戦することは何の役にもたちません。ヱホバは言われました,『イスラエルの家よ,陶器師の手に粘土があるように,あなたがたはわたしの手のうちにある。ある時には,わたしが民または国を抜く,破る,滅ぼすということがあるが,もしわたしの言つた国がその悪を離れるならば,わたしはこれに災を下そうとしたことを思いかえす。またある時には,わたしが民または国を建てる,植えるということがあるが,もしその国がわたしの目に悪と見えることを行い,わたしの声に聞き従わないなら,わたしはこれに幸を与えようとしたことを思いかえす。』― エレミヤ 18:5-10,新口。
19 昔ヱホバはどんな国々に対して,世界陶器師としての御自身の力を実証されましたか。それで諸国民は今日,現代の証者を通して来るヱホバの御言葉をなぜ侮蔑してはなりませんか。
19 ずつと昔ヱホバ神は,国々を建て又こわす世界陶器師としてのご自身の力を実証されたことがあります。古代のもろもろの世界勢力の遺跡,イスラエル,ユダ,バビロン,エドム,モアブ,アンモンその他の古代の政権は,ヱホバ神が,強大な政府,強大な都市,強力な力をもつ住民と彼らの制度をどのようにこわし,滅ぼし,倒したかという警告的な実例です。いずれの場合にもヱホバは,彼にそむき彼に対して戦つた国民あるいは世界強国に裁きを行われました。ヱホバはいつでも,ヱホバにそむく者,ヱホバと戦う者に対して神の御言葉を実行に移しその言葉を活かすところのご自身で選んだ刑執行者をもつておられました。『ヱホバ言いたまわく,わが言葉は火のごとくならずやまた磐を打ち砕く槌のごとくならずや。』(エレミヤ 23:29)ヱホバの証者として知られている国際的なきらわれ者であるクリスチャン団体を通して来ようとも,今日の諸国民はヱホバ神の御言葉を軽蔑してはなりません。彼らが諸国民に語り伝道している事がらは,彼ら自身の言葉ではなく,神の記録された御言葉からとられたものです。パウロは言つています,『こういうわけであるから,これらの警告を拒む者は,人を拒むのではなく,聖霊をあなたがたの心に賜わる神を拒むのである。』― テサロニケ前 4:8,新口。
20,21 (イ)ヱホバの証者は,1914年(西暦)という年にどんな重要性を付加していましたか。それはいつから?(ロ)『新しいもの』は何で,『古いもの』は何でしたか。ヱホバの証者は国連に関して何を宣言していますか。
20 1877年という昔から,ペンシルバニア州のものみの塔聖書冊子協会と関係を持つているヱホバの証者は,1914年が,神の聖書に記されている,異邦人時代,『諸国民に定められた時』の終る時であることを説明した印刷物を出版しました。これは,1914年中に,何か新しいものが始まり,古い何かがその終りの時に入る事になつていたことを意味しました。
21 その新しいものとは,天にたてられる神の御国で,その設立を願う祈りは,ほとんど1900年間続けられていたのです。古いものとは,この世の事であつて,国際地球観測年に60ヵ国が調査したところのこの地球ではありません。それは,この地球の上において悪魔に取りつかれた人間製の組織制度です。ヱホバの証者が,ずつと前から指摘していた年の1914年以降,この古い世は変りつづけ,この世の苦しみと悩みは依然として続き,ふえてきました。1919年,第一次世界大戦に勝利を得た国家群は,世界の一致を保ち,国際間の平和を促進し維持するという目的で,国際連盟を設立しましたが,ヱホバの証者は,それが神のみ前に憎むべきものであることを見抜いたのです。そして神の御言葉が国際連盟を滅びに定めていることを語りました。はたして1939年国際連盟は倒れました。ヱホバの証者が倒したからではなく ― ナチ指導者ヒットラーと彼を支持した枢軸国がこれを倒した ― ヱホバの誤りなき御言葉がそう述べていたからです。地上の証者を通して示されたヱホバの御言葉は失敗に終りませんでした。国際連盟の後継者である国際連合に関してはどうかというと,ヱホバの証者は,ヱホバが命令された通りに,この国際的平和組織に関するヱホバの御言葉を大胆に宣言しています。ヱホバの御言葉は,倒せ!と言われます。ですから国際連合も国際連盟と運命を共にするよう定められています。
22 ヱホバの証者が宣言する事を聞かねばならないのは,国連の加入国にとつて何をするようですか。
22 81の国連加入国は,ヱホバ神の御言葉から来るこの宣言をありがたく思わないでしよう。それを耳にすることは,とりわけヱホバの証者の口からまた出版物から聞くことは,彼らには毒の入つた酒を飲むような思いがするでしよう。それでも今日のエレミヤ級は,ヱホバの霊感された御言葉からのこの警告的な通告を諸国民に聞かせるよう命令されているのです。「あるいは抜き,あるいはこわし,あるいは滅ばし,あるいは倒せ」とヱホバはエレミヤに言われました。それで私たちは今日,この古い世が存在する限り,このにがい音信を伝道しつづけ,神ご自身が本物を飲ますまでこの警告を諸民国に飲ませ続けねばならないのです。ヱホバは言われます,『故に汝かれらに告げて言え,万軍のヱホバ,イスラエルの神いい給う,われ汝らの中に剣をつかわすによりて汝らは飲みまた酔いまた吐きまた倒れて再び起ざれと。彼らもし汝の手よりこの杯を受けて飲ずば汝かれらにいえ,万軍のヱホバかくいい給う汝ら必ず飲むべし。見よわれわが名をもて称えらるるこの邑にすら災を降すなり。汝らいかで罰を免かるることを得んや汝らは罰を免かれじ。そはわれ剣をよびて地に住めるすべての者を攻むべければなりと万軍のヱホバいい給う。』― エレミヤ 25:27-29。
23 どんな主張のためにヱホバはキリスト教国に責任を問われますか。なぜ共産圏もその他の国々も,ヱホバの刑執行の権による罰をまぬかれませんか。
23 クリスチャンとは似ても似つかぬこの20世紀のキリスト教国は,エレミヤの時代の,不信仰な国民イスラエルにならつて,神の御名で呼ばれることを主張し,神を代表すると言います。ヱホバ神は,キリスト教国が神の御名にふさわしい行いをしなかつた責任を問うでしよう。近づきつつあるハルマゲドンの宇宙戦争においては,ヱホバはその刑執行者イエス・キリストに対し,偽善的宗教制度の上に破滅の剣を振り下すよう告げられるでしよう。東の共産圏諸国も,また他の非キリスト教諸国も,いわゆるクリスチヤン西ブロック,くわしくはキリスト教国に破滅が近づきつつあるからといつて,いい気味だと考えてはなりません。もしヱホバが,神の御名を負うふりをするキリスト教国,世界の前で神の側に立つているようなふりをしているキリスト教国を罰すべきだと考えられるならば,この世の共産国ロシアとその衛星諸国,また非キリスト教諸国が罰を受けないと考えられますか。彼らは,キリスト教国以上にヱホバ神を愛しましたか。彼らは,ヱホバ神とその証者たちに反対したり戦うのをやめましたか。彼らは汚れた行いやヱホバに対する罪に関しては潔白ですか。いいえそうではありません。彼らも罰を免かれることはなく,ヱホバの刑執行の剣は,地のすべての住民に及ぶであろうとヱホバは言われています。従つてヱホバの証者は彼らにも警告を与えます。
24 エレミヤを通して与えられた災とその結果に関するヱホバの通告はどんなものでしたか。ネブカデネザルが中東からエジプトにわたる地を征服したことは何を例証しましたか。
24 次の言葉を聞いて下さい,『万軍のヱホバ言いたまう。見よ,災いでて国より国にいたらん。大なる暴風地の極よりおこるべし。その日ヱホバのころし給う者は地のこの極より地の彼の極におよばん。彼らは哀しまれずあつめられず葬られずして地の面に糞土とならん。』それからヱホバは,宗教指導者たちおよび商業,産業,経済界の君たちにこう話しかけられます,『牧者よ哭き叫べ,群れの長たちよ汝ら灰の中に転ぶべし,そは汝らの屠らるる日満つればなり。われ汝らを散すべければ汝らは貴き器のごとく堕べし。牧者はのがれ場なく群れの長たちは逃る所なし。牧者のさけびの声と群れの長たちの哀哭きこゆ,そはヱホバその牧場を滅し給えばなり。』(エレミヤ 25:32-36)ずつと昔,世界強国バビロンの王ネブカデネザルが,中東からエジプトにわたる一帯の地を風靡した時に起きた事がらは,ヱホバの僕なる強力な刑執行者イエス・キリストが,全地球上の国から国を行きめぐつて古いこの世的な組織制度を掃滅される時の事を示した,小さな,人間的規模の模型です。―エレミヤ 25:8-11。
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新しいものと共に生き残るものみの塔 1959 | 5月1日
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新しいものと共に生き残る
1 ヱホバの証者は,伝道するのでどんな非難を受けますか。エレミヤ自身は同じような非難に対する刑をどのようにのがれましたか。
諸国民に,このような音信を伝道するので,ヱホバの証者は,破滅をねがう者という非難を受けるかも知れません。エレミヤはそのように非難されました。宗教指導者たちは,政治支配者たちにエレミヤを殺させようと試みました。『祭司と預言者およびすべての民彼をとらえていいけるは,汝必ず死ぬべし。汝何故にヱホバの名をもて預言しこの室はシロのごとくなりこの邑は荒地となりて住む者なきに至らんと言いしや。』それから彼らはエルサレムのつかさたちに告げました,『この人は死にあたる者なり。これは汝らが耳に聞きしごとくこの邑にむかいて悪しき預言をなしたるなり。』これに対しエレミヤは次のように弁明しました,『ヱホバわれをつかわし,汝らが聞けるすべての言葉をもてこの室とこの邑にむかいて預言せしめ給う。……みよわれ汝らの手にあり汝らの目に善と見ゆるところ義と見ゆることを我に行え。されど汝らよくこれを知れ,汝らもし我を殺さば必ずつみなき者の血なんじらの身とこの邑とその中に住める者に帰せん。ヱホバ我をつかわしてこのすべての言葉を汝らの耳につげしめ給いしなればなり。』その時つかさたちは,宗教指導者たちと偽りの預言者たちに勇敢に反対し,ヱホバの証者を死刑に処することを拒絶しました。(エレミヤ 26:1-24)それはエルサレムが破壊される22年前のことでした。
2,3 (イ)エジプトの助けにもかかわらずエレミヤはどのようにエルサレムをこわしつづけましたか。(ロ)その後,エレミヤは,どんな罪を負わされましたか。彼がなぜ泥の穴に入れられたか,またそれでも死をまぬかれたいきさつを述べなさい。
2 それから後,ゼデキヤ王の9年に,ネブカデネザルのひきいるカルデヤ人の軍隊が,エルサレムを攻撃しました。しかしエジプトのパロが邑を解放するために来つつあるということを聞いた時,彼らはかこみをといて撤退しました。しかしエレミヤは,この邑が破滅に定められていることを預言して,エルサレムを抜きまたこわしました。彼は言いました,『カルデヤ人再び来りてこの邑を攻め戦いこれを取り火をもてやくべし。ヱホバかくいう,汝ら……自から欺くなかれ。』後になつてエレミヤは,エルサレムを捨ててカルデヤ人に降ろうとしたというけんぎをうけて告発されました。エレサレムの或る門を通つて外に出ていくとこを,その門の門守につかまつたのです。門守はこう言いました,『汝はカルデヤ人に降るなり。』
3 その時エレミヤは獄に入れられました。エレミヤは獄からでさえ,敵のカルデヤ人が再び戻つて来て王と邑を取ることを,ゼデキヤ王自身に告げました。(エレミヤ 37:1-19)獄から出された時もエレミヤは同じことを宣べ伝えました。剣により,またききんや疫病によつて邑の中で滅びたくないならば,ネブカデネザル王に降りなさいとエレミヤは人々に告げました。政治を行うつかさたちはこの通告を真剣に受け取らず,またそれに従つて行動も起しませんでした。彼らはこの通告を悪くとつて王に言いました,『請うこの人を殺し給え。彼はかくのごとき言葉をのべてこの邑にのこれる兵卒の手と民の手を弱くす。かの人は民の安を求めずしてその害を求むるなり。』この度はエレミヤは,底が泥だけの水のない穴に入れられました。その場所でエレミヤは泥の中に沈んで行くままにうちやられたのです。しかしながら,エチオピヤ人のある宦官は,男らしくも彼をその死の穴からすくい出しました。それからエレミヤは,エレサレムが崩壊しカルデヤ人の手によつて解き放たれるまで,監視の庭に留置されました。―エレミヤ 38:1-13。
4 国家の安全手段や偽りの牧師の批難にもかかわらず,私たちはエレミヤのように何を行いつづけねばなりませんか。
4 近ごろでは,ヱホバの証者がハルマゲドンの宇宙的な戦争におけるキリスト教国の滅亡を予告するため,政治的な政府は特別な安全手段を取り,そして特定な宗教牧師たちは証者のことを『共産主義者だ!』と叫んで人気を得ているときです。しかし,私たちは音信を変えることができません。とらわれの状態,投獄された状態にあつても,私たちはヱホバが伝道せよと私たちに命ぜられた音信を口から離してはなりません。なぜならそれは真実であり確かに成就するからです。私たちはエレミヤの事をよく心にとめて警告を行いつづけねばなりません。
5,6 キリスト教国の牧師と預言者は,どのように私たちに反対しますか。しかし彼らは,エレミヤが宮に関して言つたどんなことを忘れていますか。
5 キリスト教国の牧師や預言者たちは私たちに反対するでしよう。そして,ヱホバ神がキリスト教国を滅ぼされること,イエス・キリスト自身をネブカデネザルより偉大な者として用いて,キリストの名を自分のものとしている領域を滅ぼし給うのを否定するでしよう。自分たちの教会組織は,イエス・キリストの創設されたものだから,イエスはきつとそれを保存されて,自分自身のものを滅ぼされるようなことはあり得えない,と彼らは論ずるでしよう。『これは神の家である』と彼らは言います。このように言いながら彼らは,イエスがエルサレムの宮について言われたことを忘れています。『見よ。おまえたちの家は見捨てられてしまう。……その石一つでもくずされずに,そこに他の石の上に残ることもなくなるであろう。』(マタイ 23:38; 24:2,新口)彼らは,エレミヤが宮に関して次のように言つたのを忘れています。
6 『汝らこれはヱホバの殿なりヱホバの殿なりヱホバの殿なりという偽りの言葉をたのむなかれ。……みよ汝らは益なき偽りの言葉を頼む。汝らは盗み殺し姦淫しいつわりて誓い,バアルに香を焚き汝らがしらざる他の神にしたがうなれど,わが名をもて称えらるるこの室に来りて我前にたち,我らはこれらの僧むべきことを行うとも救わるるなりというは何にぞや。わが名をもて称えらるるこの室は汝らの目には盗賊の巣と見ゆるや,われもこれをみたりとヱホバいい給う。汝らわが初めシロにおいて我名を置きしところにゆき,我がイスラエルの民の悪の為にそこになせしところのことをみよ。……われシロになせしごとく我名をもて称えらるるこの室になさん,すなわち汝らが頼むところ我なんじらと汝らの先祖に与えし処になすべし。またわれ汝らのすべての兄弟……を捨てしごとくわが前より汝らをも捨つべし。』― エレミヤ 7:4-15。サムエル前 4:3-22。
7 それで,なぜ私たちは,人々の関心を買うだけのために,音信をかえることができませんか。
7 ヱホバから出たこの言葉は,ヱホバの証者と正反対のことを人々に告げるキリスト教国の牧師や預言者の言葉を否定します。だからこそ私たちは,人々やまた彼らが選んだ宗教指導者たちの歓心を買うだけのために,音信を変えることはできません。音信を変えて見たところで,それは誰も,私たち自身ですら救うことはできません。エルサレムと同様に,キリスト教国は,絶滅に定められています。そしてそれと共に他のすべてのこの世の組織制度も,『全能の神の大いなる日の戦い』に滅びます。神の天の総司令官イエス・キリストは,クリスチャンならぬキリスト教国を滅ぼされるでしよう。それは彼らが,すべての非キリスト教徒や国家の前で,イエスを偽善的に悪く代表してきたからです。
8 キリスト教国の中にいることに執着する人々には何がふりかかりますか。何に向つて出て行くように私たちは人々をすすめ教育しますか。
8 キリスト教国の宗教制度に執着して,その中に留る者は,ちようどエルサレムの中に留つて,邑を包囲していたバビロンの王に降らなかつた人々が,邑の中で悲惨な最期をとげたのと同じように,ハルマゲドンの宇宙戦争で死ぬでしよう。キリスト教国に反する音信によつて,私たちはどの神をも信じない共産主義にかわるよう人々に助言したりすすめたりしているのではありません。私たちは,エレミヤと同じように,自由を愛し,生命を愛する人々に,勝利の王イエス・キリストに降るようすすめているのです。私たちは人々が,イエス・キリストのくびきを負つて,イエスに奉仕するよう,聖書から人々を教育します。ちようどエレミヤがゼデキヤ王にそうすることを強くすすめたように,私たちは政治指導者たちにさえこれを行うように告げます。それは彼らの生命,彼らの永遠の生命を意味します。―エレミヤ 38:17-20; 27:12-17。
9 統治しているイエス・キリストのくびきを負うことは,負う人にとつて何を意味しますか。それを負うことはどんな結果をもたらしますか。
9 統治している王イエス・キリストのくびきを負うことは,今日のように世の終りの押し迫つた時でも,人の魂をさわやかにします。世界中の何万という羊のような人々は,すでにそれを経験しました。イエス・キリストは,今こそハルマゲドンの宇宙戦争のために戦いの衣服をつけておられますが,それでもやはりこう言われています,『すべて重荷を負うて苦労している者は,わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだつた者であるから,わたしのくびきを負うて,わたしに学びなさい。そうすれば,あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく,わたしの荷は軽いからである。』(マタイ 11:28-30)そのくびきは木のくびきまたはくびきの棒です。そしてイエスは,そのくびきで私たちを押えつけおしつぶすのではなくて,私たちがそれを負うのを助けて下さいます。今イエスのくびきを負うことは,新しい世において生命を得る結果をもたらします。
10 キリスト教国の祭司や預言者たちは,どのようにハナニヤの立場を取つていますか。彼らの助言に従つている人々はどうなりますか。
10 キリスト教国の牧師や預言者は,エレミヤに反対した偽預言者のハナニヤと他の宗教指導者の立場に立つています。彼らは,イエス・キリスト ― 1914年以来敵のまつただ中で今統治していられる ― が,キリスト教国に反対していて,それを滅ぼされること,またためらわずにキリスト教国から逃げてヱホバ神に献身し,キリスト教国の宗教教理ではなく聖書に沿つてイエスのくびきを負い,真にキリストの足跡に従うことが焦眉の急務であることを否定します。もし人々がハナニヤのような人間の助言に従い,キリスト教国から出て王の王,主の主のくびきのもとに来ることを拒否するならば,ハルマゲドンにおける彼らの苦しみは大きいでしよう。
11 ヱホバはどのようにハナニヤを否認し,罰せられましたか。人々は今どの二つのくびきの中を選ばねばなりませんか。
11 預言者ハナニヤは,エレミヤの首から木のくびかせを取つてくだいてしまいました。そしてエレミヤの預言の例証は偽りであること,また,ちようど彼(ハナニヤ)が,木のくびかせをくだいたように,ヱホバは満2年のうちに,万国民の首からネブカデネザルのくびきを離してくだかれるであろうと述べました。ヱホバはエレミヤに,木のくびきの代りに鉄のくびきが準備してあることをハナニヤに告げよと言われました『われ鉄のくびきをこの万国民のくびに置きてバビロンの王ネブカデネザルにつかえしむ。彼らこれにつかえん。われ野の獣をもこれに与えたり』,さらに,『ヱホバにそむくことを』語つたハナニヤは死なねばなりません。はたして彼はその年に死んでしまいました。(エレミヤ 27:1から28:17)今日ハナニヤのような宗教指導者に従うことを選ぶ人々はどうなるでしようか。『もし盲人が盲人を手引きするなら,ふたりとも穴に落ち込むであろう。』とイエスは言われました。(マタイ 15:14,新口)今すべての人々の前には,新しい世において私たちの魂を生かす象徴的な木のくびきと,ヱホバとその王に反逆して死をもたらす鉄のくびきが置かれています。そして二つのうちひとつを選ばねばなりません。
建てること植えること
12 なぜエレミヤは,哀歌の中で自分の心を表現することができましたか。にもかかわらず,エレミヤ哀歌は,ヱホバの正義のいぶきをもつていますか。
12 エレミヤは『悲しみの預言者』と呼ばれてきました。たしかに,悪しき者,それにあたいする者にとつては『悲しみ』です。エレミヤはヱホバという彼の神の聖き御名が関連していたので,エレミヤ哀歌に記されている悲しみを表現することができました。しかしながら,哀歌はすぐれた詩的美しさをもつた本であり,ヱホバの正義のいぶきをもつています。そしてヱホバに反する罪に対しては悲しみをそそぎ出し,またヱホバによるあわれみに満ちた復興と再建の希望ではげましを与え,ヱホバの民に害を働くことに参加しそれを喜んだ人々の上に来りつつある神の復讐からなぐさめを引き出します。―哀歌 1:18,21,22; 3:26-41,55-66; 4:21,22; 5:19-21。
13 エレミヤを悲しませたのは何でしたか。しかしそれは何の成就でしたか。
13 敵が小気味よげに喜び誇つたために,彼らが神の御名を嘲り侮べつしたために,ヱホバの典型的宗教の諸象徴物が破壊されくつがえされたために,またヱホバの民がこのいたましい経験をするほど甚だしく反逆的にまた不忠実になつたために,預言者エレミヤは悲しみにしずみました。とは言えこれは,エレミヤの伝道したことが成就したのでした。その伝道においてエレミヤは,叙述的な言葉をもつてあるいは抜き,あるいはこわし,あるいは滅ぼし,あるいは倒したのです。
14 さいわいなことに,エレミヤはまた何をする使命を与えられましたか。これと一致して,どんなすばらしい預言をする特権を与えられましたか。
14 さいわいな事にエレミヤは,『あるいは建て,あるいは植える』役目も与えられていました。ヱホバの民の奇跡的復興を預言したのはエレミヤでした。そしてその結果はあふれるばかりの喜びでした。これらの心にふれるヱホバの言葉をヱホバの目に見える制度に述べたのもエレミヤでした。『わたしは不定の時まで続く愛をもつてあなたを愛している。それゆえ,わたしは絶えず愛に満ちた親切をつくしてきた。イスラエルのおとめよ,わたしは再びあなたを建てる。そしてあなたは実際に再び建てられるであろう。あなたはまた鼓をもつて身を飾り,ほんとうに出て行つて,喜び楽しむ者と共に踊るであろう。またあなたはぶどうの木をサマリヤの山々に植える。植える者は確かに植えてその実を食べることができる。見守る者がエフライムの山の上に立つて呼ばわる日が来る,「人々よ,立ち上りなさい。そしてシオンに上り,われらの神ヱホバに行こう。」』エレミヤはとらわれの身となつたヱホバの民が,『敵の地から帰る』であろうと預言して,悲しみを払い去つてしまいました。またエレミヤは,イエス・キリストが,一群の彼の追随者すなわち霊的イスラエルの国民のために,神との間の中だちになられることになつていた『新しい契約』も預言しました。この契約の中でヱホバはこう言われました,『われ我が律法を彼らのうちにおきその心の上に録さんわれは彼らの神となり彼らはわが民となるべし……そは小より大にいたるまでことごとく我をしるべければなり……われ彼らの不義を赦しその罪をまた思わざるべし。』― エレミヤ 31:3-6,16,31-34。
15 (イ)エレミヤはエルサレムの王や祭司に何が起るのを見ましたか。しかし彼はダビデとレビ人の祭司職に対する契約について,力強く何と言いましたか。(ロ)それで私たちは今何を伝道しますか。
15 エレミヤは,最後の王ゼデキヤが,エルサレムの模型的『ヱホバの御座』からどのように追われたかを見ました。また宮仕えをしていたヱホバの祭司長セラヤと第二の祭司ゼパニヤが,バビロニヤ人の死刑執行人に殺されたさまを目撃しました。それでもエレミヤは,ヱホバが,『祭司の国』王である祭司の『聖なる国民』『王なる祭司』に関してダビデ王および,レビ人の祭司と結ばれた契約は存続すると,喜びの中に宣言することにより,あるいは建てあるいは植えました。『ヱホバかくいう汝らもわが昼につきての契約とわが夜につきての契約を破りてその時々に昼も夜もなからしむることをえば,僕ダビデにわが立てし契約もまた破れん。天の星は数えられず浜のいさごは量られず我その如くわが僕ダビデの裔と我につかうるレビ人を増ん。』(エレミヤ 33:20-22。出エジプト 19:6。民数紀 25:10-13。ペテロ前 2:9)それと同様に今日ヱホバの証者は諸国民への証しとして,ヱホバがメルキゼデクのような王と祭司であるイエス・キリストの永遠の御国を植えられたという良い音信を伝道しています。その天的御国において,イエスは,『神とキリストの祭司となり』また『千年の間キリストと共に王となる』ところの14万4000人の油そそがれた者全部と共におられるでしよう。(黙示 20:4-6)その御国によつて人類は永遠の祝福を得るでしよう。
16 エレミヤは,神の新しい世の御国と,その新しい世に生き残る者とに関してどのように建設的なわざを行いましたか。
16 『ヱホバ言い給いけるは見よわがダビデに一つの義しき枝を起す日来らん,彼王となりて世を治め,栄え,公道と公義を世に行うべし。その日ユダは救いをえイスラエルは安きにおらん。その名はヱホバわれらの義と称えらるべし。』(エレミヤ 23:5,6)エレミヤは,彼の預言的わざをなすにおいて,ただ一つの希望の政府,神の新しい世の永遠の御国を建てまた植える以上のことをしました。彼はまた羊のようなヱホバの崇拝者の群衆を建てまた植えて,死ぬことのない新しい世に入れるのです。ヱホバはエレミヤを用いてこれらの『他の羊』を例証させる人々を出現せしめました。彼らとは誰でしようか。
生残者を予影する劇中の人物
17 神の命令によつて,エレミヤはレカブ人に何をしましたか。彼らはどのように答えましたか。
17 エルサレムは当時,終りの時にのぞんでいました。エレミヤの預言の巻物を切りさいて火に投げ入れたエホヤキム王は,まだ統治はしていましたが,しかし,バビロンの王とその軍隊の圧迫下にいました。エレミヤと共に邑の中に閉じこめられた者に,異邦人でありながらヱホバの崇拝者であつたレカブ人の部族がいました。ヱホバはエレミヤにレカブ人たちを宮に連れて来て酒を飲ませよと言われました。レカブ人は決してそれを飲みませんでした。彼らは次のように説明して言いました,「われらはレカブの子なるわれらの先祖ヨナダブのすべて命ぜし言葉に従いてわれらとわれらの妻とむすこむすめは生きながらうるあいだ酒を飲まず。われらは住むべき家を建てずぶどう園も田野も種ももたずして幕屋におり,すべてわれらの先祖ヨナダブが我らに命ぜしごとく行えり。」― エレミヤ 35:1-10。
18,19 (イ)それでヱホバはレカブ人にどんな言葉を与えましたか。なぜ?(ロ)レカブ人に与えられた保証は,今日の誰に対する保証となりますか。なぜですか。
18 もしそれらのレカブ人が,彼らの先祖の命令をかたく守つたくらいならば,なぜイスラエル人は,天におられる生命の与え主である彼らの神ヱホバの命令を守ることができなかつたのでしようか。また守らなかつたのでしようか。神を畏れたレカブ人の忠実の手本は,神を捨てたイスラエルを罪に定めました。ですから,エルサレムとその悪しき住民は滅びに行き,レカブ人は生きつづけます!
19 そこでエレミヤは彼らに言いました,『万軍のヱホバ,イスラエルの神かくいいたまう,汝らはその先祖ヨナダブの命に従いそのすべてのいましめを守り,彼が汝らに命ぜしことを行う。これによりて万軍のヱホバ,イスラエルの神かくいいたまう,レカブの子ヨナダブにはわが前に立つ人いつまでも欠くることあらじ。』(エレミヤ 35:12-19)全くその通りでした。先祖ヨナダブは,バアル崇拝者のイスラエル人が偶像の宮の中で殺された時生き残りましたが,それと同じように,レカブ人はヱホバの刑執行者の手よつてヱホバの不忠実な国民の上にのぞんだ破滅を生き残りました。今日,『他の羊』の大いなる群衆は,油そそがれたエレミヤ級と交わつています。神がレカブ人に与えられた御約束は,それらの他の羊が,キリスト教国の破滅を生き残つて神の新しい世に入ることを保証しています。
20 エルサレムが最後に包囲されていた時,エレミヤは警告をしつづけたという理由でどのようにひどい扱いを受けましたか。どんな非イスラエル人が彼を助けに来ましたか。
20 エホヤキム王の息子がエホヤキムの後を継いで,ヱホバの座から治めましたが,それは3ヵ月にすぎませんでした。次ぎにエホヤキムの兄弟ゼデキヤが王にされました。彼の統治の9年目に,エルサレムは再びバビロンの王と彼の軍隊によつて包囲されました。エレミヤは,エルサレムが焼かれ破壊されるということを警告しつづけたので,捕えられて煽動の罪をおわされ,水ための穴に入れられてそこで泥の中につかつていました。つかさたちを無視して,彼を救いにやつて来たのは,割礼のあるユダヤ人ではなくて,エベデメレクという名の宦官で去勢されたエチオピヤ人でした。ゼデキヤの命令でエベデメレクは,安全と援助のために30人の男たちを連れて来てエレミヤをその死の泥穴から救い出しました。それから後,エベデメレクのおかげで,『エレミヤは監視の宮にとどまり』ました。
21 エルサレムが包囲されていた間,多くの住民に何が起きましたか。しかしエレミヤはエベデメレクに何を告げるよう命令されましたか。
21 エルサレムが包囲されていた間,うえに迫られた母親たちは自分の子供を煮,多くの者は疫病で死にました。そしてバビロン人のやいばにかかつて死んだ者も多くいました。しかしゼデキヤ王の家にいたエベデメレクはどうなつたでしようか。ヱホバは,監視の庭にいたエレミヤに,彼の命の恩人エベデメレクにこう告げるよう命令されました。『ヱホバいいたまうその日にはわれ汝を救わん汝はその畏るるところの人々の手に付されじ。われ必ず汝を救わん汝は剣をもて殺されじ汝の生命は汝のぶん取物とならん汝われにより頼めばなりとヱホバ言いたまう。』― エレミヤ 39:15-18。
22 エベデメレクのように,今日誰がヱホバに信頼を置いていますか。そしてどのようにこの信頼を証明してきましたか。
22 ハルマゲドンにおけるキリスト教国の破滅が近づいている今日,エベデメレクのような羊級は,ヱホバ神に依り頼んでいます。彼らは,実体である今日のエレミヤを救うために,キリスト教国のつかさたちの手による死の危険を犯すことをいとわず,その信頼を証明しています。王イエス・キリストは,羊と山羊に関するたとえ話,すなわち世の終りに関する預言の最後の部分で,他の羊に向かい,『わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは,すなわち,わたしにしたのである』と言われました。―マタイ 25:40,新口。
23 来てかれらのために備えられた国を継げという王の招待は何を意味しますか。従つてヱホバはどんな約束を思い出し,それを彼らに適用されるでしようか。
23 諸国民の審判の時である今,審判を行うために天の御座に坐わられている王なるイエス・キリストは,右に向いてこれらの羊たちに言われます,『わたしの父に祝福された人たちよ,さあ,世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい。あなたがたは,わたしが……獄にいたときに尋ねてくれたからである。』1914年以来その天の御国は統治しています。そしてこの緑の地球はその統治下に入つています。エベデメレクのような羊級の人々は,神の新しい世である御国の領域に入るために,死んでまた復活を受ける必要はありません。彼らはすでに御国の地的領域に住んでいます。これこそ彼らが受け継ぐべき領域なのです。ですから彼らは,自分たちの相継するこの地から追い出されることはありません。キリスト教国はのろわれています。しかしこれらの羊は,王の父ヱホバ神に祝福されています。キリスト教国とそれに属する山羊は,この御国の地的領域にいるべき場所をもたないで,滅ぼされてしまうでしよう。しかし王の父ヱホバは,エルサレムが滅びた時にエベデメレクに与えられた約束を思い出されるでしよう。ですから,これらの祝福された羊のようなクリスチャンたちは,ハルマゲドンで死刑執行者の剣に倒れることはありません。
24 これらの羊が,彼らの相続した地に死なずにとどまることはどのように可能ですか。
24 彼らはその戦いにおいて勝利者の捕虜となり,彼らの魂,彼らの生命を確かに保つでしよう。このことは,彼らが,キリスト教国とその宗教に用いた宮の破滅する時に生き残り,永遠の新しい世において彼らの地的相続を楽しむことを保証しています。牧者なる王に羊のような従順を保つ時,彼らが,相続したこの地で死ぬようなことはありません。山羊は,『永遠の切断に入り,正しい者は永遠の生命に入るであろう』と,審判主イエスは言われています。―マタイ 25:31-46,新世。
25 どんな仕事のために私たちは非難を受けますか。しかし私たちは非難の下にあつた時のエレミヤのようであるべきですか。
25 油そそがれた残れる者とその仲間,すなわち正しい羊のような人々は,ちようどエレミヤのようです。彼らはヱホバの報復の日を伝道することによつて,この古い世を抜き,こわし,滅ぼし,倒すので,激しい非難を受けます。しかし私たちはそのために,ヱホバの御言葉で自分を満たすことをやめ,ヱホバのきびしい通告を伝達することを中止すべきですか。エレミヤが自分にはできないと言つた通り私たちもそういうことはできません,『わが汝のためにはずかしめを受くるを知り給え。われ汝の言葉を得てこれを食えり。汝の言葉はわが心の喜びたのしみなり。万軍の神ヱホバよ,われは汝の名をもて称えらるるなり。』― エレミヤ 15:10,15,16。
26 建設的な仕事をしているのに,私たちは誰に反対されじやまされていますか。しかし,話すことをやめるということになると,私たちはどのようにエレミヤのようですか。
26 古い世を愛し支持する者たちは,私たちが神の新しい世の側に立つて,建てたり植えたりすることにさえ反対し,強制的にやめさせようとします。しかし私たちのように神の御言葉で燃えている者がどうして話すことをやめられるでしようか。エレミヤはこう言いました,『ヱホバの言葉は日々にわが身のはずかしめとなり嘲りとなるなり。ここをもて我かさねてヱホバの事を宣べずまたその名をもて語らじといえり。されどヱホバのことばはわが心にありて,火のわが骨の中に閉じこもりて燃るがごとくなれば,忍耐につかれてたえがたし。……ヱホバに歌をうたえよ,ヱホバをほめよ,そは貧しき者の生命を悪しき者の手より救いたまえばなり。』― エレミヤ 20:8,9,13。
27 私たちの伝道の主題を話している間,ヱホバはどのように私たちが敵の顔を恐れないよう力を与えて下さいますか。昔のエルサレムが滅びた時に神の救いがあつたように,ヱホバは何をされますか。
27 ですから,私たちの伝道の主題の表現の中で,古き世を倒し,新しい世を建てなさい。新しい世の全能の神は,敵の顔をおそれてはならないと私たちに命令されています。『彼らなんじと戦わんとするも汝に勝たざるべし,そはわれ汝と共にありて汝をすくうべければなりとヱホバいいたまえり。』(エレミヤ 1:19)ヱホバはご自身の約束を忠実に守つて,エルサレムが破滅した時,エレミヤ,レカブ人およびエベデメレクを救われました。その預言的な予表の通りに,万軍のヱホバは私たちの伝道した事がらを成就させられるハルマゲドンにおいて,私たち残れる者と他の羊を救つて下さるでしよう。そしてヱホバは古い世を滅し義の新しい世を建てられます。
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